02 大好きだったダンスの先生と、難病発症
03 サンリオでのダンサー時代
04 高校時代の彼との出会いと幸せな日々
05 結婚生活と病気の再発、そしてうつ病
==================(後編)========================
06 手話サークルとトランスジェンダーの講師
07 現在のパートナーとの出会いと自分のセクシュアリティ
08 大人な対応の夫と、さびしかった結婚生活
09 夫への告白と別居、そして離婚
10 家族へのカムアウトとパートナーシップ宣誓書
01「みんなで盛り上がる」のが苦手
女子的な話題に合わせられず浮いていた
下北沢の住宅街。
午後の陽射しを受けながら、赤やオレンジ色のビタミンカラーのコートを羽織った由美子さんが、まぶしい笑顔で手を振る。
この町でパートナーと暮らして18年。最初は砂壁が落ちてくるような古くて安いアパートで生活を始めた。
「最初にアパートを見た時、母と妹には泣かれちゃったわ(笑)」。人懐っこい笑顔と気さくな受け答えに、思わずこちらも笑顔になる。
子どもの頃はどんな性格だったのだろうか。
実は、昔も今も、集団で何かするのは得意ではなく、女子の読むファッション誌や、女子の憧れの的の男の子の話題にも興味がなく、気がつくと独りになっている、そんな女の子だった。
正直、男子の方が話していて気が楽だった。
特に男子が好きだというわけでもなく、単に女子の会話にうまく合わせられないだけだったのだが、中学高校時代には、なんと「男好き」というレッテルを貼られてしまう。
しかしむしろ、小学生の時から好きだったのは、年上の「おねえさん」、つまり女性だった。
クールでかっこいいおねえさんに比べると、同年代の男の子はどうしたって子どもっぽく映る。
「男ってうるさくて、ガキ」
ギャーギャー騒ぐ姿が本当に嫌だった。
大勢でつるむのが苦手
子どもの頃から大人数でつるんだり、大騒ぎするノリについていけなかった。
高校で女子のグループがアバンチュールを求めて夏休みに海に行ったり、大学のサークルの先輩たちと合宿に行くなど、団体行動での誘いは多かったが、毎回断っていた。
授業が終わるとすぐに帰ってしまう付き合いの悪い女の子だったため、なんとかして自分をサークルの人間関係に巻き込もうとする人たちが、サークル内に恋人を作ったら変わるかもしれないなど議論することもあった。
「子どもの頃から、大勢でワイワイするよりひとりで読書している方が好きだった」
女子が夢中になる成人式の振袖や卒業式のハイカラさんのような袴ファッションにも興味がなく、結局、成人式も卒業式も欠席した。
「そういうみんなが浮かれる感じにのれないの。『大人げない』というより『子どもげない』っていう感じかな」
02大好きだったダンスの先生と、難病発症
クールでかっこいいおねえさん先生への恋
子どもの頃はあまり身体が丈夫ではなかったため、両親は何か運動をさせた方がいいと考えた。
5歳から始めたモダンダンスで、小学生の時に、あるダンスの先生に恋をする。
「その人を目の前にすると緊張しすぎて言葉が出なくて、手に汗もかくし、どうしていいのかわからなくなってしまう。でも、私は感情を顔に出すタイプではなかったので、先生を慕っていても、他の子たちのように気軽に甘えることができなかった」
先生が貸してくれた上着を、その場では「どうも」と冷静にお礼を言うのだが、家に帰ると嬉しさのあまりそれを着たまま寝る、内気な女の子。
「上手く話もできないし、先生の眼中には入っていなかったと思う。だけどね、勉強や部活でだんだんみんながダンスを辞めていき、もしも最後の一人に残ったなら―― もしかしたら私の存在に気付いてくれるかもしれないと考えて、頑張ったの」
「そうしたら本当に私だけになって、あれ? こんな子いたっけ?って、目をかけてもらえるようになったの(笑)」
ダンスはそんなに好きではなかったのに、先生好きさに頑張った。
高校生になると、当時習っていたダンススクールとは別に、先生と一緒に新宿の方のダンススクールにも通うようになる。
ダンスとダンスの間の待ち時間は長く、その間に先生と彼氏とのデートに同伴し、一緒に映画を見に行ったりもした。
