NOISE ライター投稿型 LGBT情報発信サイト
HOMEすべての記事 ポリアモラスだけどポリアモリーは実践しないわたしが、 演劇『われわれなりのロマンティック』を観て考えたこと

Writer/あさか

ポリアモラスだけどポリアモリーは実践しないわたしが、 演劇『われわれなりのロマンティック』を観て考えたこと

複数の人と同時に、それぞれが合意の上で恋愛関係を結ぶライフスタイル、ポリアモリー。わたしは、同時に複数の人に惹かれうるポリアモラスな人間ですが、現在のパートナーはひとりで、ポリアモリーを実践していません。ポリアモリーを実践するようすが描かれた演劇『われわれなりのロマンティック』を観て、今のわたしにとっての、ポリアモリーの難しさや楽しさを、もう一度考えてみました。

演劇『われわれなりのロマンティック』でのポリアモリー

「ポリアモリー」「ポリアモラス」「ポリアモリスト」とは

◉ポリアモリーとは
複数の人と同時にそれぞれが合意の上で恋愛関係を結んでいるライフ(恋愛)スタイルです。

「複数の人との恋愛関係」とひとくちに言っても、ポリアモリーには人によってさまざまな形があります。

・自分にパートナーが複数いる
・パートナーはひとりで、デートを楽しむ相手が別にいる
・3人以上のグループでみんながお互いとつきあっている
・ひとりのパートナーとは一緒に生活していて、他のパートナーたちとは時々会う

ポリアモリーの反対語「モノガミー(一対一の恋愛関係のみ結んでいる状態)」ではない状態、と理解したほうがわかりやすいかもしれません。

◉ポリアモラスとは
複数の人を同時に好きになる恋愛感情や、そのような感情をもつ人をさす言葉です。ポリアモリーを実践しているかに関わらず使われます。

この記事では、複数の人に惹かれている/たことがある状態として「ポリアモラス」を使っています。

◉ポリアモリストとは
複数の人と同時にそれぞれが合意の上で恋愛関係を結んでいるライフ(恋愛)スタイル「ポリアモリー」を実践している人をさします。

演劇『われわれなりのロマンティック』でのポリアモリー

演劇『われわれなりのロマンティック』で実践されていたポリアモリーについて。
主人公の茉莉には、蒼と千尋という、ふたりの「パートナー」がいます。

茉莉と蒼はどちらも、友情と恋愛の違いがわからない/を区別しないクワロマンティックです。友人としてものすごく仲がよくなり、ふたりの間にあるのは「恋愛」ではないけれど、お互いがすきではある、と伝え合います。

ふたりは同じアパートの隣の部屋に住んでいて、毎週金曜日に一緒にご飯を食べる約束をしています。蒼がアセクシュアルであるため、ふたりの間に性的なことは発生しません。

一方で、茉莉は千尋と出会ってすぐに「ひとめぼれ」に近いような経験をします。つきあい始めてから、仕事に疲れた茉莉が千尋のアパートを訪ねて行き、ふたりが性的なものもふくめたスキンシップをとる場面なども描かれていました。

このようにして、茉莉にとってのポリアモリーとは、ふたりのパートナーと別々のことをするなかで、別々の「仲のよさ」がある関係性に見受けられました。

同意があれば浮気ではなくポリアモリー?

「ポリアモリーって結局浮気なんじゃないの?」と言われることがありますが、よくふたつの差とされるのが、同意があるかないかです。

ポリアモリーは、関わっている人全員の同意をとって結んでいる恋愛関係で、浮気は誰かの同意がない場合ということです。

実際『われわれなりのロマンティック』でも、茉莉が先にパートナーだった蒼に、同意をとってから、千尋ともつきあい始めるという場面が描かれています。

ポリアモラスだけどポリアモリーは実践しない?

わたしは2年前くらいに、同時並行で複数の人に惹かれたことがあります。

わたしはポリアモラス?

