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弱さを受け入れ 応援できる人間に【前編】

邪気のない、かわいらしい笑顔が魅力的。思わず「かわいいですね」と言ってしまったら、「うれしいです」と答えてくれた。さらには「カワイイって言われて、テニス部のマネージャーを頼まれたときも、ちょっと快感でした(笑)」とお茶目なエピソードも付け加えてくれた。かわいくてお茶目、それが下平さんの第一印象。しかし、やがて語られた言葉には鋭い視点と強い意志が満ちていた。

2015/11/25/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
下平 武 / Shimodaira Takeru

1992年、長野県生まれ。高校生で女性と付き合ったときに感じた違和感から、自分がゲイであると気づき、当時の彼女に自分がゲイであるとカミングアウトする。現在は都内の大学に通いながら、LGBT支援NPO法人での活動に奔走している。

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INDEX
01 人の弱さが許せなかった
02 幸せな家庭を築くという夢
03 元カノにカミングアウト、その後
04 LGBTの活動と大学生活
05 “成りたい人”になるために
==================(後編)========================
06 お父さんが撮ってくれた写真
07 世代で異なるLGBTへの反応
08 男らしさと女らしさの二択ではなく
09 マイノリティの複雑な問題
10 すぐ隣にいるストレートの人へ

01人の弱さが許せなかった

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アルコール依存症とうつ病と

「僕が幼いころから、両親は喧嘩ばかりしていました。母はアルコール依存症で、お酒を飲むたび父に辛くあたって……。母と一緒にいる時間が長かった僕は、罪悪感をもちつつも、父ではなく母の味方をしていました。そして、父は家を出て行ってしまったんです」

下平さんは、淡々と話す。聞いている側の感情をいたずらに刺激しすぎないようにとの配慮なのだろう。辛かっただろう過去を、まるで“普通のこと”のように話す。

お母さんの生家は家父長制をとる旧家。3人姉妹の次女だったお母さんは、婿養子を迎え入れた。それが下平さんのお父さん。そのため、離婚したときもお父さんの方が「出て行ってしまった」のだ。

そして、長野の伊那から東京へ引っ越して、お母さんと妹さんとの3人暮らしが始まった。

「両親が離婚したのが小学校1年のときだったから、東京に来たのは2年のとき。“新しいお父さん”が同居していた時期もあったんですが、母は相変わらずお酒を飲んでは暴れていたので、1年も経たないうちに出て行ってしまって。そして、僕も祖父母に引き取られ、母と妹と離れて暮らすことになってしまったんです」

アルコール依存症とうつ病に苛まれていたお母さん。しかし両親であるお祖父さんとお祖母さんは「そんなもの、なぜ自分の意志で止められないのか」と、理解を示すことはなかった。

お母さんとの永遠の別れ

やがてお祖父さんが白血病に倒れ、再発を繰り返し、いよいよ治療が難しくなったとき、お祖父さんが入院している伊那の病院に見舞いにきたお母さんを、皆で責めてしまったのだという。

そのころはうつ病が重くなっていて、会話もまともにできない状態だった。それが、周りには不遜だと思われたのだ。お母さんだって、現状を打開したいと思っていたはずだ、でも心と体を思うようにコントロールできない。

東京へと帰った、その日の夜、お母さんは自死を選んだ。

「母の弱い部分を許せなかったことが悔やまれます。あのとき、なぜ母を責めてしまったんだろうと。でも、だからこそ今、あらゆるアディクション(依存症)について学びたいんです」

お母さんはなぜアディクションに陥ってしまったのか。理解したい気持ちから、酒やタバコ、薬物の依存に関する問題にも取り組みたいと話す。

その後、お母さんが亡くなり、すでにお祖父さんが養子縁組を組んでいた下平さんに対して、親戚からの風当たりが強くなった。そんななか、改めて伊那で、お祖母さんと妹さんと3人で暮らすことになったのだ。

02幸せな家庭を築くという夢

付き合うって、どういうこと?

