異性カップルには結婚という明確な節目がありますが、同性カップルにはそれがありません。交際9年、パートナーシップ制度利用から2年。レズビアンカップルの私たちの経験をもとに、同性カップルが行き着く関係性について考えます。
同性カップルには「結婚」という節目がない
交際期間が長くても、同棲を始めても、パートナーシップ制度を利用しても、周囲からの見え方は大きく変わらない。私たち同性カップルの関係は、どれだけ時間を重ねても「次の段階に進んだ実感を得にくいように感じます。いつ「ふうふ」になったと言えばいいのか、どこから胸を張って名乗っていいのか。そう悩む日は少なくありません。
同性カップルは、どこまでいっても友達同士
異性カップルであれば、結婚という明確な節目があります。
入籍日を決め、両親に報告し、周囲から「結婚おめでとう」と言われる。その一連の流れを経て、職場でも親族間でも「配偶者」として自然に扱われるようになります。冠婚葬祭の案内、住まいや保険の話題なども、夫婦であることを前提に進んでいきます。
一方で現在、日本では同性カップルは法律上結婚することができません。長く一緒に暮らし、生活をともにしていても、周囲からは「長くつき合っている二人」という枠で見られることがほとんどです。
私たちのセクシュアリティを知らない方からは、恋人同士ではなく「友達同士」と認識されることもあります。
異性カップルと同じように生活を営んでいても、社会的な立場や扱われ方には、依然として大きな差があるのが現実です。
まだ「ふうふ」と胸を張って言えない私たち
長く一緒に暮らしていても、私とパートナーはまだ「ふうふです」と胸を張って言えません。
結婚していないため、関係性を説明するときは「彼女」「パートナー」「同居人」という言葉を使うことになります。その響きが、実際に築いてきた関係の深さと釣り合っていないように感じることがあります。
「妻」という言葉が持つ社会的な重みや結びつきと比べると「彼女」はどうしても軽く聞こえてしまうのです。
私たちのなかでは、すでに「ふうふ」のような関係だと感じていますし、そう名乗ること自体は、誰に許可を取る必要もないと思います。
それでも「ふうふ」だと言い切れないのは、結婚という公的な裏づけがないままその言葉を使うことに、どこかためらいがあるからです。
制度の後ろ盾がない状態で名乗る「ふうふ」は、社会のなかで浮いてしまうのではないか、説明を求められるのではないか。そんな不安が先に立ってしまいます。
自分たちの関係をどう呼ぶかは自由なはずなのに、まだその自由をまっすぐ受け取れずにいる。それが今の私たちの正直な気持ちです。
パートナーシップ制度の利用は、ゴールではなく「途中」
同性婚ができない現状では、パートナーシップ制度はひとつのゴールのように見えるかもしれません。けれど私たちにとって、それは結婚の代わりでも、関係の到達点でもなく、通過点なのです。
パートナーシップ制度を利用した理由

私とパートナーは2023年にパートナーシップ制度を申請しました。
当時、私たちは交際5年を迎えていましたが、パートナーシップ制度についてはなかなか決断できずにいました。法的な効力がなく、制度を利用しても生活は変わらないと感じていたからです。
転機のひとつは、引っ越しでした。新しい部屋を探していた当時、不動産業者に同性カップルであることを伝えても、紹介されるのは「ルームシェア可」の物件が中心で「二人入居可」の選択肢は限られていました。
対応は業者によってケースバイケースだと理解しつつも、現実的な壁を突きつけられた感覚がありました。
加えて、今後の生活や周囲との関係を考えるなかで、私たちの関係性をなんらかの手段で示せることの意味も意識するようになりました。こうした複数の理由が重なり、パートナーシップ制度を前向きに考えるようになったのです。
パートナーシップ制度=結婚ではない
正直に言えば、パートナーシップ制度の申請に踏み切った動機は「ないよりは、あったほうがいい」という現実的な判断でした。
私たちはパートナーシップ制度を、結婚の代替や疑似的な結婚だとは捉えていません。
異性愛者カップルにおける結婚のような区切りや、けじめとしての意味合いも特に感じていませんでした。あくまで、今の制度のなかで使えるものを生活のために利用する、という距離感です。
そのため、宣誓をしたあとも関係性が次の段階に進んだ感覚はなく、法的効力もない以上、日常が大きく変わることもありません。
実際、申請後に受領証やカードを使う場面はまだなく、生活はパートナーシップ制度を利用する前とほとんど変わらないまま続いています。それでも、必要なときに関係性を示せる手段があると思えることが、静かな安心感として残っています。
「結婚式」は挙げていないけど、ウエディングフォトは撮った
私たちはいわゆる「結婚式」は挙げていませんが、記念としてウエディングフォトを撮りました。
結婚という制度にアクセスできない現状のなかで、式という形式に強い憧れがあったわけではありませんが、それでも「二人で積み重ねてきた時間をなにかしらの形で残したい」という気持ちはありました。
完成や到達を示すものではなく、ここまで歩いてきた過程を思い出として残しておく。そんな節目となるイベントでした。
同性カップルの私たちが祝福されたエピソード
同性カップルの私たちにとって「祝福されること」は、日常から少し距離のあるものだと感じていました。けれど、そんな私たちが思いがけず祝福してもらった瞬間があります。
パートナーシップ制度の申請後のおもわぬ反響

