先月の衆院選で圧勝した自民党。総裁でもある首相、高市早苗氏は、憲法を変える意向を示しています。憲法が改められ、戦争ができるようになってしまえば、わたしたちの生活が危ない。そう考えた市民たちが、昨今、全国各地で大規模な反戦・反改憲デモを展開しています。わたしも先日、いち市民として、いちクィアとして、国会前のデモに足を運びました。
1つ目は「19日行動」の国会前デモ
わたしが最近参加したデモは2つ。どちらも国会議事堂前で開催され、主に「戦争反対」や「改憲反対」を訴えました。
デモの参加者は、約1万1000人
©️hachi
インスタグラムでフォローしていた人がポストしているのを見て、参加を決めた3月19日のデモ。
わたしは開始10分前くらいに国会議事堂駅前に着きましたが、すでに列の端が見えないほど、歩道に人がぎっしり。
一緒に参加した友人と、15分くらい歩いてようやく2人並んで立ち止まれるスポットを見つけました。
あとから聞いたところ、19日のデモ参加者は1万1000人もいたそう。
集まった多くの人が、手にペンライトを持ち、夜の国会議事堂をコールと光で満たしていました。
一般人も声を上げるデモのスピーチ
わたしたちが立ち止まった場所は、偶然ステージに近かったため、スピーチやコールがよく聞こえました。
スピーチでは、政治家だけでなく、一般市民の語りも。
弟が自衛隊員だという方のスピーチでは、自身の弟が戦争に行かなくてもいい、誰も殺さなくていい、誰からも殺されない社会の実現を訴えていました。
大事な人を戦争なんかで失いたくない。
そんな切実な語りに、わたしも反戦や改憲反対のきもちを強くしました。
デモのコールに励まされて
今回のデモの目玉のひとつは、コール。
ノリノリのビートに合わせて、主催者のひとりの叫ぶ言葉を、参加者たちがリピートし、さながらライブのようでした。
コールには「戦争できる法律いらない!」「スパイ防止法絶対反対!」などだけでなく、「解体解体、家父長制!」「夫婦別姓 選べる自由を!」といったフェミニズムからの訴えも。
前者のように直接的に戦争や言論統制に反対するコールと比べて、後者のコールには声を出していない人もいて、残念に思いました。
でも同時に、デモでは周りのフェミニストたちの力強い叫びも聞こえ、勇気づけられもしました。
正直、せっかくフェミニズムの訴えもコールに入れるなら、近接した課題である「同性婚法制化!」なども含めてほしかったところですが・・・・・・。
25日のデモは、クィアな友人たちと一緒に
1回目のデモが、思ったより楽しく、参加する意味もあると感じたので、2万4千人が参加した25日の国会前デモ「平和憲法を守るための緊急アクション」にも行ってきました。今度は、クィアな友人たちも一緒でした。
クィア的にもほしい、デモでの身バレ防止アイテム

1回目のデモで学んだこと。それは、そこかしこで撮影している人がいるので、どうやったって誰かの記録に映りこんでしまうということでした。
わたしもそうでしたが、多くのクィアは、レインボーフラッグやプログレスフラッグなどのロゴが入ったプラカードを持って、デモに参加しています。
そのため、もし「クィアであること」を示唆するようなアイテムを持っているところが、誰かの映像に映ってしまい、SNSなどで拡散されてしまうと、カミングアウトをしていない人にとっては重大事件です。
だからか、クィア的なアイテムを持っている人も含め、参加者の多くがマスクをして、顔を特定できないようにしていました。
プラカードを顔の前に掲げることで、顔がどこかの撮影に映りこまないようにしている人もいました。
クィアでなくても、顔という個人情報がさらされるのは怖い部分もあるでしょう。
「身バレしたくないけどデモに参加したい」という人は、マスクの着用か、プラカードを持って行くことをおすすめします。
デモ参加者にはクィアがたくさん
2回目のデモは、ステージから遠いところにしか警察が誘導してくれなかったため、中心の方のコールやスピーチは聞こえなくなってしまいました。
それでも、さまざまな場所からマイクなしのコールが聞こえ、最後までどこかしらからは声が聞こえていました。
わたしも、友人たちとコールを繰り返しつつ、1回目よりも余裕があったので、ほかのデモの参加者を少し観察していました。
実感したのは、デモの参加者に、クィアらしき人がものすごく多かったこと。
もちろん、見た目でクィアかどうかはわからないので、レインボーフラッグを掲げていたり、プラカードにプログレスフラッグが描いてあったりする人がたくさんいた、ということです。
これは、普段からマイノリティとして制度的な差別や偏見にさらされるクィアだからこそ、なのか。
政治に対するクィアたちの関心の高さを感じました。
デモで可視化されるクィアたち
普段は、レインボープライドやトランスジェンダーマーチなど、明確に「クィアのため」であるイベント以外では、なかなかクィアがいるのかどうかわかりません。
せいぜい、レインボーのキーホルダーやステッカーをつけている人を、ちらほら見かけるくらい。
今回のように「反戦デモ」という、クィアの直面する課題に特化しているわけではないイベントにおいて、クィアがここまで「見えやすく」なるのは、新鮮に感じました。
反戦を訴えている人はわたし1人ではないこと
その中に、クィアがたくさんいること
わたしたちクィアだって声を上げられるのだということ
それらを実感でき、政治的なクィアたちの存在を充分に感じられて、エンパワーされるデモでした。
クィアとしてデモに参加する意味
2回のデモ参加を通して、クィアとしてデモに参加する理由をあらためて考えてみました。
デモでいないことにされるクィアたち

