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「LGBTの自殺率を下げたい」。レズビアンである自分が、教育現場でできること【前編】

「レズビアンで保健室の先生」という看板を掲げている井上さん。自身が当事者であることを活かし、教育現場の根っこからLGBT理解を深めるために、活動を広げている。「数学や科学、理系の勉強が好き」という井上さんは、インタビュー中もとても論理的に、なおかつとてもわかりやすく、現在の教育が抱えている問題点を指摘してくれた。「小学校の教科書の、ほんの一部分の表記さえ変えることができれば、救われるLGBT当事者も多いはず」と語りはじめる。

2017/01/28/Sat
Photo : Suzuka Inoue Text : Mana Kono
井上 鈴佳 / Suzuka Inoue

1989年、大阪府生まれ。大阪教育大学教育学部養護教諭養成課程を卒業後、3年ほど中学校・高等学校の保健室で勤務。「男の人が好き」という男子生徒との出会いにより、自身がレズビアンであることに気づく。現在は、地元・大阪府大東市の教育現場で講演活動をおこなうほか、市内の小中学校におけるLGBT教育への参画等にも携わる。

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INDEX
01 面倒見のいいお姉ちゃん
02 養護教諭になりたい
03 固定観念に翻弄されて
04 真面目であることの長所と短所
05 先生って、いい仕事だな
==================(後編)========================
06 私って、レズビアンなのかも?
07 ようやく知った「好き」という感情
08 保健室を飛び出して
09 家庭や子どもがほしい
10 子どもたちの自尊感情を高めたい

01面倒見のいいお姉ちゃん

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7つ歳下の弟

「小さい時は、とにかく “真面目で素直な子” だと、周囲からずっと言われていました」

小学1年生の時に、7つ年の離れた弟が生まれた。

「7歳も年齢が離れている姉弟って、そんなにいないですよね? かなり珍しいんじゃないかと思います」

幼い弟は、わんぱくでやんちゃ。

本当は自分だって、まだ小学校に入学したばかりの子どもだったけれど、なるべく両親の手がかからないようにと思って、しっかりしていようと心がけた。

「歳が離れていることもあって、私は第2のお母さんのような感じで、母親と一緒に弟を世話していました」

弟のおもちゃを一緒に組み立てたり、弟の友達が家に遊びに来た時には、その子の面倒もまとめて見たりしていた。

「かなり大人びていた子だったと思います。というのも、私以外の家族全員、父も母も弟も、みんな末っ子だったんですよ(笑)」

末っ子家族の中で、唯一の長女である自分がうまく立ち回らなければ。

幼いながらにそう感じていたのかもしれない。

小さなお母さん

父は、忙しい人だった。

「朝早くから夜遅くまで仕事に行ってましたね。仕事が忙しいということもあってか、家の中ではかなり厳しい父親でした。しつけもですし、家のことにも厳しかったですね」

そんなわけだから、父が仕事から帰ってくる頃にはいつも「お父さんがそろそろ帰ってくるよー」という母の号令とともに、家中が片付けられ、ピカピカに掃除されて綺麗になっていた。

「母はすごく優しいタイプなんです」

「だけど、父が指摘することについて、母が弟に対してあまり厳しく言わない分、私が逆にしつけをしている感じになっていました」

「お箸の持ち方がちゃんとなってない!」と、弟を叱ったこともある。

「なので、弟が中学校に通いだして反抗期を迎えた頃は、かなり苦労しました。厳しい父からの抑えつけも強かったんですけど、その父が単身赴任に行っていた時に、弟が爆発して、家で好き放題しはじめたんです」

