02 閉鎖的な環境からの脱出
03 男らしくとか女らしくとか
04 エックスジェンダーという性
05 自分を否定することの辛さ
==================(後編)========================
06 この苦しみを繰り返したくない
07 初めての恋人はイタリア人
08 LGBTのサークルを立ち上げよう
09 カミングアウトするかしないか
10 仲間は身近にもいるんだよ
01リアルに人と関わる仕事を
就職活動を進めるなかで
現在、大学4年生。
来年には社会へと飛び立とうと準備をしている時期。
環境としても心情としても、大きく変わりそうな予感はしている。
「大学は新潟なんですが、就職は東京でと考えています」
「業界としては人材や教育がいいなと」
就職活動をスタートしたのは大学3年生の6月頃。
早めのスタートだと思っていたが、東京などの大都市部と比べてみると就職活動のスピードの差を強く感じた。
「グループディスカッションを実践したりとか、就活支援セミナーに参加したりとか」
「縁あって大学3年生の8月から、東京にある『賢者屋』でインターン生として働くことになったんです」
「賢者屋」とは “当事者による当事者のための居場所づくり” を理念として設立されたフリースペース。
「インターンの仕事の内容は社員と同じです。集客もするし、イベントのスタッフもします」
「僕は、さまざまな部署をサポートしつつ、主にLGBTのためのイベントの企画運営を担当しています」
2018年は、東京レインボープライドにも初協賛。
ブースの企画も担当した。
インターンの仕事がトレーニングに
現在も大学に在籍しているため、東京と新潟を毎週往復している。
時間もかかるし、体力も消耗する。
それでも、それらを上回るほどの価値ある経験が得られる。
「仕事は、ひとりでは決して完結できません」
「誰かの力を借りる必要があるので、その相手の状況を推し量って、プロジェクトを進めることを学びました」
例えば、イベントを開催するまでに告知用の広告を制作するなら、締め切りとなる日付から、デザイナーの作業時間やチェック時間を逆算する。
計画的にプロジェクトを進めるのは、どんな仕事でも必要なこと。
インターンでは、実践的なトレーニングも積めるのだ。
「人材や教育の仕事がやりたいのは、人と関わりたいから」
大学では、メディアが人に与える影響などについて学んだ。
そのルートを辿っていくと、出版や広告業界へとつながりそうだが、それは自分のやりたいことではなかった。
「もっと、リアルに、人と関わりたいと思ったんです」
「特に、学生向けや子ども向けの仕事がやりたいです」
“これから” という人の、道を照らすような仕事に興味がある。
02閉鎖的な環境からの脱出
ネットだけでは拾えない情報
生まれてから現在まで、自分を育んでくれた新潟という街。
冬の寒さは厳しいが、風光明媚で穏やかな風土だ。
海の幸と山の幸の双方に恵まれ、水が清らかなため米も酒も美味しい。
しかし、この地に根を下ろすつもりはない。
「ずっと住んでいて、すごく閉鎖的な部分を感じてました」
「地理的にも山に囲まれていて、冬は雪で閉ざされますし(笑)」
「情報やモノも、選べる範囲には限界があるんです」
ネット社会が進んでも、ネットだけでは拾えない情報もある。
リアルに人とつながって得られる情報の数に関しては、都会と地方では格段に差があるのだ。
「東京には、人とつながるチャンスがたくさんあります」
確かに、東京であれば、例えば新宿二丁目やLGBT関連の活動団体で、きっと自分と共感できるセクシュアリティの人とつながるチャンスはあるだろう。
そこからテレビやネットでは得られない情報と人脈が広がっていくはずだ。
他県に行く必要はない
「実家では、祖父母と両親、妹と弟の7人で暮らしています」
「特に祖母は、新潟で生まれ育って、新潟しか知らない人で、考え方が古いんですよね・・・・・・」
だからだろうか、進学や就職に関しても、「新潟ですればいい」「他県に行く必要はない」という考えを曲げない。
実は、大学受験時には新潟県外の大学も志望していた。
しかし、祖母の反対により、受験することは叶わなかった。
「一緒に住んでいるのは父方の祖父母で、母方の祖母は県外の大学のオープンキャンパスにも付いて来てくれて、応援してくれたんですが」
もちろん、家族のことは大切に思っている。
しかし、故郷を閉鎖的だと感じる原因は、この環境にあるのかもしれない。
「東京の企業に就職して、新潟には・・・・・・。今のところ帰るつもりはないです」
可能性を求めて、故郷を離れ、羽ばたきたい。
東京でのインターンは、大きな意味をもつ布石だと言えるだろう。
03男らしくとか女らしくとか
型に押し込められる窮屈さ
小学3年生から6年生まで、ミニバスケットのチームに所属していた。
「友だちに誘われて見学しに行ったら、いつの間にか(笑)」
「結果として3年間続けましたけど、窮屈に感じることがありました」
男らしくしろ! 男だったらできるはず!
