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FTMって明かしても、誰も離れていかないよ【前編】

カメラを向けるたび、明るい笑顔が咲く。クールな表情が苦手なところも、橋本梓さんらしい。幼少期からスカートが嫌いで、男の子向けのおもちゃにばかり興味を示した。「ボーイッシュな女の子」の周りには、男女問わず人が集まってきたが、孤立を恐れるあまり、なかなか本心を明かすことができなかったという。家族、友だち、恩師。橋本さんを勇気づけてきた言葉の数々を拾いつつ、27年間の軌跡を追う。

2019/04/11/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Sui Toya
橋本 梓 / Azusa Hashimoto

1991年、福島県生まれ。両親と2歳上の姉の4人家族。子どものころは人一倍やんちゃでケガが絶えなかった。生まれつき持病を抱えており、病院通いをしていたことから、医療系の仕事に就きたいと思うようになる。高校卒業後は臨床工学技士の専門学校に通い、21歳で上京。現在は臨床工学技士として勤務している。

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INDEX
01 正反対の姉妹
02 無鉄砲
03 周りに合わせる
04 中間でいよう
05 腕に刻んだ二文字
==================(後編)========================
06 建前と本命
07 大人になったら
08 FTMでもいいんじゃない?
09 家族のおもい
10 雨のち晴れ

