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Writer/佐藤恵美

36年越しで解放できたおもい。アロマンティック・アセクシュアルを声に出せなかった私

「人を好きにならないなんて、そんなことあるんだ」。アロマンティックの人なら、こんなことを言われた経験があるかもしれない。「恋人と性的にもつながりたいって思わないの?」。アセクシュアルなら、こう言われた人もいるだろう。私は49歳、アロマンティック・アセクシュアル。言葉を知ったのは40歳を過ぎてから。長年マジョリティの中にいて、もはや抜けたくても抜けられない大人たちが、きっといるんじゃないだろうか。40年もの間、自分をマイノリティだと認められなかった私のように。

13歳はアロマンティック・アセクシュアルを知らない

自分が周りの女の子と異なる感覚を持っている。それに気付き始めたのは中学1年のときだ。当時はまだ元号が昭和から平成に変わって間もないころ。ドラマにアニメに漫画、恋愛要素を含んだコンテンツがあふれかえり、そのほとんどは異性愛者のヘテロセクシュアルを主とするものだった。

異端児のレッテルを貼られた日

「好きな人がいないなんて変わってる」

クラスメイトの言葉が、今でも記憶に残っている。

「初恋もまだってこと?」
「え、うそだぁ。うちら、もう中学生だよ」
「変わってるよね、男の子に興味ないんだー」

いつだって女の世界は残酷だ。それが、たとえ10代に入ったばかりの子どもであろうとも。
男女の区別がまだあいまいな部分も多かった小学校から中学校へ。一気に性別を意識し始め、甘酸っぱい光景が見られるようになる。

私は、まるで自分だけが世界にとり残されたような、まるでテレビを見る視聴者であるかのような感覚から抜け出せずにいた。

真っ黒に真っ白のラインが入ったセーラー服。胸元には深緑のリボン。
白いひざ下まである靴下。無造作に束ねただけの髪と無骨な眼鏡。そして丸々とした体格。

13歳の私は、そんな子どもだった。人よりも成長が早く、同級生と一緒にいても先輩と間違われたり、私服のときは成人に見られるときもあった。そのせいで、女性として嫌な思いをしたこともある。

「男の子ならよかったのに」。いつも、そんな羨望が混じった願いを抱いていたように思う。それでも性別を変えたいとまでは考えず、結局今日まで、女性としての自分を否定せずに生きている。

早熟過ぎたアロマンティック・アセクシュアル

身なりなんて気にしない。校則を守ってさえいれば、呼び出しも叱責もない。反省文も書かなくていい。誰もやらない係を押し付けられようが、陰で「汚い字」と罵られようが、音楽の歌唱テストで「いきがってる」と笑われようが、どうでもよかった。

成績は中の上、体育や家庭科の成績ははなから諦めている。

私はそんな特徴のない中学生で、あのときまで自分が「『異質』と見られる人間」だなんて考えもしなかった。

13歳。

子どもから大人へと変わり始める年齢の女の子は、まるですべてをわかったような顔をする。同い年の男の子を、まるで幼稚園児を見るような目で見る。そして、恋を口にする。

突然世界が変わっていくようで、とても居心地が悪かった。だって私には、彼女たちのうきうきした表情や背伸びした会話を受け入れられなかったから。

アロマンティック・アセクシュアル。その言葉を、当時の私は知る術もなかった。
体だけが成長して、自分が何者かを語れるだけの言葉も概念も、私は何も知らなかった。

「先生に恋をする」

中学生になってすぐ、クラスメイトたちを夢中にさせた男性の先生がいた。大人に憧れる年頃だったのだから、無理もない。その先生の存在とクラスメイトたちの言動は、私のマイノリティとしての生きづらさを自覚させるものとなった。

数学教師と熱にうかされる女子生徒たち

その人は数学教師のA川先生だ。年齢はたしか30歳そこそこ。28歳とかだったかもしれない。

整った顔立ちに、飄々とした抑揚の少ない話し方。そこまで長身ではなかったが、すらりとした立ち姿が洗練されていた。シンプルながら洒落っ気のある服装。私の住んでいた田舎町にはめずらしいタイプの人だった。

A川先生は、初回の数学の授業で、私を除く女子生徒全員の心をかっさらっていった。それはもう見事に。彼は別に、生徒の目線に立とうとか、フレンドリーに接して人気を得ようなんてことはしていない。

「中学では、君たちがノートをとる時間をわざわざ設けない。黒板に書いたものはどんどん消して新しく書くから、ついてくるように」

なんて無慈悲な言葉だと思った。その瞬間から、もともと苦手だった数字がさらに嫌いになった。

「好かれたいからがんばる」って何?