弟からすれば、父は単身赴任に行ってしまっているし、母も優しくて反抗する対象にならない。

すると、姉である自分が反抗の対象となったのだ。

もちろん、それから弟との関係も良好になっていったが、最近になって、家族みんなに「あの時は、鈴佳に頼りすぎていたかもしれないね」と言われた。

当の自分は、これまで反抗期らしい反抗期を迎えずに大人になったと感じる。

02養護教諭になりたい

強さと正義に憧れて

小学校3年生の時に習いはじめた剣道。

その後、中高に至るまで9年間ずっと続けることとなる。

剣道を習うきっかけとなったのは、アニメで見た『るろうに剣心』だった。

「母は宝塚が大好きなんですけど、涼風真世さんが主人公・剣心の声優をしているということで、アニメを見はじめたんです」

「それで私も一緒に見ていたら、剣心に憧れを感じるようになって。ああいうかっこいい人になりたい! と思って、剣道を始めました」

今思えば、レズビアンである自分が男性キャラクターの剣心に心惹かれたのは、剣心役の声優さんが女性だったからなのかもしれない。

「剣心は、いわゆる男性像とはちょっと離れている感じがしました。正義感が強くて、一本筋が通っているところに惹かれたのかなって思います」

アイドルで好きなのは、AKB48の高橋みなみちゃん。やっぱり、彼女もどこか正義感が強く、しっかり自分を持っているように感じられる。

無理解な担任への絶望

小学生時代の苦い記憶といえば・・・・・・。

「実は私、小学校高学年の時に、いじめられていたんです」

「真面目で、授業中よく発言もしていたので、きっと目立っていじめのターゲットになったんでしょうね」

いじめられていたのは、自分を含めて3人の真面目ちゃんグループだった。

不幸中の幸いか、クラスで孤立するようなことはなかったものの、女子のいじめっ子グループに、目の前で悪口をまくしあげられたこともある。

「学校に行きたくなくて、週に一回くらいは休んでいました」

「それで、いじめについて母に話したら、普段は優しい母がめずらしく怒って、学校に訴えに行ってくれたんです」

母は、近所のママ友たちを引き連れて、学校へ向かった。

「その中に、いじめグループの一人である子のお母さんもいたんですけど、そのお母さんが『うちの子がそんなことをしてたの?』と、一緒に怒って、校長先生のところまで持ちかけてくれたんです」

「その翌日から、いじめがパッタリなくなりました」

いじめっ子グループの母親も一緒になっていさめてくれたことで、問題は意外な形で収束することとなった。

「だけど、いじめられていた時にクラスの担任に相談したら、『あなたにも悪いところがあったんじゃないの?』って言われて、余計に傷ついた経験があります」

一番信頼していた先生に勇気を出して伝えたのに、返ってきたのはまったく理解のない一言だった。

「その時に、私はそうやって苦しんでいる子どもが一番に相談できるような人になりたいって思って、養護教諭を目指しはじめたんです」

「養護教諭になるなら、教育大に行かないといけない。教育大に行くなら、公立だったらトップクラスの高校に行かないといけないっていう風に、自分なりに逆算していって、中学校あたりからはひたすら勉強を頑張っていました」

