わたしは最近「パートナーがほしい」と思うようになりました。「人生をともに歩む」という意味のパートナーがほしい。わたしはこれまで ”好き” の正体がはっきりしない以上、パートナーという存在を望んじゃいけないんじゃないか、そう思ってきました。それでも今「パートナーがほしい」と感じています。
クワロマンティックとして生きてきたわたしの「パートナー」という言葉の認識
クワロマンティックは「他者に抱く好意的な感情が、恋愛感情か否かを区別できない」もしくは「恋愛感情と友情を区別したくない」と説明される恋愛的指向です。わたしは、自分をクワロマンティックだと思っています。(関連記事はこちらNOISE:クワロマンティックの私が、恋愛感情と友情とを分けたくない理由)
クワロマンティックのわたしは「好き」をよく理解できなかった
わたしはクワロマンティックです。これまでの記事でも書いてきましたが、恋愛感情と友情の区別がはっきりわかりませんし、わからないまま生きていこうと思って生きています。
わたしはこれまでずっと「恋人」という関係がピンときませんでした。
誰かのことを素敵だと思ったり、もっと話したい、一緒に時間を過ごしたいと思ったりすることはあります。でも、その感情が恋愛なのか友情なのかは、自分でもよくわかりませんでした。
なので、これまでの人生で「パートナーがほしい」と思うことはまったくありませんでした。誰かと深く関わりたい気持ちはあっても、それを「パートナー」という関係性にしようとは考えてこなかったんです。
パートナーができる、という想像ができなかったクワロマンティックのわたし
パートナーを求めたことのないわたしは、自分の人生に「パートナーができる」ということも、現実的に想像したことがありませんでした。
クワロマンティックであると自覚する以前から「この先、誰かとパートナーになることはできないんじゃないか」って思っていました。それに、恋愛感情と友情の区別がわからないわたしにとって、好きな人とパートナーになるという展開は、まるで別世界のもののようだったからです。
でも、クワロマンティックのわたしにも「好き」という感情はあります。それは、恋愛感情なのか友情なのかは関係なく、他者のことを好きになるという意味です。
パートナーなんてできそうにないけど、誰かと一緒に生きていきたいとは思っている。この矛盾した気持ちをどこにぶつけたらいいのだろうか・・・・・・。
かつてのわたしはそんなふうに思っていました。
クワロマンティックのわたしが「パートナー」を望めなかった根源的な理由
これまでのわたしは「いい人であること」を最優先にして生きてきました。
いい人であることを最優先にしてきた

人を傷つけないこと
感情をぶつけないこと
相手の事情を優先すること
冷静で動じない大人として振る舞うこと
人として正しくあること
それがわたしにできることであって、誰に対しても貢献できることだと思ってきたからです。それは、男性らしく振る舞うとか、相手の気持ちを察することが得意ではないわたしが、せめてできることとして、頑張ってきた心がけでもあります。
さらに、人と接するなかで、できるだけ相手の感情を荒らさないようにしてきました。
さみしくても、悲しくても、それを出さない。そして、わがままだと思われることも避けてきました。わがままを出せば、関係が壊れてしまうかもしれない、相手を傷つけるかもしれないと考えてきたからです。
でも、わがままを出さない関係は「何を考えているかわからない」「本音で関わってもらえていない」と、相手に感じさせてしまうこともあるのだと、今は思います。
そんなふうに相手を尊重して、自分ができる振る舞いを最大限していくことが愛だと信じて疑いませんでした。でも今は、本当の意味で愛するには、まず自分のことも尊重してあげることが必要なんだろうと思っています。
誰かと深い関係になることを自分に許してこなかった
誰かと深い関係になるのが怖い。
なぜそのおもいが出てくるのかを考えました。思い起こすのは、友達とメッセージのやりとりをしているときのことです。
「相手との今の関係性にしては、ちょっと踏み込んだことを言っちゃったかもしれない」となることがよくありました。
そんなときのわたしは「また失敗しちゃった」「自分ってダメだな」とすぐ落ち込んでいました。さらには「一回の失敗で関係が壊れてしまうのかもしれない」「だからミスれない」と思っていて、失敗が怖くて、やりとりすること自体に怖さを感じるようになっていました。
でもあるとき、その気持ちを友達に話したら「そんなのミスとか失敗のうちに入らないよ」と言ってもらい、衝撃を受けました。本当は、ちゃんと向き合ったら修復できるもので、実験して失敗したらやり直していけばいいものなんだと、納得したんです。
好きな人ができて、深い関係になりたいと思うことがあっても、恋愛感情と友情の混ざり合ったところにあるようなわたしの好きな気持ちを、果たして伝えていいのだろうか、パートナーになりたいということを望んでいいのだろうか、という迷いがありました。
それに、パートナーになるということは、この先もずっと一緒に生きるということです。
軽く付き合うなんてしたくないし、経済的に安定していないし、余裕もあまりないし、こんな未完成なわたしが、誰かと深い関係になっていいのだろうか、という気持ちも浮かびました。
わたしはこれまで、人とちゃんと向き合うことを大事にしてきました。でも「誰か一人と深く関わって生きる」ことに対しては、まだできないって感じていたんだと思います。
本当は、誰か一人を選んで愛したい。
誰か一人に選んでもらって愛されたい。
その気持ちを持つことすら自分に許さなかったし、誰かに吐き出すこともしてきませんでした。自分が誰かとパートナーになることを望むのを、いけないことだと思ってきたのかもしれません。
クワロマンティックのわたしが「パートナー」を望み始めた理由
最近、少し考え方が変わってきています。その変化を聞いてください。
クワロマンティックでも「パートナー」を望んだっていい!

