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Writer/遥

恋人だけが特別じゃない。レズビアンの私が「友達についてののろけ」を聞きたい理由

恋人ののろけ話はよく聞くのに「友達ののろけ話」はあまり聞きません。レズビアンであり同性のパートナーと暮らす私ですが、恋愛だけが特別扱いされる社会に、違和感を覚えています。クィアの友達、異性愛者の友達と関わるなかで見えてきた、恋愛以外の多様なつながりについて考えていきます。

友情が「恋愛の下位互換」にされてしまう社会で。レズビアンの私が抱く違和感

私はレズビアンで、これまで数人の女性と恋愛関係を結んだ過去があり、現在は同性のパートナーと暮らしています。このように、私は恋愛感情のある人間ですが、日常のあちこちで「恋愛だけが特別扱いされている」ように感じる瞬間があり、そのたびに胸の奥に小さなざわめきが生まれます。

レズビアンコミュニティにもある? 「恋愛が最上位」という前提が作る壁

異性愛規範の社会では、恋愛が人生の中心に置かれがちです。恋人がいることが「成熟」や「安定」の象徴として扱われ、友情やそのほかのつながりはどうしても脇に追いやられてしまう印象です。

しかし、この恋愛至上主義のような空気は、実はレズビアンコミュニティのなかにも存在していると感じます。

たとえば、食事や飲みの場では高確率で恋愛や恋人の話題があがります。

近年は恋愛をしない、必要としない人が増えていることもあり、以前よりも恋愛至上主義的な空気は薄まっています。それでも「今、誰か気になる人はいるの?」「パートナーはできた?」という質問が、挨拶のように交わされる場面に遭遇することはめずらしくありません。

そのなかで、レズビアン当事者が恋人のいない自分自身をどこか卑下したり、恋人がいない人に対して「何か問題があるのでは」と、勘繰ったりするケースも少なからずあります。

恋愛をしているかどうかが、その人の魅力や成熟度の指標のように扱われてしまうのです。
これは、異性愛規範の社会でよく見られる「恋人がいないと半人前」という先入観とよく似ています。

恋愛をしていない人が説明を求められたり、恋愛を望まない人が「異端」として扱われたりする構造が、そのままコミュニティの内側にも持ち込まれてしまうのだと思います。

友達との関係が軽視される社会構造

多様性がうたわれる現代社会ですが、恋愛関係を最優先に置く風潮がいまだに深く根づいていると感じます。

冠婚葬祭の同伴者は「配偶者」や「恋人」であることが当然とされ、長年支え合ってきた友達はその枠に入りにくいままです。

「ふたり入居可」の物件の入居審査でも、男女のカップルは歓迎されますが、友達同士の同居は不安定と見なされがちです。同性カップルの入居ハードルもいまだに高い傾向にありますが、友達同士の場合は、また異なるハードルがあると感じます。

こうした制度や慣習が積み重なることで、友情は恋愛よりも軽いものだという印象が無意識のうちに形成されていきます。

実際には、恋愛とは別の軸で深く結びつき、人生を支え合う友達関係がたくさん存在するにもかかわらず、その価値は社会のなかで十分に認められていません。(関連記事はこちら NOISE:冠婚葬祭と同性カップル。パートナーと同伴する? しない?

恋愛前提の社会が排除してしまう多様な人たち

恋愛をすることを当然の前提する社会では「クワロマンティック」や「アロマンティック」などの存在が透明化されてしまっています。

クワロマンティックは「恋愛感情」と「友情」を区別できない(したくない)恋愛的指向です。アロマンティックは他者に恋愛感情抱かないセクシュアリティです。

私の友人のなかにも、クワロマンティックやアロマンティックの当事者がいます。彼女、彼らは、恋愛中心の社会では「恋人がいない理由」を求められたり「いつかは恋愛するはず」と期待されたりすることが少なくないといいます。

恋愛を基準にした価値観が強いほど、多様なセクシュアリティや生き方は見えづらくなるのでしょう。

恋愛をする人もしない人も、同じように尊重される社会であってほしいと感じます。

レズビアンの私が見てきた、恋愛以外のパートナーシップ。友達が人生の伴侶に

私はクィアの友達や異性愛者の友達など、さまざまな人と関わるなかで、恋愛とは別の絆でつながっている関係をいくつも見てきました。恋愛だけではない、パートナーシップのあり方について触れてみたいと思います。

レズビアンの私のまわりにいる「友達をライフパートナーとして暮らす人」

私のまわりには、恋人を必要としない友達同士(どちらも過去に異性のパートナーがいた)で生活をともにし、家事や家計を分担しながら互いを支え合っているふたりの女性がいます。

恋愛感情はなくても、ふたりの間の信頼感や安心感は家族に近いものであり、周囲からも自然と「ふたりは家族」と認識されています。

さらに、私の古くからの知り合いには、数十年にわたり女性同士で暮らしている方々がいます。一方が働き、一方が家事を担うという形で役割分担をしながら、静かに生活を支え合ってきたふたりです。

