INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

ニューヨークの生活で変化したセクシュアリティの意識【前編】

幼稚園から大学までエレベーター式に上がれる女子校に高校まで在籍。女子に囲まれた環境のなかで、違和感なく女性とのつき合いが生まれた。ところが、体育大に進学して強烈な男子の洗礼を受けると、自分のセクシュアリティに対する疑問が浮上する。私はいったい何なんだ? 男子とのつき合い、女子との恋愛、ニューヨークでの生活を経て知った自由への軌跡。

2022/05/25/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Shintaro Makino
内田 陽香 / Haruka Uchida

1988年、神奈川県生まれ。スポーツが好きな家族の次女として育つ。小学生6年のときに観たバレーボールのワールドカップに魅了され、バレー選手を志す。その後、ダンスにハマり、大学4年のときにはダブルダッチで世界チャンピオンに輝く。ニューヨークでの4年半の生活を経て、現在は『おしり工場』にてフィットネス・インストラクターとして活躍中。

USERS LOVED LOVE IT! 15
INDEX
01 職業はおしり工場員
02 女子中のバレー部で活躍
03 幼なじみに誘われて、ダンススタジオへ
04 初めての女子とのつき合いは、ケンカ別れ
05 ふたりめの恋人は同級生
==================(後編)========================
06 大学に入って受けた男子の洗礼
07 レズビアンとは自認できず、迷ってFTX
08 ダブルダッチで世界チャンピオンに輝く
09 ニューヨークで知った自由な社会
10 日本に帰って、天職を発見

01職業はおしり工場員

スポーツが好きな家族

神奈川県厚木市生まれ。4つ上のお姉ちゃんがいる4人家族に育った。

「みんなスポーツが好きなんですけど、それぞれ得意な種目が違うんです」

お母さんは体育大出身。高校ではバスケットボールに取り組み、仕事はスイミングスクールのインストラクターをしていた。お父さんはテニスのコーチをしていたことがある。

「お姉ちゃんは陸上で、私はダンスやダブルダッチをしてました」

ダブルダッチとは2本の縄を使う縄跳び。回転する縄のなかで、数人のジャンパーがアクロバティックな技を披露するストリート系の競技だ。

「大学4年のときに、ダブルダッチの世界大会で優勝したことがあるんですよ。今の仕事はフィットネス・インストラクターです」

2021年7月から、SQUAT Labo(スクワット・ラボ)」というスタジオで、月に40セッションほどのパーソナルトレーニング、グループレッスンを行っている。

「下半身、特におしりに重点をおいたメニューを中心にしています。おしりは男女問わず大事ですし、大きな筋肉なので効果が見えやすいんです」

名刺には「おしり工場員」とある。覚えやすく、子どもから大人まで親しみを持ってもらえる肩書きだ。

「おしりだけやる人もいれば、全身のシェイプアップをやる人、コンテストに出る人など、いろいろです。もちろん、男性もいますよ」

「普段は、スタジオ以外の仕事にもおしり工場のPRの一環として、いろいろ取り組んでます。野外キャンプとフィットネスを一緒に楽しむイベントなんかもやってますよ」

「キャンプファイアーの火を大きくしたり、小さくしたり、色をつけたりする演出があって、それに合わせたエクササイズを私流にアレンジしました」

そのほか、お寺のスペースを使って、ヨガのインストラクターと一緒にクラスを持ったりもしていた。

小3でドッジボールに燃える

お母さんは、一言でいうとおおらかな性格。楽観的で社交的な人だ。

「社交的なところは母親似かもしれませんね。あんまり自分のことを話さない、気分屋なところは父親に似てます(笑)」

子どもの頃は、よくお姉ちゃんの後ろについて遊んでいた。

「自転車なんかで追いかけて、待ってー! っていう感じでした(笑)。基本的には甘えん坊です」

習い事は、自分から頼んでいろいろとやらせてもらった。

「水泳、書道、ピアノ、ギター、ダンス・・・・・・。でも、よく考えると、お姉ちゃんがやってたものが多いですね(笑)」

小学校3年のときの担任の先生が、「みんなで一緒に校庭で遊ぼう!」ということを大切に指導をしてくれた。

「子どもたちを楽しませることが上手な先生でした。私、小2までは喘息もちでよく発作を起こしていたんですけど、その先生の影響で運動をすることが好きになりました」

当時、50歳くらいの男性の先生で、姉のことも知っていて、お母さんとも仲がよかった。

「とても親しくさせてもらいました。今にして思えば、その先生の影響が大きかったのかもしれませんね」

そのときに夢中になったのがドッジボールだった。
誰よりも早く校庭に走って、ドッジボールのコートを取るようになる。

「ドッジボールには燃えましたね。先頭に立って、当てるタイプでした(笑)。6年生まで、ずっとやってました」

02女子中のバレー部で活躍

恋愛話には興味なし

幼稚園から高校まで、エレベーター式に上がれる私立の学校。お姉ちゃんも同じ学校に通い、お母さんも卒業生だった。

「中学、高校は女子校なんです。だから、小さい頃から男子の友だちは少なかったですね。小学校は1クラス36人で、男子は7人だけでした」

高学年になると、女の子どうしで、「どの男の子が好き?」という話題になる。

「正直いって、まったく恋愛話には興味がなかったんですよ。だから、あの子の名前をいっておけば間違いない、っていう人気がある子の名前を出して、適当に話を合わせておきました(笑)」