「『あなたは大変な思いをしたのだから、将来はきっと幸せになるんだよ』、それが祖母の口癖でした。結婚して、子どもを授かって、幸せな家庭を築くこと。それが、僕と祖母と妹の夢だったんです。でも思春期になって、胸がキュンキュンする相手がどうも違う。男性である自分は、女性のことを好きになるはずなのに」

違和感を感じつつも、吹奏楽部の活動に熱中していた高校3年生のとき、何人かの女子に告白され、そのうちの気の合う子と付き合うことになった。

毎日一緒に帰ったり、休日は遊びに行ったり、仲良く過ごしているなかで、周りの囁きが聞こえてくる。誰と誰がドコまでいったのか。

「男女のカップルのお付き合いは、僕たちみたいに他愛のない話をして笑い合って下校するだけじゃないんだということが、だんだんと分かってくるわけです。それを知ったとき、自分にはそんなお付き合いはできないと思ったんです。同時に、男性に対して感じるキュンキュンは恋愛感情なのだと認めざるを得ませんでした。でも、それは、結婚して家庭をもちたい、祖母にひ孫を見せたいという夢を放棄することを意味する。そんな、ささやかな夢までも叶えられないなんて。自分はなんのために生まれてきたんだろう。まさに絶望の縁へと落ちた瞬間でした」

自分の居場所が、どこにもない

彼女のことは、ひとりの人として本気で好きだった。彼女と付き合うことが無理なのであれば、もう他の女性と付き合うことは不可能だろう。でも、自分は男性が好きなのだと認めた今、このまま付き合いを続けるわけにはいかない。意を決して、別れを切り出した。

「受験勉強に集中するために別れよう」

本当のことは言えなかった。テレビのオネエタレントは常に笑われる対象であり、学校では男同士でじゃれ合っていると先生に「お前らホモか!」とからかわれる。ゲイである自分の居場所が、どこにもない。自分がゲイであることなんて、誰にも言えない。

自分以外にゲイっているんだろうか? いるとしたらオネエみたいな人? 結婚は諦めるしかないのかな? いろんな不安が出口のないままグルグルと頭のなかを巡っていた。

03元カノにカミングアウト、その後

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言ってくれてありがとう

受験勉強を口実に、彼女と別れた。しかし結局、ふたりとも揃って浪人生活を送ることになり、彼女からのメールが変わらず毎日届いていた。

「彼女にとっては、もともと釈然としない理由だったので、キッパリと別れられていなかったのかもしれません。これは、ちゃんと言わなくちゃと思い、はじめてカミングアウトを試みたんです。今度一緒に行くライブのことを、電話で打ち合わせするときに言おうと」

東京にいる彼女にカミングアウトして、万が一そのことが彼女以外の人にバレても、長野にいる自分が後ろ指を指されることはないだろう。そんな考えも背中を押してくれた。

「でも、なかなか言い出せなくて。最終的に、『悩んでいることがあるんだけど、なんだと思う?』って質問しました。本当のことを知ったとき、彼女がどんな反応をするのかを考えたら、冷や汗はダラダラ。『私の青春を返して!』なんて言われたらどうしよう……。でも、そう言われても仕方ない。否定的でも肯定的でも、彼女の言葉を受け止めるのが自分の責任だからと腹をくくりました」

彼女の反応は肯定的だった。

「言ってくれてありがとう。なんだか下平くんに近づけたような気がするよ」

そして、誰にも言えなかった辛い気持ちを一気に彼女に話すことができた。絶望の縁に落ちて死にそうだったことも、自分の居場所を見つけられずに苦しかったことも。

カミングアウトされた側の葛藤

その後、実際に心の距離がさらに近づいたふたり。連絡をとり合って、一緒に受験勉強をすることもあった。そのかいもあってか、次の春にはそれぞれの希望する大学に合格することができた。

自分以外にゲイっているんだろうか? 伊那で悶々としていた日々は終わり、東京での暮らしがスタート。大学のLGBTサークルにも入って、仲間もできた。

まさにキャンパスライフを満喫していた下平さん。しかし、対して彼女はカミングアウトを受けてから、葛藤を抱えていた。

元カレが実はゲイだった。彼のことを理解したい。だけど、誰にも相談できない。じゃあ、元カレ以外のLGBTに会いたい。そこで、LGBT支援NPOが主催するイベントに参加するようになったのだという。

あるとき、すっかりオープンになった下平さんは、友だちと一緒にレインボーパレードに参加した。パレードの終盤、沿道でレインボーフラッグを持って待っていたのは彼女だった。

「なんでここにいんの!?」

そのつながりから、下平さんのNPOの活動への興味も徐々に高まっていったのだ。

04LGBTの活動と大学生活

年齢不問、性別不問の成人式

NPOの活動を通して、自分のなかにもあった偏見に気付く。上京するまで、ゲイはみんな、テレビで見かけるオネエタレントのような人ばかりだと思っていた。当事者である自分ですらそうなのだから、社会にはLGBTに対する誤解も偏見もまだまだある。それを少しずつでも解いていけたら。

