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Writer/チカゼ

LGBT当事者は昔からいたんだよ

5月20日のLGBT法案をめぐる会合で、自民党の出席者から「道徳的にLGBTは認められない」「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」などというむっちゃくちゃな発言が飛び出した。以前にも「LGBTは生産性がない」という問題発言が出たと思うんだけど、なんでこんなことを平気で言っちゃえる人がいるのかちょっと考えてみたい。

LGBT当事者=「ものすごく珍しい人」という認識

こういう類いの発言が飛び出しちゃう人って、LGBT当事者が実在するっていう感覚が薄いこともあるのかな、と思う。実際にわたしの周囲でも、セクシュアル・マイノリティの存在を実感できていない人がいる。

まさか自分の親戚が、とは思ってもみない

Twitterで従兄のアカウントを偶然発見してしまったことがあるんだけど、彼はそこで「LGBTの人なんて実際にはあんまりいないし、俺は会ったことがない」と呟いていて、心底呆れかえった。

思わず「いやいやいや、あなた年に2回ほど顔を合わせていますよ! あなたと血が繋がったLGBT当事者がここにいますよ!」と心の中で叫んだ。

わたしは親戚にカミングアウトはしていない(これからもするつもりはない)けど、「知らされていないだけで、もしかしたらいるかもしれない」と想像したりはしないのだろうか。彼もわたしも人種マイノリティで、普段は日本名を使用して生活している。だから彼は、差別の根強いこの社会で少数派がカミングアウトすることの難しさを身をもって知っているはずなのだ。

「日本に外国人ってあんまりいないよね」なんていう言葉を聞いたら確実に傷付くくせに、他のマイノリティへは平気で同じことを口にする。少数派の生きづらさを知っている彼でさえこうなんだと思うと、虚しくなってくる。

「LGBT当事者の人って、周りにいないんだよね」

「LGBT当事者が周囲にいない」と発言する人は、本当に多い。わたしがそれとなく自身のセクシュアリティについてほのめかしても、「そういう人初めて会った!」と悪気なく言われてしまうこともままある。

その度に、「いないんじゃなくて、あなたが知らないだけかもよ」と訂正したくなる気持ちをぐっと抑える。相手によってはやんわりと諭すこともあるけれど、それでもピンと来ないような顔をされてしまう。

LGBT当事者はAB型や花粉症と同じ割合だけいる

日本におけるLGBT当事者の割合は、AB型の人や花粉症の人と同じだそうだ。ちなみにわたしはAB型であり、花粉症でもある。

わたしにはLGBT当事者の知人が数名いるんだけど、LGBTコミュニティ以外の場所で出会った人もいる。同業者の方とか、学生時代の友人とか、マイノリティであることをきっかけに知り合ったわけではないのにも関わらず、偶然同じLGBT当事者だったということが何度かあった。どちらかのカミングアウトによって偶然知るなどしたのだが、驚くと同時にとってもうれしくなった。

やっぱりわたしたちは「いる」のだ、ということを改めて実感することができたから。相対的に見て数は少ないかも知れないけれど、でもだからといって「珍しい人」ではけっしてなくて、ちゃんと「いる」。

LGBT当事者はここ数年で可視化されただけの話

LGBT当事者は、 “LGBT” という名称が浸透するずっとずっと前からこの世界にいた。当たり前の話だけれど。それなのに、「最近出てきて急に権利を主張し始めた」という捉え方をする人が多くて切なくなる。

名称すらわからないから、自覚のしようがなかった

わたし自身、自分がセクシュアル・マイノリティだと自覚したのはかなり遅かった。というのもわたしはバイセクシュアルであり、10代のうちは男性との交際経験しかなかったからだ。女の子を初めて好きになったのは19歳のときだったので、それまでネットでレズビアンとかバイセクシュアルなどといった単語を検索することもなかった。

性自認が「女性」ではないことにはかなり幼い段階から気がついていたけれど、「男性」になりたいわけじゃない自分が、マイノリティ当事者だとは思ってもみなかったのだ。テレビで観る “オネエ” タレントのようにはっきりと「男性→女性」または「女性→男性」の人のみがトランスジェンダーだと勘違いしていた。

「男性」でも「女性」でもない気持ちのあり方をXジェンダーとかノンバイナリーと呼ぶなんて知らなかったし、知らないからこそ調べてみようという発想すら持たなかった。名称を知らなければ、当然ながら当事者自身も “当事者” だと自覚しにくい。

LGBT当事者が声を上げやすくなり、自覚も早期になった

現在、LGBT当事者が自分を “当事者” だと認識しやすくなったのは、SNSの発達の影響が大きい気がする。匿名性の高い場所で声を上げる環境が整ったからこそ、LGBT当事者として発信する人が増えた。

そのため、性の過渡期にいる若者がシスヘテロ以外のセクシュアリティを知る機会も増えて、自覚する年齢が低くなったんじゃないだろうか。少なくとも、現在アラサーであるわたしよりは若いうちに自認する人が多い印象を受ける。

