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箱の底には希望が残った。傷だらけの手でつかんだ光【前編】

「話すのがあまり上手くないんです」。そう言いながら、照れくさそうに話し始めた鈴木翔也さん。その半生は壮絶であり、話すにはずいぶん覚悟が必要だっただろう。パンドラの箱からは、さまざまな災いが飛び出すが、底には希望が残る。10代で閉じた箱を、20代で開く勇気を持ったことで、鈴木さんは希望を手に入れた。混沌の幼少期から10代、そして再生の20代。鈴木さんの、26年間の半生を聞いた。

2019/09/09/Mon
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Sui Toya
鈴木 翔也 / Shoya Suzuki

1992年、神奈川県生まれ。幼少期から性別違和があり、小学生のときにテレビドラマを見て性同一性障害を知る。複雑な家庭環境から、小学生の頃は、暴れたり教師に反抗したりすることが多かった。19歳のときに、FTM当事者であるいまの事業パートナーと出会い、24歳でFTM専用アンダーウェアのブランドを立ち上げる。現在は、建築業の傍ら、ブランドの認知拡大に向けて活動中。

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INDEX
01 名前の由来
02 壊れた家族
03 差し伸べられなかった手
04 強さと脆さ
05 孤独
==================(後編)========================
06 氷解
07 FTMのバスケコーチ
08 実力主義
09 人生最高の出会い
10 パンドラの箱

