INTERVIEW
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離婚したくないから戸籍は変えないけど、今の私が本来の姿。【前編】

きりっとしたスーツ姿で現れた都筑みな実さんは、バスの運転士。「子どもの頃からバスバカなんです(笑)」と、笑いながら話してくれた半生は、「バスの運転士になる」という目標にまっすぐ突き進んだものだった。そして、30歳を過ぎてから、「女として生きる」という目標にも向き合った。仕事をないがしろにせず、自分自身も大切にする生き方こそ、私の理想。

2019/08/29/Thu
Photo : Rina Kawabata Text : Ryosuke Aritake
都筑 みな実 / Minami Tsuzuki

1984年、愛知県生まれ。幼少期から路線バスが好きで、休日に1人でバスを乗り継ぐ時間が楽しみだった。21歳からバスの運転士として働き始めるが、契約満了にともない、介護士に転職。職場で出会った女性と結婚した後、バスの運転士に復帰。2017年に自身がMTFであることを自覚し、翌年からホルモン治療を開始。

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INDEX
01 表向きはバスが大好きな “男の子”
02 クラスで浮いたような存在
03 やってみたかった女性らしいしぐさ
04 本当に着たい服、したい生き方
05 憧れの仕事に就けた喜びと社会の現実
==================(後編)========================
06 服装もメイクも受け入れてくれた恋人
07 トランスジェンダーだという気づき
08 「女として生きたい」決意の告白
09 家族と職場、恵まれた環境
10 計画通りに進められたからこその今

01表向きはバスが大好きな “男の子”

