INTERVIEW
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自分が納得した上で、何事も選択していく【前編】

ミニマムでシンプルな服装に、美しく整えられた坊主頭がより映える。「着飾ってくるか迷ったんですけど、今日は素の自分を意識してこのスタイルにしました」とはにかむ髙橋さんは、一見するとクールビューティーな印象を受けるが、感受性豊かで可愛らしい人だ。豊富かつ適切な語彙で、時に苦しかったこれまでの道のりと、希望を見出した現在、それから未来について語ってくれた。

2022/06/14/Tue
Photo : Ikuko Ishida Text : Chikaze Eikoku
髙橋 佑城 / Yuki Takahashi

1996年、埼玉県生まれ。幼少期のサンタさんへのお願いは「目が覚めたら女の子になってますように」だった。恋愛対象が女の子であることで一時は迷うが、その後MTFのレズビアンを自認する。社会的な「女性らしさ」を目指さない在り方を否定されることもあったが、現在はありのままの自分に誇りを持ち、バーテンダーとして働いている。

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INDEX
01 長髪の私も、坊主の私も、ぜんぶがMTFの「わたし」
02 幼少期は「コミュ力おばけ」で「気が利く子」
03 女友だちとばかり遊んでいた思春期
04 ロングヘアを貫き通した高校時代
05 父へカミングアウトと「出ていってくれ」
==================(後編)========================
06 受験期間中に発症したうつ病
07 留学先のトロントで、解放された
08 国後、トランスジェンダー・MTFであることを公表
09 「女の子1年生」。感受性の変化と戸惑い
10 ありのままの自分を受け入れてくれる環境と、未来について

01長髪の私も、坊主の私も、ぜんぶがMTFの「わたし」

MTFの私が坊主にした理由

MTFである自分が今、あえて坊主にした理由は、周りからのジャッジにほとほと嫌気が差したからだ。

「坊主にしたいとは前から思ってたんですけど、本当はSRS(性別適合手術)を終えて戸籍が女性に変わるまではやらないって決めてたんです」

この社会で自分が女性として生きるためには、フェミニンさを追求しなければいけないと思っていた。

しかし、どんなに「女性らしい」外見を目指しても、声で「男性」だと判断されてしまう。

「どんなにホルモン打っても、髪を伸ばしても、結局この社会だと声とか骨格で男性として見られてしまう現実を考えたときに、そもそも女性として見られることを追求するのが苦しくなったんです」