01正反対の姉妹

七五三の着物

21歳で専門学校を卒業するまで、福島県郡山市で暮らしてきた。

子どものころの最初の記憶は、3歳のときの七五三。
着物を着るのが嫌で、美容室の中を泣いて逃げ回った。

「着物イコール女の子、ってイメージがあったんだと思います」

「自分のときは、男の子みたいなブレザーを着るもんだと思ってました」

「ところが、かわいい着物を着せられたから『イヤだー』って(笑)」

実家には、そのときの写真が残っている。泣いたあとのキラキラの目で、にっこり笑っている幼い自分。

七五三で泣かれたため、母は「この子はもしかして・・・・・・」と思ったそうだ。

欲しがるおもちゃも、仮面ライダーの人形など男の子向けのものばかり。かわいいスカートやセーラームーンのおもちゃが好きな姉とは違っていた。

「お母さんは看護師なので、性同一性障害に関して多少知識があったみたいです」

「そのおかげか、『女の子らしくしなさい』とは言われませんでしたね」

「もう少し成長しなければわからないと思って、見守ってたようです」

お姉ちゃんっ子

姉とは2歳違い。

自分は引っ込み思案だったが、姉は外で遊ぶのが好きだった。

「1人で外に出られないから、お姉ちゃんの後をついてまわる感じでした」

「お姉ちゃんに『またついてくるの?』って言われると、『何で置いてくの!』って怒ってましたね(笑)」

「そういう言い合いをしょっちゅうしてました」

テレビを見るときは、チャンネルの取り合いでよくケンカになった。
好きなおもちゃも、好きなテレビ番組も正反対の姉妹。

「一緒に遊ぶときは、ゲームか外遊びが多かったです。マリオカートなどでよく対戦してましたね」

母の背中

物心ついたころから、母は看護師の仕事をしていた。

朝は母の勤めている病院まで行き、そこから幼稚園のお迎えのバスに乗る。背中をシャキッと伸ばして病院に入って行く母の後ろ姿が誇らしかった。

小さい子どもを2人抱えて、看護師の仕事を続けるのは、さぞかし苦労が大きかっただろう。

「お母さんは、あまり苦労を口にしない人なんです」

「仕事の愚痴も言わないし、お金の心配も一度も聞いたことがない」

「姉と自分が私立の高校に進学したときは、経済的な不安が大きかったと思うんですけどね」

「大人になってから振り返って、『大変だっただろうな』って感じることが多いです」

02無鉄砲

チキンレース

幼稚園のころ、姉や近所の友だちと遊んでいたときに、事故に遭った。

チキンレースが原因だ。
自転車に乗って、大きい道路の手前で止まれるかどうかの度胸試し。

「無鉄砲で、ブレーキをかけようという気が最初からなかったんです」

「通りの手前で止まらずに、車の助手席のドアに自分から突っ込んでいきました(苦笑)」

「幸いなことに、転んで擦り傷ができただけ。タイミングがずれていたら、轢かれてましたね」

家に帰ってから母にこっぴどく叱られたのは、自分ではなく姉だった。審判役としてその場に一緒にいたのに、止めなかったからだ。

「自分は、姉が怒られてるのをポカーンと見てました」

「姉からは、未だに『あのとき、なんで私が怒られたの?!』って言われます」

「『まだ恨んでるよ』って(笑)」

やんちゃ盛り

やんちゃな行動は、これだけではない。

幼稚園に入る前、おばあちゃんの家でいとこと走り回っていたときも、度々事件を起こした。

「日本家屋の大きい家だったんですが、太い柱に思い切り額をぶつけたことがあります」

「額がぱっくり割れて、4針縫いましたね」

「いとこがタイミングよく閉めた窓ガラスに、体ごと突っ込んでいったこともあります」

「血だらけの両手を上げたまま、『お母さーん』って台所のほうに向かいました(笑)」

母にとっては、目が離せない子だったと思う。

スーパーに行けば、必ず迷子になった。じっとしていられず、好奇心の赴くまま、店内をウロウロし始める。

「大きいデパートに行くと大変だったみたいです」

「自分では探検しているつもりだから、寂しいとか不安とかいう気持ちはないんですよね」

「毎回、店員さんに『迷子?』って聞かれて保護されてました(笑)」

03周りに合わせる

新しい小学校

小学3年生になる年の春休みに、骨折をした。

骨折の原因は、ローラースケートを履いたまま岩を登ったこと。

当然ながらローラーが滑り、落ちた衝撃で足が折れた。

「そのときもお姉ちゃんが一緒にいて、岩を登っている様子を後ろから見てたんです」

「なんでローラースケートを履いたまま登るんだろう? って思ってたみたいですね」

「リハビリが終わるまで、1ヵ月くらい学校に行けませんでした」

その年の11月、父の仕事の関係で引っ越しをした。

それにともない、1学年5〜6クラスある大きな小学校から、3クラスしかない小さい小学校へと転校が決まる。

新しい小学校では、最初は人見知りをしていたものの、すぐにクラスに馴染むことができた。

クラスでは騒がしいタイプ。

外遊びのときは、ランドセルを踏み台にして塀を登ることもあった。

「小学校から専門学校まで、ずっと男女混合のグループに所属してました」

「女の子の遊び、男の子の遊びという境界はなく、みんなでできる遊びをしてましたね」

周りから浮かないように

高学年になり、修学旅行が近づくと、女の子たちから「温泉にみんなで入るのが恥ずかしい」という声が上がり始めた。

「自分としては、なんで恥ずかしがるのかわからなかったんです」

「でも、女の子たちを見ていて、『本当は恥ずかしがらなきゃいけないのかな』って思ったんですよね」

「温泉に入ることに羞恥心は全くなかったけど、とりあえず同調しました」

新しい小学校に転校し、自分は上手くクラスに馴染むことができたが、姉は中学生になるまでいじめを受けていた。

その様子を見ていて、「周囲から浮くといじめられるかもしれない」「あまり変なことをしないほうがいい」と考えるようになった。

その当時、好きな女の子がいたけれど、その想いは誰にも打ち明けなかった。

「好きな人は誰?」と聞かれたら、建前として、人気のある男の子の名前を挙げる。

無意識のうちに、周囲から浮くことを避けていた。

女性の体

修学旅行の前に、生理のことを授業で教わった。

「いずれ生理がくることを知っても、特に何も思いませんでした」

「女性の体に生まれたことは受け入れてたから、そのうち生理がくるのは当たり前だな、という感じ・・・・・・」

「こう生まれちゃったし、しょうがないかなって」

実際に生理がきたときは、母に「生理がきたよ」とすぐに報告した。

04中間でいよう

スカートを履かなきゃダメ?

