02 ゲイってどういうこと?
03 興味の対象は異性か、同性か?
04 ミュージカル俳優を目指して
05 ようやく訪れた本当の恋
==================(後編)========================
06 初恋は苦い思い出
07 人生、そんなに甘くない
08 表現者としての使命感
09 カミングアウトの波紋
10 大きな夢を描いて
01よく喋り、よく歌い、よく踊る
夢はピーターパン
ミュージカル俳優になりたい。
そう思うようになったきっかけは、3歳のとき、今はなき東京・新宿のコマ劇場で観たミュージカル『ピーターパン』だった。
榊原郁恵が、初代ピーターパンだった頃。
「両親の趣味のひとつが、演劇鑑賞だったんです。夏休みは毎年、家族で車を走らせて、東京までミュージカルを観に行っていました」
鑑賞後の興奮はいつまでも冷めやらず、数日、いや数ヶ月が経っても「ピーターパンになりたい」と親に話すほどだった。
「僕がせがんだからか、それからは毎年1回、家族でピーターパンを観に行くようになりました」
「新宿コマ劇場って少し変わった造りをしていたのですが、頻繁に通ったせいで、劇場の見取り図まで覚えています。『ピーターパン』の舞台セットも、脳裏に焼きついています」
その後、上演館が青山劇場に変わってからも、何度か両親に連れて行ってもらった。
「他にも『オズの魔法使い』などを見ました。初めは『ピーターパンになりたい、なるんだ』と思っていただけだったけれど、小学校4年生のときには、将来の夢を聞かれれば、ミュージカル俳優になりたいと答えていました」
両親も趣味と実益を兼ねてではないが、できたら我が子の感性も育めればという親心もあっただろう。
その思いは、きちんと子どもの心にも届いていた。
学校でもミュージカル
父親は高校の体育の教諭だった。
しつけには厳しかったが「よく学び、よく遊べ」という考えの持ち主だったので、とにかく家族で出かけることが大好きだった。
「ご近所さんと一緒に、キャンプしながら車で北海道まで行ったこともあります。とにかく活動的な父でしたね」
クリスマスには毎年、東京ディズニーランドに連れて行ってくれた。
実はキャンプに行くより、このお出かけの方が嬉しかった。
「ミッキーやミニーなど、パレードで観たディズニーのキャラクターの踊りを見よう見まねで、学校の同級生の前で披露していました」
そのせいもあって、当時、友達のあいだで流行っていた秘密基地づくりに入れてもらえなかった。
「お前がいると、基地の中がディズニーチックになる」という、よく分からない理由で、だ。
「『基地がミュージカルっぽくなる!』とも言われました(笑)」
授業中も隙を見つければ、歌い出してしまうような子どもだった。
私語も我慢できない性格だったので、先生によく怒られた。
「どうせ水越はうるさいから」と、バルコニー側の席が定位置だった。
「落ち着きのない小学生でしたね」
「でも、不思議とムードメーカーだったんです。『水越はそういう子』って、みんな認めて、逆に面白がってくれていた気がします」
なんか変わった奴だけど、面白いな。
少しは歓迎されていたのかな、と今、振り返って思う。
勉強は苦手だったけれど、音楽の授業だけは楽しかった。歌うことが好きだったので、文化祭の合唱も張り切って声を張り上げた。
他にも、親に薦められて水泳教室に通った。
6年生の頃には随分と肩幅も広くなり、持久力も付いた。
舞台での見え方、声量など、水泳を通して体得したことが、今の仕事に少なからず繋がっているかもしれない。
02ゲイってどういうこと?
ホモって言うな!
