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トランスジェンダーの看護師が目指す、複合マイノリティが生きやすい社会【前編】

「ダブルマイノリティだからこそ、孤立しやすい現状があることを話したい」と、自らインタビューに応募してくれた浅沼智也さん。相手をまっすぐに見つめ、快活に話す姿からは想像できないが、10代の頃は「自分が何者かもわからず、毎日死のうと考えていた」という。その苦しみを乗り越えて、看護師として働くいま、浅沼さんが伝えたいこととは? じっくり耳を傾けた。

2018/05/11/Fri
Photo : Rina Kawabata Text : Sui Toya
浅沼 智也 / Tomoya Asanuma

1989年、岡山県生まれ。18歳まで総社市で過ごした後、関西の短大に進学。24歳のときに上京。歌舞伎町のショーパブ、その他の仕事を経験した現在は、都内で看護師として働く傍ら、ゆめのたね放送局ラジオ『虹色ジャ~ニ→』のパーソナリティや、ダブルマイノリティ、トリプルマイノリティである人々のサポートをする自助グループ「カラフル@はーと」を主催している。

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INDEX
01 自由気ままな幼少時代
02 理想の女の子像
03 自分は、女だったんだ
04 どこにでもいる女子高生を演じた
05 限界の訪れとトランスジェンダー
==================(後編)========================
06 母への手紙
07 自暴自棄と借金
08 アウティング、うつ病の発症
09 再び看護師の道へ
10 悩む人にどう接すればいい?

