国際映画祭での受賞経験もある、レヴァン・アキン監督による最新作『CROSSING 心の交差点』。2026年1月9日(金)より、全国で順次公開されるこの映画は、ジョージアやトルコにおけるトランスジェンダー女性の生き様をあざやかに描き出している。
映画『CROSSING 心の交差点』の魅力とは?
トランスジェンダーの人びとが強い圧力を受けながら生きるジョージア、そしてトルコを舞台に映画『CROSSING 心の交差点』の物語は始まる。
映画『CROSSING 心の交差点』のあらすじ

主人公・リアは、亡くなった姉の遺言を果たすために、行方がわからない姪・テクラを探す旅に出る。
テクラはトランスジェンダー女性であり、そのために父親や周囲の人びとから圧力を受け、故郷を発ってトルコ・イスタンブールへと渡ったのだ。
事情を聞いて同行を申し出た青年アチは、威圧的な兄との生活から逃れ、イスタンブールでの新しい人生を切望する。
アチとともにイスタンブールを訪れたリアは、さまざまな人とのめぐり合いや別れをとおして、少しずつ心の強張りをほぐしていった。
やがてリアとアチは、イスタンブールにあるトランスジェンダーの権利を中心に活動するNGOで、弁護士として活動するトランスジェンダー女性・エヴリムと出会い、テクラの足跡を追うことになるが・・・・・・。
トランスジェンダー女性・テクラをめぐって、さまざまな「人生の交差」を描く物語

映画『CROSSING 心の交差点』のストーリーの中心は、行方不明となっているトランスジェンダー女性・テクラの存在だ。
リアは姪であるテクラに対して、家族として支えてあげることができなかったという後悔の念を抱き、いなくなったテクラを故郷へ連れて帰るために奮闘する。
青年アチや、弁護士のエヴリムもテクラを探すため、リアに協力する。
そして、映画のなかであらゆる人が「テクラ」という名前を口にするものの、その行方はなかなかつかめない。
しかしながら、映画全体に流れている空気は「挫折」や「哀しみ」といったネガティブな感情一色ではない。
イスタンブールの混沌とした街並みのなかで、さまざまな人の思惑が交差し、それぞれの人生を浮かび上がらせる。
映画『CROSSING 心の交差点』は、トランスジェンダー女性・テクラというひとりの人物をめぐって、リア自身が多様な人生にふれ、心動かされていく物語なのだ。
ジョージアとトルコの言語における特徴、トランスジェンダー女性の生きざま
映画『CROSSING 心の交差点』の幕開きを飾る、とある文章

映画『CROSSING 心の交差点』は、一節の文章から始まる。
ジョージア語とトルコ語は性差のない言語であり
文法上に男女の区別は存在しない
この文章を目にして、ハッとする人は多いのではないだろうか。
外国語の文法における「性差」の違いは、時として私たちに多くの気づきを与えてくれる。
私自身、大学生の頃に第2言語としてドイツ語を履修した際「女性名詞」「男性名詞」という区別があることに、驚いた経験がある。
「月」と「太陽」「犬」と「猫」さらには「机」と「時計」など、ドイツ語では前者が男性名詞、後者が女性名詞となっている。理屈では納得できないような「性差」が名詞のなかに存在していることは、かなり衝撃的だった。
どうして、本来は性の区別など存在しないはずの名詞に、男女の概念を持ち込まなければならないのだろう?
当時は不思議で仕方なかったし、名詞に男女の区別があることにあまり納得がいかず、単位を取るのに苦労したことをおぼえている。
しかし、あらためて考えてみると、日本語だってかなり性差が目立つ言語だ。
「私」「僕」「俺」など、一人称ひとつとってもさまざまな種類があり、そこには少なからず男女の区別が存在する。
話し言葉における語尾もさまざまで「~なの」「~でしょう」は女性的。「~だな」「~だろう」は男性的といった印象を与える。
LGBTQ+の人物が登場する海外の映画を観ていて―特に、トランスジェンダーやノンバイナリーなど、生まれもった身体の性的特徴と性自認が異なる人物が登場する場合―その人物の一人称や語尾の日本語訳がどうしても気になってしまうことがある。
日本語は言葉選びによって性差を強く意識させることができてしまう言語だから「原語上映でも、この人物はこのような(女性的、あるいは男性的な印象を与える)話し方を、本当にしているのだろうか?」という部分が引っ掛かりやすい。
映画『CROSSING 心の交差点』の冒頭の一節は、そういった「言語における性差」の存在をハッと思い起こさせ、作品を観ている間も、どこかでちらりとその事実が脳裏をかすめるような仕掛けとして働いている。
ジョージアとイスタンブール、隣同士の国に生きるトランスジェンダー女性たち

