どうしてみんな、当たり前のように恋愛できるんだろう。周囲が恋に落ち、結婚していくなか、私はずっと取り残されたような感覚を抱えていました。他者に恋愛感情や性的欲求をもたないアロマンティック・アセクシュアルな私にとって、世にあふれる「他者との恋愛」は異世界の出来事にも思えます。けれど、大正生まれの祖父母の姿に、私なりの答えを見つけました。
「恋愛」の波に乗れないアロマンティック・アセクシュアルの私
世の中には、誰かに恋する気持ちを綴った物語や、恋に破れて涙する姿を歌った曲がたくさんあります。テレビをつけても、SNSを開いても「誰かを特別に想うこと」が当然であるかのような空気を感じていました。けれど、私にはその感覚がどうしてもつかめないのです。
恋が当たり前な世界の小さな違和感
私の周りには、家庭を築いている人がたくさんいます。
早くに結婚して子どもをもうけた人、じっくり時間をかけて晩婚に至った人、あるいは子どもをつくらない選択をした人。
その形はさまざまですが、共通しているのは「パートナーとの恋愛を経て結ばれている」ということ。
どうして、みんな普通に恋愛ができるんだろう。
考えても、なかなか答えが出ませんでした。
「自分はほかの人と違うようだ」と感じるようになったのは、クラスメイトと話が合わなくなった思春期のあたりからです。当時、アセクシュアルなんて概念はもちろん知りません。
そして、身近な大人たちの姿を見ても「自分はどこか変かもしれない」と思うようになっていったんです。
私は、幼い頃に両親が離婚し、母に引き取られました。その後、母は別の男性と再婚したのですが、背景には恐らく恋愛感情があったはずなんです。
でも、その生活は長くは続きませんでした。
その現実を目の当たりにして、私は恋愛というものをますます遠くに感じるようになりました。言ってみれば、ファンタジーのように考えていたふしもあります。
「愛」という言葉はもろいなって、どうしても思ってしまいます。でも世間は、愛を信じて疑わない人のなんと多いこと。
私はずっと、ぬかるみに足を取られているような心地で生きてきました。
アロマンティックとアセクシュアルという、私を支えてくれた言葉
他者に恋愛感情を抱かない「アロマンティック」。そして、他者に性的欲求を抱かない「アセクシュアル」。この言葉に出会ったとき、ようやく自分の胸のつかえが取れたような気がしました。
それまでの私は、周りとの違いをうまく言葉にできず、ずっとモヤモヤしていました。「私はどこか壊れているのかもしれない」「『異常だ』と思わなければならない」。そんなふうに自分を追い込んだ時期もあります。
でも、それは私が異常なんじゃない。そういう「性質」の人間として生まれてきただけなんだと、自分に許可を出せた気がします。
家族愛や隣人愛なら、私にもわかります。母や祖父母、弟妹への愛情はちゃんとある。そう思います。大切にしたいと思うし、力になりたいとも思う。
けれど、特定の誰かを強く求めたり、独占したいと願ったりする情熱は、どうしても見つからない。
アロマンティックである私にとっての「愛」は、もっと静かで、ある意味博愛に近いものでした。
自分には「恋愛感情」がないのだと、アロマンティックを受け入れた日
「いつか、あなたにも出会いがあるよ」と、これまで何度言われたかわかりません。
悪気のないその言葉が、私にはずいぶん重かったのをよく覚えています。
一般的とされる「幸せ」をつかめない自分は、未完成な大人だと突きつけられているようでした。悲しい、とは違う。ただただ、むなしい。
でも、こう思うようにしました。
誰かに愛されなくても、恋を知らなくても、私は私なりに人を大切にできている。友達と笑い合って、家族を想って、日々の生活を営んでいる。それだけで、じゅうぶんじゃない? って。
そう思えるようになったきっかけは、身近にいたある夫婦の存在でした。
恋愛結婚が当たり前のこの時代に、異なる形で結ばれ添い遂げた、大正生まれの私の祖父母です。
