INTERVIEW
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人生で重要なものは “最初の一歩”。【前編】

学校給食調理の仕事をしながら、アクセサリー制作&販売を行う梅田道子さんは、ポップなファッションがよく似合うポジティブな雰囲気が漂う人。「自分がレズビアンであることで、悩んだ経験はないんです」と話す梅田さんの半生は、凪のように穏やかなものだった。そんな道を歩んでこられたのは、新たな知識を得ること、さまざまな人に会うことを恐れなかったから。

2019/03/05/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
梅田 道子 / Michiko Umeda

1964年、北海道生まれ。両親と姉との4人家族で育ち、幼少期の頃から海外の映画や音楽に傾倒。同じ時期から、女性に恋心を抱くことを自覚していた。26歳で上京し、事務職を続けるかたわら、「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(現レインボー・リール東京)」に行き始める。現在は調理師として働きながら、レインボーカラーアクセサリー専門店「niji-depot」を運営。

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INDEX
01 我が道を行く “変わった女の子”
02 自分の土台を作ってくれた母の教え
03 当然のように同性に抱く恋愛感情
04 レズビアンとして生まれた意味
05 動き出すことで変わっていく世界
==================(後編)========================
06 プライドカラーのアクセサリー
07 鼻歌がぴったりマッチした女性
08 子どもたちのために食事を作る仕事
09 公私ともに欠かせないパートナー
10 外に出ることで見えてくる自分自身

01我が道を行く “変わった女の子”