01自由気ままな幼少時代

活発でやんちゃな子

小さい頃は、よく言えば活発、悪く言えば何をしでかすかわからない子どもだった。

皆に驚かれるようなやんちゃをすることも多かった。

「幼稚園のとき、眉毛を全部剃ったことがあります。理由は覚えていませんが、皆に騒がれたのは覚えていますね」

「丸太から滑り落ちて、用水路で溺れかけたこともあります」

一人っ子のせいか、自由で気ままなところもあった。

「近所の子たちと皆でかくれんぼをしているのに、途中で家に帰っちゃうような子どもでした」

「隠れているのが面倒くさくなって、家に帰ってお菓子食べていたら、一緒に遊んでいた子たちが『何してんの?』って探しに来ましたね(笑)」

男子からモテる人気者

小学校は1学年1クラス。

男女合わせて20人の同じメンバーで、1年生から6年生まで一緒に過ごした。

「6年間一緒なので、同じクラスの子は皆仲がいいんです」

「男だから女だからという壁もなくて、皆でサッカーをしたり野球をしたりしていました」

クラスの中では「男子にモテる存在」だった。

「クラスで一番モテていたと思います(笑)。よく告白をされていました」

初恋は小1のとき。

相手は登校班が一緒の、小6のお姉さんだった。

「毎朝、同じ地区の子たちと公民館みたいなところに集合して、学校に向かうんです」

「田舎なので、学校まで30分くらいかかっていました。6年生が先頭で、1年生がその後ろにつくんです」

「きれいなお姉さんに、僕はついて歩いていたんですよ」

「身長が高くて、広末涼子みたいな感じでした。すごいいいなとか思って、お尻を見ながら歩いていました(笑)」

やんちゃをして、列を乱しても、そのたびに毎回「何してるの?」と連れ戻しに来てくれる。

構ってくれることが嬉しかった。

02理想の女の子像

男の子への初恋

「僕がセクシュアリティの自覚が遅かったのは、今思えば性的指向が両方だったからなんですよ」

初めて男の子を好きになったのは、小学校4年生のときだった。

転校してきた男の子に恋をして、相手も自分のことを好きになってくれた。

両想いの男の子と、ほかの悪い仲間と一緒にタバコを吸ったこともあった。

「なんか面白そう」「大人の世界だ」というような、興味本位の行動だった。

しかし、それを他の子に告げ口されて、親に怒られる。

母親には「私は仕事を辞めて、あなたのそばにいます」と宣言された。

女の子の服には抵抗があった

母親には「女らしくしなさい」と、しょっちゅう言われていた。

なかなか子どもができず、苦労したこともあり、母親は「こうあってほしい」という願望を、僕に押し付けることも多かった。

「なんで自分ばっかり、という気持ちがありました」

「例えば近所の男の子と一緒に遊んで、服を汚して帰ってくると『あんたは女の子のくせに汚い格好して』と僕だけ言われるんですよね」

「他の子も同じように泥だらけになっているのに、自分だけ怒られるのは納得いかないと思ったこともありました」

女の子らしい服を着せられることにも抵抗があった。

「母はフリルやリボンのついた『メゾピアノ』の服が大好きだったんですけど、僕はすごく嫌でした」

しかし、自分からは着ようと思えなかった。

03自分は、女だったんだ

初潮の血を見て「死ぬ!」と騒いだ

小学生の頃は、男とか女という概念をあまり意識せずに過ごしていた。

一人っ子だから、男兄弟の体を見る機会もなく、保健の授業もどこか人ごとのように聞いていた。

「胸が膨らむとかそういうことを、自分のことだと思っていなかったんです」

「ナプキンってキャンディーみたいに巻くんだ、みたいな(笑)。僕には関係ないな、大変そうだなみたいな感じで聞いていたんですよ」

違和感を覚えることが多くなったのは、中学生になって胸が膨らんできてから。

「中1のときに生理がきましたが、そのときは生理を知らなかったんです。ある日突然お腹が痛くなって、急に血が出てきて」

「僕はそのときに、死ぬと思ったんです」

「血が止まらなくて、これは死ぬと思い『おかん、やばい。死ぬかもしれん』とトイレから大きい声で母親を呼びました」

「そうしたら『生理だよ』と言われました」

その夜は赤飯を炊かれ、喜ぶ母親の正面で、めそめそ泣いたことを覚えている。

自分が女だということを突きつけられた気分。

母親からは「子どもが産めるようになるんだよ」と言われたが、自分が女であることが、ただただショックだった。

胸にガムテープを貼っていた

中学校ではテニス部入った。

小学生のときは男子からモテたが、中学生になってからは、他の学校の女子からモテるようになる。

「フェンスの外から、女の子が応援をしてくれるんですよ。それで人気度がわかるんです」

「僕は県大会とかに出ていたこともあって、他校の女子からモテていました(笑)」

他校の女子と付き合ったこともある。

本気ではなく、遊びで付き合うというのが仲間うちで流行っていたのだ。

テニス部の仲間の中にも「女の子が好き」と言って、他校の女子と付き合っている子がいた。

しかし、その子にさえ、自分の体の違和感を話すことはできなかった。

「生理がきっかけで、自分の体に嫌悪感を持ち始めました。胸は当時、ガムテープで潰していましたね」

「胸が膨らんでくるときって胸が痛いじゃないですか。それも嫌だったし、とりあえず成長を止めたかったんですよ」

胸の膨らみが目立たないように、なぜかガムテープを選んだ。

「はがすときは痛いし、汗が出るとかぶれちゃうんです。でもコルセットとかを使って、親に不審がられるのも嫌でした」

男子からのいじめ

友だちに体のことを打ち明けられなかったのは、いじめられるのが怖かったからだ。

当時、一部の男子からはいじめを受けていた。

「負けん気の強い性格だったし、女の子に抱きついたりしていたのも、男子から反応がよくなくて」