「セーラームーン」への憧れ

幼い頃の自分は、怒りっぽかった記憶がある。

「負けず嫌いで、ゲームで負けた時とかによく怒ってましたね(笑)」

「でも、体を動かすことは好きじゃなくて、ケンカはしなかったです」

「手を出したら負けるのはわかってるから、口だけでおしまい(笑)」

運動は苦手だったが、近所の友だちに誘われれば、キャッチボールをした。

表向きは普通の男の子。

「だけど、戦隊ものとか、男の子向けのヒーローものには興味なかったです」

「本当に見たかった番組は、『セーラームーン』だったな」

2人姉妹のいとこの家に行った時だけ、堂々と『セーラームーン』が見られて、うれしかった。

「弟と2人兄弟だったから、家では見れなかったんです。親に『見たい』とも、言えなかったですね」

小学校に上がる時、親戚からもらったランドセルや文房具にも、気分が上がらなかった。

「当然だけど男児用のものばっかりで、口では『ありがとう』って言ってたけど、内心は溜め息ですよね」

「でも、『女の子のものがいい』なんて言えなかったし、本能的に言っちゃいけないことだと思ってました」

誰に何を言われたわけではないが、女の子向けのものに対する憧れを、表に出してはいけないように感じていた。

自由にさせてくれた母

弟とは、歳が9つ離れている。

「歳は離れてたけど、よく一緒に遊んでましたね」

「ただ、弟が生まれる前は、妹がいいな、って思ってました(笑)」

母は、自分が高校生の時に父と離婚し、2人の息子を育て上げた。

その教育方針は、“放任主義” だったように感じる。

「白黒はっきりさせる人だから、いたずらすれば『いかん!』ってはっきり言われましたね」

「でも、勉強とか将来のことに関しては、『好きにしや』って感じでした」

「私は、物心ついた時からバスが好きで、幼稚園の頃から『大人になったらバスに乗る!』って、騒いでたんです」

「21歳になって、大型二種免許が取れた時に、その夢が叶いました」

当時勤めていた会社を辞め、母に「バスに乗る」と、宣言した。

「母は『ああそう。その時が来たのね』って、特に止めるようなことはなかったです(笑)」

02クラスで浮いたような存在

バスの思い出

小学校時代の楽しかった思い出は、バス。

「担任が手を上げる先生ばかりだったので、学校生活はあまり楽しくなかったですね」

「2年生ぐらいから、休日に1人でバスに乗るようになりました」

1日乗車券を買い、名古屋市内をバスで巡った。

「最初は、母が買い物のついでに、バスに乗せてくれてたんです。でも、毎回同じ路線だから、飽きてきちゃうんですよ」

母を説得し、1人で乗りに行くようになった。

「学校で嫌なことがあっても、バスに乗れたら幸せでしたね」

3年生の時の遠足では、学校から名古屋港水族館まで、貸し切りの路線バスで向かった。

「小学校6年間の中で、一番楽しかった日ですね」

「普通は方向幕(行先表示器)に『貸切』って出るんですけど、その時は真っ白だったんです」

「『なんで白幕なの!?』って、ものすごく興奮したことを覚えてます(笑)」

「バスオタク」

中学生になると、バスの運転士になる将来を、本格的に描き始める。

「当時、父が運転士だったから、バスのことは結構聞いてたんです」

「大型二種免許は21歳にならないと取れないことも、この頃に知りました」

中3の進路相談会で、「21歳で免許を取って、バスに乗る」という将来設計を話した。

担任教師から「高校卒業してからの3年間はどうするの?」と聞かれたが、そこまで細かくは考えていなかった。

「バスが好きすぎたせいか、クラスでは浮いた存在だったと思います」

クラスメイトから、よく「バスオタク」と、いじられた。

「仲がいい友だちはいたけど、腹割ってなんでも話せるほどではなかったですね」

「積極的に友だちを増やそう、って気持ちにもならなかったです」

いじられて嫌な思いもしたが、バスに乗れば、すべてを忘れることができた。

淡い恋心と憧憬

同級生の女の子に対して、淡い恋心を抱いたことがある。

「かわいいな、って思いました。でも、つき合いたい、まではいかなかったですね」

一方で、女の子たちを見て、自分もみんなみたいになりたい、と感じることもあった。

「学ランが嫌ってわけではないけど、なんで着なきゃいけないんだろう、とは思ってたかな」

「女の子に生まれたかった、っていう気持ちがよぎる時もありました」

今思えば、女の子に対する恋心も、憧れの感情だったのかもしれない。

「だけど、深く悩むようなことはなかったです」

03やってみたかった女性らしいしぐさ

女の子っぽい先輩

進学先は、母の通っていた商業高校にしようと考えていた。

しかし、担任教師から「バスに乗るなら、工業系の方が役に立つんじゃないの?」と言われ、考えを改める。

「商業高校まで電車で1時間半と遠かったのもあって、工業高校でいいかなって」

「同じ中学の子が誰もいなかったから、進学してからは、いじられることもなくなりましたね」

その高校には、福祉系の部活があった。

「部員が5~6人しかいない、ちっちゃい部活だったんですけど、思いつきで入部したんです」

「そこにいた1つ上の男の先輩のおかげで、私の人生はガラッと変わり始めました」

先輩は、しぐさや言葉遣いが女性らしく、持ち物もかわいらしいものが多かった。

同級生から「あいつ、オネエだ」と、言われているようだったが、先輩は堂々としていた。

真似してみた座り方

「内股で座っている先輩を見て、やりたいことをやっていいんだ!? って衝撃を受けたんです」

「男は男らしくしなきゃいけない、みたいな枷が外れた感じですね」

登下校の道中の地下鉄で、それまでは脚を広げて座っていた。

先輩と出会ってからは、脚を閉じて座るようになる。

「学ランを着た男子高校生が脚を閉じてるって、異様な光景だから、指を差されることもありました」

「だけど、やり始めたら、人に何か言われても、やめようって気にはならなかったですね」

「先輩は自分に近い存在だと感じたし、ロールモデルになったことは間違いないです」

自分とは縁のない話

自分自身の振る舞いが変わっていく中で、セクシュアリティに関して調べたこともある。

