近年、LGBTを取り巻く世界は、大きく変わってきています。日本では、2015年に東京都渋谷区で、「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」が施行されました。いわゆる「同性パートナーシップ制度」のもとになった条例です。これを皮切りに、同性パートナーシップ制度を導入する自治体が増えていますが、LGBTの生きづらさは、制度の充実だけで改善されるのかを考えていきましょう。
なぜLGBT当事者は生きづらさを感じるのか?
私たちLGBTが、普段から感じている生きづらさ。その生きづらさの正体は、やはり「異性愛者前提の世界」でしょう。ここでは、LGBT当事者が感じている生きづらさの原因を探っていきます。
異性愛者が当たり前にしていることができない
LGBTである私たちは、異性愛者が当たり前にしていることができません。例えば、結婚・被扶養者加入・相続などの法的手続き。愛し合っている2人が、なぜ家族になれないのか? 異性愛者と同じように税金を納めているのに、なぜ使えない制度があるのか? そう、もやもやしたことも多いはずです。
それだけではなく、日々のちょっと出来事で、LGBT当事者は生きづらさを感じています。
会社員だったときに、私が感じていた生きづらさは、「同僚にプライベートを聞かれること」でした。おそらく、異性愛者は「なんで?」と疑問に思うでしょう。
「お正月は実家に帰るの?」
「旅行は一人で行ったの?写真見せて?」
世間話として、何ら特別な内容ではない会話も、私にとっては生きづらさを感じる原因でした。恋人と同棲中に、仲の良い同僚から「家に遊びに行っていい?」なんて聞かれたときには、どうしようかと頭を悩ませたものです。
企業内でセクシュアルマイノリティ講習を受けた知人は、「私たちにとって当たり前のことが、LGBTの人たちはそうでないと知って衝撃だった」と話していました。私たちが生きづらいと感じるポイントは、異性愛者にとっては取るに足らない些細なものなのだと気付いた瞬間でした。
すべて異性愛前提で物事が進んでいく
LGBTの認知度が上がってきたとは言え、未だに異性愛前提で物事が進んでいくことも、生きづらさの原因でしょう。
実家の両親や祖父母からは、「そろそろ結婚したら?」と帰る度に言われ、友人からは「彼氏いないの?」と恋愛対象を異性と決めつけた質問が飛んできます。
私自身「まだいいかな」と誤魔化しながら、悔しくて陰で泣いたこともありました。異性愛前提の社会に対する怒りだけでなく、大切な人がいるのに、その人を堂々と紹介できない自分の弱さに不甲斐なさを感じたからです。
欲しいのは異性愛者と同じ暮らし
LGBTが身近になったとは言え、異性愛者の人たちは、隣に座っているのがLGBTであるとは夢にも思っていないのが現状です。
これまで、LGBTである私たちは、ただ静かに影を潜めて生活してきました。異性愛者の普通が、LGBTの私たちにとっては普通ではなく、生きづらさを感じている人も多いでしょう。では、LGBTの認知度が上がって制度も増えた現在、当事者である私たちは本当に暮らしやすくなったのでしょうか?
果たして、「制度」で保障される生活は、私たちLGBTが求めてきた暮らしなのでしょうか?
欲しいのはきっと、特別な制度ではなく「異性愛者と同じ暮らし」なのです。
LGBTのための制度で生きづらさは変わったのか?
東京都渋谷区を始め、現在は多くの自治体で、LGBTに対する制度の整備などの対応が急がれています。LGBTに対して理解のある自治体が増え、生きづらさが改善されたようにも思えます。でも、本当に生きづらさが解消されたのでしょうか?
LGBTの認知度は以前より確実に上がった
現在、同性パートナーシップ制度を導入している自治体は、70を超えました。北は北海道札幌市から、南は沖縄県那覇市まで、人口の多い都市だけでなく、これだけ広く制度が広まったことは、LGBT当事者にとって大きな変化と言えます。
TVなどのメディアで取り上げられる機会も増え、中学校の教科書でも性の多様性について触れています。確実に、LGBTの認知度は上がっていると考えてよいでしょう。
オープンな時代に変化
LGBTの認知度が上がったことで、自分のセクシュアリティをオープンにする人も増えています。学生の制服も、スカートとズボンから、好きなものを選べる学校も増えています。街でも、見た目の性別にかかわらず、スカート・ズボンを履いた生徒を見かけるようになりました。
私自身、数年前SNSでバイセクシュアルであることをカミングアウトしていますが、批判的な意見はありませんでした。LGBT当事者が思っているよりも、世界は寛容なのかもしれません。
しかし、周囲を取り巻く環境によっては、未だ生きづらい思いをしている人がいるのも事実です。オープンになったからと言って、悩みがなくなったわけではありません。
理解が不十分のまま情報だけが広がった問題点
一方、「LGBTばかりになると足立区が滅ぶ」という足立区議会議員の発言に代表されるように、LGBTへの理解が不十分のまま、情報が独り歩きしている感覚がありますLGBTのための制度はありがたいものの、理解ができていない人への周知が十分でないと、先述のような事件が起こります。
LGBTの一部の情報だけがピックアップされたことで、実情を知らないまま、ぼんやりとしたイメージを持っている人も多くいるということでしょう。今でも、「バイセクシュアルは男性・女性と同時に付き合っている」などの誤解があるように、間違った捉え方や誤認が課題として残ります。
LGBTのための制度が増えたのに感じる生きづらさ
LGBTの認知度が上がり、あからさまに差別をされることは、減ってきたように思います。しかし、差別がなくなったわけではなく、今も水面下で悩んでいる人がいることも事実です。LGBTに対する制度ができた現代において、当事者が生きづらいと感じるポイントを考えてみましょう。
「特例」「特別」という扱いに生きづらさを感じる
私自身、LGBTのための制度が増えてきているのに、生きづらさがなくなった実感はありません。制度が不十分だからなのか? もっと制度を充実させれば、この生きづらさはなくなるのか?