当事者として発信する人たちの母数自体も増えたし、セクマイ当事者の自覚の低年齢化も進んだために、「最近の流行り」のように捉える人が少なからずいる。でも、それは顕在化しただけの話だ。「最近現れた」のではなく、昔から変わらず「いた」し、「見えるようになった」だけなのだ。

「今どき、LGBTって普通だよね」への違和感

Netflixで配信されていた『テラスハウス』に、「もしかしたらバイセクシュアルかも知れない」と悩むシス男性が出演したことがある。彼が入居したときにスタジオメンバーが「今どき、そういう子普通らしいよ」というようなことを言っていたのだが、この言葉にひっかかってしまったのは、きっとわたしだけじゃないだろう。

もちろん、否定的なニュアンスは一切なかったし、むしろ好意的な響きだった。でも、彼は「今どき普通」だから、「男性も恋愛対象に含むかもしれない」と思い悩んだわけではないはずだ。わたしたちは「今どきの普通な人」じゃない。LGBTが流行りだから同性に恋をするわけでも、体と心の性別が異なると主張しているわけでもないのだ。

受容の意思を感じられるあたたかい言葉はとても嬉しいけれど、やっぱり「流行りもの」みたいに言われてしまうとモヤモヤしてしまう。

LGBT当事者の「生産性」とか「種の保存」を心配してるけど

今、話題になっているLGBT法案における発言も含め、昨今のLGBT 関連の「生産性」とか「種の保存」だとかの発言に対する正直な感想としては、「いや急にそんなこと心配し出してどうしたん」という感じである。だって、わたしたちは別に「増えて」ない。「増えて」ないから足立区も滅びないし、少子化も進まない。

「関係ない人にとっては、今までの生活が続くだけ」

2013年のニュージーランドで同性婚を認める法律の最終審議において、モーリス・ウィリアムソン議員がこんなスピーチをしている。何度も繰り返しTwitterなどで話題になっているから、動画を観た人も多いんじゃないだろうか。

“ This is fantastic for the people it affects, but for the rest of us, life will go on. ”
「関係のある人々にとってこの法律は素晴らしいものだけれど、そうじゃない残りの我々にとっては、ただ同じ人生が続くだけだ」

そう、同性婚が認められようが、セクシュアル・マイノリティの権利が認められようが、マジョリティの人々に影響はない。シスヘテロの権利は特に侵害されないし、損をすることもない。ただ同じ日がこれからも続いていくだけなのだ。

世界は昔から変わっていないから、社会は変わっていかなきゃならない

LGBT当事者は、最近「増えた」んじゃないし、「流行り」でもない。ただ見えるようになっただけだ。声を上げる人が増えて、団結するようになって、名前が知られて、見えるようになっただけだよ。世界は昔から変わっていない。だからこそ、社会は変わっていかなきゃならないんじゃないか。

「生産性」とか「種の保存」がそんなに心配なら、やることはもっと他にあるだろう。それこそ同性婚を認めて養子受け入れ先や里親を増やせば、少子化の歯止めにもなるだろうし。

ただ生きていくのに当たり前の権利が欲しいだけ

きっとLGBT当事者の願いはみんな同じで、ただ生きていくのに当たり前の権利が欲しいだけなのだ。望めば結婚ができて、子供を産んで、自分の思う性別で生きたい。好きな人と一緒にいたいし、セックスしてもしなくても変な目で見られない、そんな社会を望んでいるだけ。

キリンとヒツジとかアメリカバイソンは道徳に反しているの?

「道徳的にLGBTは認められない」「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」っていうけど、そもそも人間以外の動物にも同性カップルや同性同士の性交渉は存在する。キリンとかヒツジとかアメリカバイソンは道徳に反していて、種の保存に背いているってことになっちゃうけど、その辺はどう説明するんだろう。

それとも、そういうキリンやヒツジやアメリカバイソンは、キリン道やヒツジ道やアメリカバイソン道に反するのだろうか。同性間でつがいとなったキリンやヒツジやアメリカバイソンは、シスヘテロのキリンやヒツジやアメリカバイソンから「君たちは種の保存という責務に背いている」と糾弾されているのだろうか。

くだんの発言をした人たちは、絶滅危惧種になった動物たちに対しても「君たちが絶滅の危機に瀕していることを環境や人間だけのせいにするのはおかしい。同性同士でつがう非道徳的なキリンないしヒツジないしアメリカバイソンがいるせいもあるのではないか」とか物申すのだろうか。

同じ人間だという当たり前の事実を知ってくれればそれでいい

わたしたちの存在が非道徳的だと感じるのなら、ぜひ映画『ブロークバック・マウンテン』を観て欲しい。そして数年に一度、こっそりと山の中で会い続けることしかできなかったイニスたちに思いを馳せて欲しい。

LGBT当事者たちが権利を獲得することで、シスヘテロの日常が脅かされるなんてことはない。ただジョリティの人たちとおんなじように、デートしたり、結婚したり、虐げられたりせずに、生きていきたいだけだ。別に「新種の生き物」なんかじゃなく、「珍しい人」でもなく、ただの同じ人間なんだってことを知ってくれればそれでいい。

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