クワロマンティックは「他者に抱く好意的な感情が、恋愛感情か否かを区別できない(区別したくない)」恋愛的指向です。私風に言い換えるなら「恋愛感情か友情か区別したくない」となります。でも「なんで私は区別したくないんだろう?」という問いが浮かんできました。今日はその問いに向き合ってみようと思います。
「恋愛感情か友情か」を分けようとする社会のなかでクワロマンティックの私が思うこと
私がこの問いに向き合う理由は、他人と「好きな人」や「付き合う・付き合わない」といった話をしても、どこか人ごとに感じてきたからです。同じ土俵には立てず、客席から大声を出している感覚。いつの間にか、そんなふうに無理をしてきたのかもしれません。
「恋愛感情としての好き」を他人に決めつけられるという違和感
異性の話をすれば、すぐ恋愛の話題に持ち込もうとする人っていますよね。
以前、NOISE記事『「好き=恋愛感情」は必ずしも成立しない。クワロマンティックの私が思う「好き=」の答え』でも書きましたが、すぐに恋愛感情じゃないか!? という展開になり、あれこれ聞いてきては「それが恋ってことだよ!」と決めつける。
「好き」という大きな空間にいる私の目の前に、突然大きな壁が降りてきて空間を2つに分けられてしまった。
気づいたら私は「恋愛的に好き」側に立たされている・・・・・・。そんな気持ちです。
「好き」を恋愛感情か友情か、どちらかにはっきり分けようとする空気ってありませんか?
私は、繊細な気持ちをそのように簡単に分けてしまうことに違和感があるんです。
告白しないことって「逃げ」なの? クワロマンティックとしての疑問
「好きな気持ちは伝えなきゃダメだよ〜」
たしかに、相手に対して抱いている感情を、その相手に伝えることは大切だと私も思います。
しかし、クワロマンティックの私にとって「どうにも区別しようのない好き」=「恋愛感情とも人としてとも表現し難い好き」を誰かに伝えるのは、とても難しいんです。
それに、こんな私の心の中を他人に説明してわかってもらうのも大変な気がします。
「自分の気持ちから逃げているだけだよ」「断られるのが怖いんでしょ?」という会話がよくあります。ただ、私がクワロマンティックだからか・・・・・・それは的外れ。
むしろ「告白は難しい」という考えは、自分の気持ちに誠実に向き合っているからこそ生まれるんです。
恋愛感情と友情を「区別しない」という選択の中で揺れる心
「区別しない」ことで、相手をそのまま受け止められる

「恋愛感情か友情か、区別しようがない」と言いましたが、最近は「区別しないほうが良いのではないか」とも思います。
相手を「恋愛対象」としてか、それとも「友達」としてか、はっきり区別しないことで、その人をそのまま受け止められる気がするんです。
コミュニケーションのなかで何を思うか、どう感じるか、何を伝えたいか、というおもいを大事にしたい。
何にも縛られずに、ただその人を真っ直ぐに大切にできる。
これが、クワロマンティックの私にとっての「誠実さ」な気がしています。
恋愛感情と友情を「区別したくない」を選びたい
クワロマンティックの私は、ときどき気がかりになることもあります。
「相手は私のことをどう思っているんだろう」「好意を持ってくれているんだろうか」とふと気になることもあるんです。
しかし、そこにあるのは「友情」か「恋愛感情」かという線引きではありません。
私にとっては「心の深いところのおもいを互いにやり取りしあえるか」が大切で、相手もそういうおもいを持ってくれていたらいいな〜と思うわけです。
そんなふうに心が揺れることもありますが、やっぱり私は「恋愛感情か友情か」で区別したくない。それが私なりの選択だと思っています。
クワロマンティックとして生きるうえで、他者とどうありたいのか
クワロマンティックの私は (仮)のつながりを大切にしていく

クワロマンティックの私は、誰かと親しくなったとしても友情か恋愛感情かをはっきり決めることができません。
むしろ、決めたくないと思っています。
つまり、私にとって他者とのつながりは、いつまでも(仮)なんです。
「(仮)のつながりを大事にしたい」という話は、こちらの記事で詳しく書いています。
(NOISE記事「全部(仮)でいい」。クワロマンティックのわたしを安心させてくれたドラマ『恋せぬふたり』の言葉)
こんなことを言うと、また「逃げ」のように聞こえるかもしれませんが、他者とどういう関係性でいたいかなんて、どんどん変わっていくものだと思うのです。
「(仮)であること」さえ忘れなければ、つながりの形は変わったとしても、関係を続けていくことができる。クワロマンティックとして私はそう思います。
「恋愛感情か友情か」よりも人と「どうありたいか」で生きたい
私にとって大切なのは、相手と「どうありたいか」という問いに誠実に向き合うことです。
やっぱり私は「恋愛感情か友情か」という二者択一に意味を感じません。
ありのままの私とありのままのあなた。
その間に生まれるおもいを、恋愛感情や友情という言葉に縛られずに分かちあいたい。
「区別しない」ことを心に持ちながら、一人ひとりとのつながりを築いていきたい。
これが、私が考えるクワロマンティックとしての生きかたなのかもしれません。