「だったらもう、女性としての枠から逸脱してしまえと思って(笑)」

そもそも理想像は、ふりふりした可愛らしい女性ではなく、MISIAやSuperflyのようなエスニックな女性だった。

そのため坊主にも憧れがあったし、似合う確信もあった。

「周りには今の髪型をすごい褒められるんですよ。『でしょう?』って思います(笑)」

坊主の中でも一番似合う長さを模索し、現在は4ミリから5ミリくらいを保つようにしている。

カナダへ留学、ありのままの私が「女性」として見なされたこと

大学時代にトロントへ留学し、そのときに生まれて初めてありのままの自分を認めてくれる世界に出会えた。

「カナダって、女性っていうものの枠がものすごく広いんですよ。私より骨格のがっしりした女性もいるし、声の低い女性もいる」

「私から説明しなくても、留学中、私は女性として生きていけたんです」

9割方の人が、自分から求めずとも「She」と呼んでくれた。

「残りの1割は、日本人です(笑)。 カナダにいる日本人は、私を『彼』って呼んでました」

日本は「男性」「女性」の枠組みがあまりにも狭すぎると思う。

「代々木のプライドパレードでも、同じMTFの方に『あんたもうちょっと頑張りなさいよ』って言われたことがあるんです」

同じトランスジェンダーの女性からも、社会の「女らしさ」を強要されることもあった。

「でも別に私はそれ求めてないんだよなあ、って(笑)」

02幼少期は「コミュ力おばけ」で「気が利く子」

サンタさんへのお願いは『目が覚めたら女の子になってますように』

ミッキーが大好きだった幼少期、そのころからはっきりと「女の子になりたい」という気持ちを自覚していた。

「私の記憶って4歳からあるんですけど、その頃から『女の子になりたい』って思っていて」

「サンタさんへのお願いは、『目が覚めたら女の子になってますように』でした」

気づいたきっかけは、『おかあさんといっしょ』で弘道お兄さんが歌っていた歌の、「女の子になりたい男の子」という歌詞だ。

「あれ、これ自分のこと!? って思ったんです(笑)」

そのころ母にも、「自分は女の子になれないのか」と質問をしてみた。

しかし帰ってきたのは「それは運命だよ」という言葉だった。

「遊んでいて足を滑らせて、股を切ってしまったことがあったんです。そのときも『これで女の子になれるかな?って、母に言いました(笑)』

怪我がきっかけで男性器が取れてくれないだろうか。
そう願うほど、切実に「女の子」への憧れを募らせていく。

「女の子になりたいのに、どうして女の子が好きなんだろう」

幼稚園での初恋の相手は女の子。そこからずっと恋愛対象は女性に限られている。

「女の子になりたいのに、好きになるのは女の子だったんです」

トランスジェンダーと同性愛は両立するなど、そのころは知るよしもなかった。だからこそ、余計に周りには言い出せなかった。

「女の子になりたい。でも、女の子を好きなら自分はやっぱり男の子なのかな、って、その狭間で混乱してたんです」

しかし小学校6年生のときに世界仰天ニュースでトランスジェンダーMTFである椿姫彩菜さんの特集を見て、自分もまたトランスジェンダーであることに徐々に確信を持つようになっていった。

「コミュ力おばけ」で「気が利く子」の私と、反抗期が激しい兄

「コミュ力おばけ」で「気が利く子」だった自分と、反抗期が激しかった5歳年上の兄とは、しばしば周囲の大人たちに比較された。

「兄は人を信用しないタイプで、私はすごい人懐っこい性格だったんです」

兄が両親に迷惑をかけているから、自分はしっかりしないといけない。

そんな思いがあったため、幼いころは大人の前でニコニコと愛想よく振る舞うよう努めていた。

叔父にも以前、「佑城は小さいころから周りに気を使う子で、イヤイヤ期がないから怖かったんだよね」と評されたことがある。

「周りの人から評価をもらえる能力が高かったのは、兄よりも自分だったんです」

「勉強ができるとか、気が利くとか、私ばっかり褒められていたので、たぶん兄は心がすり減ったんだと思います(苦笑)」

兄が両親に迷惑をかけているぶん、自分がしっかりしないといけない。
そんな思いも幼いながら心に秘めていた。

03女友だちとばかり遊んでいた思春期

思春期に入っても、遊び相手は女の子

幼稚園、小学校のころから、仲良しの遊び相手は決まって女の子だった。
それは中学生になっても変わらず、所属した合唱部も部員は女子しかいなかった。

「『髙橋は男子だけど女子とつるむやつ』っていう共通認識が周りに伝わってたので、孤立することはなかったんです」

「それが一つの成功体験になりました。出過ぎた杭は打たれないし、自分の世界を作ることができたんです」

学級委員を3年間勤め上げた。気になる女の子への気持ちもつのり始める。

片思いだったが、大切な友人でもあったため、いつか自分のセクシュアリティを知ってほしいと思っていた。

苦しさは初めてのカミングアウトと願書の性別欄

中3の年末、模試の終わりの帰りの電車内で、勇気を振り絞る。

「好きだった女の子にいざ自分のセクシュアリティを伝えようとしたとき、私、過呼吸になっちゃって(苦笑)」

「ちょっとごめんねって言ってから、その場で紙にバーって書いて打ち明けました」

その子との関係は破綻してしまうかもしれないと不安に思ったが、友情が壊れることはなかった。

「あとから聞いたんですけど、過呼吸になった私を見て『そんなに苦しむことはないのに。私は髙橋がトランスジェンダーってことを否定したりしないのに』って思ってくれてたみたいです」