自分の体に、違和感や嫌悪感はなかった。

その一方で、スカートを履くことに対しては抵抗があった。

「小学生のときは、スカートを一切履きませんでした」

「お母さんも、スカートを履かせることは諦めてたそうです」

小6の終わりが近づいたころ、中学校では制服のスカートを履かなければならないことに気づく。

ズボン姿しか見たことがない友だちからは、「いつもズボンだけど、スカート履くの?」と聞かれた。

「家に帰ってから、『あれ履かなきゃだめ?』ってお母さんに聞いたんです」

「そうしたら『みんな履くから大丈夫。あんただけじゃないから』って言われました」

「『あんただけズボンだと浮いちゃうよ?』って」

「周りから浮いちゃいけないという思いがあったので、みんなが履くならいいか、と観念しました」

中学校の入学式。

スカートを履いて登校すると、周りの友だちから「おお、履いたじゃん」といじられた。

髪型は短髪。少し伸ばした時期もあったが、性に合わず、すぐに短くカットした。

男になったほうが人生うまくいく

小中時代の友だちとは、男女問わず、いまでも仲がいい。

「みんなには『橋本って、いいやつだよな』って言われることが多いです(笑)」

「男女分け隔てなく、誰とでもしゃべるタイプだったからかな」

「一応、グループには所属してたけど、グループ外の子とも遊んでましたね」

「小中時代は友だちが多くて、クラス関係なく行き来してました」

小学校の卒業アルバムには、クラスの仲間からもらったメッセージが書かれている。

大人になってからそれを見返していた。

メッセージの中に「お前、男になったほうがたぶん人生うまくいくよ」という一文を見つけた。

「こういうふうに書いてくれたヤツがいたんだ、と思いました」

「小学生だった当時、女の子っぽい振る舞いはしたくないと思っていたんです」

「だけど、男にもなれない」

「それなら中間でいようと、悟ったような気持ちで毎日を過ごしていたんですよね」

05腕に刻んだ二文字

部活が楽しみな理由

中学校では、剣道部に入部。

体育館で練習を見たとき、袴姿が格好いいと思ったことがきっかけだった。

「女の子は、テニス部に入る子が多かったんです」

「お姉ちゃんもテニス部だし、お下がりのラケットが使えるから、最初はテニス部でもいいと思ったんですけど・・・・・・」

「『試合の時のユニフォームはスカートだよ』って言われて、一気にやる気が萎えました(笑)」

好きな女の子は小学生のころと同じくいたが、その想いを打ち明けようとは思わなかった。

同じ剣道部で部長を務めていた子が好きだった。

「単純に、顔がかわいくて好みだったんです(笑)」

「ホラーが好きで、ちょっと不思議な感じの子でした」

「その子がいたおかげで、部活には真面目に取り組みましたね」

好きな人に想いを伝えられないことで、悩んだり自暴自棄になったりしたことはない。

友だちとして仲良くできればそれで良かった。

男道

中学で特に印象に残っているのは、体育祭だ。

毎年、体育祭のときは、マジックで腕にメッセージを書くのがお決まりだった。

好きな言葉や、親友の名前、その当時付き合っていた彼氏・彼女の名前。

「友だちに『何を書けばいいと思う?』って聞いたら、『男道じゃん?』って言われたんです」

「確かその時期、関ジャニ∞の『ズッコケ男道』が流行ってたんですよ」

「それで、二の腕にでかでかと『男道』って書いもらったんです」

卒業アルバムには、その腕の文字がアップで載っている。

「きっと、誰より男っぽく振る舞ってたんでしょうね。男友だちも、同性のように接してくれてました」

「さすがに肩パンとかはしなかったけど(笑)」

大きな悩みはなかった。

最高に楽しい3年間だった。

 

<<<後編 2019/04/11/Thu>>>
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06 建前と本命
07 大人になったら
08 FTMでもいいんじゃない?
09 家族のおもい
10 雨のち晴れ

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