01名前の由来

18歳になったら

物心ついたときから、自分のことを男だと思っていた。

保育園では毎日のように男の子とケンカ。当時のアルバムを見返すと、ウルトラマンのポーズばかりしている。

兄弟は男ばかりで、兄3人から「お前は女なんだから、あっち行ってろ!」と仲間はずれにされた。

そのたびに、「なんで自分だけ?」と不満を抱く。

性同一性障害という言葉を知ったのは、小学校3、4年生のとき。
テレビで「3年B組金八先生」を見て「自分はこれだ!」と思った。

「18歳までは誰にも言わないでおこうと思ってました」

「18歳になったら治療を始めて、ある程度治療を終えたら家族や友だちと縁を切って、地方に引っ越そうって考えてたんです」

「そこで男としての人生を1からスタートしようかなって」

誰にもバレずに、埋没しよう。
女だった自分を知らない人たちの中で、ただの男として暮らしていこう。

自分だけの秘密を胸に抱いて、18歳になるまで生き延びてきた。

両親の離婚

物心ついたときは、7人家族だった。

兄が3人いて、上から14歳、12歳、10歳違い。弟とは2歳離れている。

「3歳のときに両親が離婚して、兄3人は父親に引き取られました。だから、弟と2人兄弟っていうほうが、自分としてはしっくりきます」

母と弟と3人で暮らし始めたのは、ボロボロの木造アパート。

「兄3人は素行の悪い不良で、時々僕らのアパートに転がり込んできました」

「一緒に暮らしたり、フラッと出て行ったりして、住む人数が増えたり減ったりしましたね(苦笑)」

兄と弟は全員、名前に「也」がつく。

小さい頃は、なぜ自分だけ名前に「也」がないんだろう? と思っていた。

「だから、改名したときに『翔也』という名前にしたんです」

母は「女は女らしく」「男は男らしく」という考えの人だった。
家のことは女がやるもの、というのが母の考え方。

両親が離婚してから、家事全般は女である自分に任された。

02壊れた家族

痛み

両親が離婚する前から、母にずっと虐待を受けていた。

家の中の空気が悪くなる度に、自分だけが叩かれる。

「父親は優しかったから、いつもすがりついてました」

ある日、母から「もうここには住まない」と言われ、手を引かれて家を出た。

「まだ3歳だったけど、父親と一緒に住みたい、って思ったことを覚えてます」

「それを言ったら母親に叩かれるから、言えなかったことも・・・・・・」

いつ、どんなタイミングで虐待を受けたか、記憶は曖昧だ。

母がキレると、全裸になって「叩いてください」と言いながら、土下座をしなければいけなかった。

そうしなければ、叩かれる回数が増える。

「声を出して泣くな、って言われながら、棒で叩かれ続けました」

「後で体を触って、ミミズ腫れでボコボコしてるな、って思ったことを覚えてます」

ガムテープで口は塞がれ、手足もしばられることもあった。

敵が2人に増えた

母が怒り始めるタイミングに法則性はない。
家にいるときは、常に緊張して体がこわばっていた。

「家事をするときは慎重になりました」

「洗濯物の畳み方や、部屋の掃除の仕方でダメな部分があると、叩かれるんじゃないかと思っていたから・・・・・・」

小学生のとき、3番目の兄が家を出て行き、代わりに2番目の兄が転がり込んできた

「2番目の兄は薬物依存症でした。その頃にはもう体がボロボロで、幻覚症状が出てたんです」

「毎日、居間の中をのたうちまわっているような状態でした」

兄からは、薬が切れると暴力を振るわれ、時には刃物を突きつけられたり、追いかけられたりもした。

敵が2人になり、苦しい日々。

自分の身を守るよりも、弟に手を上げられないように必死だった。

「弟はヒョロヒョロの体型で、体も弱くて、週に1回は熱を出してたんです」

「性格も内向的で、キャッチボールとか鬼ごっことかに誘っても『僕は絵を描いてるからいい』って言うタイプ」

「弱い弟を守らなきゃいけない、という気持ちがありました」

父の再婚相手

小学生のとき、母が出掛けたきり、帰ってこない時期があった。

食べ物もお金もなく、雑草を食べて飢えをしのいだり、自動販売機の下の小銭をかき集めたりした。

それでも、父に助けを求めようとは考えなかった。

「父親は、離婚してすぐに再婚したんです。父親の再婚相手に、僕はやたら嫌われてたんですよ」

「あるとき、思いきって父親に会いに行くと、ドアをバーンと閉められました」

子どもでも、さすがに「もうここには来ちゃいけないんだな」と悟る。

訪ねたら、父に嫌われるかもしれないと思い、足が遠のいた。

03差し伸べられなかった手

口より先に手が出るタイプ

小学校では、不機嫌な顔をして黙っているか、机に突っ伏して寝ているかのどちらかだった。

「学年の中では、常に番長扱いでしたね。あいつを怒らせたらヤバいぞ、みたいな」

「口が巧くないから、何か言われても言い返すことができないんです」

「だから、口より先に手が出ちゃう」

「やんちゃな子以外は、近づいてきませんでした」

何か気に入らないことがあれば、机をひっくり返したり、ガラスを割ったりした。物を盗んだこともある。

授業のことで質問があり、近くにいた女の子に「ねえ」と話しかけたときに、怯えて泣かれたこともあった。

「生き抜くためには、強くなきゃいけないって思い込んでいたんです」