おつきあいしていた人とは別の人と、友人として会ううちに、その人にも惹かれていったという感じでした。ただ、その人に対する惹かれ方は、当時つきあっていた人に対する「すき」とは別の感覚でした。

単純に一緒にいて楽しく、元気が出るという、会っているときに瞬間的に感じる「すき」でした。

一方で、当時のパートナーに対しては、会っていないときや喧嘩をしているときにも感じる、長く続く「すき」でした。

そのため「同じようにすきな」パートナーがふたりほしい、というわけではありませんでした。また、なんとなく当時のパートナーのほうが、惹かれた人よりも、自分の中で優先したいと感じていました。

だからか「他の人に惹かれたと伝えて、(当時つきあっていた)パートナーとの関係性がこわれてしまったらいやだな」と思いました。

そんなこんなで、当時のパートナーと、別の惹かれた相手。ふたりの同意をとったポリアモリーの実践には結局トライしませんでした。

ポリアモラスだけどポリアモリーは実践しない? できない?

複数の人に同時期に惹かれていたという点で、わたしはポリアモラスだと思います。でも、2年前に限らず、今まで一度も、関係する全員の同意をとったいわゆる「ポリアモリー」を実践したことはありません。

実践したことがない理由はさきほどのもの以外にも、いくつかあります。

まずは、わたしの性格上、パートナーと意見が食い違ったときなどに、とても時間や労力をつかうので、それを複数人とやるのは難しそう・・・・・・とぼんやり思っているからです。

また、嫉妬することもあるので、相手がほかの人ともつきあっている状態に、耐えられないから、ポリアモリーは実践できなさそうと考えたりもしました。

文芸誌『石としてある 第2号』からみるポリアモリーを実践する難しさ

文芸誌『石としてある 第2号』にも、ポリアモラスであるけれどポリアモリーを実践するのはが難しいという話が載っています。

渚さんの小説『ビスケットと存続』では
・パートナー以外の人といるときに、親しさを感じる瞬間があること。
・それでも自分の内向性やメンタルの状況によって、パートナーを複数もつキャパシティはないこと。

それらをパートナー本人に伝える場面が描かれています。

わたし自身も内向的で、ひとりの時間も必要な人間なので、共感しながら読んでいました。

クィアコミュニティのポリアモリーさ?

どうしてクィアコミュニティ内で特に、ポリアモリーが実践されやすかったり、話題になったりするのか。わたしの経験から考えていこうと思います。

恋愛? 友情?

あくまでわたしの印象ですが、わたし自身をふくめ、クィアコミュニティにいる人たちの多くが、恋愛と友情の違いに悩んだことがあるのではないかと思います。

男女間の恋愛のみがあたりまえとされている世の中で、同性に惹かれたり、自分の性別を問い直したり、誰にも惹かれなかったりしていると

・この同性の友達に対する感情はなんだろう?
・友情とは少し違うような気がするけど・・・・・・
・自分は「異性」としてこの人がすきなのかな? それとも「同性」として?
・なんだか世間の言う「恋愛感情」がしっくりこない?

など、さまざまな疑問がわいてくるように思います。

恋人ではない(?)クィア同士のあいまいな関係性

わたし自身、クワロマンティックな傾向があり「すき」な相手に対する感情が、結局のところ恋愛なのか、友情なのか、ものすごく迷うことが多いです。

特に、相手もクィアであり、お互いの恋愛対象にお互いが入ると知っている場合「ただの友人」とはまた違う、仲のよさが生まれてくることもしばしばです。

ただ、その仲のよさが「同じ」クィアとして傷ついたり、うれしかったりする経験を共有しているからうまれているのか、恋愛感情なのかがうまく判断できないこともあります。

そのためわたしは、結果的に友情なのか恋愛なのかわからないけれど「特別な仲のよさ」がある人が、複数人いる状態になりやすいです。そのような状態からだと、複数の「特別に仲のよい」人たちと話し合って、ポリアモリーを実践する流れがうまれやすい気がします。

ポリアモリーを実践することによって安定する(?)クィアたち

クィアであることで差別や偏見にさらされやすく、メンタルをやられることが多い。それでいつも味方でいてくれると思えるようなパートナーが複数人必要になり、ポリアモリーを実践し始めた、という話も聞いたことがあります。