映画『CROSSING 心の交差点』では、トランスジェンダーの人びとに対するさまざまな反応が描き出されている。
ただ、少し意外に感じたことがある。
イスタンブールにおいて、トランスジェンダーの人びとに向けられるのは「差別的な感情」だけではないということだ。
何の気なしに差別的な言葉を投げつける人、セクシュアリティを気にせず親切に接する人、戸惑いを隠せない人、興味とも同情ともいえない思いを寄せる人、性的な魅力を感じる人、あからさまに侮蔑の目を向けてくる人・・・・・・。
そこにある感情は、きれいな色もどす黒い色もくすんだ色も入り混じり、まるで東西の文化が交錯するイスタンブールの街そのもののような、カオスな色味をおびている。
ジョージア語とトルコ語は性差のない言語であり
文法上に男女の区別は存在しない
この文章は、決して「ジョージアとトルコでは、性差別もトランスジェンダー差別もない」ということを意味しているわけではない。
テクラはジョージアでのトランスジェンダー差別に耐えかねてトルコへ渡ったのだし、イスタンブールで病院や警察署を訪れるエヴリムは、差別的な態度や発言を目の当たりにしている。
テクラやエヴリムをふくむ、イスタンブールで暮らすトランスジェンダー女性たちは、複雑な色の視線にさらされながら、時に怒り、時におだやかに受け流して、カオスな街の空気に溶け込むように生きているのだ。
トランスジェンダー女性とその家族、相容れないふたりの感情の交差
私が思う映画『CROSSING 心の交差点』の醍醐味のひとつは、弁護士として活動するトランスジェンダー女性・エヴリムと、主人公リアの出会いだ。
トランスジェンダー女性・エヴリムと、姪を探すリアの交流

エヴリムは冷静で他人に優しい女性として描かれるけれど、トランスジェンダー女性の姪を探しているというリアと出会ったときの表情は、どこか硬く、よそよそしい。
「(テクラが)あえて隠れている可能性もある」と語るエヴリムは、もしかすると、テクラとリアの関係性に、自分自身と家族の関係性を重ねているのかもしれない。
テクラを探すリアは、家族としての愛情から動いている。
それでも、(おそらく)シスジェンダーで異性愛者であるリアに、テクラの心の内はきっとわからない。
テクラがどのような苦悩を抱えて生きていたか、なにを思ってジョージアを去ったのか、イスタンブールでどのような人生を送っていたのか・・・・・・いくら愛しているからといって、リアには想像もつかないだろう。
エヴリムは、そんなふたりの間の隔たりを感じ取っていたのではないだろうか。
トランスジェンダーの人と、そうでない私たちの間に流れる深い川

私にはたったひとりだけ、忘れられないトランスジェンダー女性の知人がいる。
大学の先輩であった彼女の、世間のしがらみを超越したようなまなざしと、芸術に対するストイックさ、それでいて心優しく、やわらかな表情で語りかけてくれるところが好きだった。
私自身、自分はどうやらレズビアンらしいと気づき始めた頃に彼女と出会ったため、マジョリティの同級生や先輩たちとは異なるそのたたずまいに安心感をおぼえ、淡いあこがれの感情を抱いていた。
しかし、どこか浮世離れしたところのあった彼女は、地元から遠く離れた大学院へ進学し、インドへ渡ったらしいと風の噂で耳にしたあと、連絡がつかなくなった。
今でも時折、彼女のことを思い出しては、トランスジェンダーの人と自分の間に流れる、深い川のような隔たりについて考える。
私は、トランスジェンダー女性である先輩を尊敬していたし、もっとたくさん話したい、深く交流したいと思っていた。
でもきっと、当時の私が見ていた彼女は、川の水面に映った像のようなもので、彼女の苦悩や葛藤のほんの一部分でさえも、私には見えていなかったのではないか。
大学で会っていた彼女は、自身のセクシュアリティや、LGBTQ+に対する世間の風潮について、一度も口にしたことはなかった。
連絡がつかなくなる前に更新されていたSNSで、ホルモン治療や大学院での寮生活の不便さ、改名手続きにともなう苦労などを語っていた様子は、私の知らない彼女の一面でもあった。
もし、社会がもっとトランスジェンダーの人びとに開かれたものであったら、私は彼女との間にここまでの隔たりを感じずに済んだのかもしれない。
それぞれの思惑を打ち明けることなく別れたエヴリムとリアのように、私たちはきっと、互いの間に流れる深い川の存在を感じながら、表面的な会話を交わすことしかできなかった。
彼女にまた会えたとしたら、私は何を伝えたいだろう。
リアのなかに渦巻くその問いは、私自身の問いにもなって、映画が終わったあともずっと心に残り続けている。
映画『CROSSING 心の交差点』が私たちに届けてくれるもの

タイトルにも表れているように、映画『CROSSING 心の交差点』に登場する人びとは、出会い、別れ、一瞬交差してから通り過ぎていく。
誰も、誰かの気持ちをそっくりそのまま理解することはできないし、愛情や友情がすべてを解決してくれるわけでもない。
ただ、イスタンブールに生きるトランスジェンダー女性たちの姿は、混沌とした街のなかで、確かな存在感とあざやかな光を放っている。
姪を探す旅のなかで、リアが感じた人生の機微と、さまざまな色が混じり合うイスタンブールの魅力を、あなたも体感してみてはいかがだろうか。
映画『CROSSING 心の交差点』は、2026年1月9日(金)より、全国の映画館にて順次公開だ。
■作品情報
『CROSSING 心の交差点』
公式サイト:https://mimosafilms.com/crossing/
監督・脚本:レヴァン・アキン
出演:ムジア・アラブリ、ルーカス・カンカヴァ、デニズ・ドゥマンリ
配給:ミモザフィルムズ
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