昨今、ジェンダーレスなファッションが一般的になってきた。性別にとらわれないコンセプトのブランドが出てきたり、既存のジェンダーに縛られないスタイリングが流行したり、LGBT当事者としてはうれしい限りなのだけど、まだまだモヤモヤを感じる場面はある。
私がLGBT当事者として抱えていたファッションの悩み
ひとくちに「LGBT」といっても、それぞれのセクシュアリティによって、十人十色のファッションの悩みがある。
レズビアンとして抱えていたファッションの悩み
私はシスジェンダー(生まれたときの性と心の性が一致していること)の女性で、レズビアンだ。
シスジェンダーであれば「LGBT当事者として」ファッションに悩むことはないのでは? と思う人もいるかもしれない。
たしかに、トランスジェンダーやXジェンダー、ノンバイナリーの人たちと比較すると、自分の性と「社会的に求められるファッション」の差は、まだ小さいほうかもしれない。
しかし、だからといって「LGBT当事者として」のファッションの悩みがないわけではない。
自分がレズビアンかどうか確信が持てず、セクシュアリティに迷いを感じていた時期は「もっとレズビアンらしいファッションを選んだほうがいいんだろうか」「フェミニンか、ボーイッシュか、中性か、ファッションのカテゴリーをいずれかに絞ったほうがいいんだろうか」と悩んだ。(関連記事はこちらNOISE:「レズビアンらしいファッション」って何?―『Lの世界』への憧れからの脱却)
レズビアンは、ファッションや振る舞いによって「フェミニン(フェム)」「ボーイッシュ(ボイ)」そして「中性」とタイプが分かれている。
「自分はフェミニンな女性と付き合いたい」「好きなタイプはボイか中性のどちらか」といった意見に出会うことも多いため、レズビアンの世界で恋活をしようと思ったら、自分のファッションをいずれかのタイプに定める必要があるのでは? と思い、当時は焦っていた。
私のファッションは、自分では3つのタイプのどれでもないと思っていたし、今でも自分はどのタイプにも属していないと思っている。
ただ、レズビアン向けのマッチングアプリでは、効率的に自分が好むタイプの相手を見つけるため、自分のプロフィールに「フェミニン(フェム)」「ボーイッシュ(ボイ)」「中性」のいずれかを書き込む必要があることもあり、悩ましかった。
「どのタイプにも当てはまらないなんて、私がファッション音痴だからそうなってしまうのだろうか・・・・・・」と考え込んでしまうこともしばしばだった。
自分らしいファッションを見つけても「LGBTとしての悩み」は出てくる
パートナーと出会えて「恋活のためのレズビアンファッション」を考えなくて済むようになったこともあり、ここ数年は「自分らしいファッション」を少しずつ開拓していけるようになった。
ただ、今度は「ジェンダーレスなファッション」を好ましく思うあまり、無意識に「フェミニン/ガーリーなファッション」を避けるようになってしまった。
もともと、ピンク色やリボン、レース、スカートといった「女性らしい/女の子らしい(とされる)」ファッションに苦手意識があったのもある。
「可愛らしいファッションは自分らしくない」と思い込んで、洋服を探すときも、それらの要素を避けるようにして選んでいた。
でも、ごく最近になって、可愛らしいファッションアイテムに少しずつ興味が湧いてきたのだ。
目立つところにレースがあるデザインや、リボン柄のプリント、ピンク色は相変わらず「ちょっと自分らしくないな」と感じるけれど、ふんわり広がるティアード型のスカートやボウタイブラウス、襟に少しフリルやレースがついたシャツなどは「あ、いいな」と思う瞬間が増えてきた。
私のなかで「ジェンダーレスなファッション」=「女性らしさ、女の子らしさを強調しすぎないファッション」という定義になっていた。
でも少しずつ「可愛らしくてもかっこよくても、それらを『女性らしさ』『男性らしさ』だと解釈しないファッション」という認識に変化していったのだ。
「ジェンダーレスなファッション」とは? ノンバイナリーの友人の悩み
とあるノンバイナリーの友人Aは、自分のセクシュアリティを表現するために「中性的なファッション」を意識していた時期があったという。
可視化されにくいLGBT。ノンバイナリーのファッションの悩み