相変わらず先生の前では緊張してしまって上手くしゃべれず、大人しくしていたのだけれど。
突然の病気―― 『これでダンスが辞められる』
大学生になり、ある日、突如として身体が動かなくなる。
紫色のあざがあちこちに現われ、足がパンパンに腫れる。関節痛もあり身体を曲げることができない。
2か月ほど入院し様々な検査をしたが原因は分からず、自宅で療養することになる。
「ちょうどその頃、ダンスのプレッシャーで苦しい時期だった。先生とは一緒にいたいのだけど、一緒にいて期待されるのに、応えられない自分がいて……。もともとダンスが好きなわけじゃないから、それ以上ついていけなくて、だけど嫌われたくもないしで、精神的にいっぱいいっぱいになっていた」
「それが言葉に出せないから、体に出ちゃったのかなって……。もちろん、病気の理由がストレスかは定かではないけれど、でも内心では私、『ああ、これでダンスが辞められる』って思ったの」
身体が動かないからレッスンには行けない―― 誰にもとがめられることなく言い訳ができる。
どこかでホッとしていた。
その後も身体の痛みはあるが関節は動くようになってきたため、ダンスのクラスには少し顔を出した。
ただそれまでのように先生と行動を共にすることはなくなり、次第に先生とは離れていった。
03サンリオでのダンサー時代
オーディションを受け、ダンサーに
ちょうど就職活動の時期に入院や自宅療養が重なっていたため、満足な就職活動ができなかった。
大学卒業近くになり、高校時代のダンス部の友人から、サンリオのダンサーオーディションを受けてみないかと連絡が入る。
やりたいことも特になく、憧れの仕事もなかった。
先生が好きで続けただけのダンスだが、5歳から始めて一生懸命先生についていこうと頑張っただけあって、ダンスの腕前は上がっていた。
難関のオーディションに無事に合格し、ダンサーとして働くことになった。
サンリオのエンタテインメント施設「サンリオピューロランド」でのダンスショーや舞台で踊った。
半年ごとに歌、ダンス、演技のオーディションがあり、その結果次第では契約が終わる厳しい職場でもあった。
「面接では細かい生活面のことまで言及されるの。そこでも『仕事後もさっさと帰らず、もう少しみんなとコミュニケーションを取るように』と言われたけどね(笑)」
しかしリハーサルもきちんと時給が出るなど、給与待遇はよく、条件面ではとてもいい職場で、他のエンタテインメント施設でダンサーをしていた人材が転職してくることもあった。
イギリス留学
しかしそこを、なんと1年で辞めてしまう。
「やっぱり関節の痛みに耐え切れなくて。身体が限界になってしまったのね」そしてそれまでの仕事で貯めたお金で、半年間イギリスへ留学する。
「一応、語学留学ということでロンドンの学校に入って、ホームステイもして。でも留学先を決めたのだって、アメリカに留学していた幼なじみに相談したら『イギリス英語はきれいだし、なんだかイギリスって素敵じゃない?』と言われて、『じゃあそうする』って、その程度の理由なの(笑)」
実は当時、長く付き合っている男性の恋人がいた。
仕事を辞めてすぐにその人と結婚するのもどうだろうかと、彼と少し離れて自分を見つめ直してみたい思いもあった。
それでも好きでいられるかどうか――自分を試す意味もあった。
留学から戻り、さてこれからどうしようと思ったとき、サンリオから連絡が入る。
オーディションはパスするから戻ってこないかと。迷ったが、関節の痛みもかなり回復していたためカムバックする。
そして25歳の時、恋人と結婚する。
04高校時代の彼との出会いと幸せな日々
初めて好きになった男性に感じた、不思議な懐かしさ
由美子さんには結婚歴がある。彼との出会いは高校生の時。
16歳で彼のことを知り、「この人、なんだかいいな」と、ほんのりとした恋心を抱いていた。
そして高校3年生で同じクラスとなるが、自分からは話しかけられない性格だ。
彼から話しかけてくれるのを、祈るような気持ちで待っていたところ、念じれば通ず、彼が話しかけてくれた。
大好きなダンスの先生の存在はベースにあったが、別に男性が嫌いというのでもなく、それまでにもデートぐらいすることはあった。