彼女たちは「恋愛をしないと誰かと暮らせない」という前提に縛られず、自分たちにとって心地よい関係を選び取ってきました。

社会制度はまだ追いついていない部分が多いものの、こうした友情ベースのパートナーシップは確かに存在しています。恋愛以外にも深く結びつく生き方があることを、私は彼女たちから教わりました。

そして、その姿は「関係性の豊かさは恋愛だけでは測れない」という、当たり前のことを思い出させてくれます。

クワロマンティックやアロマンティックの友達が教えてくれたこと

同性のパートナーと9年暮らしている私にとって、クワロマンティックの友達が語る「大切な人との関係性」は、どこか自分にも重なる部分があります。

私は恋人を恋愛的に好きだけれど、同時に「戦友」のように感じる瞬間も多く、恋愛と友情の境界が曖昧な感覚は、彼女たちと遠く離れているとは思えません。

一方、アロマンティックの友達は、恋愛を挟まないからこそ大切に思っている人に対して、どこかで距離を置いてしまうと話してくれました。「友達にできるのはここまで」と、自分の側に境界線を引いてしまう感覚があるのだと。

彼女が距離を置いてしまう背景には、恋愛を中心に据える社会の価値観が、無意識のうちに影響しているのかもしれない。そう思った瞬間、かつての自分にもまた、恋愛を特別視していたのではないかと気づき、反省しました。

以来、私は誰かの関係性を恋愛かどうかで測るのではなく、その人がどんなつながりに安心や誇りを感じているのかに、耳を澄ませたいと思うようになりました。

友達は、恋人とは別の軸で大切

私にとって、友達はパートナーとはまったく別の軸で大切な存在です。

パートナーには話しにくいことを、友達には自然に打ち明けられる瞬間がありますし、私を「パートナーありきの私」ではなく、ひとりの人間として見てくれることに、どれほど救われてきたかわかりません。

友達との関係は、恋愛の延長でも代替でもなく、まったく別の場所で深くつながっている感覚があります。パートナーの「下位互換」ではなく、別の価値を持つ関係として成立しているのです。

私は恋愛とは別の軸で支えてくれる彼女たちとの関係性を、これからも大切に育てていきたいと思っています。(関連記事はこちら NOISE :レズビアンの私と男友達。フラットな関係を保つための距離感

もっと「友達ののろけ話」を語れる社会になってほしい

私の人生を支えてくれるのは、パートナーだけではありません。友達の存在も、私の人生を構成する大切な一部です。だからこそ、もっと自然に「友達の話」を語れる社会であってほしいと感じています。

「のろけ=恋愛」という固定観念をほどく

本来「のろけ」は、恋人や配偶者について得意げに語ることや、ほれることを指す言葉です。とはいえ、恋人ではなくても「こんな素敵な人がいるんだ」と誰かを誇らしく語ることは、ごく自然だと私は感じています。

「のろけ=恋愛」という固定観念をほどくには、まず私たち自身が「友達との嬉しいできごと」を、恋愛の話と同じ温度感で語ることから始まるのだと思います。

たとえば、友達が自分のために時間を割いてくれたこと、何気ない言葉に救われた瞬間、ただ一緒に笑い合えた日のこと。そうしたできごとを共有するだけで、周囲の価値観は少しずつ変わっていくと思います。

私が聞きたいのは「あなたの大切な人」の話

友達と会うとき、私が知りたいのは恋人の有無ではなく、その人が誰と、どんな関係性のなかで日々を生きているのかということです。

恋人でも、友達でも、家族でも、名前のつかない関係でもいい。

友達が「この人がいてよかった」と思える相手とのつながりが、どんなふうにその人自身を形づくっているのかを聞きたいのです。

恋愛を中心にすえる社会では、のろけ話は恋人の話題に限られるような空気があります。しかし実際には、友達の一言に救われたり、家族の存在に背中を押されたり、恋愛とは別の軸で人生を支えてくれる人がいるはずです。

ただ同時に「人間は必ずしも、親密な誰かを持たなければならない」わけではないとも思います。ひとりでいることが心地よく感じる人もいて、その生き方もまた尊重されるべきです。

だから私は、恋人ののろけでも、友達ののろけでも、ひとりで生きる心地よさでも、その人が大切にしている人・ことの話を聞きたいと思っています。

関係性の自由は、生き方の自由につながる

私たちの社会では、パートナーシップ制度や婚姻が「恋愛関係であること」を前提に設計されています。

しかし、人生をともにしたい相手が恋人とは限りません。

友達同士で暮らす人もいれば、家族のように支え合う関係や、名前のつかないパートナーシップで結ばれる人もいます。

そうした多様な関係性が制度の外側に置かれてしまう現状には、どうしても納得できません。

恋愛以外の選択肢がもっと当たり前に認められ、恋愛関係ではないふたりも守られる社会であってほしい。誰と、どんな形で人生を組み立てるかは、その人自身が決めていいはずです。

関係性の自由が広がることは、生き方の自由が広がることでもあります。私たちひとりひとりが、自分にとって心地よい関係を選び取れる未来を願っています。

 

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