小学校は楽しかったが、一つだけ悩みがあった。
「無邪気に歌って踊っている僕を見て、ホモ、オカマと笑いながら言ってくる同級生もいて」
「彼らにしたらノリで言っただけ、悪気なく発した言葉かもしれないけど、子供の頃の僕には、なんか辛かったです」
ホモの概念は、小学校高学年のときに観たドラマ「あすなろ白書」を通して知った。
大学生男女5人の、主に恋愛を中心とした人間模様を描いた作品だが、登場人物の一人がゲイだった。
「ああこういう人もいるんだな、くらいの感覚でした。まさか自分がゲイだとは、そのときは思っていなくて」
当時はゲイに対して何の感慨もなかった。
それでも同級生から「ホモ」「オカマ」と言われることは耐えがたかった。
男性に目がいく
しかし自分に関していえば、ひょっとしたらゲイかもしれない、そう思う部分もあった。
「芸能人を見ていても、イケメンに目が行くんですよね。小学生高学年から中学生のとき、好きなアイドルグループもいました」
女子に興味がある反面、男の子にも目がいく。
ちょっと変なのかな、と潜在意識では思っていた気もする。
しかし雑誌に「巨乳」という文字が躍っていたら、それはそれで惹きつけられてしまう。
グラビアアイドルにも興味はあった。
しかし小学校が楽しかったこともあって、性自認の問題にあまり目がいかなかった。
毎日を快活に過ごしていたら月日が流れ、気づけば学び舎を巣立っていた。
03興味の対象は異性か、同性か?
自分を押し殺す
中学校に入学した。
相変わらず、歌って踊って話して、の楽しい毎日のはずが。
そうはいかなかった。
「地元の公立中学に進んだのですが、先輩が後輩をいたぶるような、荒れた学校だったんです。僕は悪目立ちして、不良に目をつけられてしまって」
「おとなしくしないといけなかった。だんだんと感情表現が薄くなっていきました。もうそんなに、歌ったり踊ったりもしなくなりました」
「それで幸い、先輩から好奇の目を向けられることもなくなったんです」
ただ、これを機に感情を押し殺して生きる癖がついた。
「なんか、淡々としてるね」と言われるようになったのも、この頃からだ。
でもそんなフラットに見える自分も嫌いじゃない。
今ではそう思う。
痛い失恋
中学校に入って、少しはおとなしくなったつもりだった。しかしそうでもなかった、と痛感させられる出来事があった。
「同級生に好きな女の子がいたんです。小学校の頃から好きでした。顔立ちがはっきりして、性格はおとなしい子です」
中学校に上がったから、きちんと付き合いたいと正式に告白してみた。
「歌ったり踊ったり。なんかうるさいから、あまり好きじゃないと振られてしまいました(笑)」
少しは自分も変わったはずなのにと、落ち込んだ。
「でも当時はまだ、女性に興味があった。そう思い込んでいたから。とにかく早く付き合ってみたかった」
「身体がどうなっているのか。生で裸を見てみたかったし、エッチにも関心があったんです」
やがて彼女ができた。すぐにセックスもした。
でも、なんとも思わなかった。
「全然、気持ちよくなかった。興奮もしなかったんです。雑誌のエロ特集に書いてあるような、すごく楽しいことではなかった」
「小学生のとき、冗談で男友達と性器を刺激し合っていたときの方が、よっぽっど気持ちがよかった。彼女とセックスした後の率直な感想です」
今では彼女の名前も覚えてない。
結局、すぐ別れたからだ。
一ヶ月も続かなかった。
悪いことをしたなぁ、と今では思っている。
04ミュージカル俳優を目指して
道は開けた
田舎で中学生活を送りながらも、心はいつも東京にあった。
一日も早く養成所に入って、ミュージカル俳優として歩を進めたいと思っていたからだ。
「10歳のときから、俳優になるんだと言っていました。養成所に通いたいとも。でも父が絶対に認めてくれなかったんです」
厳しい父親だった。
しつけはもちろんのこと、勉強を疎かにすると怒られた。
学業を優先して欲しいとの思いから、当然、芸能活動には反対だった。