足が速くて、勉強もできて、ルックスもカッコいい。そんなモテる男子がひとりいた。

「バレンタインデーにチョコレートをあげてた子もいましたけど、私は全然、興味ありませんでした(苦笑)」

小学校4年生からバスケット部に入る。これも、お姉ちゃんの後追いだった。

「それから、写真部にも入りました。当時は、使い捨てカメラを使って撮影をしてましたね」

学校から駅までを散策しながら、気になった被写体を撮影するという課題もあった。

「何を撮ってたんだろう? 駅のエスカレーターとか、クルマとか、花ですかね。校庭で友だちの影を撮ったり、空を撮ったりもしました」

小学校のクラブ活動だが、暗室の使い方も教えてもらった。

「写真を撮るのは好きでしたね。楽しかった思い出が今でも残ってます」

元日本代表がコーチに来てチーム力が上昇

小学校のとき、沖縄出身のアイドルグループ、SPEEDがデビューした。

「メチャ、好きになりました。特に今井絵理子のファンで、歌やダンスを真似してました。SPEEDになりたいって、本気で思ってましたよ(笑)」

そのSPEEDがテーマソングを歌う、バレーボールのワールドカップをテレビで観ると、今度はバレーに夢中になる。

大懸郁久美、鈴木洋美、熊前知加子らが活躍した大会だった。

「それでバレーボールにハマって、中学にいったら絶対にバレー部に入ろう、と決めてました」

入学前に中学の先生と話をする機会があり、「バレーをやりたい」というと、「じゃあ、これを持っていきなさい」とバレーボールをくれた。

「うれしくて、毎日、家で練習してましたね。将来はバレーボールの選手になるのが夢になりました」

中学に上がると、即、バレー部に入部。
部活の顧問は、新人の男の先生だった。

「先生自身はバレーボールをやったことはなかったんですけど、とにかくやる気マンマンで、一生懸命な先生でした」

チームの力がアップしたのは、2年生のときだった。

「後輩のお母さんが、元日本代表選手だったんです。その人がコーチで来てくれてから、伸びましたね」

技術面に加えて、精神面の指導も大きかった。私立中学だけの選手権で、関東3位に入る好成績を収める。

「私も、チームのなかでは上手だねっていわれるレベルで、試合にはアタッカーで出てました」

03幼なじみに誘われて、ダンススタジオへ

ブレークダンスにハマる

中学の部活を引退したとき、幼なじみからダンス・スタジオに誘われた。

「彼女がやっていたのはブレークダンスでした。SPEEDが好きだったこともあって、カッコいいダンスに憧れましたよ」

幼なじみと一緒に練習に行くようになると、今までとは違う友だちが増えていく。

「厚木の地下道で踊っている男の子たちとも知り合いました。ちょうど、私も反抗期で、ワルに走り始めたりして・・・・・・(笑)。そういうのが面白かった年頃だったんです」

ダンスの楽しさにハマり、スタジオの発表会で演技を披露した。

「ブレークダンスだけでなく、いろんなジャンルのダンスに挑戦しました。高1までは踊ることが一番、楽しかったですね」

初めての男子とのおつき合い

中学は1クラス30人。女子校だから、基本的に男子との交流はない。

「なかには、ほかの学校の男子と遊んでいる子もいて、その子を通して合コンに誘われたことがありました。合コンといっても、当時はカラオケですよ(笑)。男の子たちとご飯を食べて、カラオケをしました」