「中性的なファッション」をしていた当時の友人Aは、ショートカットの髪にシャツやパンツという服装がマッチして、すっきりと爽やかな印象だった。
そのときのスタイルもとても似合っていたのだけど、友人A自身は「本当はこういう服が着たいわけじゃない」と思っていたという。
LGBTの中でも、ノンバイナリーは「可視化されにくい」セクシュアリティのひとつだ。
本人が「自分はノンバイナリーだ」と主張しても、LGBTに関する知識が薄いと「あなたの見た目は(生まれついた性の)女性/男性に見えるし、気にし過ぎなんじゃない?」などと言われてしまう。
友人Aは、生まれついた性である「女性」として扱われることへの違和感を、女性らしくないファッション(中性的なファッション)で解消しようとしていたのだ。
でも、友人Aはフリルのついたワンピースやロングヘアーなど、可愛らしいファッションがもともと好きだった。
そこで、ある時期から「ノンバイナリーらしいファッションを意識するのはやめよう」と決め、自分の好きな可愛らしいファッションを選ぶようになったという。
「ジェンダーレスなファッション=女性らしいファッションを避けること」ではない
友人Aの体験談は、私自身のファッションの悩みにも共通するところがある。
「レズビアンらしいファッション」という縛りにとらわれたくなかった私は、自分が「フェミニン(フェム)っぽく見えるよ」と言われたくなくて、つい自分にとって「ジェンダーレス」だと思えるファッションに手を出していた。
その頃の私にとって、ジェンダーレスなファッションは「女性だけど、あえてメンズの服を着る」「女性だけど、いわゆる『メンズカット』のように髪を短くする」というようなものだった。
今振り返ると、可愛らしいファッションを避けたいと思うあまり、むしろ「(自分は)女性だけど、あえて男性のようなスタイリングをする」という、自分の性別を意識しまくる方向に突っ走ってしまっていた。
もちろん「女性だけど、あえて男性のようなスタイリングをする」というのもファッションのスタイルとして素敵ではあるのだけど、私自身の本心には合っていなかった。
カジュアルでボーイッシュ(メンズライク)なファッションは、周囲から「女性らしい」というイメージを押しつけられることは減るので、その点は私にとってもうれしかった。
それでも、だんだん「もっと髪が長いほうが私には似合うのかもしれない」「赤いカーディガンを着たり、セーラー衿のブラウスを着たりして、フレンチな雰囲気のファッションに挑戦してみたい」という思いがあふれてきた。
友人Aと少し方向性は違うけれど、私も「可愛らしいファッション」にチャレンジしてもいいんだ、と思えたことで、それまでの思い込みから脱することができたのだ。
「ファッションで異性の視線を気にしたくない」。アロマンティックの友人の悩み
アロマンティック・アセクシュアルの友人Bは、ファッションの方向性ではなく「細かい部分」に悩みを抱えていた。
アロマンティック・アセクシュアルだからこそ理解できない「下着の透け問題」

友人Bは、友人Aとは異なり、ファッションの方向性について悩んだことはほとんどないという。
黒、ピンク、ラベンダーといった色が好きで、シンプルで大人っぽいファッションが好きな友人Bは、いつも堂々と自分らしい服装を楽しんでいた。
ただ、たまに周囲から言われる「下着のラインが見えそうだよ」という指摘に、心底うんざりしているらしい。
薄手のボトムスを穿いたり、シアー素材や白っぽい色のトップスを着たりすると、下着のラインが浮き上がって見えることがある。
友人Bに限らず、私自身も何度となく指摘されたことがある問題だ。
しかし、友人Bいわく「見えたって私は気にしないのに、どうしてほかの人が嫌がるの?」という疑問がぬぐえないのだという。
LGBTに限らない? 未だジェンダーレスにならない「下着とファッションの関係性」
私も友人Bと同様の疑問を持ったことがある。
「女性として過ごしていると、(男性に比べて)下着の透けを指摘されることが多過ぎないか?」という疑問だ。
性別に関係なく、下着を身につけていることは周知の事実であるはずなのに、なぜその下着の存在がわかるファッションをするだけで「やめたほうがいい」と言われなければならないのだろう?
