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4人の子育て、夫との死別、46歳で初めて自分はトランスジェンダー男性と気づいた【前編】

近くにいると、包み込まれるような安心感がある。そんな懐の広さと深さ、そしてあたたかさを感じさせる瀬尾美穂さん。自分がトランスジェンダーであると自覚したのは46歳のとき。それまでは LGBTQの存在を知ってはいても、自分ごととは思わなかったという。おそらく、46歳のそのとき、初めて自分自身に向き合うことができたからだったのだろう。なぜ、そのときだったのか。半世紀の記憶を辿る。

2024/07/10/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Kei Yoshida
瀬尾 美穂 / Miho Seo

1973年、山形県生まれ。22歳で長女を、26歳で次女を出産する。28歳のときに子宮頸癌を患ったが克服し、30歳で三女を出産。さらに32歳で乳癌が発覚するも再び克服し、35歳で長男を出産する。夫と死別したのち、突然46歳で体調を崩したことから、自分がFTM(トランスジェンダー男性)であることに初めて気づき、49歳で性同一性障害(性別違和/性別不合)の診断を受けた。

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INDEX
01 喧嘩して父に飛び蹴りを
02 ももちゃんのパンツが見えてしまって
03 女同士なんておかしい
04 性行為は取っ組み合い
05 結婚→ 妊娠・出産・子育て→ 闘病、そして
==================(後編)========================
06 子がダウン症なのは誰のせいか
07 病床で夫が言った「今日、死んでもいい」
08 自分がトランスジェンダーだなんて
09 更衣室は男性女性どちらも入りづらい
10 自分らしくあれ!

01喧嘩して父に飛び蹴りを

長距離トラックの運転手になりたい

生まれも育ちも山形県鶴岡市。しかし1年前の2023年に酒田市へ居を移した。

「一番下の子が、酒田市の特別支援学校に通うことになったので引っ越したんですよ。いまは一番上が29歳、二番目が25歳、三番目が21歳で、みんな山形を離れていて、家には私と長男だけなので身軽です(笑)」

結婚する前は、山形を出たいと思ったこともあった。

「長距離トラックの運転手になりたくて。でも、親に『長距離トラックの運転手なんてやったら腰を悪くする』って反対されました」

母は看護師、父は自衛官だった。
親戚にも自衛官が多く、父は子どもも自衛官にと望んでいた。

高校3年生のとき、卒業後の進路についての家族会議で大喧嘩になる。

「父は『自衛官になれ!』。私は『絶対にならない!!』ってお互いに譲らないまま、私が『長距離トラックの運転手がダメなら、仙台に行って風俗に勤めてやる!!!』って言ったら、ぶん殴られました(苦笑)」

「なにか私が悪いことをすると、とりあえず父には庭に投げられてましたね。グーで殴られて、歯が折れたこともあります」

「私も私で、父に飛び蹴りしたりしてました(笑)」

ママ友付き合いには興味なし

親に隠れて酒を飲んだり、タバコを吸ったりすることも。
それが見つかりそうになって、火のついたタバコをゴミ箱に隠してボヤ騒ぎになったりしたこともあった。

「ほかにも、落とし穴を掘ったら隣の家のおばさんが落ちて骨折してしまって、親と謝りに行ったりとか、2階から飛び降りて足に釘が刺さったりとか」

「とにかく元気でやんちゃだったと思います(苦笑)」

看護師だった母は、子どもたちが巣立ったあとに地元でスナックを始めた。

「もともと我が道を行くタイプで、『あなたはあなた、私は私』って感じの人でしたね。ママ友とか、そういう付き合いもしてなかったと思います」

「献血の仕事をしてたんですが、パソコンでの管理が当たり前になってきた頃に、『ついていけない』って看護師を辞めたんですよ」

「それからはずっとスナックをやってますね。そのスナックの仕事、もともとは知り合いから私に『やらないか』って来ていた話なんです。で、私が断ったら、ちゃっかり話を聞きに行っていたみたいで(笑)」

