INTERVIEW
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LGBTQや性自認・性的指向を知って、長年のモヤモヤが晴れた【前編】

応募メールの文面からは、自分の意思がはっきりしている印象を感じた徳光みくさん。実際にお会いすると、周囲へのあいさつや感謝の言葉を常に口にし、言葉を選びながら話す、物腰のやわらかい人でもあった。一方で、その雰囲気からは想像もできないような選択をしてきた。セルフウェディング開催決意に至るまでの足跡を紐解く。

2024/05/30/Thu
Photo : Tomoki Suzuki Text : Hikari Katano
徳光 みく / Miku Tokumitsu

1990年、神奈川県生まれ。学生時代、セクシュアリティや人間関係から生じる、言語化できない生きづらさを感じる。大学院在学中にトランスジェンダー女性(MTF)であることを自覚。現在は、LUSH(ラッシュジャパン合同会社)の製造部門に勤めている。

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INDEX
01 勉強が楽しい
02 女の子に間違われて
03 化学実験って面白い
04 親切を受け入れられない自分
05 ボランティア活動のきっかけ
==================(後編)========================
06 好きだった彼女
07 満を持してジャグリングサークルへ
08 LGBTQって性自認と性的指向は別なんだ!
09 キャリアに “傷” をつけたい
10 人生の節目は、自分で創る