彼らの生き方は、アロマンティック・アセクシュアルとして生きる私にとって、やわらかい木漏れ日のようでした。
たった一度のお見合いで始まった祖父母の結婚生活
恋愛結婚がスタンダードとされる現代では、祖父母の始まりはちょっと不思議で、少しだけ危ういものに見えるかもしれません。けれど、そこには静かで力強い結びつきがあったように思うのです。
「働き者だから」と親に勧められるままに結婚したふたり

私の母方の祖父母は、大正の終わりに生まれました。小さな田舎町で戦争を乗り越えた二人が結婚したのは、恋愛ではなく親同士の勧めによる見合い。
「二人とも働き者だから、きっといい家庭を築くはず」なんて、曾祖父たちは言っていたそうです。生前、祖母がよく「もっといい男がいたはずなのに。ろくに恋愛しないまま結婚しちゃった」とぼやいていたのを覚えています。
同じ町内で、なんとなく顔を見知っている程度の間柄。二人はろくに交流を深める間もなく、夫婦としての歩みを始めました。
「好きな人と一緒にいたいから結婚する」という当たり前の流れは、祖父母の間に存在しませんでした。互いの性格も、趣味も、将来の夢も、なにひとつ知らないままです。それでも二人は、夫婦になりました。
祖父母のなれそめを聞いたのは、たしかまだ中学生になるかならないかの頃だったと思います。当時は「昔の人って変わってるな」くらいの感想でした。
大人になってから思い返すと、祖父母の「恋なき結婚」は、恋愛を理解できない私の救いであるかのように感じられます。
人を好きにならなくても、誰かと人生をともに歩む決断はできる。そのことを、祖父母は身をもって示してくれたように思うのです。
20代から90代まで築いてきた夫婦の形
ほぼ「はじめまして」の状態からスタートした祖父母の結婚生活は、70年近くも続きました。20代のはじめに夫婦となり、激動の時代を生き抜き、90代で人生の幕を閉じるまで。
どれほど互いへのリスペクトや忍耐が必要なことか・・・・・・。恋愛や結婚に縁や興味がない私でも、さすがにわかります。
私が物心ついたときには、祖父母はもう熟年夫婦。仲はそれなりによかったかな? たぶん。
私が幼いころ、祖父は会社経営で忙しく、あちこち飛び回っていましたから、祖母とふたりで過ごす時間はそんなになかったのかもしれません。私はよく祖父母の家に泊まっていたのですが、祖父が帰ってくるのはかなり珍しかった印象があります。
たまに祖父母と私、三人で夜を過ごす日もありました。当時の祖父は寡黙で、私には少しだけ距離のある人でしたが、祖母がいてくれると緊張せずにいられました。
いまだから思うことですが、最初は親の勧めで結婚したふたりも、ともに生きる間に恋のようなものが芽生えたこともあったかもしれません。若くして一緒になり、同じ家に暮らしていたのですから、恋とは別に、情も生まれていたことでしょう。
そうでなければ、さすがに90代まで夫婦でいられないでしょうから。
献身的な介護から見た絆
祖父母の結びつきの深さが色濃く表れたのは、晩年のことでした。
きっかけは、祖母が転倒して入院したこと。70代の終わりごろでした。
入院を機に認知症の症状が出始め、きっちりした性格の祖母はどんどん変わっていたんです。徘徊してまた転んだり、トイレの失敗があったり。そのたびに、祖父母と別に暮らしていた母や私もフォローに奔走し、疲弊していきました。
そんななか、祖母を誰よりも献身的に支えたのが祖父です。
80歳を超えた体で、主介護者として毎日祖母に寄り添っていました。ご飯を作り、洗濯をして、デイサービスに送り出してから買い物に行く。祖母が帰ってきたら、またご飯を作る。
私たちもできる限りサポートに入りましたが、祖父にはかなわない。いまでもそう思います。
混乱して怒ったり不安がったりする祖母に、優しく語りかける祖父の眼差し。そのなかには、何十年という歳月をともにしてきた者への慈しみがありました。
祖母の在宅介護は、施設入所を機に終わりましたが、数年後、祖父が病に倒れました。末期の胃癌です。