もっと自分のことを大事にしよう、自分の幸せを考えよう。そう意識するようになってから、考えが少しずつ変わってきました。
もっと自分を幸せにしてあげたい。素直にそう思えるようになったんです。
わたしはクワロマンティックという言葉と出会って、自分みたいな人が世の中にもいるんだとわかって安心しました。でもいつの間にか、そのクワロマンティックという言葉に自分をしまいこんでしまっていたのかもしれないと、最近気づきました。
恋愛感情と友情の区別がはっきりわからなくても、出会う人に何かを望んではいけないわけではないはずです。
お互いに望むものが一致すれば、パートナーになれることだってあるのかもしれない。そんなふうに思い始めました。
その延長線上でふと浮かんできたのが「パートナーがほしい」という気持ちでした。
「未完成のまま人と関わる」ことを許し始めた
これまでのわたしは「誰かともっとつながりたい」という欲を出す許可を、自分に出してきませんでした。
わがままなお願いも、イライラも、ちょっと自分勝手なところも、心の中で思ったことはあっても、できるだけ外に出さないようにしてきました。
そんなわたしが今、人と深い関係を望んでみようと思っています。
これまでは、そんなことはエゴだと思ってきました。でも、人間エゴなしで生きるなんて無理だと、それは自分の幸せを妨げるだけだってようやく気づいたんです。
「自分はこう思う」って言ったっていい。もっと自分の欲を出してもいい。それで相手とぶつかって、傷ついたとしても、修復しながら深い関係になっていく。
そんなふうに人間関係を築き上げてみたいって気持ちが、ふつふつと湧いてきました。
誰かを愛するよろこびを知らないまま死ぬなんてもったいない。
誰かに愛される感動を味わって生きていきたい。
これからは少しずつ、50%の自分でも、30%の自分でもいいから、未完成な自分を解放していきたいと思います。
クワロマンティックのわたしは積極的に「パートナー」を望んでいきたい
わたしは、対話ができる人に対して、強い好意を抱くことがあります。ただ、そういう人といわゆる「恋愛のドキドキ」を楽しみたいわけではありません。
クワロマンティックだけど「未熟なまま向き合えるパートナー」がほしい

お互いに、わがままを言ったり、怒ったり、時には言い合いになるかもしれない。それでも最終的には落ち着いて、対話という手段を通して向き合い続けることができる。
そんな関係がいいなと思っています。
さらに、これまでのわたしを振り返って言うなら、自分が人格者でいなきゃ、ってならなくていい相手がいいかなと思います。
未熟な人間同士だからこそ、ぶつかることもあるけれど、それでも一緒にいようとする。それこそが愛なんじゃないか、と思うんです。
わたしはクワロマンティックを自認していますが、そんな関係になれる相手を、心底愛してみたいです。
「パートナーと生きる未来」を引き受けて生きていく
パートナーがほしいと思っている今、やっと心から自分の人生を生き始めたのかもしれません。
その証拠に、考えがどんどん変わっていくのを感じています。
もっと人間くさい部分を出してもいい。相手の人間らしい部分も受け止められる自分でいたい。心に決めた一人の相手と生きるということは「何があってもあなたとの対話を大切にし続ける」ことを、お互いに約束することでしょうか。
もし本当に、愛を与えあえる人と出会えたなら、その人はわたしにとって大切なパートナーになるはずです。
わたしは、人生をともにするパートナーを持つ未来に向かって歩み始めたばかりです。
はっきりとした青写真は描けていません。
それでもわたしは前向きに生きていきたいと思っています。
■参考情報
NOISE
・クワロマンティックの私が、恋愛感情と友情とを分けたくない理由