古めかしいスポーツの世界では、たまに聞かれるフレーズだ。
言われるたびに違和感とともに、型に押し込められる窮屈さを感じた。
「男らしいとか女らしいとか、よく分からなくて」
どちらかというと大人しい性格で、男子と外でサッカーしたりドッヂボールしたりするよりも、女子と家のなかでごっこ遊びをしている方が楽しかった。
そのせいか、「女っぽい」「女々しい」とからかわれることもあった。
「からかわれても、どう反発したらいいのか分からず・・・・・・。ただただ言われっぱなしでした」
“男らしさ” という言葉に感じる違和感の正体。
それに気付いたのは中学1年生の時だった。
「うちの中学校には、2つの小学校に通っていた生徒が集まっていて」
「僕とは別の小学校からやってきたクラスメイトの男子のことが、すごく気になっていたんです」
ホモってどういう意味?
ある時、その男子とふざけてじゃれ合っていたら、それを見ていた女子から小さな紙切れを手渡された。
開けてみると、小さな文字で「ホモですか?」と書かれていた。
“ホモ” って何だろう?
初めて聞いた言葉だった。
どう答えていいか分からず、その紙を彼に手渡した。
「そしたら『違う』って言うから、僕も話を合わせました」
「でも、ホモってどういう意味なんだろうって気になって」
ネットで調べてみたら、“男性同性愛者” とあった。
男性が好きな男性のことであると。
「その言葉を知り、自分はそうなのかもしれないと思った時、否定や葛藤はありませんでした」
「あぁ、僕は男性が好きなんだ、と」
「彼のことが気になるのは、恋だったんだと気付きました」
自分が “男性同性愛者” であるという事実に納得はした。
しかし、自分がマイノリティであることに気づき始め、苦しみが始まった。
「みんなが、クラスの女子のなかで誰が好きかって話をしていて、僕だけまったく話が合わないとか」
本当に好きな人は、女子ではなく男子だった。
打ち明けることはできず、その話題になる度に、クラスで人気のある女子の名前を挙げて、ごまかしていた。
その “ごまかし” が自分を否定しているようで、辛かった。
04エックスジェンダーという性
中学校のスクールカウンセラーに
「自分が性的マイノリティであることを、誰にも言えなくて苦しかったです」
ずっとひとりで悩んでいた。
故郷の街は広くない、ましてや中学校のコミュニティは狭い。
「そのなかで生きていくには、自分を抑えて、周りに歩調を合わせなければいけないって、思ってました」
しかし、歩調を合わせるために、つかなければいけない嘘やごまかしが、自分を容赦なく傷つけた。
そうして、救いを求めた先が、中学校のスクールカウンセラーだった。
「3年生の9月から、2週間に1回のペースで通っていました」
「初めは、なかなか自分から言い出せなくて」
どんなことで悩んでいるの? 勉強のこと? 恋愛のこと?