「なんとなく調べてみると、治療や手術のことが出てきて、そこで性転換できることを知りました」

できることならやってみたいな、という思いを抱く。

「でも、お金がかかることだから自分とは縁のない話だな、って結論を出してました」

先輩と出会って枷が外れ、自由度が増しただけで十分、と思ったのかもしれない。

先輩が卒業してからも、しぐさや言葉遣いを元に戻すことはなく、人の目も気にならなかった。

04本当に着たい服、したい生き方

女性ものの服とメイク

高校を卒業してからは、港湾関係の仕事を始める。

「21歳でバスの運転士になることは決めてたから、それまでの踏み台って考えてました」

「働き始めて収入が得てから、服装を変え始めたんです」

高校生までは、同級生と同じような男性ものの服を着ていた。

徐々に男性ものは買わなくなり、女性もののTシャツなどを買うようになる。

「いきなりスカートとかワンピースとかは無理だから、最初は男でも着れるようなものから」

「デザインはかわいすぎないけど、女性のサイズで縫製してあるものを選んでましたね」

私服を変えていくと同時に、メイクにも挑戦する。

「自分でお店に買いに行ってました」

「いわゆるプチプラの化粧品を買って、塗りたくって、最初はバカ殿みたいな感じ(笑)」

「それでもかまわずに、外に出てましたよ(笑)」

メイクをするのは、プライベートの時だけ。

「高校時代の友だちと会う時とかに、化粧して行ってました」

「先輩の影響を受けていることは、みんなわかってたと思うから、あんまり驚かれなかったかな」

多少いじられることはあっても、否定的な言葉はかけられない。

「化粧してんの?」とは聞かれたが、深く追及されるようなことはなかった。

母にも隠さずに、実家でメイクをしていた。

「何も言われなかったですね。何かやっとるわ、ぐらいの感じだったんでしょうね」

趣味ではなく生活

服を変えてメイクを始めたのは、女の子と同じことがしてみたかったから。

「今思うと、出かけられるクオリティの化粧じゃなかったけど、堂々とやってましたね」

「服装も化粧もだんだんエスカレートしていったけど、20代の間はそこで止まってたんです」

身体的に女性になろう、とは考えていなかった。

「漠然とした違和感はあったし、女の子になりたい、って気持ちはありましたよ」

「でも、男であることは仕方ないし、お金もなかったから、諦めの感情が強かったのかも」

自分の中では、決して「女装趣味」ではなかった。

ただ、周囲から見れば、そう見えていたのかもしれない。

「この頃は、めちゃくちゃ過ごしやすいわけではないけど、やりたいことがやれるからいいや、って感じでしたね」

「仕事場は作業着に着替えるから、何を着ていっても構わなかったし、メイクを否定する人もいなかったから」

港湾関係の仕事をしながら大型二種免許を取得した。
就職から3年後、憧れのバスの運転手に。

05憧れの仕事に就けた喜びと社会の現実

バスを運転できる幸せ

小学生で始めた名古屋市内のバス旅は、高校生まで続ける。

社会人になってからも、市内のバスには頻繁に乗っていた。

「やっぱり馴染み深い名古屋市交通局のバスが、一番好きなんですよね」

「だから、本当は名古屋市交通局に入りたかったんです」

「でも、採用試験を3回受けて、3回落ちました(苦笑)」

結果的に別のバス会社にはなったが、約20年越しの夢が叶う時が来た。

「初めてバスを運転した時は、私の操作した通りに動く、曲がる、止まることの喜びでいっぱいでしたね」

「たまに、造りが違うワンオフのような珍しい車種があるんです
よ」

「そういうバスに当たると、やっとこれを運転できる! って、1日テンションMAXですね(笑)」

当時、珍しかったノンステップバスに乗れることが決まると、数日前からワクワクした。

「初めてノンステップバスを運転した日は、天井が低い! とかすべてが感動で、何があってもいいや、って思えましたね」

帽子の被り方

運転士の仕事は、思い描いていた喜びばかりではなかった。

「早朝・深夜の勤務があるので、思っていた以上に大変な仕事でしたね」

「あと、最初に入った会社は、人間関係が複雑で・・・・・・」

職場内には、運転士同士の派閥があった。

「私は派閥とか嫌だったので、入らなかったら、除け者にされました」

同僚の中に、1人だけ女性の運転士がいた。

その女性は、制服の帽子を斜めに被り、前髪を出していた。

「男だと、帽子に前髪を入れて、まっすぐ被らなきゃいけないんです」

「でも、女性の被り方がいいな、って思って、真似したんですよね」

当然、上司から「帽子の被り方がなってない」と、注意される。

「それでも、被り方は直しませんでした(笑)」

メイク代わりのマスク

最初に入ったバス会社は、人間関係や給料面での食い違いがあり、半年で辞めることに。

その後、すぐに別のバス会社に転職した。

「2つ目の会社に入ってから、仕事中も化粧をし始めましたね」

「その代わり、帽子はまっすぐ被るようになりました(笑)」

ある日、所長に呼び出され「化粧してるのか」と、聞かれた。

「堂々と『やってます』とは言えないから、『日焼け止めがてらやってます』って話したんです」

「でも、『そんな運転士いるか!!』って、説教されてしまって・・・・・・」

契約社員だった自分は強く出ることができず、「はい、わかりました」と、甘んじて受け入れるしかなかった。

翌日から、メイクをしない代わりに、マスクをつけて運転するようになる。

「その頃から、すっぴんで外に出ることはなくなりました。すっぴんの時は、マスク必須」

「不特定多数の方と接する運転士の間では、マスクをして働くことは普通だったので、誰かに指摘されることもなかったです」

契約の2年が過ぎ、バスを降りることになった。

 

<<<後編 2019/09/01/Sun>>>
INDEX

06 服装もメイクも受け入れてくれた恋人
07 トランスジェンダーだという気づき
08 「女として生きたい」決意の告白
09 家族と職場、恵まれた環境
10 計画通りに進められたからこその今

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