洋画好きの小学生

冬になると、雪が深く降り積もる北海道で生まれ育った。

「1年の半分は冬みたいな感じです」

「冬場は外に出ると寒いんじゃなくて、空気が痛いんですよ(苦笑)」

「雪が降った日は、起きた時にわかりますね。音が雪に吸収されて、すごく静かなんです」

小学生の頃は、家の前に自作のすべり台を作り、ソリに乗って楽しんだ。

家の中で過ごすことも多い子どもだった。

「当時から映画とか音楽とか、文化的なものが好きでした」

「土曜日は午前中で学校が終わったら、すぐに帰って『土曜ロードショー』を見るのが楽しみだったんです」

母も映画好きで、よく映画館に連れていってくれた。

「『メリー・ポピンズ』とか『バンビ』とか、ディズニー映画をよく観せてくれましたね」

「ソフィア・ローレン主演の『ひまわり』にも、連れていってくれたことがあるんです」

マルチェロ・マストロヤンニがイヤリングを飲み込んでしまうキスシーンは、子どもだった自分には状況を理解できなかった。

「子どもには難しい話でしたけど、母が海外の映画を見せてくれたことはうれしかったです」

好きな音楽はシャンソン

小学4年生の頃、シャンソンの魅力にとりつかれる。

テレビで放送していたシャルル・アズナブールのライブ映像を見て、感激した。

「一瞬で『これは本物だ』と思って、好きになったんです」

「お年玉で、彼の初期のベスト盤を買いました」

この時のレコードは、今でも大事に持っている。

「当時はベイ・シティ・ローラーズが流行っていたんですけど、子どもっぽく思えて、あんまり聞かなかったです(笑)」

合わせる必要のない会話

「クラスの中では “ちょっと変わった子” って感じでしたね」

当時、日本のアイドル歌手が出演する歌番組を、ほとんどの同級生が見ていた。

放送翌日になると「梅ちゃんは見た?」と聞かれたが、「見てないよ」と即答。

「『見たよ』とかウソをつくことはなかったです」

「同級生とは話が合わなかったけど、それが嫌だと思ったことはないですね」

友だちは多くはなかったが、いないわけでもない。

「1人で好きなことをしてたんで、友だちが少なくて寂しいって感じることはなかったです」

友だちは、自分と同じ美術部員の子が多かった。

「なぜか、私は親から『運動部禁止』って言われていたんですよ」
「姉は水泳をやってたんですけど、私だけダメだったんです」

「運動部に興味がなかったから、困らなかったんですけどね(笑)」

02自分の土台を作ってくれた母の教え

「自分の意見を持て」

小さい頃の梅田家は、母が強いイメージ。

「いつもお母さんに叱られてました」

「共働き家庭で、お母さんは働きながら、しっかりしつけてくれましたね」

「お父さんは寡黙な人で、あんまり会話にも参加してなかったです」

きっちりとした母から、よく言われていたことがある。

「自分の考えを持ちなさい」

基本的なマナーには厳しかったが、娘の意見を尊重してくれる母だった。
この教えは、今でも自分の土台になっている。

「幼い頃から人の意見に流されずに生きてこられたので、すごく助かってます」

期待されていた男の子

自分が生まれる時のエピソードを、母から聞いたことがある。

妊娠が発覚した時、母は男の子を望んだという。

「3歳上に姉がいるので、2人目は男の子が良かったんでしょうね」

「『男の子が生まれますように』って、毎日お祈りしてたみたいです」

妊娠中、霊感の強い知り合いに、性別を見てもらったそうだ。

知り合いの見立ては「男かもしれん」。
「その話を聞いて、断言してないところに笑っちゃいましたよね(笑)」

「でも、お母さんは『男なんだ』って思っちゃったらしくて、産着を全部青で用意して待ち構えてたんですって」

「そして、生まれてきたのが私(笑)」

出産時「女の子ですよ」と言われた母は「えぇ!?」と落胆し、産婆さんに怒られたらしい。

「でも、知り合いの人は見えてたんでしょうね。だって『男かもしれん』って、半分は当たってるんですもん(笑)」

反りが合わない姉

3歳上の姉とは、あまり感性が合わない。

おしゃれな姉はフェミニンな服を着ていたが、自分はボーイッシュな半ズボンを好んだ。

「小学生の時に料理を作って、すごくキレイに盛りつけできたことがあるんですよ」

「『キレイにできたよ』って姉に見せたら、『食べたら同じ』って言われたんです」

「その時に、この人とは相容れない、って思いましたね(笑)」

幼い頃は、しょっちゅうケンカもした。
感情に任せ、手に取った何かで姉をぶってしまったことがある。

手に取ったものは、ブリキ製のウクレレだった。

「その時は姉を泣かせちゃって、幼いながらに反省しましたね(苦笑)」

母から「お姉ちゃんだから」「妹だから」と言われたことはない。

親に比較されなかったため、必要以上に姉を意識したことはなかった。

03当然のように同性に抱く恋愛感情

抱え込むしかない想い

中学生の頃、初めて明確な恋心を抱く。

相手は、同級生の利発な女の子。

「特に親しくはなかったんですけど、ハキハキした感じが良かったんです」

「『仲良くなりたい』とか『手をつなぎたい』とか、欲張ったことは考えなかったですね(笑)」

「この恋が叶わないのはしょうがない、って思ってました」

幼稚園児の頃から、女性の先生や同級生の女の子が気になることはあった。

同性に恋心を抱くことに、抵抗感は抱かなかった。

「シャルル・アズナブールの曲で、『人々の言うように』っていうドラァグクイーンをテーマにしたものがあるんです」

「割と小さい頃からこの曲を聞いていて、男性同士の恋愛があることは知っていたんですよね」

「男性同士があるなら、女性と女性の恋愛もあるだろうな、って思いました」

だから、女性に対して恋心を抱いている自分を、受け入れられた。

男性を好きになるかもしれない、という発想は浮かんでこなかった。

「周りの女の子が男の子の話をしていても、『好きじゃない』って言ってました(笑)」

「趣味の話と同じように、周囲に合わせることはなかったですね」

ただ、ストレートの子を好きになっても実るわけではない、という気持ちも抱いた。

「好きって感情は伝えられるわけでもないし、困りましたね」

「1人で悶々として、恋愛感情が発酵しそうでした(笑)」

決意の本命チョコ

高校は、地元の女子高に進んだ。

3年生の時、同じクラスの女の子に恋をする。

「すごく美人な子で、学年でも目立っていたんです」

その女の子とは仲が良く、よく彼氏との馴れ初めなどを聞かされていた。