質問を続けてもらって、やっと言い出すことができた。
そのカウンセラーは、他校にも務めていたこともあり、自分以外にも性的マイノリティの生徒がいるのだと教えてくれた。
だから「ぜんぜん大丈夫だよ」と。
自分は女性か男性か
「誰かに話せたことで安心しました」
2週間に1回の、たった30分間。
「まったく何も話さない日もあったけど、その30分間は、僕にとっては貴重な “何も考えなくてもいい時間” だったんです」
家にいると家族に言えない後ろめたさを感じ、学校にいるとクラスメイトのなかで疎外感を感じる。
自分を受け入れてくれる人と一緒にいる時間だけは、後ろめたさも疎外感も感じず、何も考えなくてよかった。
「家族や友だちには、打ち明けたあとに関係が変わってしまうのが嫌だから言えませんでした」
「だけど、カウンセラーは普段の生活ではつながりがないから、打ち明けることができたんだと思います」
自分を受け入れてくれる人、安心できる場所には巡り合うことができた。
しかし、自分が何者であるかということはぼんやりとしたままだった。
「男性同性愛者という言葉を知って、さらにネットでトランスジェンダーの存在なんかも知って」
「でもオネエタレントと自分は違うなぁ・・・・・・って、よく分からなくなってしまって」
自分が男性を好きなことは事実だ。
でも自分は、女性になって男性と恋愛がしたいわけではない。
でも、自分が男性であることにこだわりはない。
自分は男性か女性か、どっちなのだろう。
「高校生の時に、エックスジェンダーという存在を知りました」
「男でも女でもない、というところが、すごくしっくりきたんです」
男性としての自分の体に、強い違和感があるわけではない。
しかし、男性としても女性としても、それぞれの身体的特徴はなくていい。
つまり中性あるいは無性というセクシュアリティだ。
「でも、手術をしてまで特徴をなくすことは考えていません」
「周りの人が自分を、そういう性だと扱ってくれるだけでいいんです」
自分が何者であるか。
その答えが分かった時、またひとつ苦しさが溶けていった。
05自分を否定することの辛さ
打ち明けられない恋心
高校に進学して初恋の相手とは別々になってしまったが、新たな出会いがあった。
高校1年生の時に、同じクラスになった男子。
お互いに数学が得意で、数学の授業について話しているうちに仲良くなった。
「1年の秋くらいまでは普通に友だちだと思っていました。でも、そのうち、気付いたらずっとその人のことを考えていて」
「もしかして、好きになっちゃったのかなって」
自分の気持ちに気付いてしまってからは、頭のなかは彼のことばかり。
今、何しているのかな。そろそろ部活に行く頃かな。
しかし、恋心を打ち明けることはできない。
「今までと変わらない、友だちとしての関係を続けようとしました」
しかし、2年生になって状況が変わった。
「クラスのメンバーが入れ替えになって、その人は僕といるよりも新しくできた友だちと過ごす時間が増えてしまって」
「もしかしたら自分は嫌われちゃったのかもしれない、と思って、自分から彼と距離をおくようになったんです」
恋心を打ち明けられない苦しさから自信を失い、自分は嫌われているのだと、思い込むようになってしまったのかもしれない。
それからは、同じクラスにいながらも、言葉を交わすこともなくなった。
次第に、彼だけではなく、他のクラスメイトとの関わりも避けていった。
その頃が、自分をもっとも否定していた時期だった。
「なんで同性を好きになっちゃったんだろうとか、なんで生まれてきたんだろうとか」
「好きになった相手が異性なら、こんなに苦しむこともないのにとか」
「同性を好きになる自分は、変なんだ・・・・・・とか」
学校では誰とも関わらずに授業だけを受けた。
家に帰ったら、ずっと自問自答を続けていた。
「女子力高い」という賛辞
心を閉ざしていた高校時代。
「せめて普段の生活と関わりのない誰かと、オープンに話したい。
そう思って、友活や恋活のアプリを利用することもあったが、新潟ではLGBT当事者とつながることもできなかった。
「アプリも救いにならないし、ひたすら勉強ばかりしてましたね(笑)」
「あとは、お菓子づくり」
小さな頃から、母のお菓子づくりを手伝うのが好きだった。
そして高校生になってからは、自分で材料を買ってきて、クッキーやロールケーキを焼いていた。
好きだった彼をはじめ、周囲とは距離をおいていたが、お菓子をつくって学校へ持って行くこともあった。
「僕がお菓子をつくって来ることで、からかうような人はいませんでした」
「みんな、美味しいとか女子力高いとか言ってくれて」
「クラスの女子から、バレンタインデーにお菓子つくって来てってお願いされるくらいでした(笑)」
お菓子づくりは、ささやかな息抜きでもあり、周囲との接点だった。
授業、生徒会、部活、お菓子づくり・・・・・・、何かに向き合っていない時は、常に自分と向き合っていた。
なんで生まれてきたんだろう、と自問自答しながら。
<<<後編 2018/07/02/Mon>>>
INDEX
06 この苦しみを繰り返したくない
07 初めての恋人はイタリア人
08 LGBTのサークルを立ち上げよう
09 カミングアウトするかしないか
10 仲間は身近にもいるんだよ