あなたはあなた、私は私。
自分にも似たところがあると思う。

「私も、ママ友の付き合いって、まったくやらなかったですね」

「学校の行事や授業参観に行くと、立ち話しているお母さんたちもいるんですが、私はさっぱりなんの興味もなかったです(笑)」

02ももちゃんのパンツが見えてしまって

スカートもピンク色も平気

幼い頃から、なぜか女の子から好かれた。

「保育園のときに、『誰が好き?』って言い合うのが流行ったんですよ」

「女の子が男の子の名前を言うなかで、ももちゃんは『美穂ちゃんが好き』って言ってくれたんですよね。言われたときに照れ臭かったのを覚えてます」

あるとき、保育園でトランポリンをしていると、ももちゃんがやって来た。

「一緒にトランポリンをしようとするんだけど、ももちゃんは下手なんですよ(笑)。だから私は一緒にするのがイヤで、下に降りちゃったんですね」

トランポリンをしようとしているももちゃんを、なにげなく見上げた。

「そしたらパンツが見えたんです」

「なんていうか、ずっと見ていたいような気持ちになって、誰かが『ももちゃん、パンツ見えてるよ』って言ったときに、ガッカリした記憶があります」

「でもそのときは、その自分の気持ちについて違和感を感じたりとか、そういうのはなにもなかったですね」

活発なキャラクターだったこともあり、女の子から人気があった。

そして、女の子に対して無意識に惹かれてしまうようなところもあったが、自分が女の子であることを疑うことはなかった。

「スカートをはくのもなんとも思わなかったし、赤いランドセルもピンク色の服もまったく平気だったし・・・・・・」

「よく聞くトランスジェンダー男性の幼少期とは、私はちょっと違うかもしれないですね(笑)」

女の先輩に抱きつかれて

小中高を通して、バレンタインデーは女の子から本命チョコをもらった。

小学校のときは、「自分は女の子だけど、女の子の美穂ちゃんが好き。気持ち悪いと思わないでね」と書かれた手紙をもらう。

「手紙をもらってうれしい反面、『うーん・・・・・・なんか変』って思って、その子を避けちゃいました」

異性を好きになるのが “ふつう” で、同性を好きになることは “気持ち悪いこと” “変なこと” だとみんなが言っている。だから自分もそう思っていた。

高校は女子校だった。
先輩から部室に呼ばれて、いきなり抱きつかれたこともある。

「そのときは思わず『え、気持ち悪い』って言ってしまって、先輩たちから嫌われてしまいました。いま思うと、悪いことしたな、もったいないことしたな、って思います(笑)」

「自分のことは女の子だと思ってたので、自分がチョコをあげる相手はいつも男子でした。女の子にあげることはなかったですね」

中学では器械体操部に所属していたこともあって、高校の学校祭でバク転やバク宙を披露したあとは、「かっこいい!」とさらにモテた。

「高校では新体操部に入ってたんですが、気持ちがのらなくて」

「やっぱり、バク転とかバク宙とか、技がやりたいんですよ。いま思えば、練習も男子体操部と一緒にやるほうが楽しかったですね」

03女同士なんておかしい

入院中に告白されて

女子校を選んだ理由は、ジェンダーやセクシュアリティの事情ではない。
その高校に進学する顔ぶれや自分の学力を考慮した結果だった。

「運動ができたので、球技大会のあととかはモテたかも(笑)。女の子から『かっこいい』って言われるのは、まぁ、うれしかったんだと思います」

でも、素直に「うれしい」とは口にできない。

同級生から告白されることもしばしばあった。

「おたふく風邪で1カ月ほど入院したんです」

「悪化しちゃって、膵臓にまで菌が入ってしまって、一時は危険な状態にまでなってしまって・・・・・・」

クラスメイトから手紙を受け取った。

「手紙には、『寂しいから早く学校に戻ってきて』みたいなことが書いてあったんですけど、だんだん内容が『好きです』『付き合ってください』って変わってきて・・・・・・。最後は『戻ったら考えてみてください』と」

「こっちが弱ってるときを狙ってきた(笑)」

このタイミングも、向けられた好意も、受け入れられなかった。

「いわゆる “女子校あるある” なんですけど、女同士でいつも一緒にいて、『付き合ってるんじゃない?』って、校内で噂されてる人たちもいました」

「でも、当時の雰囲気では、あまり認められていなかったというか・・・・・・。『え、女同士? おかしいよね?』って感じで」

「私も手紙を読んだときに『ちょっと嫌だな』と思ってしまって、学校に戻ってからは、その子を無視してしまったんですよね。話しかけられても冷たい態度をとったりして・・・・・・」

周りに知られたくなかったのだ。

周りも自分も女同士の恋愛に否定的

手紙をクラスメイトから受け取ったのは、担当してくれていた看護師だった。

「それでその看護師さんも手紙を読んだのではと思い込んでしまったんですよね。で、自分から看護師さんに内容を話してしまって(笑)」

「そしたら看護師さんは『女の子が女の子を好きでもいいんじゃない?』って言ってくれたんです。でも当時、私はやっぱり受け入れられなくて」

「手紙の返事もしませんでした」

いま、自分がトランスジェンダー男性であると気づいてからは、女性から好意を寄せられれば、素直に「うれしい」と気持ちを返すことができている。

「学生のときも、たぶんうれしかったんだと思います。でも、やっぱり周りの目が気になってしまっていたのかなと」

「そもそも当時は、いまのようにLGBTQについて知られてなかったし、同性同士の恋愛があるなんて知らなかったので、周りも否定的で、私自身も否定的だったんだろうと思います」