ポリアモリーのほうが、一対一のモノガミーと比べて関係性が不安定で、ぐちゃぐちゃしていると思われがちですが、わたし自身も、頼れる先としてのパートナーが複数いるポリアモリーのほうが、モノガミーよりも安心できるような気もします。

以前、わたしもパートナーも属しているクィアコミュニティで、ドミノ倒し的にみんなのメンタルが悪くなってしまったとき。そのコミュニティには属していない、別の仲のよいクィアと会うことで、なんとか持ちこたえたこともありました。

ポリアモリーを実践していると、こうやって片方のパートナーと共倒れ状態のときに、安心して頼れるもうひとり以上のパートナーがいてくれるのかもしれない、と思いました。

ポリアモリーの実践には楽しさもある

難しさや大変さがフォーカスされることの多いポリアモリーですが、その楽しさもたくさんあると思います。

コンパ―ジョン(compersion)

ポリアモリー界隈でよく言われるもののひとつが、コンパ―ジョンです。

コンパ―ジョンとは、簡単に言うと、すきな人が自分ではないすきな相手と一緒にいて幸せそうにしているのを見て、自分が幸せなきもちになることです。
自分はAのことがすきで、AはBのことが/もすきで、AとBが一緒にいて幸せそうにしているから、自分も幸せという状態です。

実際、ポリアモラスでポリアモリーを実践しているクィアな友人は、すきな人に別のすきな人ののろけができるし、相手からもそういうのろけが聞けるのが楽しいと言っていました。

差別や偏見にさらされやすいクィアコミュニティだからこそ、のろけ、のろけられることで、幸せなきもちがどんどん伝染していったら、すてきだなぁと思いました。

 演劇『われわれなりのロマンティック』からみるポリアモリー実践の楽しさ

演劇『われわれなりのロマンティック』は、茉莉と蒼、千尋の3人が茉莉の家でわちゃわちゃ過ごしているところで幕を閉じます。

3人がそれぞれを大事におもい、大変なときは頼り合うような未来がみえるようなエンディングです。

茉莉にとっては、自分の家に帰れば隣に蒼が住んでいて、いつでもピンポンできる。会いたくなったら千尋に会いに行って、触れ合うこともできる。
蒼や千尋にとっても、茉莉のことは大事だし、茉莉のもうひとりのパートナーともなんだか少し気が合って仲良くなれそう。

そんな、まさに3人なりの関係性のありかたを見せてもらい、ポリアモリーの楽しさを垣間見たきもちでした。

猫とパートナー

わたし自身、コンパ―ジョンのようなものを感じることもあります。

わたしもパートナーもとても猫がすきで、以前友人の家の猫をふたりでなでていたとき。パートナーが猫とすごく楽しそうに触れ合っていて、それを見ていてわたしも幸せなきもちになりました。

「猫と人間は違う!」と言われてしまうかもしれませんが、自分ではない誰かと幸せなようすでいる自分のすきな人を見て、自分も幸せになる、という点では同じコンパ―ジョンなんじゃないかと思います。

もちろん、猫の同意をとることはできないので、猫とポリアモリーを実践したわけではないですし、これからすることもできないのですが・・・・・・。

これからわたし自身がポリアモリーを実践できるのかは、未だにわかりません。実践したいのかしたくないのかもはっきりしないような気がします。

でも、猫とパートナーといたときに感じた幸福感と似たようなものを、ポリアモリーを実践して感じられるのなら、そんな未来もありかなぁと思うこともあったりします。

 

<作品情報>
■演劇『われわれなりのロマンティック』
作・演出:中島梓織
出演:小澤南穂子、小見朋生、川村瑞樹 ほか
企画・製作:いいへんじ、株式会社イマジリック
公式サイト:https://mitaka-sportsandculture.or.jp/geibun/star/event/20250829/

■文芸誌『石としてある 第2号』 本屋メガホン 編集・発行 https://booksmegafon.stores.jp/items/68070bab3b49380f50cc9fd7

 

RELATED

関連記事

ロゴ:LGBTER 関連記事

TOP