同性パートナーシップ制度など、LGBTに対する制度ができたことは、非常に大きな成果でしょう。諸問題に取り組んでこられた先輩方には、頭が下がる思いです。しかし、制度ができたから問題がすべて解決するのかというと、残念ながらそうではありません。
制度として、「特別」に認められている感は否めないと感じます。わざわざ制度を作ってもらわなくては、私たちは異性愛者と同じようには暮らせないのだ、と現実を突き付けられている感覚です。
すべてのセクシュアルに対応する制度は難しい
性別変更や同性パートナーシップ制度だけでなく、企業のLGBTフレンドリーなど、LGBTに対する新しい制度が作られています。主に、トランスジェンダーやレズビアン、ゲイなどの大きな括りに入る人々を対象にして作られた制度です。
しかし、現実は多くのセクシュアリティが存在します。人間の性に決まった形はなく、異性愛者も含めて、一人一人が異なるセクシュアリティを持っていると考えなくてはいけません。その一つ一つ違う性に対応する制度を作るのは、極めて難しいと考えられます。
制度ができても、それに当てはまらない・利用できないLGBT当事者が出てきてしまいます。これが、制度ができても生きづらさを感じる原因の一つです。
欲しいのは制度ではなく「異性愛と同じ」普通の暮らし
LGBTのための制度ができることで、当事者が暮らしやすくなる半面、生きづらさは残ります。制度の内容が、LGBT当事者の要望と合致していない「思っていたのと違う」「これじゃない感」が原因の一つです。
制度が増えるほど「普通」の暮らしからは遠ざかる
LGBTに対する制度ができたことで、「性別の変更ができた」「同性パートナーシップ制度を利用した」など、少しずつ世の中が変化してきています。しかし、このまま制度を増やしても、きっと異性愛者と同じにはならないでしょう。
なぜなら、それは制度で固められた表面上の「普通の暮らし」だからです。LGBT当事者にとって、自分たちを守ってくれる制度は非常に助かります。でも、異性愛者は、制度があるから認められている存在なのでしょうか? 異性愛者は、自然と、当たり前のように認められて、そこに存在しているのではないでしょうか?
LGBTである私たちも、制度で作られた「普通」ではなく、異性愛者とまったく同じ生活をしたい。それが、LGBT当事者に共通した思いではないでしょうか。
求めるのは性別によって差別・制限のない暮らし
私たちが求める「普通の暮らし」とは、どのようなものでしょうか?それは多分、「性別で差別される」「異性愛者に認められている権利がない」などの制限がなく、自分をオープンにできる暮らしのはずです。
異性愛者と同じように、トイレを自由に使える、会社の福利厚生が受けられる、家族の話ができる、好きな洋服が着られる。そんな暮らしをしたいと思いませんか? 少なくとも私は、そんな普通の暮らしがしたいです。
ありがたいことに、日本は変わりつつあります。LGBTだからと、普通の暮らしを諦めるのはまだ早いかもしれません。
LGBT当事者ができること
制度だけでは、異性愛者と同じようには暮らすのは難しいのが現状です。しかし、同性パートナーシップ制度ができたことで、一気に世の中の流れが変わり、今まで無関心だった人々もLGBTについて耳にする機会も増えたと思います。また、制度があることで、できることが増えたり認知度が上がったりして、さらにLGBTに対する理解が深まるきっかけになるでしょう。
残念ながら、異性愛者と同じように暮らしたい、と心の中で思っているだけでは、何も変わりません。現在施行されている制度も、LGBT当事者が根気よく訴え続けた結果です。
私たち当事者が望むのは、「制度」で暮らしやすくなることではありません。制度がなくても、異性愛者と何ら変わらない暮らしをすることです。そのために、LGBT当事者の私たちが、何をすべきかについて今一度考える必要があります。
私たちの望む暮らしを手に入れるためには、私たち自身が働きかけないことには、社会は動きません。LGBTの存在・要望を明確にし、発信し続けることが、私たちにできることだと思います。