パートナーシップ制度の申請をSNSで報告したとき、思ったよりも多くの祝福の言葉をもらい、正直驚きました。
私がレズビアンでパートナーがいることは、SNSのプロフィールに書いており、フォロワーの方みんなが知っている事実です。それでも、報告をきっかけにこれほど多くの反応が返ってくるとは想像していませんでした。
祝福の言葉をくれたのは、セクシュアルマイノリティの友人だけでなく、普段は社会的な話題について語り合うことのない異性愛者のフォロワーも含まれていました。
パートナーシップ制度は結婚ではないものの、ひとつの区切りとして祝おう。そんな気持ちが、寄せられた「おめでとう」から感じ取れて、胸が温かくなりました。
同性カップルや異性愛者の友人から届いたご祝儀
パートナーシップ制度の申請を報告したあと、同性カップルの友人だけでなく、異性愛者の友人からも、ご祝儀やお祝いの品が届きました。
私たちはパートナーシップ制度を結婚として捉えていなかったので、そんなふうに祝ってもらえるとは思っていませんでした。少し戸惑いながらも、包みを開けた瞬間に、胸の奥がじんわり温かくなったのを覚えています。
実は私は「いつか結婚できたらいい」と願いつつも、その実感をうまく想像できず、どこか他人事のように感じていました。しかし、ご祝儀やプレゼントを受け取ったことで、結婚というものが初めて自分事として感じることができたのです。
そのとき、制度の外側にいる現実をあらためて意識し、同性婚が当たり前に選べる社会になってほしいと、心から思いました。
「結婚のときは、もっと豪華に祝わせてね」という言葉
パートナーシップ制度の申請後、友人からかけられた「結婚のときは、もっと豪華に祝わせてね」という言葉が、強く印象に残っています。それは「今回はこれとして、ちゃんと次があるよね」という意味合いを含んだ誠実な祝福でした。
結婚できない現実をわかったうえで、それでも未来の話として自然に置いてくれたことが、嬉しかったのです。
同性カップルの私たちが次のステージへ進むためには
祝福される経験や、制度とともに生きる日常を重ねるなかで、私たちは少しずつ「この先」を意識するようになりました。それでは、同性カップルが次のステージへ進むとは、いったいなにを指すのでしょうか。
お互いの家族に挨拶はしていない

パートナーシップ制度を利用したあとも、私たちはお互いの親にあらためて挨拶をすることはありませんでした。いわゆる両家顔合わせのような場を設けたこともなく、形式としては結婚にまつわる「通過儀礼」をほとんど踏んでいない状態です。
異性カップルであれば、入籍や結婚式をきっかけに親へ報告し、顔合わせをするという流れが自然に想定されます。
しかし同性カップルの場合は、決まりきったステップはありません。パートナーシップ制度を「利用する」も「利用しない」もカップルそれぞれの自由です。親や友人へのカミングアウトや申請後の報告も同様です。
私たちの場合、お互いの家族への挨拶を意識的に避けてきたというより、結婚という前提が成り立たない以上、踏み出す理由を見いだせなかった、というほうが近いかもしれません。
必要性を実感できないまま「いつか考えればいいこと」として先送りにして、その状態が続いています。
パートナーシップ制度。結んだあとの選択肢
自分たちが特別なパートナー関係であると、地方自治体に認められたあと「次になにをするか」はカップルによって異なります。
たとえば、公正証書を作成して財産管理や医療同意について取り決めておく、任意後見や遺言を検討するなど、法的な空白を埋めていく選択肢があります。
また、同性カップルのなかには養子縁組という制度を選ぶ方もいますが、私たちは将来、婚姻制度が整ったときに結婚できなくなる可能性を考え、あえて選びませんでした。
どの手段も万能ではなく、メリットもデメリットもあります。
だからこそ「今の私たちに必要なことはなにか」「将来の選択肢を狭めないか」を二人で話し合い、慎重に選び取っていく。そのプロセス自体が、ふうふとして関係性を進める一歩になるのだと思います。
同性婚の実現を待つ同性カップルの私たちが考えていること
私たちは和装のウエディングフォトを撮りましたが、洋装はあえて撮りませんでした。それは、いつか本当に結婚できたときのために取っておきたいと思ったからです。
あえて今すべてを叶えず「その日」に選び直せる余白を残すことは、将来を諦めないという意思表示でもあります。その姿勢は、ウエディングフォトに限った話ではありません。
私たちは暮らし方や働き方、老後をどう迎えるかといった将来設計も進めています。結婚という前提がないぶん、同性カップルは人生設計を早い段階から具体的に考えざるを得ません。
だからこそ、企業のパートナーシップ制度やLGBTフレンドリーな保険・住宅制度など、社会の側の支えも不可欠です。個人の工夫だけに委ねず、誰もが未来を描ける土台を整えることが、安心して「待つ」ために必要だと感じています。
制度の外側にいる「ふうふ」として日々を重ねながら、いつか愛する人結婚できる日が来ることを願っています。

