「多様性の時代」と言われることの多い昨今。実際のところ、ほんとうに多様性が認められてきていると感じるか。「若い世代」は、よりクィアフレンドリーなのか。声を上げるとどういう反応が返ってくるのか。大学生のクィアとして、実体験から考えていきます。
大学はクィアフレンドリーになってきた? 大学のSOGIハラにまつわる実体験
大学のクィアへの対応はどのように変わってきたのでしょうか。
大学でのSOGIハラスメント
まず、多くの大学で、LGBTQ+に対する差別を「SOGIハラスメント」として認める動きが出てきています。(SOGIとは、性的指向「Sexual Orientation」と性自認「Gender Identity」の頭文字)
たとえば、早稲田大学では、SOGIハラスメントを「許可なく他人のSOGIを暴露するアウティングやSOGIに関する差別的な言動、暴力などの精神的・肉体的な嫌がらせ」としています。
このようなSOGIハラを受けたら、学内のハラスメント防止委員会などに相談したり、訴えたりできます。
また、大学が「性の多様性」についてガイドラインを出すことも増えてきました。
同志社大学では「性の多様性に関するガイド」が公開されています。ガイドラインでは、起こりがちな差別やマイクロアグレッションの例を、イラストつきでわかりやすく紹介しています。マイクロアグレッションとは、意図していなくても無意識の偏見や思い込みから、誰かを傷つけうる言葉や態度のことです。
このように、大学側がクィアへの差別やマイクロアグレッションを防止しようと、体制を整え始めたように見えます。
わたしが通っている大学にも「SOGIハラ防止への取り組み」があります。ですがわたしは、クィア差別やマイクロアグレッションにしょっちゅう出会います。
わたしも大学でSOGIハラの申し立て・・・失敗
わたし自身も去年、自分の通っている大学にSOGIハラスメントの申し立てを行いました。訴えたのは、大学教授です。
・トランスジェンダー嫌悪的な言葉を授業で使い続けていたこと
・受講者にトランスジェンダーやクィアがいない前提で話していたこと
・トランスジェンダーを「議論の材料」にしていたこと
などを理由に訴えました。
申し立て後、教授がそのような行為をしたと認めたにもかかわらず、わたしたちが要求していた「SOGIハラへの事後対応」である、教授が謝罪文と修正後の資料を受講者へ送付することなどは達成されませんでした。
トランスジェンダー嫌悪的な発言を聞かされ続けた1時間半の授業がものすごく苦痛だったのを今でも思い出しますが、その教授は今年も同じ授業を担当するそうです。そのことを、ハラスメントを申し立ててから約半年後、ハラスメント防止委員会の担当者から「申し立て結果」として聞かされました。
このように、SOGIハラスメントに対応するはずのハラスメント防止委員会があっても、機能していない大学もあります。
この件に限らず、学内のクィアの安全が守られていないように感じることが多々あります。
クィアに理解がなくて、SOGIハラするのは「上の世代」だけ?
申し立ての件について話すと、周りから「その教授、おじいさんだからね」「しょうがないよ、古い時代の人だから」「クィアって言葉も初めて聞いたんじゃない?」とよく言われます。
実際、わたしもそうやって自分を納得させようとすることもあります。
でも、立ち止まって考えてみると「今は多様性の時代」と言いたい人にとっては「不都合」なことに気づきます。
それは、クィアなわたしは、同世代からも、日常的にマイクロアグレッションをされているということです。
クィアのわたしが経験している「同級生」からのマイクロアグレッション
「自由な議論」がよいこととされている大学の授業。クィアなわたしにとっては、いつ差別的な発言やマイクロアグレッションが飛び出すかわからず、ビクビクする時空間でもあります。
※クィアへの差別やマイクロアグレッションについての詳しい記述があります。気分が悪くなってしまったり、嫌なことを思い出してしまったりする人もいるかもしれません。ご自身の体調を考えて、読めそうな場合だけ読み進めてください。
「先生、心配しないでください。面白かったですよ」

