複数の人と同時にそれぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイル「ポリアモリー」。その当事者である私は、自分自身のセクシュアリティについて、これまで「身体の性」「心の性」「好きになる性」「表現する性」という4つの軸に基づいて考えてきた。近頃、この軸の「好きになる性」が「恋愛感情を感じる性」と「性愛感情を感じる性」に細分化されつつある。これが何を表すのかを考えていきたい。
セクシュアリティの分類:恋愛感情と性愛感情の違い
セクシュアリティの軸
今回は、セクシュアリティの言葉の細分化とその意味について考えてみたい。
私は自分のセクシュアリティを、ジェンダークィア(ノンバイナリー)で、パンセクシュアルだと自認してきた。この表現は、セクシュアリティを表す際に使われる軸「身体の性」「心の性(性自認)」「好きになる性(性的指向)」に基づくもの。私は身体の性が女性で、性自認がジェンダークィア(ノンバイナリー)、性的指向がパンセクシュアルというわけだ。
「性的指向」と「性自認 」
ちなみに、最近使われているSOGIという言葉は、この「性的指向(Sexual Orientation)」と「性自認(Gender Identity)」の頭文字をとったもの。
性的指向を示す「◯◯セクシュアル」という言葉は、「特定のセクシュアリティを “好きになる” 人」という意味で使われてきた。
この場合の “好きになる” というのは「(性愛感情も含む)恋愛感情を抱く」という意味だ。この使い方においては、恋愛感情と性愛感情とはセットのように扱われ、あまり厳密に区別されていなかったように思う。
「恋愛感情を感じる性」と「性愛感情を感じる性」
近頃、この「好きになる性」が「恋愛感情を感じる性」と「性愛感情を感じる性」に細分化されて、軸が増えつつある。
この新しい軸が「恋愛的指向(Romantic Orientation)」と呼ばれるもので「◯◯ロマンティック」という言葉で表現される。どのセクシュアリティに対して恋愛感情を感じるか、感じないかという傾向のことだ。
少し複雑だが、従来の(広義の)性的指向という言葉が、恋愛的指向と(狭義の)性的指向に分かれた、といえるだろう。
ここを区別する必要があるのは、人によっては「どんなセクシュアリティの人に恋愛感情を感じるか」と「どんなセクシュアリティの人に性愛感情を感じるか」が必ずしも一致しないからだ。
アセクシュアルからポリアモリーまで:セクシュアリティの細分化
アセクシュアルとアロマンティック
特にアセクシュアルの人たちにとって、セクシュアリティの細分化は重要なものだといえる。
従来アセクシュアルと呼ばれてきた人たちの中にも、細かく分ければ「恋愛感情を感じるが、性愛感情を感じない人」「恋愛感情を感じないが、性愛感情を感じる人」「恋愛感情も性愛感情も感じない人」がいるからだ。
狭義にいうなら、性愛感情を感じないのがアセクシュアル、恋愛感情を感じないのがアロマンティックということになる。以下のように、
・恋愛感情を感じるが、性愛感情を感じない人は、「ロマンティック・アセクシュアル」
・恋愛感情を感じないが、性愛感情を感じる人は、「アロマンティック・セクシュアル」
・恋愛感情も性愛感情も感じない人は、「アロマンティック・アセクシュアル」
という名前での区別が可能だ 。
他者に恋愛感情や性愛感情を抱くかどうかや、どのセクシュアリティにそれらの感情を抱くのか、相手との関係性などについては、この3つのほかにもさまざまな概念(用語)が存在する。
ポリアモラスとポリアモリー
ポリアモリーは必ずしもセクシュアリティの言葉ではないかもしれないが、ポリアモリーとはまた別に「“複数人に対して同時に恋愛感情を感じる” というセクシュアリティ」「“複数人に対して同時に性愛感情を感じる” というセクシュアリティ」というものは想定することができる。
◯◯ロマンティックと◯◯セクシュアルの名付けルールに従えば、複数人に恋愛感情を感じるのを「ポリロマンティック」、複数人に性愛感情を感じるのを「ポリセクシュアル」ということもできそうだが、現実はそうではない。
実はポリロマンティックもポリセクシュアルも、ポリアモリーとは無関係なセクシュアリティの言葉としてすでに別の意味で使われている。
ポリロマンティックは複数のセクシュアリティやジェンダーに対して恋愛感情を感じる人、ポリセクシュアルは複数のセクシュアリティやジェンダーに対して性愛感情を感じる人のことを示す用語だ。
複数人に恋愛感情を感じるという性質は「ポリアモラス(な性質)」と呼ばれ、ポリアモリーとは区別されている。
ただ、複数の人と同時にそれぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイルが「ポリアモリー」だ。そう考えると「複数人に対して同時に性愛感情を感じるセクシュアリティ」を示す言葉は、私の知る限りまだなさそうだ。
しかし、実際にこのような人達はきっといるだろうし、それを示すセクシュアリティの言葉が必要になるかもしれない。
恋愛と性愛の分岐点:セクシュアリティの多様な軸
誰に性愛感情を感じるか
「誰に性愛感情を感じるか」ということがセクシュアリティの概念の中で切り出して語られてこなかったのは、“恋愛感情に付随する感覚”として、性愛感情を恋愛感情より一段下に置くような価値観があったからではないか、と思う。
特に「恋愛感情は感じないけれど性愛感情は感じる」とか「恋愛感情は1人にしか感じないけれど性愛感情は複数人に感じる」などといったあり方は、セクシュアリティを語る中ではそれとなく無視されてきたのではないだろうか。
誰に性愛感情を感じるか、誰に性的に惹かれるかという感覚はとても重要だし間違いなくセクシュアリティの一部だと私は思うのだが、LGBTの文脈においては、今までここだけにフォーカスされることがなかった。
セクシュアリティの細分化
誰を恋愛的に好きかということはもちろん重要なテーマだが、それに比べて、誰とセックスしたいかということはあまり大切にされてこなかったような気がする。その意識が、少しずつ変わってきているのかもしれない。
このようにセクシュアリティを細分化して幾つもの軸で自分の性を表現する流れは、今後も進んでいくのではないかと思う。
誰しも改めて「自分が恋愛感情を感じる性、性愛感情を感じる性はそれぞれ何だろう?」と分けて考えてみることで、自分のことがよりよく理解できるかもしれない。
■参考情報
・Aro/Aceを知ろう① 恋愛感情を抱かないアロマンティックとは?【NOISE】
・Aro/Aceを知ろう② 他者に性的に惹かれないアセクシュアルとは?【NOISE】
・Aro/Aceを知ろう③アロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)の多様性とは?【NOISE】
・恋愛的指向のひとつ「アロマンティック」とは 特徴やアセクシャルとの違い | ELEMINIST(エレミニスト)
・デミロマンティックとは?【デミセクシュアルとの違い】 | LGBT就活・転職活動サイト「JobRainbow」