しかも、男性に比べて女性は、圧倒的に指摘される確率が高い。
正直に言ってしまえば、私も「下着のラインが見えたからって、それが何?」と喧嘩腰で思ってしまうことはよくある。
どれだけ厚手のボトムスを穿いていても、下着のラインは、見えるときは見えてしまうし、白っぽい色のトップスを着ていれば肩紐のラインは透ける。
でも、商品としてきちんと売られている下着を買って身につけて、好きな服を選んで着ているだけなのだ。特に悪いことをしているわけではないのに、どうして責められなくてはならないのだろうか。(責めているとしか思えないような強い口調で指摘してくる人も、ごくたまに現れるのだ)
その答えとしては、たぶん「異性に性的な視線を向けられないため」なのだろう。私も頭ではわかっている。
ただ、アロマンティック・アセクシュアルである友人Bは、その理屈が飲み込めず、不愉快だとしか思えないという。(関連記事はこちらNOISE:ランジェリーでの「性表現」問題―エッセイ『かわいいピンクの竜になる』を読んで)
「私は異性に性的に見られたいとは思っていないし、自分が可愛いと思うファッションをしているだけなのに、どうして『異性から見られる』前提で服装に気をつけないといけないの?」
「下着の透け問題」は、LGBTに限らず、女性として過ごしている人たちは何度も遭遇したことのあるファッションの問題のひとつだと思う。
「下着のラインが透けないように気をつける」というのは、たしかに意味のあることなのかもしれない。
それでも、なぜ「性的な視線を向ける異性」ではなく「性的な視線を向けられる自分」のほうが意識して気をつけなくてはならないのか、ファッションを制限されなければならないのか・・・・・・という疑問には、納得のいく答えは見つかっていない。
「ジェンダーレスなファッション」の波は、下着というジャンルにまではまだ届ききっていないようだ、というのが、私の正直な所感だ。
LGBTへの理解を広げるためにも、ファッションをもっとジェンダーレスに。

「ジェンダーレスなファッション」は、単に「中性的な見た目のファッション」という意味でも、生まれついた性とは異なるファッションをする、という意味でもないと私は考えている。
誰かがファッションを選ぶときに「私は女性/男性だから・・・・・・」あるいは「私はLGBTだから・・・・・・」という理由で、好きなファッションを諦めることがない。
そういう、より制限の取り払われた「ファッションの選び方」こそが、真にジェンダーレスなファッションなのではないか、と思う。(関連記事はこちらNOISE:着物をLGBTQ+当事者におすすめしたい理由―洋服以上に自由でポップな世界)
私自身も、未だに「下着の透け問題」と戦っているし、可愛らしいファッションアイテムへの苦手意識は少しずつ克服していっているところ。
まだまだ「ジェンダーレスなファッション」の選び方には辿り着けていない。
それでも、ジェンダーレスなファッションがもっともっと広がっていけば、LGBT当事者であってもそうでなくても、性別にとらわれずに服を選ぶのがあたりまえになっていって、私や友人Aや友人Bのような悩みも解消されていくのではないだろうか。
今よりも自由に、もっとさらに自由に、ジェンダーレスなファッションが世の中の主流になっていってくれればと、心の底から願っている。
■参考情報
NOISE
・「レズビアンらしいファッション」って何?―『Lの世界』への憧れからの脱却
・ランジェリーでの「性表現」問題―エッセイ『かわいいピンクの竜になる』を読んで
・着物をLGBTQ+当事者におすすめしたい理由―洋服以上に自由でポップな世界