01勉強が楽しい

自然に慣れ親しむ

神奈川県の自然豊かな地域で生まれ育つ。

「家から、子どものペースで歩いて20分の距離には海がありました。反対側は丘陵地帯で、大きな川が流れてましたね」

豊かな自然環境のなかで過ごしているうちに、おのずと自然に興味を持つようになる。

「地域で自然観察会が開催されるって知れば、母親に『これ、参加したい!』ってお願いしてました」

「川の中洲まで、飛石を使って渡っていったりしてましたね」

自然への関心は、のちの進路やキャリアにも影響を与えることとなる。

選択肢を与えてくれた母親

最終学歴は「東京工業大学大学院 修士課程修了」。周囲からはかなりのエリートだと思われることもある。

「親は教育熱心というわけではなかったです。宿題をやりなさいとか、塾に通いなさいって言われたこともないですね」

ただ、小さいころから、学習への道にそれとなく導いてくれていた側面はある。

「ちっちゃいときに、ひらがなやカタカナの書き方を覚えるビデオにハマって、よく見てました」

「強制された覚えはないんですけど、通信教育も受講してました」

それ以外にも、ピアノや水泳を習っていたこともある。

「ピアノを練習すると楽譜が読めるようになって、楽譜通りに弾けるようになるのが楽しかったです」

「どれも押し付けられたわけではなくて、やってみる? って聞かれたからとりあえずやってみて、もし嫌だったら辞めればいい、という感覚でした」

自分の興味を尊重し、さまざまな選択肢を与えてくれた親は、今振り返ると有り難かったと感じる。

不公平な扱い

専業主婦だった母親とは、長い時間を家で一緒に過ごした。一方で、父親との記憶は薄い。

「休みの日には横浜にある八景島シーパラダイスとか東京ディズニーランドとか、遊びに連れて行ってもらったこともありましたね」

「私が10歳前後のときから、父親が単身赴任で離れて暮らしてたから、あまり記憶がないんだと思います」

父親と過ごした記憶が多くないうえに、率直に言うと当時は父親に対して不満を抱いていた。

「父親が、3歳下の妹を溺愛していたんです。妹は父親のことをうざがってましたけどね(苦笑)」

父が娘には甘いということは、どの家庭にもよくある光景だとは思う。

でも、私と妹で父の対応が明らかに違っていたことは、心のなかで引っかかりを覚えていた。

「私のことも構ってほしい! とまでは思わなかったですけど、扱いが不公平だなとは子ども心に思ってましたね・・・・・・」

02女の子に間違われて

周りが女子ばかりなゆえに

親戚のいとこ5人は、全員年上の女の子。さらに下には妹がいる。
自然と、お下がりとして回ってくる衣服は女子向けのものばかりになった。

「自分の服を買ってもらうにしても、妹が将来着るのを見据えてか、寒色系じゃなくて暖色系だったり・・・・・・」

衣服の影響もあってか、小学校低学年のころ、しばしば女の子だと間違われることがあった。

「買い物に行ったときとかに、よく間違われてました。間違われても、そんなに嫌悪感を覚えた覚えはないですね」

嫌な記憶としては残っていないが、少なくない頻度で女の子に間違われていたことは確実だ。

外遊びも、おうちも

小学生のうちは、男女とも一緒に遊んでいた。

「遊び相手としては男の子と遊ぶことのほうが多かったですけど、女の子とも遊んでました」

「男の子と遊ぶときは大人数でドッジボールをしたり、女の子と遊ぶときは少人数で絵を描いたりすることが多かったですね」

絵を描くことも、小さなころから興味のあることのひとつだった。

「絵画教室に通ったりはしなかったですけど、絵はよく描いてました」

絵画への興味も、その後のキャリア形成にかかわることとなる。

ちいさな初恋

初恋の記憶は、小学校2年生のとき。

「相手は、出席番号が1つ後ろの女の子でした。お互いに気になるようになったうちに、相手からラブレターをもらいました」

わずか7、8歳のときの出来事。

「お付き合いする」という概念もなく、引き続きただ仲良く遊ぶだけではあったが、かわいい初恋の思い出として、今でも記憶に残っている。

このころは自分のセクシュアリティに疑問や違和感を持つこともなく、”普通” の男の子として過ごしていた。

03化学実験って面白い

他薦で学級委員に

小学生のころから得意としていた勉強は、地元の公立中学に進んでからも長けていた。

「勉強そのものが好きでした。成績が周りの子と比べて良かったのも、自己満足でしかないですけど、でもやっぱりうれしかったです」

中学生活が始まって数か月が経つころには、周囲からも優秀な生徒だと認識されるようになっていた。

「クラスのなかで、学級委員は頭のいい人が担当するっていう流れがあって、中1の後期に周りから推薦されるかたちで学級委員になりました」

「本当は美化会員になって、花壇の手入れや校門の掃除とかをしたかったんですけどね(笑)」

化学と美術と

さまざまな教科があるなかで、特に好きだったのが理科だった。

「中学に上がると、授業で実験をすることが増えて。水素に火をつけて小さな爆発を起こしたりとか、実際に手を動かして実験してみることが楽しかったです」

一方で、絵を描くことにも引き続き興味を持っていたので、部活動では美術部に所属。

でも、なぜか同期がいなかった。

「2年生は10人くらい、3年生は20人くらいと、部員が少ないわけじゃなかったのに、なぜか1年生のときは同学年で入部する人がいなくて・・・・・・」

「部員のほとんどは女子なのに、男子である自分が入ったことによって、美術部に入ろうとしてた同学年の女子が入りづらくなっちゃったのかな? とか、色々と考えましたね・・・・・・」

先輩のなかにいた唯一の男子部員と一緒に、肩身の狭い思いをしながら部活動を続けた。

このころ、はっきりとした将来の夢はまだ抱いていなかった。

「高校受験の面接練習で、将来の夢として何を言おう? と考えて、とりあえず安定してるからっていう理由だけで公務員と答えてました(苦笑)」

具体的ではなかったが、絵を描くことへの興味から、将来は美大に進学しようか? と漠然と考えていた。

04親切を受け入れられない自分

言語化できないモヤモヤ

中学校に進学したころから、うまく言い表せないモヤモヤを抱えるようになっていく。

「中学生になると男女に分かれるようになるし、グループも固定化されるじゃないですか。それにクラスの中心にいるような男子グループは、大声で下ネタを言ったりして・・・・・・」