初めて男の子とつき合ったのは、中3のときだった。

「合コンで知り合った子でしたね。ラグビーか何か、運動部に入っている男の子でした」

つき合うということに、心のどこかで憧れていたのかもしれない。周囲には誰にも話さず、秘密にしたままだった。

「いわなかったというか、いえなかったんでしょうね」

つき合いに憧れる一方で、SPEEDのようなカッコよさを目指す自分がいた。

カッコいいキャラクターと、男子とつき合うことは相反することに思えた。もちろん、家族にも隠していたが・・・・・・。

「あるとき、お母さんが、カバンの中から彼と撮ったプリクラを見つけてしまって、家で吊し上げになったことがありました(笑)」

いろいろあった初めてのつき合いだったが、終わるのも早かった。

04初めての女子とのつき合いは、ケンカ別れ

「そのふたり、カップルっぽいよね」

男子との短いつき合いが終わってすぐ、今度は初めてのカノジョができた。

「同じ学校の別のクラスの子でした。彼女もダンスを踊る子で、私とは違うスタジオに通っていました」

ダンスを通じて仲良くなった8人の友だちで話しているうちに、「ウチらってファミリーみたいだよね」という話になった。

「誰々は、お母さんっぽいよね、誰々は、お父さんっぽいよね、とかいっているうちに、私とその子がカップルっぽいよね、っていうことになったんです」

彼氏っぽい、彼女っぽいといい合っているうちに、自然とリアルなつき合いに変わっていった。

その子は、当時、流行っていた黒人系のBガールっぽいタイプだ。

「違和感もなく、つき合い始めてました。友だちにも隠さずにオープンな関係で、遊ぶときは、彼女の家に行くことが多かったですね」

その子の母親はなんでも自由にさせてくれる人。それが何とも居心地がよかった。

「私はバリバリの反抗期だったんです(笑)。家にいると、親から、女の子らしくしなさいとか、スカートを履きなさいとか、いわれて口喧嘩にもなるし、あんまり帰りたくなかったんです」

でも、つき合っているうちに、だんだんケンカをすることが多くなり、関係が険悪になっていった。

「ある時も、めちゃケンカして、謝ろうと思って、昼休みにその子のクラスに行ったんです」

ところが、おにぎりを持って出てきた彼女は、謝っている私に向かって「はぁ?」っと、馬鹿にした表情をしたのだ。

「かっとなってしまって、そのおにぎりを叩き落としちゃったんです。それで、お別れになりました(苦笑)」

オーディションで挫折

男子、女子、一度ずつ
のつき合いを経験して中学を卒業。高1の春は、ダンス一筋にハマっている時期だった。

「バレーボールよりダンスだな、と思って見学にもいったんですけど、ダンス部はどっちかというと創作ダンスだったんですよね。それで、違うな、と思って部活には入りませんでした」

熱心にダンス・スタジオに通って、自分のパフォーマンスに磨きをかけていたときでもあった。

「スタジオでオーディションがあったんです。受かった子だけ発表会に出られるっていうオーディションで、幼なじみと一緒に受けました」

ところが、彼女は合格し、自分だけが落ちてしまった。

「がっかりしましたね。挫折でした」

どうしても、幼なじみと自分を比べてしまい、あんなに好きだったダンスをやめてしまった。

「基本的に、自分に自信が持てない性格なんだと思います・・・・・・。いつもお姉ちゃんと違う競技を選んでいたのも、そのせいかもしれませんね」

05ふたりめの恋人は同級生

バレーボール、そして、またダンス

ダンスで挫折を味わい、しばらく遅れてバレーボール部に入部する。

「やっぱりバレーは楽しかったですね。高校から入ってきた新しいメンバーばかりで、それも新鮮でした」

中学のときコーチをしてくれた後輩の母親(元全日本選手)が、高校でも教えてくれた。

「お父さんも実業団のコーチをしていた人で、夫婦で教えにきてくれてました」

バレー部では副部長を務め、充実した部活動だった。

その経験がひと回り人間を大きくしてくれたのだろう。部活引退後、ダンスに復帰する気持ちが芽生えた。

「外から見ていると、みんな楽しそうだったんですよね。それで、また同じスタジオに通い始めました。幼なじみも成長して、うまくなってましたよ」

復活してからは、うまい子とはレベルが違うことを納得して、自分らしく踊れればいいと考えることができた。

「継続することが大事、と割り切って楽しみました」

手紙交換からスタート

高校は自由な校風で、先生たちも校内での“恋愛”をとがめたりしなかった。

「先輩たちも含めて、同性カップルは多かったですね。オープンにしている人たちも、けっこういました」

カノジョができたのは、高校3年生になってからだ。

「同じクラスの子で、席が近くて、手紙交換をするようになったのがきっかけでした」

そのうち、「一緒に帰ろうか」となり、「今度、遊びにいこうよ」と関係が深まった。

「その子が男性でも、きっとつき合っていたでしょうね。たまたま、女性だったという感じでした」

「周りが女子ばかりだったんで、それが普通というか・・・・・・。あまり性の違いを意識してなかったんだと思います」

中学、高校と6年間、女子ばかり。家族構成も女性が多いから、好きになる相手が女子でも不思議はない感覚だった。

「その頃はまだ、レズビアンとか、LGBTという言葉も知りませんでした。自分がほかの人と違うって認識もなかったですね。普通だと思ってました」

彼女は、同性のつき合いは初めて。その意味で、同性同士の恋愛では自分が先輩だった。

「今度は最初のときよりもうまくできたと思います」

 

<<<後編 2022/05/29/Sun>>>

INDEX
06 大学に入って受けた男子の洗礼
07 レズビアンとは自認できず、迷ってFTX
08 ダブルダッチで世界チャンピオンに輝く
09 ニューヨークで知った自由な社会
10 日本に帰って、天職を発見

関連記事

array(1) { [0]=> int(27) }