「カムアウトをきっかけに、それから過呼吸持ちになっちゃって(苦笑)」

「そのあと、高校受験の願書を書いてるときに、私は性別欄で丸がつけられなくて、過呼吸になって保健室に連れていかれたんですよ」

当時の養護教諭に、トランスジェンダーかもしれないと泣きながら打ち明けた。

カミングアウトでアウトプットしたことにより、自分の今後に不安を募らせるようにもなった。

性別を理由に、交友関係を否定する父

思春期に入ってからも、私が同性の友だちと遊んでいないことに、父は気づいていたようだった。

「兄は家に男友だちを連れてくるんですけど、私は女友だちを連れてきてたんです」

「小中高はずっと女子のグループにいて、それについて中学卒業する直前に父から怒られたんですよ」

ある日「いつまでも女とばっかり遊ぶんじゃねえ」と、父から理不尽な言葉をかけられる。

保守的な父の目には、女子のグループに所属する自分が女に媚びていると映ったようだ。

「でも私にとって、相手の性別で態度を変えるなんてことはあり得なくって」

そして卒業式の日に、両親へ手紙を書いてその気持ちを伝えようと試みる。

——お父さんとお母さんも今、性別関係なく仲良くしてる人がいるでしょ? 自分だって、今身の回りにいる人は頭を下げて仲良くしてもらってるわけじゃなくて、自分で選んで一緒にいて楽しいから仲良くしてるんだよ、だから心配しないで ——