母親は古き良き妻を絵に描いたような人で、父親の意見が絶対。自分に味方してはくれない。
「それでも親に隠れてオーディションに応募していました」
「落ちてばかりでしたが、ある劇団の落選理由が『養成所まで1時間半圏内が合格の条件。山梨県に住んでいるから通学不可』というものでした」
自分が住んでいる山梨県大月市から都内までは、中央線快速で90分以内で行ける。
まずは誤りを解こう、と電話してみた。
「事情を理解して、合格にしてくれました。が、養成所は月謝がかかるので、父の説得が不可欠。どうしても通いたい、と頼み込みました」
ついに父親も折れた。
「あくまで習い事として。(俳優を本業にしない)」ということが条件だった。
「もちろん習い事ではありません。でも入所することが第一だったので、そこは承諾するふりをして、やり過ごしました」
結果を残せば、両親も納得するだろう。
頑張れば道は開けると信じていた。
新たな刺激
中学3年生から、週に1回、東京の養成所に通う日々が始まった。
「滑舌、ダンス、歌。全て基本から教わりました。通っていた中学校に演劇部がなかったので、どの練習も初めての体験でした」
養成所に通う、東京の同年代の人たちとの交流も刺激的だった。
仲良くなって、山梨県まで遊びに来る友達もいた。
「劇団の女友達が、うっかり東京行きの終電を逃したので、家に連れて帰ったことがあるんです」
「そうしたら父にひどく怒られて。『近所の人に、女を連れ込んでいるところを見られたらどうするんだ』と怒鳴られました」
何が悪いのか、わからなかった。
友達を家に泊めることがどうしていけないのか。
彼女に対して、下心など全くなかったのだから。
同級生との苦い初体験を経て、女性への興味がかなり薄れていた。
しかしこのエピソードを除けば、学校と養成所の掛け持ちに関して、両親は概ね協力的だった。
05ようやく訪れた本当の恋
この気持ちは?
地元、山梨の高校に進学してからも、週に1度は東京へレッスンに通う日々が続く。
「演技の基礎を学びながら、デビューに向けて、養成所のメンバーと男3人、ユニットを組むことになったんです」
一緒に過ごす時間が増えていくなかで、そのなかの1人を意識し始めた。
「とにかく顔がかっこよくて。まず彼の端正な容姿に釘付けになったんです(笑)」
「おまけに性格も明るくて、1つ年上だったからか、率先してグループを引っ張ってくれる。頼りがいもありました」
できればずっと、一緒にいたかった。
養成所で会えない日も、学校の後に落ち合い、彼の家に遊びにいくことがあった。
地元の学校から転校し、東京の高校へ通うようになっていたから、互いの予定さえ合えば、いくらでも会いに行くことができた。
「女の子には感じたことのない感情でした。一緒にいてもいなくても、ずっと彼のことを考えていました」
愛なんだ
養成所の同僚に抱く、この気持ちは何なのだろう。
その答えを教えてくれたのが、中学校のときの家庭教師の先生だった。
「指導中に、自分はゲイだとカミングアウトされました。言われたときは、僕のなかに男性を想う気持ちがなかったので、先生の恋愛感情がどういうものなのか、よくわからなかった」
「高校に進学してからも、先生とは仲が良かったので、僕が養成所の同僚に持っている感情はなんなのか、思い悩んだら相談にのってもらっていました」
その過程で、ああ、これが愛なんだと悟った。
僕も先生と一緒でゲイなんだ、と。
「頭の中では整理がつきました。そして、ゲイである、人とは違うことに気づいて、ショックを受けている余裕はありませんでした」
「彼への気持ちが、もう自分の中だけでは抑えきれなくなっていたからです」
好きだと言えば、嫌われてしまうのではないか。
そんなことも考えられないくらい、彼のことを想っていた。
<<<後編 2017/02/24/Fri>>>
INDEX
06 初恋は苦い思い出
07 人生、そんなに甘くない
08 表現者としての使命感
09 カミングアウトの波紋
10 大きな夢を描いて