「友だちとして向こうが話してくるから『そうなんだ』って、聞きましたけど、内心は寂しかったですよね」

卒業も差し迫ったバレンタインデー。
恋をしていた女の子に、本命チョコを贈った。

同級生たちが見ている前で、堂々と。

「周りからはめっちゃ『レズ』って言われたけど、私は『いいじゃない』って気にしなかったです」

「高校でも『梅ちゃんってちょっと変わってる』って、言われてたから(笑)」

チョコを贈った相手は、「もらっておくね」と受け取ってくれた。

その関係が発展することはなかったが、チョコを渡せたことがうれしかった。

「将来、自分に恋人ができるかどうかは、まったく想像できなかったですね」

「住んでる世界が家と学校だけだったから、もうちょっと広げないと同族には出会えない、と思ってました」

04レズビアンとして生まれた意味

同性愛者である自分への疑問

同性を好きになる事実に、悩むことはなかった。

「どうして私みたいな人間は生まれるんだろう、とは思いましたね」

葛藤ではなく、ただ謎だった。
自分が同性愛者である意味を、知りたかった。

「図書館に通っていろんな本を読んでみたけど、答えは出ませんでした」

「女子高だったから、もしかしたら周りにもレズビアンの子はいたかもしれないですね」

「でも、私みたいに割とオープンにしている人はいなかったです」

描きようのない将来の夢

高校を卒業し、すぐに就職した。

地元企業の事務職。

「将来の夢は、描けていなかったです。というより、地元が田舎すぎて、選ぶに選べなかったんです」

美術系の仕事への憧れはあったが、地元には当てはまる企業がなかった。

「この頃から、ぼんやりと都会に行きたい、って気持ちが出てきましたね」

働き始めてからは、恋愛らしい恋愛はせず、趣味の映画に没頭した。

「仕事終わりや休日に、大作からB級まで、映画を観まくってましたね」

「人恋しさを感じる性格でもないから、1人でも全然平気だったんです」

26歳の時、父が他界したことをきっかけに、上京を決意する。

「先にお母さんが、東京に働きに出ていたんです」

「何度か東京にも行っていたので、移住のハードルは決して高くなかったですね」

母から聞いた「おじいちゃんはよく『困ったら都会に出るのが一番だ』と言っていた」という話も、背中を押してくれた。

行けば何とかなるだろう、と姉とともに上京した。

確認作業のようなカミングアウト

話は少しさかのぼるが、20歳になった頃、姉にカミングアウトした。

カミングアウトというほど、大仰なことではなかったかもしれない。

「姉は私のことをちゃんとわかってるのかしら、と思って、『私がストレートじゃないことはわかってるよね?』って聞いたんです」

「姉は『そうよね』って言ってました」

それまで直接「私はレズビアン」と言ったことはなかったが、姉は把握しているようなリアクションだった。

お互いに確認し合うようなやり取りとなった。

それから月日が経ち、初めての彼女ができた時、母にも伝えた。

「『同性愛者なんだ』ではなくて、『この人とつき合うことになった』って話したんです」

「お母さんも驚く素振りはなくて、『あんたもいろいろ考えているんだろうから』のひと言で終わりました」

きっと母も、私の気持ちに気づいていたのだと思う。

家族内に問題が生じることはなく、関係性が変わることもなかった。

05動き出すことで変わっていく世界

20世紀最後の恋のスイッチ

上京してから数年が経った頃、好きなカナダ人シンガーの来日が決まった。

「そのシンガーが、新宿二丁目の店に来るらしいって情報を聞いたんです」

「どこにあるんだろう、って行ったのが初めての二丁目でした」

二丁目そのものを目的にしたわけではなく、趣味の延長線上の行動。

「同じセクシュアリティの人に会ってみたいとは思っていたけど、切望はしてなかったですね」

「そこまで求めていなかったのは、深い悩みを持っていたわけじゃないからだと思います」

しかし、転機は突然訪れる。

電車に乗っていた時、窓から見えるファッションブランドの広告に、こう書かれていた。

「20世紀最後の恋かもね」

そのコピーを見た瞬間、恋愛してない、と思った。

「20世紀が終わるって、ちょっと待って、まだ何もしてないわ、って直感的に思ったんです(笑)」

「探してないから出会わない、それならまずは探すところから始めなきゃって」

「戸口に立たなければ、ノックできないですからね」

出会いを求めるスイッチが、何の前触れもなく押された。

スクエアダンスサークル

映画好きが高じ、「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(現レインボー・リール東京)」に毎年通っていた。

「やっぱり自分のセクシュアリティについて描かれている映画が、気になったんですよね」

ある年の広告の中に、「スクエアダンスメンバー募集」というものがあった。

「LGBT当事者に向けられたもので、気になったんです」

さっそくダンスサークルの様子を見に行った。

「なぜか、私を心配した姉もついてきました(笑)」

スクエアダンスとは、4組のカップルがコーラーの指示に合わせて踊るもの。

その場で出された指示に合わせて踊っていくダンスに、面白みを感じた。

「スクエアダンスのサークルに入ったのが、当事者のコミュニティ参加の最初です」

当事者との触れ合い

スクエアダンスの指示は、すべて英語。

最初は何を言われているのかわからなかったが、そこに楽しさを見出した。

「姉も一緒に入ることになって、楽しんでましたよ(笑)」

「サークルは、ゲイの男性が多かったですね」

レズビアンだけでなく、他のセクシュアリティの人と触れ合うこともほとんど初めてだった。

「本当にいるんだな、ってようやく実感しましたね」

「ゲイの男性もレズビアンと触れ合う機会は少ないみたいで、『女の子と手がつなげる!』って喜んでたのがおかしかった(笑)」

当事者同士も接点が少ないことを痛感し、それがさらに面白さへとつながった。


<<<後編 2019/03/07/Thu>>>
INDEX

06 プライドカラーのアクセサリー
07 鼻歌がぴったりマッチした女性
08 子どもたちのために食事を作る仕事
09 公私ともに欠かせないパートナー
10 外に出ることで見えてくる自分自身

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