02 自分で選び取る、ということ
03 違っている=変わっている?
04 誰か、助けて!
05 同性愛者として、アクションを起こす
==================(後編)========================
06 両親にカミングアウトした日
07 母親という人
08 キリスト教者として
09 LGBTへの認知度は広がったけれど
10 ゲイでよかった、と思うこと
01”人と違う子” になりなさい
よく、女の子に間違われる子だった
見た目から、女の子に間違えらえることが多かった。
「お前、本当は女だろう」とからかわれることも、よくあった。
「でもそのたびに、母から『その子たちはあなたのよさがまだわからないのよ。だからお友達になっちゃって教えてあげなさい』と言われたので、とくに傷ついた記憶はないんです」
「オカマみたいって言われても『オカマじゃないよ、で、何して遊ぶ?』なんて調子だったから、みんな、からかっても面白くなかったんでしょうね」
父親が牧師、母親もキリスト教徒という家庭に生まれた。
キリスト教の中心には「人間は一人ひとり神様に創られた」という考えがあるため、小さい頃から両親には、「男らしく、女らしく、ではなく、あなたはあなたらしく、自分らしく生きなさい」と言われて育った。
「僕は泣き虫だったのですが、そんな家だったので兄たちからも『男なんだから泣くな、というのは間違っているが、お前はうるさいから泣くな』と叱られて(笑)」
「だから、僕の中にはもともとジェンダーの壁はあまりなかったような気がします」
風邪で学校を休むと、ほめられた
あなたはあなた、という考え方だったから、両親からは人と違うことは喜ばしいことだと徹底的に教えられた。
何か買ってほしいものがある時、「●●ちゃんが持っているから、ほしい」では願いは聞き入れられなかったが、「誰も持っていないからほしい」と言うと買ってもらえる率が高くなった。
「風邪を引いて学校を休んで寝ていたりすると、母にほめられるんですよ。『きょうはお天気がよくてみんな元気に外を走り回っているけど、あなただけ違った過ごし方をしていて、かっこいいわね』って(笑)」
“人と同じこと” を良しとしがちな日本で、こうした価値観を持って暮らしている人は、そう多くはいまい。
けれど、「どこの家でもみんな、同じように考えていると思ってた」と平良さんは笑う。
02自分で選び取る、ということ
名前を変えても、いい!?
幼いころ「女の子っぽい」とからかわれた理由の一つに、「愛香」という名前のこともあった。
平良さんが生まれたのはベトナム戦争のまっただ中。
両親は、聖書の中の言葉を引いて、平和への祈りを込めて ”愛香” という名前をつけてくれたという。
「子どもにからかわれるのはまだしも、大人から『おまえ、女みたいだな』と言われると、すごく傷つくんですよ。その理由の一つが自分の名前だとわかったとき、悩みましたね。自分ではいい名前だと思っていたけれど、そのせいでイヤな思いをするのは耐えられなかった」
そこである時、母親に「僕、この名前、あんまり好きじゃないんだ」と伝えた。こんなことを言って叱られるかもしれないとドキドキしながら。
「ところが、母に『あらそう。じゃあ、変えたら?』と言われて、拍子抜け(笑)」
戸籍上の名前を変更するとなると大事になるが、通称なら、自分の好きな名前に変えてもかまわない。
少なくても両親はそれを認めてくれるのだと知ったその瞬間、心がふわっと軽くなった。
「やはり頭のどこかで、名前は親から押し付けられたものだと思ってたんですね。その重石が取れ、名前は自分で選び取れるものなのだと気づいた。そうしたら逆に、じゃあ、しばらくは愛香のままやってみようかという気になったんです」
”押し付けられた性” から解放されて
名前にまつわるこの経験は、その後、セクシュアリティについて悩んだ時に大きな助けとなった。
自分は男性の体を持って生まれているけれど、心惹かれるのは女性ではなく男性だと気づいてしまった。
はたして自分は男として生きたいのか、それとも女性で生きたいのかを考えていた時のことだ。
「そうか、今息苦しいと感じるのは、社会が自分に『異性を愛するのがあたりまえ』を押し付けているからだ、と気付きました」
「でも、その押し付けは絶対的なものではない。自分は『男として男性に惹かれる』という生き方を選ぶことができるのだと、思ったのです」
そこで初めて、自らの性を受け入れることができた。
ならば、自分はこれまで通り男性として生きていこうと、心が決まった。
もっとも、それはずっと後のことだけれど。
03違っている=変わっている?
みんな、多少は同性に惹かれるものだと思っていた
人と違っていることがすばらしい。
ずっとそう思ってきたが、本当だろうか。
中学校に入ってから、そう感じ始めた。
「周りの男子生徒が、女の子を意識するようになったんです。女の子と、変に距離を置いたりして。でも僕は、女の子を見ても何も感じない。それまでと同じ、ただの友達としか思えませんでした」
なぜ、男子生徒たちは女の子に興味があるんだろう。
不思議だった。
平良さんが通っていたのは、中学、高校ともにキリスト教系。聖書を学ぶ授業が設けられていた。
聖書の中に、イエス・キリストの「情欲をもって女を見るものは、すでに心の中で姦淫を犯しているのである」という言葉がある。
それを知ると、多くの男子生徒が「オレ、今日も姦淫しちゃったよ」と騒ぐようになった。
「みんな、なんて節操がないんだろうと思いました。僕は情欲をもって女の子を見たことなんて一度もない」
「僕は清いなあ、って。もっとも、情欲をもって男の子を見ていたんですけどね(笑)」
女の子とつきあってみたものの・・・・・・・
だがそのうち、「自分のほうが変わっているのか?」と考えるように。
人と違うことはすばらしいとはいえ、こんなに違っていていいんだろうか。
男は、女の子を好きになるものらしい。ならばと、ある女の子と付き合うことにした。
「その子とは、もともとすごく仲がよかったんです。ふたりともピアノを弾くのが好きだったからよく連弾したりして。一緒にいて、楽しかったですよ」
それは恋愛感情とは違うと、自分でも気づいていた。
なぜなら、いつも目で追いかけていたのは同じクラスの男子生徒だったから。
「当時は『人間は、異性を好きになるもの』という価値観に縛られていたので、僕は彼女が好きなのだと思い込もうとしていたんでしょうね。ところが、つきあい始めて2年くらいたったある日、彼女に『最近、私のことを見ていないような気がする。ほかに好きな人ができたんじゃない?』と言われたんです」
これ以上、うそをつき続けるのはめんどうだと思い、彼女の問いに首を縦に振った。
すると、彼女はさらにこう言った。
「それって、◯◯君でしょう?」
図星だった。
もう一度、首を縦に振り、2年間の ”恋人ごっこ” が終わった。
04誰か、助けて!