03固定観念に翻弄されて

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「好き」がわからない

「小学校2年生くらいの頃から、付き合っている男の子はいました」

「ただ、告白されたからとりあえず付き合ったっていうだけだったんです(笑)」

男子に何度か告白されたことがあったが、いつも自分の気持ちはよくわからないまま、「いいよ」と言っていた。

「恋愛感情があったわけではないんですけど、そんなに嫌じゃなかったし。当時は、“女は男と付き合うものだ” っていう固定観念もあったんですよね」

そんなこんなで、大学生になるくらいまでに、トータルで6、7人ほどの男性と交際経験を重ねてきた。

「でも、どこか違和感があって・・・・・・。付き合っているんだけど、相手の体が近づいてきたら、カバンを真ん中に置いて距離を置く、みたいな(笑)」

「体の接触がありそうだと、ひたすら逃げてました。だから、中高で付き合った人にも、手すら繋がせたりせずにガードしたり、おかしな行動ばかり取っていましたね」

嫌いじゃないから付き合う。

そんなことを繰り返していたから、「好き」という感覚がずっとわからないまま過ぎてしまった。

「とりあえず、でも付き合ってみたら、『好き』がどういうものだかわかるかなって思ったんです」

そんな行動をとっているから、もちろん相手には「僕のことが好きじゃないの?」と聞かれてしまう。

「で、結局別れる、っていう感じでした。長くて半年くらいしか持ちませんでしたね」

友達に恋愛相談をすることもなかった。

「周りの女の子たちが、何を話しているかがよくわからなかったんです。『かっこいい』っていうだけで、なんでそんなに恋愛感情を持てるのかな?って思っちゃって」

友達から恋愛の話を振られると、いつも適当にはぐらかして、その場をしのいだ。

女の子と付き合っている夢

「中学生くらいの時から、夢の中で付き合っていたり、付き合ってその先の体験をしている相手は、全部女の子だったんです」

「現実で付き合ってるのは男の子なんだけど、夢の中になるとなぜか女の子になっているという、意味のわからない状況がずっと続いていました」

中学校で入っていた剣道部で、憧れていた女の先輩。もちろん彼女も夢に何度も出てきていた。

「それから、男の子が剣道の胴着に着替える様子は平気で見られたんですけど、女の子が着替えているのは、恥ずかしくって全然見られなかったんです」

「銭湯とかでも、ほかの人の裸は極力見ないようにしていました」

だけど、まさか自分がレズビアンだとは思いもしなかった。

「ちょうどその頃に性教育が始まって、教科書に『男女は互いに異性のことを好きになります』って書いてあったんです」

「真面目だったこともあって、教科書が正しいんだって思ってしまって、固定観念がどんどん上書きされていったように思います」

だから、女性と付き合っている夢を見ても、「あれは夢であって現実ではないんだ」と、自分の中で切り分けて考えてしまった。

「『恋愛と結婚は別物』っていうのと同じように、『恋愛と女性に対する憧れも別物』と、切り離して考えていた感覚です」

だから、いつか本当に好きな男の人が現れれば、スキンシップやその先の行為もできるかもしれない、そう考えていた。

04真面目であることの長所と短所

大人たちからの期待

「中学は、ものすごく荒れている公立の学校に通っていました」

体育の授業から帰ってきたら、教室がタバコの煙で真っ白になっていることもあるような学校だった。

「先生たちがとにかく大変そうでした。朝早い時間に登校すると、先生がヘラを持って、床に張り付いたガムをはがしていたりするんですよ(笑)」

「クラスでは、悪いことをする生徒と真面目な生徒で二極化していて、あまり中間層はいなかったと思います」

もちろん、自分は真面目な生徒側。

「でも、生徒間での対立はなくて、勉強したい子は前の席にいって、悪ふざけをしたい子は後ろにいって、という感じでした」

真面目に授業を受けるだけでなく、友達に勉強を教えることも好きだった。

「だけどある日、授業中先生に『聞いてくれるのは井上さんだけやわ、あなたのために授業しているんやで』みたいなことを言われたんです」

その時に、「自分が真面目にしていないと、この先生が潰れちゃう!」と思って、さらに真面目に勢いがかかったことを覚えている。

「家でも学校でも真面目にしなきゃっていう、二重の枠にはまっていた感じでした」

抑圧されているような感覚はあまりなかった。

でも、今振り返れば、とても窮屈だったなと思う。

「これをしたい、あれをしたいという気持ちは抑えていたと思います。自分がやりたいことっていうよりも、何をすればまわりから褒められるかということばかり考えていました」

継続は力なり

真面目に勉強をしていた甲斐あって、高校は地域で一番の進学校へ入学した。

もちろん、その後教育大に進学することを視野に入れての選択だった。

「すごい自由な学校で、私服でよかったんですよ。だから、本当に自由にやらせてもらってました」

とはいえ、自分はあまりファッションに興味がなかったから、洋服は母に選んでもらっていた。

高校では、剣道部とコーラス部を掛け持ちしていた。

「剣道はトータルで9年。合唱は大学に入ってからも続けていたので、7年くらいはやってましたね」

何かを始めると、とことん突き詰めたくなる性格だ。

「何をやるにしても、ある程度続けていないと、人にやり方を教えるのがなかなか難しいと思うんです。でも、剣道でも合唱でも、年数を重ねてきたからこそ、相手の状況に合わせて教えられるようになりました」

自分でこれだと決めたことを信じて、まっすぐに前を見据えて取り組み続けること。

それが、今でも確かな力となっている。

05先生って、いい仕事だな

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楽しい大学生活

コツコツと努力を重ね、晴れて念願だった教育学部の養護教諭養成課程へと進んだ。

「大学で専門の講義を受けて、やっぱり養護教諭っていうのは素敵な職業だなって、改めて感じました」

これまで剣道を9年間続けてきたが、大学の剣道部には入らなかった。

「大阪教育大学の剣道部って、全国でも優勝してるくらい、ものすごい強いところなんですよ。さすがについていけないなって思って、合唱サークルに入りました」

合唱サークルでは、友達のことがとにかく大好きだった。

「一緒にソプラノを歌っていた女の子と仲が良くて、親友として大好きでした。今考えたら、恋愛感情だったのかなって思いますけど」

そうやって仲のいい女友達もいたけれど、やっぱり大学生になっても、恋愛トークは苦手だった。

保健室登校の生徒

学生時代は、教育実習での思い出もたくさんある。

「教育実習は、小学校、中学校、病院でそれぞれ1か月ずつ。ほかの実習も合わせて、本当にいっぱい行きました」

一番印象に残っているのは、小学校での教育実習だ。

そこでは、「保健室登校」と呼ばれている生徒のサポートにあたった。

「登校拒否ではないから学校には来られるんだけど、色々な理由があって教室に入れなかったり馴染めなかったりして、保健室や別室であればなんとか大丈夫、という生徒さんが、クラスに一人はいるんですよ」

「私が担当していた子はいじめが原因だったのですが、全員が全員そうだというわけではなくて、教室という密室空間が苦手だという子もいます」

そうした保健室登校の生徒と真摯に向き合っていたことで、実習が終わってからも学校から「これからもぜひ来てほしい」と声をかけられ、その後1年ほど、アルバイトのような形で小学校へ通い続けた。

「私が見ていた保健室登校の子が、6年生の卒業式の時に、最後にみんなと一緒に卒業できたんです」

式が始まる直前まで、生徒たちの列に加わるか迷っていたその生徒に、「行っておいで!」と声をかけ、背中を押した。

「それで、その子はみんなと一緒に並んで卒業式に出られたんです。その後お母さんと一緒に、『卒業できたのは先生のおかげです』って、泣きながら言いに来てくれました」

「先生っていうのは、やっぱりいい仕事だなって思いましたね」

 

<<<後編 2017/01/30/Mon>>>
INDEX

06 私って、レズビアンなのかも?
07 ようやく知った「好き」という感情
08 保健室を飛び出して
09 家庭や子どもがほしい
10 子どもたちの自尊感情を高めたい

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