「今思えば、居心地が悪いなと感じてた原因には、セクシュアリティも関係してたと思います」

ただ、そのときは自分の性自認や性的指向について自覚的ではなかった。

自分自身は物静かな男子のグループに身を置いて、盛り上がっている生徒たちを斜に構えた姿勢で眺めて、中学校生活をやり過ごした。

馴染めないクラス

積もった不安が表面化したのは、高校2年生のときだった。
修学旅行に向けた部屋決めでのこと。

担任の先生は、ホームルームを生徒たちに任せて教室をあとにした。クラス内で友人のいなかった私は、話し合いに参加できなかった。

「しょうがないや、って眠くもなかったけど寝たふりをしてました」

とはいえ、クラスとしては、輪に入っていないクラスメイトを放置するわけにはいかない。

近くの席にいた男子が、孤立している私を見かねて「徳光も来いよ」と腕を引っ張った。

「それが嫌で、泣き出してしまったんです」

親切で声を掛けてくれたはずなのに、それを受け入れられない自分。

何が嫌なのか、どうしたいのか、言語化することすらできない。その気持ちが涙となって表れたのだった。

周囲は、「徳光のことを泣かせただろ」と声を掛けてくれた男子を責めた。

「みんなに申し訳ないし、空気に耐えられなくなって、教室を出て行きました」

幸い、この出来事をきっかけにネガティブな気持ちが増幅し、学校での居場所がなくなり不登校になるといったことはなかった。

でも、不安を表に出して、だれかに相談することもなかった。

05ボランティア活動のきっかけ

クラスの “縛り” がゆるい単位制

クラスのなかではアクシデントもあったが、全体的に見れば高校生活は楽しく過ごせたと思う。その要因の一つが、単位制という高校のシステムだった。

「大学みたいに、取りたい授業を自分で選べる学校だったんです」

1年生のうちは必修科目が多く、クラスメイトたちと過ごす時間が長かった。

でも、2年生以降は各々が選択した授業に出席するようになったため、クラスのコミュニティを強く意識せずに済んだ。

「3年生のときは、すべての授業が自分と同じ人は1人もいませんでしたね」

絵を描くことは楽しみたいけれど・・・

高校では、美術部には所属しなかった。

「美大に進学してアカデミックに美術を極める道は違うかな、と思い始めてたんです」

「美術部ものぞいたんですけど、高校の美術部って、それこそ美大進学希望の人たちが集まって、写実的な絵や抽象画を本格的に描くところじゃないですか。そういうところは馴染めないかなと思ったんです」

そこで選んだのが「児童文化部」だった。

地域の幼稚園や保育園、養護学校に足を運んで、子どもに紙芝居を見せるなどのボランティア活動を行う部活動だ。

「中学の美術部の先輩2人が児童文化部にいたので、そこにしました」

「学術的方面での美術には興味がなかったですけど、絵を描くこと自体は好きだったので、紙芝居を作ることは楽しかったです」

子ども相手に楽しませる活動は、大学時代のサークル活動や、現在行っているボランティア活動にもつながることとなる。

児童文化部と演劇部、持ちつ持たれつ

2年生からは、児童文化部に加えて演劇部にも所属するようになった。
とはいっても、突然演劇に目覚めたわけではない。

「児童文化部の部員は、私と先輩の3人だけ。しかも先輩たちは美術部との掛け持ちで、その合間に児童文化部の活動をするような、小さな部活でした」

演劇部の部員が児童文化部に手伝いに来てくれていたので、その代わりに私も演劇部を手伝うかたちで掛け持ちをするようになったのだ。

「演劇部も、私を入れてたった4人の小さな部活でした」

「県大会に出場するときは、数人だけでも成立する脚本をネットで見つけたり、文化祭では創作劇をしたり・・・・・・」

美術部ではないけれど、絵を描きたいという思いを昇華できるという点も、演劇部を掛け持ちすることにした理由の一つだ。

「大道具で使うものをペンキで塗ったりしてました」

小さい部活だからこそ、公演の際にはさまざまなところから手伝いの人たちがやって来る。

「どこまでが部員なのかも分からないくらい、毎回寄せ集めのメンバーで活動してました(笑)」

演劇部の活動のたびに、仲のいい人同士で集まっては、また友人の輪が広

 

<<<後編 2024/06/06/Thu>>>

INDEX
06 好きだった彼女
07 満を持してジャグリングサークルへ
08 LGBTQって性自認と性的指向は別なんだ!
09 キャリアに “傷” をつけたい
10 人生の節目は、自分で創る

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