「物事を知らないから、本当の強さってどういうことか、考えたこともありませんでした」

「先生たちには、相当嫌われてたと思います」

先生に助けを求める

小5のとき、担任の先生から「なんでお前、そんなにイライラしてるの?」と声を掛けられた。

「それまでの先生は、みんなの目の前で呼びつけて怒る人ばかりでした」

「低学年のときは、頭にきすぎた先生から、給食をぶっかけられたこともありましたね」

しかし、小5のときの先生は違った。

「ちょっとおいで」と、静かな教室に連れて行かれ「どうしたの?」と聞いてくれたのだ。

「そんなことは初めてでした。嬉しかったですね」

「やっと助けてもらえる、って思いました」

「震えて、ボロボロ泣きながら、自分の家のことを話したんです」

しかしその後、話した内容が、先生から母親に伝わった。

虐待がさらにひどくなる。

「やっぱり、誰にも言わないほうがいいんだ、って悟りました」

「ふざけんな、と思って、学校での荒れ方に拍車がかかりましたね」

04強さと脆さ

転校生

小5の終わり頃、転校してきた子がいた。見た目がボーイッシュで、最初は男だと思った。

「男が転校してきたぞ」
「お前よりケンカ強そうだぞ」

男友だちにそう言われ、ケンカをふっかけに行った。

対面して初めて、その子が女の子だと知る。

「次の日、校門の前で、その子が仁王立ちで待っていました」

「こいつ、ケンカを買ったんだな、と思いましたね」

近づいて行くと「鬼ごっこしようぜ!」と言われて、腕にタッチされた。
頭にきて、「ボコボコにしてやる」と、逃げるその子の後を追いかけた。

「でも、鬼ごっこをしているうちに、いつの間にか仲良くなってたんです」

疲れて休んでいると、その子がポツポツと話し始めた。

お父さんから逃げて、夜逃げを繰り返していること。
家事はすべて自分に任されていること。

「『お前にだけ言うね』って、打ち明けてくれました」

「家庭環境が似ていることを、何となく察してくれたのかもしれません」

本当の強さって?

その子は、自分とは正反対の性格だった。

男女関係なく、誰とでも仲が良い。友だちの前では、ふざけておどけてみせる。

「つらいからって、周りに当たり散らしてる自分と、その子を比べて、恥ずかしくなりました」

「その子が、すごく強く見えたんですよね」

その子と仲良くなってから、友だちが少しずつ増えていった。

「あいつ、そんなに怖くないよ」と、その子が周りに言ってくれたからだ。

自分の家庭環境について、その子に詳しいことは話さなかった。

「俺も似たような感じだよ」としか言っていない。

話さなくても、察してくれているような気がした。

「学校が終わると、お互いの家に行って、2人で家事を片付けました」

「家に食べ物がないときは、どちらかが食わせてやりましたね」

母からの虐待は、中学に入学する前に終わった。

母が重度の鬱病にかかり、布団から起き上がらなくなったからだ。

それから高校を卒業するまで、母が起き上がった姿を見た記憶はない。

05孤独

ここなら思い切り泣ける

自分がほかの女の子と違うということは、小さい頃から何となく気づいていた。

学校での一人称は、ずっと「俺」。

しかし、母に叩かれるのが怖くて、家では絶対に「俺」と言わないように注意していた。

「小学校3、4年生のときに『金八先生』を見て、性同一性障害を知りました」

「自分はこれだ、って、すーっと腹落ちしましたね 。でも、ドラマみたいに皆が理解してくれるわけないだろう、と思ったんです」

「誰も信じられなかったし、誰かに相談するっていう選択肢が、自分の中にありませんでした」

周りの女の子より発育が早く、小5のときには胸も膨らんできた。
やんちゃな行動とは裏腹に、体は誰より先に女らしくなっていく。

ちぐはぐな自分が苦しくて、泣くこともあった。

「強く生きなきゃと思ってたから、泣いてるところなんて誰にも見られたくなかったんです」

「泣きたくなったときは、近所の公園まで走って行きました」

そこは、不審者が出るから絶対に近づいちゃいけない、って言われてる公園だった。

「そんな場所なら、誰も来ないかなって。いま考えると危ないですね(笑)」

「強くいなきゃ」の裏側

中学生になってつらかったのは、小学生の頃よりも、男女の差が大きくなったことだ。

「よくつるんでいた男友だちには、『女だから』っていう理由で、次第に距離を置かれました」

「だからといって、女の子のほうに混じれるわけでもないし・・・・・・」

「その頃から、夜の街を1人で徘徊して、ケンカを繰り返すようになったんです」

「お前らみたいにつるんでるヤツより、俺は強えーよ、って証明したかったんですよね(苦笑)」

強くいなきゃいけないという気持ちの裏にあったもの。
それは、「誰かといたい」「助けてほしい」という声にならない叫びだ。

母は寝たきりで、一切仕事をしていなかった。

生活保護を受けていたから、生活費に困ることもない。

以前より平和になった家の中で、心は常に、誰かの温かい手を求めていた。

 

<<<後編 2019/09/12/Thu>>>
INDEX

06 氷解
07 FTMのバスケコーチ
08 実力主義
09 人生最高の出会い
10 パンドラの箱

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