クィアな参加者たちの存在を感じられた一方で、ほかの参加者からクィアがないものとして扱われていると感じる場面もありました。
デモから帰ってきて、Xを流し読みしていたとき。数人のデモ参加者と思われる人たちが
「若い女性が多かった」
「男女比は3:7くらい」
といったツイートをしていたのを見つけてしまいました。
わたし自身、女性でも男性でもないノンバイナリーなので「若い女性」や「女性側」としてカウントされていると思うと、大きな違和感があります。
実際、デモに参加していたクィアたちの中にも「女性」や「男性」に見えたとしても、ノンバイナリーであったり、ジェンダークィアであったり、Xジェンダーであったりする人もたくさんいるはずです。
見た目で勝手に性別を決めつけないでほしいですし、せめて「女性のように見えた人」など言ってくれればよいのかもしれません・・・・・・。
こうやって、デモにおいても「いないことにされてしまう」わたしたちクィアが「わたしたちクィアだって一緒に生きているんだ!」と表現しながらデモに参加することの意味は大きいように感じます。
クィアたちの会話が、隣の人に聞こえること
クィアとしてデモに参加する意味は、ほかにもあります。
デモは、ワーワー叫んでいる印象があるかもしれませんが、実際は、コールに疲れたときやスピーチの合間などに、小さな会話が発生することも。
わたしたちも、2回目のデモのとき、左隣に立っていた人と何度かおしゃべりしました。
「コール疲れてきましたね」
「スピーチ、絶妙に聞こえないですねー」
など、他愛のないやり取りでしたが、そのくらい、周りの人の存在は、お互い意識している人が多いと思います。
先ほど書いたように、ノンバイナリーなどが不可視化される状況もあるのですが、クィア的なアイテムを持って参加していたり、クィアたちが一緒に立っていたりすると、周りの参加者は「クィアがいる」ということに、気づくことだってあると思います。
一緒のデモに参加して、同じように反戦を訴えている「仲間」がクィアであること。
それを知るだけでも、ほかの参加者のクィアに対する認識が「どこか遠い存在のLGBTの人たち」から「この間のデモで隣にいた人たち」になるかもしれません。そのようにして、クィアへの偏見や「めずらしさ」が薄まっていくかもしれません。
デモに参加して、クィア以外のマイノリティ性にも意識を
25日の国会前デモでは、沖縄出身者によるスピーチや声かけもありました。
沖縄では、米軍基地の存在などにより、今でも平和が守られていないこと
戦争が起これば、真っ先に沖縄が危険にさらされること
デモが終わりに近づき、桜田門駅に向かいながら聞いたスピーチでは、それらのことが切実に訴えられていました。
クィア以外のマイノリティ性に関して、あらためて意識した場面です。
アクセシビリティ不足でデモに参加できない人たちもいるものの、さまざまな属性の人が集まって訴えるデモだからこそ、普段は充分に聞けていなかったり、考えるのをやめてしまっていたりしたマイノリティの声が、心に届きました。
クィアだからといって、別の文脈ではマジョリティの場合もあります。
例えばわたしは、日本国籍を持ち、障害者に対する「合理的配慮」を必要としなくても生活できて、先住民族や部落にルーツがありません。
そのため「無視しても生活できる社会問題」もさまざまあります。しかし、それらにまさに直面している人たちとともにデモの場にいることで、今まで意識を向けてこなかった社会問題について学び、考えるきっかけになり、ともにアクションをしていく道がうっすらと見えたような気がしました。
そのような意味でも、マイノリティ性もマジョリティ性も持つクィアとして、デモに参加する意義を大いに実感しました。
クィアのみんなとデモに行きたい!

今回参加した2回のデモ両方で、わたしは「デモに行ったことがない」という友人を誘って参加しました。
社会運動に参加したことのない人にとって、デモはハードルが高いという話をよく聞きますが、わたし自身は、もっと日常のなかにデモがあればいいなと思っています。
デモはなにも、特別なものではありません。
スピーチを聞き、コールをし、隣の人としゃべり、お疲れさまと言い合って帰る。時には音楽を聴いたり歌ったり本を読んだりもする。
日常の延長であるデモに参加することで、暴力や抑圧に対して声を上げることに「慣れて」いけるかもしれません。
そんな社会を目指して、今後も、クィアやほかのマイノリティたちと一緒にデモを楽しみつつ、不正義に声を上げていきたいです。
■参考情報
・デモ情報・反差別イベント掲載|みんなでつくる連帯カレンダー
・haci「NO WAR 戦争反対 憲法改悪反対」
・朝日新聞『高市首相、憲法改正へ意欲示す 「1強国会」で問われる審議への姿勢』
・生活ニュースコモンズ『「自衛隊派遣反対」「憲法守れ」 ペンライトデモ、国会前に1万1千人』
・沖縄タイムス+プラス『国会前で改憲反対 2万4千人集会 県出身崎浜さんら訴え』
・東京新聞『「私たちの声が戦争への加担を食い止めている」…若い世代中心の市民有志が、国会前で護憲や反戦を訴えた』