しかし本当に男性を好きになったのは彼が初めてだった。
そして、忘れられない感覚を経験する。
「まだ話したこともなかった時に、たまたま席が近くなって、グループワークをするために彼と机を向かい合わせたの。そうしたらね、もう言葉で言い表せないぐらいの懐かしさを感じちゃって」
「なんだろう、この空間の懐かしさ!って。何も話さなくても、無言でずっと一緒にいられる、不思議な感覚・・・・・・。あれは今でも忘れられない」
いつでも一緒にいたい、大好きな彼と結婚
早朝、まだ誰もいない学校に呼び出され告白され付き合うようになる。
一緒にいることに何の違和感もなく、まるで自分の一部のように感じた。
毎日でも会わないと気が済まないほど大好きで、彼の浪人中は、彼が勉強している横で黙って静かに本を読んだ。
年頃の男の子だ、邪な気持ちに気を取られたりするのではないだろうか。
「それが、そういう話が苦手な彼で。『もうやめて、そういうこと言わないで』って言うから、私もへぇ~って思ったよね」
勉強ができるだけでなく博識で、自分の知らないことを教えてくれる、まるでお兄さんみたいな彼。
一緒にいるととても落ち着いた。お互いの実家も近く、両親も公認の仲。
大学の後半に病気で入院した時も、彼から「僕が一生面倒見てあげる」という言葉が出るなど、おのずと結婚を意識しての付き合いだった。
ある日、高島さんの実家で彼と昼寝をしていたら、母から「さすがに結婚前の男女が昼寝というのはね・・・・・・。
そういうことをしたいなら結婚したら?」と言われた。
それならと、結婚を決めた。
05結婚生活と病気の再発、そしてうつ病
忙しさでのすれ違いと病気の再発
彼はシステムエンジニアとして忙しく働いた。
毎日終電で帰る日々。
結婚当初は共働きだったが、ある日また、由美子さんの身体に異変が起こる。身体が痛くて動かない。
大学の時と同じ症状だ。
「原因も分からないし有効な治療法もないけど、疲れたりすると症状が出てしまうので安静にしているしかない。医者からは治らない病気だから一生付き合っていくしかないと言われた」
「整体の先生には、ショーで着ていた電飾でピカピカの衣装、あの電飾が身体に悪い影響を及ぼしていたのだろうと言われたけど……」
身体に無理をさせてまでダンスを続けることを考えると、そこまでダンスに執着は持てなかった。
結局、申し訳ないと思いながらも任期途中でサンリオを辞める。
それから、専業主婦として過ごすことになる。
「子どもがいるわけでもないし、何もすることがなくてどうしようって感じ。旦那さんも忙しくて家にいないから、毎日実家に入り浸ってご飯を食べて、おかずももらって帰る生活。そんなんだから、いま思えば全然自立してなかったのよね」
うつ病になり、ひきこもる
近所でちょっとしたアルバイトはしたが、それまでの忙しい日々に比べると、時間を持て余し、妙に焦る自分がいた。
「自分が休んだらショーダウンしてしまうという、不安と緊張感のある毎日を送っていたから、辞めてようやく自由になったのよ。それなのに、これから何をしてもいいと言われると何もすることがなくて、目の前が真っ暗になっちゃった」
「私の歩むべき道は終わってしまった……ズドンって感じ」
身体の痛みや倦怠感は続いた。
そしてだんだん気持ちが沈み始め、とうとううつ症状が出てしまった。
何をする気力もなく、どこにも出かけられなくなる。
「私、何のために生きてるんだろう」
毎日、夫が出勤前に出してくれる課題がほんの少しの救いだった。
「今日は月の動きについて事典で調べて勉強しておいてね、とか言って。
それがないと一日、自分で何をしたらいいか分からなかった」
実家にさえ顔を出せない引きこもりの日々は、一年ほど続いた。
「お姉ちゃん、あの頃、本当に危なかったよ。死んじゃうんじゃないかって、お父さんもお母さんも心配してたんだよ」
あとで妹たちから、両親はじめみんなが心配していたことを聞いた。
後編INDEX
06 手話サークルとトランスジェンダーの講師
07 現在のパートナーとの出会いと自分のセクシュアリティ
08 大人な対応の夫と、さびしかった結婚生活
09 夫への告白と別居、そして離婚
10 家族へのカムアウトとパートナーシップ宣誓書