「わたしはクワロマンティックかな」と思いつつも、本当にそう言い切っていいのか、ずっと迷っていました。そんな私に気づきをくれたのが、ドラマ『恋せぬふたり』に出てきた「全部(仮)でいい」というセリフです。その言葉にわたしは救われました。
「クワロマンティックです」って言い切ってしまったら
クワロマンティックは「他者への好意が、恋愛感情か友情かを区別できない」もしくは「恋愛感情と友情を区別したくない」と説明される恋愛的指向です。私はこの恋愛的指向を自認しています。
わたしがクワロマンティックに出会うまで
わたしは昔から、恋バナが苦手です。
「好きってどういう気持ち?」
「なんで付き合いたいって思うの?」
「好きなタイプって、どうやって答えればいいの?」
みんなが話している恋バナの最中に、わたしはこんなふうに疑問が次々と出てくるんです。そんなことを全然考えずに生きてきたから、どれだけ考えてみてもわかりません。
みんなが当たり前のように話す恋愛の話題に、いつも自分だけが置いていかれる気がしていました。
わたしは、みんなとは違うのかもしれない・・・・・・。そう思い始めてから、ずっと自分のことを説明できる “言葉” を探すようになりました。
そしてわたしは、インターネットでいろいろと調べるなかで、クワロマンティックというセクシュアリティに出会いました。
「他者への好意が、恋愛感情か友情かを区別できない」
「恋愛と友情を分けたくない」
そんな説明を読んだとき、たぶん私はこれなのかもしれない、と気づいたんです。
クワロマンティックを自認してからの葛藤
クワロマンティックと自認。でも「クワロマンティックです」とはっきり言い切ることには、ためらいがありました。
それは「クワロマンティックです」と口にすることで、自分をしばってしまいそうな気がしていたからです。
もし、この先わたしのセクシュアリティに変化がおとずれたら・・・・・・
わたしはそんな自分を受け入れられるだろうか、拒否したくなるんじゃないか
クワロマンティックだと伝えた相手が、変化したわたしを理解してくれるだろうか
という怖さがありました。
だから、できればまだ決めてしまいたくない。
でも、何かのセクシュアリティだと自認していないとそれはそれで不安。
どうしたらいいんだろう・・・・・・。
気持ちは行ったり来たりするばかりでした。
ドラマ『恋せぬふたり』のセリフ「全部(仮)でいい」に救われた
もやもやを抱えるなかで出会ったのが、ドラマ『恋せぬふたり』でした。
「全部(仮)でいい」という言葉との出会い

『恋せぬふたり』は、アロマンティック・アセクシュアルの男女を中心に描いたNHKドラマです。
ひょんなことから同居することになった二人は、互いの関係を周囲の人になかなか理解してもらえず葛藤しながらも、自分たちの在り方を大切にしようと「家族(仮)」として、一つ屋根の下、お試しで暮らしはじめます。
ここから少々ネタバレがあります。
最終話で二人は、それぞれの一番好きな暮らしを選ぶため、別々に暮らすかどうかを検討します。その場面で「家族(仮)」がどうなってしまうのかを話し合うなかで出てきたセリフが印象的でした。(セリフは正確な引用ではなく、内容を要約・意訳しています)
「別々に暮らしても家族じゃなくなったりしない」
「何も決めつけなくていい」
「私たちも家族も全部(仮)でいい」
「言葉にするとしばられちゃう、周りに決められた普通にしばられたくない私たちでさえも」
「大事なものや考え方もどんどん変わっていくから、そのときのベストで考えればいい」
主演である2人のこんなセリフを初めて耳にしたとき、胸の奥がじんわりとあたたかくなりました。
『恋せぬふたり』がくれた、いつでも書き換えていいという安心感
ドラマ『恋せぬふたり』で「(仮)」言葉に出会って、ふっと、心が軽くなりました。
「(仮)をつけておけば、自分のセクシュアリティも変わっていいんだ!」って初めて思えたんです。
それまでわたしは、一度言葉にしてしまうと、その言葉が濃い色の文字のように表され、簡単に消せないような気がしていました。でも(仮)をつけることで、全体が淡い文字のように思えて、書き換えられそうな感じがしました。
「(仮)」は、これから先どんなふうに変わっても大丈夫だよ、というお守りのような言葉です。
変わるわたしを受け入れるために「(仮)」で素直に生きていく
「(仮)」をつけることで自分に正直でいられる

セクシュアリティは、変わることがありますし、一生ずっと同じとも限りません。だからこそ、自分のセクシュアリティに「(仮)」とつけることは、自然なことのようにも思えます。
わたしの場合は、クワロマンティックに「(仮)」をつけることで、少し呼吸が楽になる気がしました。
たぶんクワロマンティックかな
未来はわからないけど、いまはこれが近そうだから、(仮)をつけよう
そう思うことで、今の自分をより大切にできますし、ポジティブな気持ちで自分のセクシュアリティを捉えられるようになりました。「(仮)」は、セクシュアリティの名前にしばられず、自分に正直でいるために必要なものかもしれません。
「全部(仮)で生きていこう!」というマインドでいたい
「全部(仮)でいい」
この言葉は、セクシュアリティに限らず、何かを決めきれずに迷ってしまうときの救いの一言でもあるな、と思います。
ずっと今のままでいられる人なんていない。
だったら「これ!」と言い切る必要なんてないのかもしれない。
気持ちなんてどうせ変わっていくもの。
だから「全部(仮)」でいいんだ。
それが今のわたしの気持ちを一番正直に表してくれる言葉だから。
そう思えるようになってからは、変に悩んだり、自分を責めすぎたりすることが少なくなりました。
みなさんも「(仮)」の気持ちを大切にしてみませんか。
■参考情報
NHKドラマ『恋せぬふたり』