初日の昼休みは、数学の先生の話で持ちきり。あのとき誰とお昼を食べていたかもう思い出せないけれど、誰もが「あの先生かっこいいよね」「私、数学がんばる!」と話していたのは覚えている。

「先生がかっこいいからってだけで、なぜその教科をがんばるんだ?」

周りの浮ついた声を聞きながら、どうしても解せなかった。

勉強をがんばるのは、先生のためだとでもいうのだろうか。学生が勉強に励むのは当たり前で、自分のためだ。先生のかっこよさとどうつながるんだろう。

かっこいい先生の教科だけがんばったところで、自分の成績は総合的に上がるのか? 先生から「いい子」って思われたいのか? だったらほかの教科も勉強するはずだけどな。

今にして思えば、ずいぶんかわいげのない考え方をする子どもだった。

数学をがんばる理由なんてシンプルだ。単純に、気に入られたいのだ。その先生に。
成績が悪いより、良い生徒のほうが好印象に決まっている。劣等生より優等生として覚えられたいに決まっているのだ。

当時の私には、彼女たちの心理がまったくわからなかった。そして、その感覚があまり理解されないものだとも、わからなかった。

女子グループの洗礼と、演じきれなかった芝居

自分が周りと明らかに違う、と実感したのは、たわいもない放課後の語らいの場だった。私は場の空気を読んで適当に合わせるなんてコミュニケーション力もなく、ただただありのままを口にすることしかできないために、女子の世界になじめなかった。せめてもっと堂々としていれば、クラスメイトの反応は違っていたのかもしれない。

「誰が好き?」恋を前提とする少女たち

中学1年の1学期。グループができて、なんとなくクラスの空気もできてきたころ。放課後、たまたま職員室に用があって少し下校が遅れた。

教室に戻ってきたとき、普段めったに話さない1軍の女子たちがいた。彼女たちは誰が好きだとか、誰と誰が付き合っているとか、よくそんな話をしていた。

アニメオタクとして認知されていた私とは、とうてい世界が違う子たち。だから、なぜその日に限って私に話しかけてきたのかは謎だ。

「佐藤さんは誰が好きなの?」

最初、何を問われているのか理解できなかった。

普段は用事がなければ話さない子が、私に探るような視線を向けている。彼女たちと違って、私はいわゆる「女らしいこと」に興味がなかった。服は親のおさがり、髪は伸ばしっぱなし。雑誌を読む暇があったら漫画を読んだりゲームをしたりしたい。

誰が好き? と聞かれても困ってしまう。

ハマっている漫画のキャラ? 今やり込んでいるゲームのキャラ? それくらいしか思い浮かばない。けれど、彼女たちが期待している答えは「実在する身近な男性の名前」のはずだ。

「A川先生がダントツだよねって話してたの。同級生の男子よりいいよね」

ああ、そういえばこの子たちはいつもA川先生の話ばっかりしてるな。私はA川先生なんて「嫌いな教科の先生」って認識しかないけど。この前質問しに行ったら冷たくあしらわれたっけ。

こんな調子で、私はA川先生に良い印象はなかった。

アロマンティックを無意識に声にして

1軍女子からの唐突な質問に、私は正直に答えてしまった。
「好きな人はいないよ。誰も好きになったことないし、数学の先生は苦手」と。

その瞬間、彼女たちの目が蔑むような、怪訝そうなものに変わる。言い方を間違えた、と思っても後の祭りだ。
36年前、当時はまだ、アロマンティックやアセクシュアルなんて言葉がなかった。いや、正確に言えば、そうした言葉を知らなかった。

男は女を、女は男を好きになり、結婚して家庭を作る。その流れしかないのだと信じて疑わなかった。自分の親がそうであったように。周りの大人たちが、そうであったように。

私が「好きな人はできたことがない」と言ったときのクラスメイト。彼女たちは息をするように幼い恋心を語る。それがまるで友だちになるための儀式とでもいうように「誰が好き?」と問う。普段は別のグループで、ろくに話をしない者同士でも、なぜか恋の話になると親密度が増す。女子同士の挨拶であるかのようだ。

