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Writer/酉野たまご

レインボーグッズを身につける意味。LGBT当事者の私が虹に思いを託すことは可能か?

レインボーアイテムは、LGBTあるいはアライであることを示すことができる、一種のアイコン的存在だ。しかし、だからこそレインボーを身につけることに抵抗を感じる人や、自分が身につけていいのだろうかと悩む人もいるのではないだろうか。

レインボーカラーを意識し始めた頃

レインボーに特別な意味を感じていなかった高校生時代

「レインボー=LGBT」という図式が頭の中に浮かぶようになったのは、いつ頃からだっただろう?

今から10年以上前、高校生のときにレインボーカラーのデザインが入った水着を購入したけれど、そのときは何の気なしだったように思う。

誰かに「レインボーだね」と指摘されることもなかったし、自分でもレインボーカラーを意識することはなかった。
カラフルで、そのときの自分の好みに合うデザインだったというだけ。

ただ、自分がLGBT当事者であると気がついてからは、レインボーアイテムは別の意味をもつようになった。

自分がLGBTであることを受け入れてくれる(かもしれない)場所、あるいは人の象徴。
そして、自分がLGBT当事者であると表明するためのデザインだと感じるようになった。

だからなのだろうか。
私はその後、自分からレインボーカラーのアイテムを選んで身につけることはしなくなった。

かつてレインボーアイテムに感じていた「気恥ずかしさ」

私はどちらかといえば、自分がLGBT当事者であることをオープンにしているほうだ。

学生時代や会社員の頃は、さすがに誰にでもオープンに話していたわけではなかったけれど、隠したいことだとも思っていなかったし、仲のいい人には自分からカミングアウトもしていた。

それでも、レインボーアイテムを身につける気になれなかったのはなぜなのだろう。

当時の自分の気持ちを想像すると、たぶん、レインボーカラーを身につけるという「わかりやすい意思表示」が、気恥ずかしかったんじゃないかと思う。

自分でレインボーアイテムを身につけることだけでなく、地元のレインボーカフェに行くことや、大学内のコミュニティに参加することにも、若干の抵抗を感じていた。

確かに私はLGBT当事者だけど、特に悩んでいることがあるわけじゃないし、LGBTの知り合いが絶対にほしいというわけではないし・・・・・・。

そんなことをぐるぐると考えていたような気がする。

LGBT当事者である自分とレインボーアイテムとの距離感

小説『生のみ生のままで』でのレインボーアイテムの描写

そもそも、レインボーカラーが「デザインとして好みか、好みじゃないか」という問題もある。

高校生の頃はマルチカラーが好きで、何の気なしにレインボーデザインを選んだ私も、年月が経つにつれて大人っぽいシンプルなデザインや、カラーに目が向くようになっていった。

もし今、水着を買うなら、高校生の時と同じレインボーカラーのものは絶対に選ばないと思う。

以前読んだ小説『生のみ生のままで』(NOISE記事「レズビアンの甘く苦い ”人生” を描き出した小説『生のみ生のままで』」)にも、レインボーアイテムについての描写があった。

交際中のレズビアンカップル、逢衣(あい)と彩夏(さいか)がハワイ旅行をする際、空港でスーツケースベルトを購入するシーンだ。

逢衣は冗談めかしてレインボーカラーのベルトを彩夏にすすめるが、彩夏はいやがる。

「アピールはしない主義だから?」
「主義とか関係ない。私は単色の淡い色が好き」

そんな会話を交わして、彩夏は淡いグリーンのベルトを選ぶ。

私は小説『生のみ生のままで』を読みながら、このシーンが描かれた理由についてふと考えた。

逢衣と彩夏は、はたから見れば確かにレズビアンカップルではあるけれど、ふたりとも自分のことを「レズビアンカップル」「LGBT当事者」だと、強くは意識していないのかもしれない。

だからこそ、LGBTの象徴ともいえる「レインボーアイテム」を冗談めかしてすすめることで、自分たちのアイデンティティを客観的に見つめ直すようなじゃれ合いが描かれたのではないだろうか。

主義主張に関係なく、レインボーカラーよりも好きな色を選ぶと主張する彩夏の姿は、自身のセクシュアリティにとらわれない、自由なキャラクターとして私たちの目に映る。

LGBT当事者であっても、レインボーアイテムを意識する瞬間は少ない?

そういえば、振り返ってみると、小説『生のみ生のままで』以外のフィクション作品で「LGBT当事者がレインボーアイテムについて言及する」という描写を目にしたことはあまりない。

フィクションの作中では、レインボーアイテムを身につけるかどうかよりも、もっと率直で重大な問題が目の前にあることが多いから、あえてその点について描くことは少ないのかもしれない。

もちろん私の勉強不足の可能性もあるけれど、実際、自分もLGBT当事者として生きながらレインボーアイテムを意識する瞬間は、それほど多くない。

それこそレインボープライドの期間に、街中で虹色のフラッグを見かけて「そういえば」とハッとする程度だ。

冒頭で述べたような「気恥ずかしさ」はもうあまり感じなくなっていたけれど、それでも私とレインボーアイテムの間には、数年前までまだ距離があった。

単純に、自分は好きなデザインとしてレインボーカラーを選びたいと思うか? という懸念点と、LGBT当事者であることがわかりやすくなりそうなレインボーアイテムを、あえて身につける必要性があるのか? という疑問もあったからだ。