入院して数ヶ月で旅立ちましたが、その間も話すのは祖母のことばかりでした。
「おばあちゃんは施設で元気にしているのか」
「おばあちゃんに、俺の病気のことは言うなよ」
せっかく孫の私が会いに言っても、ほとんど祖母の話。あのときばかりは「おじいちゃんって、けっこうおばあちゃんが好きだったんだな」と笑ってしまいました。
祖父が亡くなった数ヶ月後、祖母も施設のベッドで静かに息を引き取りました。まるで後を追うように。
さみしがった祖父が祖母を迎えに来たんじゃないか、なんて、いまも母とよく話しています。
恋愛や結婚の枠組みがなくても、きっと人を大切にできる
祖父母を見送って数年が経ちます。彼らを思い出すとき、なんだか「私はこのままでいいんだろうな」って気がするんです。だって祖父母も、いまからは考えられない形で70年近くも夫婦でいたのですから。
祖父母が教えてくれた、時間をかけて育てる信頼関係

恋愛結婚のなかには、熱狂と呼べるほどの勢いをもつものもありますね。
燃え上がる恋心が、二人を結婚へと突き動かす。私も何度か、そうした夫婦を見たことがあります。
けれど、いつしかその火が消え、崩れてしまう関係も決して少なくありません。私の母が経験したように、愛のうつわが空っぽになることだってあるのです。
一方、お見合いという形式で始まった祖父母の間には、最初から恋や愛といった「熱」なんてなかったのでしょう。しかし、二人は長い時間をかけて、別のものを育ててきました。
朝ご飯を一緒に食べる。体調が悪ければフォローする。晩ご飯のあとは、お茶を入れてテレビを見る。そんな小さなやり取りの積み重ね。それは強くしなやかな「信頼」という名の絆だと、いまは思うのです。
アロマンティック・アセクシュアルである私は、他人に対して恋愛感情はもてません。
でも、祖父母がしていたような「相手を慈しみ、時間をかけて関係を築く」ことなら、私にもできるかもしれない。いや、できている。いまは、素直にそう思えます。
アロマンティックな私だからこそ、見つけられた幸せのヒント
「恋愛感情がないから、あなたは人を愛せない」
もし誰かにそう言われたとしても、いまの私なら「そんなことないでしょ」と答えられる気がします。
祖父母のように、はっきりした恋愛感情がなくても、数十年をともに生きて互いを唯一無二のパートナーだと認め合う関係。そこには、確かに「愛」と呼ぶべきものが宿っています。それは、恋愛というラベルのいらない、人間同士の深い結びつきです。
恋愛をスキップして、その先にある「信頼」や「安心」を手にしてもいい。
祖父母のような夫婦がいてもおかしくないと思えたことは、私にとって、自分の未来に選択肢を増やすことでもあるのかもしれません。
きっとこの先、私はひとりで生き続けるのだと思います。ですが、必ずしも孤独だとは限りません。もしかしたら、近しい人と一緒に暮らすかもしれない。老いて施設のみんなと暮らすかも。
ほら、友情結婚だって、もしかしたらもしかするかもしれません。
本来あるべきパーツが自分には欠けていると嘆くのではなく、じゃあその空いたスペースになにを置くか。それは自分で決められるのだと、祖父母が教えてくれたような気がします。
アロマンティック・アセクシュアルな私が見つけた幸せのヒント

かつての私は、恋愛感情がない自分を「人としてなにかが欠けている」と思い込み、どうにか世間の枠に合わせなければと思っていました。
けれど、いまはこう思います。人との結びつきに、唯一の正解なんてないと。
アロマンティック・アセクシュアルである私は「愛」の定義が人と少し違うだけ。それを恥じる必要は、どこにもない。
自分が心地よいと感じる距離感で人と関わり、じっくりと関係を温めていけばいいのです。
それはもしかしたら、世間一般で知られるようなオーソドックスなものではないかもしれない。だとしても、互いを高め合ったり、優しくできたりする関係はきっと、とても尊いもののはず。