13歳の私には、それができない。
恋を知らなかったから。

恋を語り、顔を赤らめ、無駄にはしゃいで見せる思春期特有のふわふわした愛らしさが、私には備わっていなかったから。

最悪の中学デビュー

「誰も好きになったことがない」と言ったとき、少しだけクラスメイトたちの目に嘲笑の色が浮かんだ。子どもね、とでも言いたげだった。

それは被害妄想かもしれないけれど、36年経った今も、やはりそう思う。

彼女たちの名前も顔も、ほとんど記憶にないのに、なぜか「馬鹿にされた」という当時の感覚だけは残っている。事実、私は彼女立ちの目にかなり異質に映ったようだ。翌日から「好きな人もできたことないんだって」と陰で言われ始め、私はどんどんクラスの女子たちから浮いていった。

中学デビューはひどい幕開けだったが、それでも私は、ありもしない恋愛感情をまったく興味のない男性に向ける芝居ができなかった。

「大人の階段を上っていく私たち」の輪に加われなかったことを、今でも少しだけ、ほんの少しだけは苦々しく思う。それでも、ついぞ他人を恋愛感情で愛することはなかった。

救済は40代「アロマンティック・アセクシュアル」を知った日

手痛い中学時代から、私は自分に恋愛感情がないことも、他者に性的欲求を感じないことも隠してきた。それは時として苦痛を伴ったけれど、マジョリティに擬態するうえで必要だった。このまま年老いて、誰にも何も打ち明けられずに死ぬんだろうな。そう思っていた40代、転機は急に訪れた。

「多様性」が視界を広げた

令和の時代、マイノリティも多少は生きやすくなってきた。私がまだセーラー服を着ていた平成になって間がないころ、メディアではゲイやレズビアンがセンセーショナルに描かれていた。トランスジェンダーの存在は知らなかった。

性的な知識は友人に見せられた雑誌から得る程度で、それも特に興味は何もなかった。むしろわずらわしいと感じていたと思う。

やはり異性愛者が当たり前とされていた。少なくとも、私がいた世界では。

あれから時代は変わり、多様性が叫ばれるようになった。ジェンダーもセクシュアリティも、ひとくくりにできない、枠にはめられないと思えるようになったのは、私にとって大きな救いだ。

40代を迎えるまで自分は異端だと思い込み、ステレオタイプの呪縛に長い間生きづらさを感じてきた。アロマンティックかつアセクシュアルだと公言できるようになったのは、つい最近の話だ。

まだまだ理解されづらいセクシュアリティだけれど、中学時代より、ずっと呼吸が楽になった。

良い時代に生きている。そう思う。

「私はひとりじゃない」

文章を書く仕事をしていて、ふと「自分の体験が誰かの灯にならないかな」と感じ、細々と発信を始めた。

それがどれだけの人に届くのかはわからない。多様性への理解が進んだ今を生きる若い人には、響かないかもしれない。マジョリティしかいない、そう思い込んで生きていた中年の言葉など。

けれど、私がそうであったように、あの時代にも確かにいたのだ。周りとの違いに苦しんだ人たちが。

私が「アロマンティック」「アセクシュアル」という言葉を知ったのは40歳を迎えてから。もう10年近く前のことだ。情報源はTwitter。おすすめに流れてきたツイートが、たまたま「恋愛感情がなくて悪いか」という内容だった。

自分と同じだ。
そういう人が、自分以外にもいたんだ。

それは私にとって目の前が開けた瞬間だ。似合わないセーラー服で、話の合わないクラスメイトの輪に無理に入ろうとしていた自分が救われたような気がした。

男性にも女性にも惹かれない、その感覚が決して自分だけのものではないのだと、頭を殴られたような衝撃があった。

アロマンティック・アセクシュアルとして、言葉の紡ぎ手として

月日が経ち、私は50歳を目前に控えている。今は「アロマンティック・アセクシュアルのライターです」と公言しているし、発信も欠かさない。きっとどこかに、私と似たような苦しさを抱えて生きてきた人がいる。

今、これを読んでくれているあなたはどうだろう。
他人と違う自分を責めたことは?
周りの「普通」に合わせるために、自分の心を押し殺したことは?

今、息苦しさを感じているなら、どうか「ひとりじゃない」と思ってほしい。
私は49歳になるまで、自分のセクシュアリティを口にできなかった。そんな人間が、ここにいる。

長い時間がかかったけれど、やっと声に出す準備ができた。
他人からの理解が得られなくても、変わっていると思われても、堂々と生きていい。
生きられる。

その権利は、誰もが持っている。
私にも。
あなたにも。

 

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