先ほどの申し立ての件について。
差別発言をした教授が、わたしたちの申し立てを受け、授業で「前回、わたしの授業で傷ついた人がいたようだ」と言ったとき。
学生のひとりが「先生、心配しないでください。授業面白かったですよ」と発言しました。
わたしは「どの立場から言っているんだ?」と思いました。
彼が教授の差別発言を「取るに足らない」「心配に及ばない」と考えたのは、おそらく彼がトランスジェンダーでもクィアでもないからでしょう。
マジョリティという特権的な立場から異議申し立てを黙殺してきたように感じました。
腹立たしく思う一方で、少し驚きもしました。なぜなら、同年代がほとんどである大学生側は、基本的に「わたしたちクィア側」を擁護すると思い込んでいたからです。
しかし、クィア差別やトランスジェンダー差別は「上の世代」だけでなく、同級生にも正当化されてしまうと実感しました。
「LGBTを推進」?? 大学の研究会でもマイクロアグレッション
わたしは、大学の授業だけでなく研究会(ゼミ)でも、同級生からのマイクロアグレッションをよく経験します。
以前、研究会の学生のひとりがクィアについての研究発表を行ったとき。質疑応答で「以前、駅でおじさんにレインボーバッジを渡されたんですけど、そういうLGBTを推進する感じですか?」と質問した学生がいました。
「LGBTを推進する」という表現は、意味がわかりませんでしたし、もっと適切な表現があると感じました。
「LGBTQ+の権利を推進する」ならまだわかります。しかし「LGBTを推進する」では、あたかも「LGBT」が実在する人間ではなく、プロパガンダかなにかのように聞こえます。
「言い方がちょっと悪かっただけ」と思う人もいるかもしれませんが「どのような言葉を使うか」「どのような質問をするか」には、その人のクィアに関する知識の量や思想があらわれます。
正直、そのマイクロアグレッションをしてきた人にはもう近づきたくないと思いました。今でも同じ大学の研究会にいるので、顔を合わせざるをえないのですが・・・・・・。
クィアコミュニティ「フォロワー3000人もいますよ」
ところ変わって、別の授業で、またしても心が冷える出来事がありました。
それは、大学内にクィアコミュニティがあるのかを話していたとき。
学生のひとりがスマホで「〇〇大学 LGBT」と調べ、わたしも所属しているクィアコミュニティのSNSアカウントがヒットしたらしく「このアカウント、フォロワー3000人もいますよ」と驚いたように言いました。
たしかに、その人はただ事実を述べているだけかもしれません。しかし「3000人もいる」と驚くのは、明らかに「3000人もいないと思っていた」ことを意味します。
その発言はまるで「クィアなんてそんないないと思ってた」と言ってるようなものです。
授業を受けていた10人のうち、わたしの知っている限りでも、わたしを含めてクィアは3人いました。おそらくその人は、そのことにもまったく気づいていないのでしょう。
「クィアがそんなにたくさん身近にいるわけではない」と思い込んでいるマジョリティの見ている世界と、わたしたちクィアの見ている世界の違いを、突きつけられました。
マイクロアグレッションを指摘してもこっちがモヤモヤ
日常的にマイクロアグレッションや差別を受けているなら、声を上げればいいじゃん、と思う人もいるかもしれません。実際、わたしはそのような発言があるときは、指摘するように心がけています。しかし、相手の反応で、さらに疲れたり傷ついたりすることもよくあります。
被害者づらされる

わたしのパートナーが話してくれた事例です。以前、授業でトランスジェンダー差別的な発言が出て、それを批判したときのこと。
発言した人が「そういうつもりじゃなかった」と泣いたうえに「ここではもう話しづらいからディスカッショングループから抜けたい」と言ってきたそうです。
トランスジェンダー差別をされて「話しづらい」「その場にいられない」と思ったのは、明らかにクィアやトランスジェンダー側だと思います。
しかし、その人は、あたかもパートナーが差別を批判するということで「問題を起こして」自分がその問題の「被害者になって」話しづらくなったかのように言ってきたわけです。
マイクロアグレッションでよくある「あなたにとってはそうだろうけど・・・」
モヤモヤ事例はほかにもあります。以前友人が、恋愛対象を異性前提で話を進めてきたときのこと。「異性愛前提で話してほしくない」と伝えました。
すると、その友人が「あさか的にはそうだろうけど、ふつう恋バナってそう(=異性愛前提に)なるじゃん」と言ってきました。
わたしはその友人に、わたし以外の人に対しても異性愛規範的な話し方をやめてほしくて、そう指摘しました。
でも、友人は「あさかが異性愛規範的な恋バナが嫌なのは、あさかがクィアであるから」と考えたのでしょう。
問題なのは、その友人の異性愛規範なのに、わたしが「個人の事情」から異議申し立てをしたから自分には関係ない、と言いたかったのかもしれません。
このようにして、差別を批判すると、批判する側にあたかも問題があるかのように感じさせられることがあります。和気あいあいとしゃべっていたのに急にキレられた、といったような。
実際、わたしは自分が「場を乱す人間」のように感じさせられることがあります。実際は、差別やマイクロアグレッションをする方が、わたしたちクィアの安全をおびやかしているのに。
それでもわたしは「問題だ!」と言っていきたい

場を乱す人と思われたとしても、差別やマイクロアグレッションは、ちゃんと問題として認識し、できる時は指摘していきたいと思います。
黙ったり、一緒になって差別的な発言に笑ったりしていても、問題が解決されるわけでもないように感じるからです。
もちろん、声を上げることに疲れていたり、差別してきた人が権力者だったりして、指摘できないときもあります。差別を批判することで、自分のアイデンティティを意図せずカミングアウトすることになってしまう場合もあるでしょう。そのような場合は、その場では黙っていることもあるかもしれません。
でも、ほかのクィアたちとしゃべるときに問題化したり、愚痴ったりしながら、ささやかな抵抗を続けていきたいです。
そして、差別やマイクロアグレッションをするのは「上の世代」に限らないということも、ちゃんと話題に上げていきたいです。
■参考情報
・早稲田大学 公式ウェブサイト 学生生活における注意
・同志社大学学生生活センター 性の多様性に関するガイド