そして大学2年から、本格的にNPOの活動に参加するようになった。

なかでも力を入れているのは、LGBTが“成りたい人になる”ためのLGBT成人式。男性は袴、女性は晴れ着、決まったコスチュームを着るという風潮が残るセレモニーには、抵抗を感じるLGBTも多いという。そこで、年齢不問、セクシュアリティ不問の成人式イベントを開催しているのだ。

参加者はみんな、思い思いの装いで出席し、記念写真を撮る。ずっと引きこもり状態だったけれど振り袖を着て参加することができたという人がいた。成人式に出席することができ、生きていてよかったと自身のブログで書いた人がいた。ある人は赤飯を炊いてスタッフを迎えてくれた。またある人は泣いて喜んでくれた。

東京、名古屋、福岡、金沢、岩手……、成人式は全国各地で開催する。多いときは600名が参加してくれた。そして、下平さんの地元である長野でも。

浪人生のとき、いろんな不安が頭をグルグルと巡り、ときには世の中を呪いながら、受験勉強をしていた地元のマクドナルド。2年後、まさにそこで、成人式の打ち合わせをしている自分がいた。

広がっていく、地方とのつながり

自分自身、セレモニーが苦手だった。入学式や卒業式に両親が来てくれることもなく、式が終わるや否や、逃げるように帰っていた。家族で撮った思い出の写真はない。

でも、はじめて、この成人式の瞬間を写真で残したいと思ったのだ。

「長野にいるときは、LGBTという言葉さえも知らなかった。自分を表す言葉がなかったんです。東京はコミュニティがあるけど、地方では多いとは言えない。だからこそ全国を回って、東京から地方のLGBTにつながっていきたいと思っています」

イベントは徐々に拡大し、それがやりがいにもつながった。

「当時は、これをやりきったら死んでもいいという想いで、がむしゃらになっていました。それだけ、自分にとって成人式は重要なものだったんです。今も、その想いは変わりませんが、僕が無茶をしそうになったときに、心配してくれる恋人がいるので」

現在では、交際中のパートナーの存在が、生活のバランスを整えてくれているようだ。

05“成りたい人”になるために

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あなたが幸せなら、それでいい

下平さんが代表を務めている成人式イベントのテーマは、“成りたい人になる”。では、自身は自分の“成りたい人”になれているのか? そんな問いが頭をよぎることがあった。

「今まで自分を育ててくれた祖母に、僕が大学で何を学んでいるのか、どんな活動をしているのか、どんな友だちと付き合っているのか、話さないままでいいのか。でも、もしかしたら知らない方がいいのかもしれないという気持ちもあって……」

しかし、やはり黙っているわけにはいかないという気持ちが日に日に強くなる。

「本当のことを伝えて、本気で祖母にぶつかって関係を築くには、もしかしたら時間がないかもしれない。だったら早く言わなくちゃ。成人式の開催を控えた、このタイミングで」

家父長制をとる旧家で生きてきたお祖母さん。きっとセクシュアルな問題には保守的なはず。新聞や書籍など、LGBTに関する資料を用意し、まるでプレゼンするような気持ちで、自らが心血を注いでいる活動について、時間をかけて説明した。そして、最後に、自分がその当事者であると伝えた。

「あなたが幸せなら、それでいい。祖母は、そう言ってくれました。僕は誤解していたんです。毎日のように、結婚して家庭をもってほしいと言っていた祖母。それは、男なら女と結婚すべきという押し付けではなく、結婚して家庭をもった祖母自身が幸せだったから、僕にもそうなってほしいと、僕の幸せを願っていただけのことだったんです」

知らないって怖いことだね

お祖母さんはLGBTという言葉すら知らなかった。女性と結婚して家庭をもって子どもを授かることが幸せではない男性がいることを知らなかった。「知らないって怖いことだね、傷つけてしまったね……」、これは、お祖母さんの素直な気持ちだったのだろう。

「妹には、祖母に話す前に伝えたんです。あ、そうなんだ〜っていう反応でした。そうなんだ以外の感想がなくて逆にゴメン、とも(笑)。今は、僕の活動を応援してくれています」

苦楽を共にしてきた妹さんは、カミングアウトに驚く様子もなく、すんなりと事実を受け入れてくれた。現在は下平さんと同じく都内で暮らし、美術系の学校に通っている。

「妹は、絵が上手いんですよ!」、兄妹仲はとてもよいようだ。

後編INDEX
06 お父さんが撮ってくれた写真
07 世代で異なるLGBTへの反応
08 男らしさと女らしさの二択ではなく
09 マイノリティの複雑な問題
10 すぐ隣にいるストレートの人へ

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