もうダメだ・・・・・・親友に出したSOS
自分は、異性ではなく同性が好きなんだ。
そう自覚して初めて、”人と違うこと” に不安を抱き始める。
これはやっぱり困ったことなのだろうかと、本で調べ始めた。
ところが当時、同性愛に関する情報は否定的な内容のものばかりだった。
「性的倒錯、異常性欲のどちらかに片付けられていて。唯一、思春期についての本には『ごくまれに同性を好きになることがあるが、それは一時的なもの。心配ありません』と書かれていましたけど、それじゃあ、一時的はない僕は心配しなくちゃいけないのかと、どんどん不安になっていったんです」
異常だからと病院に引きずって行かれた同性愛者もいるらしい。
でも、それが本当なのかどうか確かめる術もない。
怖くて不安で、心が壊れそうだった。
「ついに耐えられなくなって、いちばん仲がよかった男友達に打ち明けることにしたんです。でも、信頼している彼に否定されたらどうしよう。気持ち悪がられたらどうしようって、ガタガタ震えながら『僕は、男の人が好きなんだ』と言うまでに1時間かかりました」
「彼は最後まで、じっと話を聞いてくれた。
そしてひとこと、『そうなんだ』って」
よかった、否定されてはいないみたいだ・・・・・・。
肩の力が少し抜けた。
「そして彼が言ったんです。『僕にとって愛香は、これまでと同じ愛香だよ』って。本当によかった。初めてのカミングアウトで自分を受け入れてもらうことができた僕は、ラッキーでした」
ゲイ雑誌と出会う
親友に受け止めてもらえたことで気持ちが楽になり、ほかの友人たちにも少しずつカミングアウトしていった。
幸い、誰からも拒絶されることはなく、自分は中学高校といい友人に恵まれたと今でも思っている。
高校卒業後、平良さんはフリーター生活を始めた。
というのも、高校を出たら大学に行く、あるいはどこかの会社に就職するのが当たり前という流れに違和感を感じていたからだ。
早く社会に出たい気持ちが強かった。
この時期、大きな経験をした。
「ゲイ雑誌と出会ったんです。グラビアや、ポルノのマンガや小説に衝撃を受けましたね。でも、それによって同性愛者がどの地域でもどの年代にもいることがわかって、ちょっと安心。同性愛者の団体が東京都を相手取って裁判を起こしていたことも知りました」
雑誌には文通欄もあった。
それを見て、自分も思いを分かち合えるゲイの友達がほしい。できたら恋人もほしい、と思うように。
ただ、どこの誰かもわからない人に連絡をするのは怖かった。
「親しい人には自分を受け入れてもらえたけれど、その頃はまだ、同性愛者であることを周りに知られたら生きていけなくなる、と思っていたのです。文通をしたことで、同性愛者以外の人に自分がゲイであることを知られる可能性がないとも言えない」
「誰かとつながりたいと思いながら、手紙を出す勇気はありませんでした」
孤独だった。
05同性愛者として、アクションを起こす
恋人ができた!
3年間のフリーター生活にピリオドを打ち、沖縄を出て群馬県の短大に進学。
その間、21歳の時に初めて恋人ができた。
相手は友人の友達で、友人の家に遊びに行った時に出会ったという。
「ひと目見て、すてきな人だなあって思って。話をしてみたら、すごく気が合って楽しい。彼は車で来ていたので、友人の家からの帰りに送ってくれることになったのですが、話が尽きなくて何時間もドライブしました」
その間、女性の話題がいっさい出なかった。
彼もきっとゲイで、ひょっとすると自分に好意を持ってくれているのかもしれない。
相手の気持ちを知りたかった。
ただ、一方的に「あなたはゲイですか?」と聞くのは失礼だと思った。
かといって、初対面の相手に自分がゲイだと伝えるのは、やっぱり怖い・・・・・・。
迷っている間に、夜が明けた。
「彼と一緒に朝日を見ていた時、彼に会うチャンスは二度とないかもしれない。だったら今言わなくてはと、意を決してカミングアウトしたのです。すると彼が『僕もだよ』って」
その言葉を聞いた瞬間、目の前がぱーっと明るく開けたという。
大げさではなく、バラ色の日々が始まった。
二重生活 ――クリスチャンでありゲイである―― からの脱却
<<<後編 2016/05/30/Mon>>>
INDEX
06 両親にカミングアウトした日
07 母親という人
08 キリスト教者として
09 LGBTへの認知度は広がったけれど
10 ゲイでよかった、と思うこと