04性行為は取っ組み合い

自転車でエロ本を買いに

高校3年生の夏休み。
クラスで進路が決まっていないのは、自分を含め数人だけだった。

そもそも長距離トラックの運転手になりたかったのだが、両親の反対により諦めるしかなく、ほかにやりたい仕事もなかった。

「でも、親に『仙台に行って風俗に勤めてやる!』って言ったのも、半分本気だったんですよ。そういう仕事に興味があって」

「ちょっとおかしいかもしれないんですけど、中学生のときにひとりで自転車で、エロ本を買いに行ったんですよ」

「いま思うと、自転車で行ったりなんかしたら、本屋のおじさんに自分が中学生だとバレてしまうのに。でも、無事に買えましたね(笑)」

袋綴じページがあるような男性向けの雑誌だった。
ページをめくるたびに発見があり、読んでいて楽しかった。

もっと知りたい。
知るほどに好奇心も高まっていく。

「中学生のとき、付き合っていた彼氏が、男同士で集まって、そういう話をしているって聞くたびに『今度は私も呼んで!』って言ってました(笑)」

「彼氏に『でも女でそういう話をしに来るの、お前だけだよ』って言われても、『そんなのいいから、呼んで呼んで!』って」

親友に彼氏ができて嫉妬

実際に性的な行為を知ってからも探究は止まらなかった。

「たまに彼氏から最中に『それは男がやることで、女がやることじゃねえよ』って言われることがありました。一般的に、女性は攻められる側だとされてますが、私は攻めるほうが好きみたいで・・・・・・」

「彼氏も攻めたいし、私も攻めたい。お互いに譲らなくて、取っ組み合いみたいになっちゃてたと思います(笑)」

性的な立ち位置としては珍しいパターンだったかもしれないが、その関係はあくまでも男女の恋愛関係であり、その頃の自分には女の子への恋愛感情はなかった。

「でも、いま思うと、もしかして好きだったのかな、と思う女の子はいます」

「高校のときの親友なんですけど、その子に彼氏ができたときに、腹いせみたいな感じで意地悪をしたんですよ。いつも一緒に帰ってたのに置いて帰ったり、話しかけられても適当な返事しかしなかったりとか」

「その子の彼氏と花札で勝負したときも、なぜか心の中に『絶対に勝ってやる!』っていう、ものすごい闘志があったのを覚えてます。まぁ、負けるんですけど、コテンパンにね(笑)」

「あれは嫉妬だったんだ、っていまになって気づきました」

その親友には数年前に、トランスジェンダー男性であるというカミングアウトとともに、当時の気持ちをそのまま伝えた。

「親友もそのときのことを覚えていて、『突然態度を変えられた理由が、自分がなにかしてしまったからじゃなくてよかった』って言われました」

親友とは、いまもつながっている。

05結婚→ 妊娠・出産・子育て→ 闘病、そして

思えば、ずーーーーっと子育てしていた

高校卒業後は、学校の廊下に貼り出された学生向けの求人票のなかから銀行を選び、無事に就職した。

「二十歳のときですかね、仕事で出会った2歳上の男性と結婚しました」

「すぐに長女を妊娠したんですけど、つわりがひどくて、銀行は辞めるしかなく、しばらく専業主婦をしてました」

そして長女が4歳になる頃、次女が誕生。
子育てに追われるなか、28歳で子宮頸癌が見つかる。

さらに子宮頸癌の手術をした2年後、三女が誕生。
3人の子どもと向き合っているうちに、32歳で今度は乳癌が発覚する。

「乳癌のときには、左の乳房を切除したんですよ」

「乳房がなくなったのも悲しかったですし、その後は左側に着けたパットがズレてないか、落ちてしまわないか、ものすごく気になってしまって、不便でしたね・・・・・・(苦笑)」

「そうこうしているうちに離婚して、34歳で再婚して、4番目の長男が生まれて。思えば私、ずーーーーっと子育てしてるんですよね(笑)」

「女性として終わる」にホッとした

自分のことよりも子ども。
そして、性自認のことよりも病気と向き合ってきた。

そのため自分が抱える問題には、気づきにくかったのかもしれない。

「女の子として育てられて、なんの疑いもなく生きてきて、妊娠も出産もなんとも思わなかった。ただ、性行為については、2番目の夫とも取っ組み合いみたいになっちゃって『攻められるのは苦手』って言われました(苦笑)」

「そして実は、夫は5年前に癌で亡くなってしまったんですけど、治療のリスクとして、勃たなくなるということがあって、そのことで夫から謝られたんですよ。『君を女性として終わらせてしまった』って」

「でも、その言葉に、私はなんだかホッとしたんです」

性行為自体は嫌いではなかった。
いや、嫌いどころかむしろ積極的だった。

鶴岡市でイチバンの子沢山になりたくて、1年にひとり産めば20人くらいは産めるかなと計算していたくらいだ。

子育てにしても、大変だと思ったことはない。

子どもを育てていると、なにかしら新しいことを発見する。
それを教えてもらうために、子育てをしているという感覚だった。

「でも、夫の言葉に、なぜか救われたような感じがあったんですよね。そのときは、自分がトランスジェンダー男性だなんて思っていなかったけど・・・・・・。でも無意識では、体は、わかっていたのかもしれないですね」

 

<<<後編 2024/07/14/Sun>>>

INDEX
06 子がダウン症なのは誰のせいか
07 病床で夫が言った「今日、死んでもいい」
08 自分がトランスジェンダーだなんて
09 更衣室は男性女性どちらも入りづらい
10 自分らしくあれ!

 

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