私がレインボーモチーフの指輪を購入した理由

そんな私が、レインボーアイテムとの距離感を見つめ直すきっかけになった出来事がふたつあった。

レインボーアイテムについて調べることになったきっかけ

ひとつは、数年前に雑誌でレインボーアイテムについての文章執筆をしたことだ。

プライド月間にあたって、LGBT当事者やアライの人たちが身につけやすい、おしゃれなレインボーアイテムを特集した記事だった。

執筆にあたって、さまざまなレインボーアイテムについて調べた。

洋服、スニーカー、アクセサリー、タオル、ハンカチ、タンブラー、メガネケース、腕時計、ボールペン、バッグ・・・・・・。

少し調べただけでも、驚くほどたくさんのレインボーカラーのグッズが出てきた。

これだけたくさんの商品に、思いを込めてデザインや開発を手掛けた人がいて、それを選び、身につける人がいるのだというシンプルな事実に、あらためて感銘を受けたのだ。

LGBT当事者であることを誇っていいと思えた、とあるフェミニストの投稿

もうひとつのきっかけは、SNSでとある投稿を見かけたことだ。

投稿した人はフェミニストで、おもしろい作品をつくるクリエイターでもあって、以前から好きでフォローしていたのだ。

フェミニズムについての発信だけでなく、個性的なご自身のファッションについての投稿も多く、いつも楽しみに見ていた。

気になった投稿はふたつあって、ひとつは「フェミニズムが大好き」という旨の文章、もうひとつは「HF」と彫られたヴィンテージの指輪を「ハッピー・フェミニストの指輪」と名付けて愛用しているという投稿だった。

どちらも、私にとっては衝撃的だった。

LGBTやアライということばも、フェミニズムということばも、聞いただけで敬遠したり、「意識が高いね」「最近話題になっているアレね」などと言って、モヤッとした表情になったりする人がいる。

しかし、その人の投稿は「フェミニズムは素晴らしい!」「私はフェミニストであることを誇りに思う!」というような、陽のオーラに満ちていた。

そうか、私はレインボーアイテムを身につけて、誰かにうっすらと敬遠されるのが怖かったのか、と今さらながらに気がついた。

ただ、それだけの理由で無条件に敬遠してくるような人の反応を、私は気にしながら生きていきたいだろうか?

いや! LGBTだってアライだって素晴らしい! 私はそれを誇りに思っていていいんだ! という前向きな気持ちが湧いてくるのを感じた。

そして、私はつい先日、レインボーモチーフの指輪を購入した。

買った理由は、レトロさもあるデザインが可愛らしくて気に入ったから。
そして「LGBT当事者であることを陽気に、誇らしく表明していきたい」と思ったからだ。

たまたまレインボーモチーフの可愛い指輪を見つけることがなかったら、私がレインボーアイテムを購入するタイミングは未だになかったかもしれない。

それでも、レインボーアイテムに対して感じていた距離感をあらためようと思いはじめた時期に、ちょうどこの指輪に出会えたことは、なかなか素敵なめぐりあわせではないだろうか。

日常の中で小さくレインボーを掲げることの意味

レインボーモチーフの指輪を買ってから起きた変化

小指にはめたレインボーの指輪を見て、友人や知人は「いいね」「可愛いね」「あなたに似合っているね」と声をかけてくれた。

「LGBTだからレインボーの指輪なんだね」と言う人はいない。

レインボーアイテムを身につけたからといって、すなわちそれがLGBT当事者(もしくはアライ)であることの表明であると見なされるわけではないのだ。

頭ではわかっていたはずだけど、いざ体験してみると「なあんだ」と拍子抜けする感覚があった。

交際しているパートナーにも指輪を見せて「レインボーだよ」と言ってみた。
返ってきたリアクションは「・・・・・・? ああ、なるほど」という、なんとも薄いものだった。

私もパートナーも、これまでレインボーアイテムを意識しながら生きてきたわけではないから、そりゃあそうだよなあ、という気持ちになった。

それでも、指輪の素敵さは変わらないし、レインボーの指輪を買おうと決めた私の、どこか晴れやかな決意も変わらない。

今でもレインボーの指輪は、おでかけの日の私の指を陽気に彩ってくれている。

LGBT当事者の私がレインボーアイテムを身につける意味

もっとわかりやすい、6色で構成されたレインボーカラーのストラップを身につけたり、レインボーとハートやフラッグの形を組み合わせたデザインのものを身につけたりすると、また見え方は違ってくるかもしれない。

でも、今は私自身が好きだと思える範囲で、自分の日常生活にレインボーアイテムをまぎれ込ませるだけでもいい。

LGBT当事者の誰かにとって、私自身が「安心して接していい人」に見えるきっかけを少しでもつくれるのなら、その一歩は小さくても意味があるはずだ、と思えるようになった。

今、私のSNSのプロフィールには(すべてのアカウントではないけれど)レインボーの絵文字が入っている。

レインボーを掲げても、掲げなくても、私たちがLGBT当事者として生きている事実は変わらない。

それでも、表だってLGBTについての発言をしないときであっても、ふとした瞬間に、誰かに安心を届けられたらいいなという思いが、気恥ずかしさや不安な気持ちに勝ったから、私は私の小さなチャレンジを誇らしく思えている。

 

■参考情報
・小説『生(き)のみ生(き)のままで』
著:綿谷りさ
出版社:集英社

 

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