「英語のノートに『バカ』『死ね』と書かれていたり、机にいっぱい足跡がついていたりしました」

立ち向かおうと思っても、体に違和感があることで、「自分が普通じゃないから悪い」と、どこか卑屈になってしまう部分があった。

気持ちはふさいでいたが、相談できる友だちも兄弟もいない。

親にも迷惑をかけたくないと思った。

誰にも言わずに1人で耐えるしかなかった。

04どこにでもいる女子高生を演じた

誰にも怪しまれないように

高校に進学してから、体の違和感はさらに増した。

男子からのいじめも相変わらず続き、次第に保健室と教室を行き来するようになる。

「高校では、中学の頃に使っていたサイズの小さいブラを使って、胸をなるべく潰すようにしていました」

「ブラを使わないで洗濯に出すと、なぜか母親にバレるんですよね(苦笑)」

「それに、母親がちょっと怪しんできていたんですよ。『最近、好きな子いるの?』とか『学校どう?』とかしょっちゅう聞いてきて」

「今思えば、何かおかしいと疑っていたのかもしれません」

高校では化粧をすることもあった。

親に不審がられないように、学校で男子にいじめられないように、女の子を演じようと懸命に頑張っていた。

自分自身が女であることを受け入れれば、体の違和感も治まるのではないかと思ったのだ。

「ナチュラル系の女子高生を演じていました。当時は全部、ギャグだと思えばいいと考えていましたね」

「化粧をするのも、男の子でも化粧をしている人がいるからいいか、みたいな感じだったんです」

「自分が何者かもわからないし、とことん演じきろうと思っていました」

フェイクの恋人

高校生の最大の関心事といえば、恋愛だ。

当時、同じ学校の男子と付き合った。

「男子からはいじめられていたし、本当は向き合いたくなかったんですよね。自分の体を触られるのもすごく嫌だったし、女として見られるのも耐えられませんでした」

「でも、好きな相手がいないと、友だちと恋愛話になったときに自分だけハブられるんですよ」

友だちに怪しまれるのは困る。

そこで、無理矢理相手をでっちあげて、好きでもない男子と付き合うことにした。

しかし、やはり長くは続かなかった。

「その彼と、手はつなぎました。でもそれ以上のことになると・・・・・・。自分を女として認識しないといけませんよね」

それがすごく嫌だった。

自分が相手に女として見られるのが、耐えられなかった。

死ぬことばかり考えていた

中学生から高校生にかけては、毎日死ぬことばかり考えていた。

「朝、今日1日頑張ったら死のう、と思って起きるんです」

「でも夕方になると、明日も生きてみたいなと思う。10代の頃は、そうして日々をつないで生きていました」

自分の体のことを考えると、気がふさいで仕方なかった。

中学生の頃から、人に気付かれない箇所にリストカットを繰り返す。

「でも、リストカットをしても痛くなかったんですよ。それはもしかしたら、自分の体じゃないと考えていたからかもしれません」

自分の体のことを、誰かに話すのは怖い。

変な人だと思われて、自分の居場所がなくなってしまうと思った。

「体に対しては、相変わらず違和感はあったけど、自分が変わればきっとこのモヤモヤはなくなるだろうと思っていました」

「普通を演じていたらいじめられずに済むし、そのうち自分の居場所が見つかるかもしれないと期待もしていました」

05限界の訪れとトランスジェンダー

保健室で泣き崩れた

どこにでもいる女子高生を懸命に演じていたが、高2のとき、ついに限界がきた。

いつものように保健室登校をしていたとき、ふいに泣き崩れて歩けなくなったのだ。

そのとき、話を聞いてくれたのが新人の養護教諭の先生だった。

体に違和感があったが今まで誰にも言えなかったこと。
親は女としての自分に期待をしていること。

せきを切ったように話し始めた。

「言葉にならないくらいの感情が溢れ出てきました。その先生だから言えたというよりは、誰か大人に聞いてほしかったんですよね」

「若い新人の先生だったらいいかなと思って。もしその先生に拒否されたら、もう人生を終わらせてもいいなって。そんな覚悟で言ったんですよ」

伝えた内容は支離滅裂だった。

しかし養護教諭の先生は、そんな話をひたすら聞いてくれた。

「性同一性障害や特例法について、ネットで調べて教えてくれたんです」

「性同一性障害というものがあると知って、心が楽になりました。自分だけじゃないって」

「今まで朝から晩まで重たかった気持ちが、スーッと楽になって」

自分が何者か、わかったような気がした。

性同一性障害の自分は、もう家にはいられない

今まで育ててくれた親を悲しませたくない。

でも、もう女性として生活するのは嫌だった。それなら家を出るしかないと思った。

高校卒業後は県外に出ようと決心する。

小さい頃から正義感が強く、誰かを守りたいという気持ちがあった。

そのため警察官になろうと思ったが、身長が基準に満たず、体力測定は受けたものの結局落ちてしまった。

この先どうしようか考えていたときに、「人の役に立ちたいなら、看護の仕事が向いてるんじゃないの?」と進路指導の先生がアドバイスをくれた。

「奈良にある女子短大の看護専攻を受けることにしました。もともと関西に出たいと言っていたこともあり、親の同意も得られました」

短大に合格し、奈良県で一人暮らしを始めることになる。

それは、新しい生活の始まりであり、自分のセクシュアリティと向き合う苦しみの始まりでもあった。


<<<後編 2018/05/13/Sun>>>
INDEX

06 母への手紙
07 自暴自棄と借金
08 アウティング、うつ病の発症
09 再び看護師の道へ
10 悩む人にどう接すればいい?

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