「そう書きました(笑)」

けれども、ダイレクトな反応は特になかった。

04ロングヘアを貫き通した高校時代

「髪が伸ばせる高校」へ進学

「その社会のルールは絶対に守る、っていうのが私の信条なんです」

自分自身のそんなモットーがあったため、中学時代は校則に従い3年間短髪で過ごした。

しかし髪を伸ばしたかったため、高校は髪型を定めていない校則の学校に進学を決める。

「兄が卒業した高校の生徒手帳を借りたり、他校の入学案内等を調べたりして、髪が伸ばせる高校をリストアップしました(笑)」

ある生徒手帳の校則に、「男女ともに高校生らしいさっぱりとした髪型」という文言が記載されていた。

その高校へ進学を決める。

「よし、これなら戦える! と思って(笑)」

「進学して髪を伸ばし始めたんですけど、案の定周りからすっごい言われました」

男女の垣根のない高校生活を夢見ていたのに

定められていないのに「男子は短くする」という暗黙の了解があり、先生や周囲の生徒からも切るように促される。

「でも校則では切らせられないので。私はそこで戦ったんです(笑)」

「校則で切らせられませんよね」の一点張りで反論し続け、高校ではロングヘアを貫き通す。

また、より男女の垣根のない高校生活を期待していたが、それは打ち砕かれた。

「進学クラスで3年間持ち上がりだったんですけど、そのクラスの真ん中に塗り壁がいるかのように男女でパキッと分かれてて・・・・・・」

「私は男子の話すネタがまったく理解できなくて、でも女子の方には入れないんですよ。向こうは私を男子だと思っているから」

男女関係なく仲良く過ごせると期待を抱いていたのに、実際の高校生活は真逆だった。

男女どちらにも馴染めず、次第にクラスでは孤立する。
ただ、部活のおかげで居場所はあった。

「放送部と茶道部に入ってたんですけど、両方とも女子ばっかりで」

「特に放送部は素の私を受け入れてくれる環境だったので、高校3年間はクラスよりも部活で過ごすことの方が多かったですね」

男子の「ノリ」についていけなかった

男子特有の「ノリ」にも、まったく付いていくことができなかった。

「体育の授業中に私のズボンをバッて下ろされたことがあって、私もう、ブチ切れて」

「他のクラスメイトの男子に『え、あれスキンシップだよ?』って言われて、『え〜!?』って(苦笑)」

男子の間でそういうノリがあることは知っていたものの、自分には関係ないことだと思っていたし、何よりとてもショックだった。

「体育館の真ん中がネットの仕切られてて、男女分かれてたんですけど、他の男子に『一緒に女子見ようぜ』って誘われて、私は『なんで?』って返したんですよ(笑)」

「女子を見る」という概念そのものが、理解できない。

ノリが悪いと感じたのか、その男子とは関係が破綻してしまった。

また、髪を伸ばしていたことから、廊下を歩いているだけで冷やかしを受けたり、性的なからかいを受けることもあった。

「髪を伸ばし始めて、不潔に見られないようにポニーテールでアレンジしてたら、あいつまた髪型変わってる! とか」

「すね毛とか処理してたんですけど、すっごいからかわれたんです」

「佑城ちゃんって呼ばれてて、それは嬉しかったんですけど、『佑城ちゃん女の子になりたいの?』とか『男と女』どっちが好きなの?」とか、毎日のように性的な質問とかをされて・・・・・・」

真剣に「性別で悩んでいるの?」と訊かれていたら、自分も打ち明けていたかもしれない。

しかしニヤニヤしながら問われるそれらは、明らかに悪意のある冷やかしだった。

「誰がおめえに話すかよ、っていう(笑)」

05父へのカミングアウトと「出ていってくれ」

長髪をとがめる父の言葉

高校2年の冬、私の長髪にいよいよ耐えかねた父にある日呼び出される。

「『その髪切らないなら自分で生活していけ、切らないなら出て行け』って言われたんですよ」

髪型のことは、いつか言われるだろうと予想はしていた。

そのため反論の準備はしていたが、長髪の理由に性同一性障害やトランスジェンダーであることは使わないと決めていた。

「女性が髪を伸ばすのはいいのに、男性は短くしなきゃいけないのはおかしいよねって」

「でも、『そんなの理由にならない』って言われました」

父の口癖は、「自分で稼げるようになってから言え」と「俺にわかるように説明してみろ」だった。

自分の理解の範疇を越える物事については、解ろうとしない人だった。

髪は当時の「精神安定剤」。切りたくないがゆえのカミングアウト

母は父に3歩下がってついて行くタイプの人で、擁護してはくれない。

論破できないと確信し、最終手段としてトランスジェンダーという言葉を出す。

「当時隠れて買ってたメイク道具とかを部屋から持ってきて、父の目の前にドンって置いて、実は自分はトランスジェンダーかもしれないですって」

「高校卒業後は戸籍を変えて、女性として生活したいです、って伝えました」

私のカミングアウトに父は絶句し、フリーズした。

MTFへの偏見から来る、父の葛藤と無理解

父はトランスジェンダーに対して良い印象を持っておらず、夜の世界でしか生きていけないと思い込んでいたようだ。

「号泣しながら理解できないって訴えてきて・・・・・・」

「カナダへ留学することも話してたんですけど、『男としてならいくらでも援助してやるけど、女としては一切援助しない』『もし戸籍まで変えるのであれば、秩父から出て行ってくれ』っても言われました」

父は「自分の育て方が悪かったせいで子どもに苦労を背負わせてしまった」と思い悩んでしまった。

「すごく責任感の強い人なので、私がトランスジェンダーってことに対して『救えない』っていう罪悪感が出てきてしまったみたいです」

トランスジェンダーへの偏見と誤解によって、父もまた葛藤していた。

 

<<<後編 2022/06/18/Sat>>>

INDEX
06 受験期間中に発症したうつ病
07 留学先のトロントで、解放された
08 帰国後、トランスジェンダー・MTFであることを公表
09 「女の子1年生」。感受性の変化と戸惑い
10 ありのままの自分を受け入れてくれる環境と、未来について

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