NOISE ライター投稿型 LGBT情報発信サイト
HOMEすべての記事 レズビアン間の暴力。小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』が描くレズビアンカップルの闇
NEW

Writer/あさか

レズビアン間の暴力。小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』が描くレズビアンカップルの闇

クィア女性であることを公言している作家カルメン・マリア・マチャドの小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』。作家自身の体験をもとに、回想録のように書かれ、レズビアンカップルの間に起こった暴力を映し出します。この小説が描くように、実際、虐待的な関係になってしまうレズビアンカップルもいるはずですが、わたしの周りでは議論されることが少ないように感じます。なぜレズビアンカップル間の暴力が見えづらいのか。『イン・ザ・ドリーム・ハウス』を読んで、いちレズビアンとしてハッとしました。

※精神的・身体的な暴力についての言及があります。ご自身の体調と相談しながら読み進めてください。

小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』。断片的な記憶から浮かび上がるレズビアンカップル内の暴力

断片化しながらつながる小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』

『イン・ザ・ドリーム・ハウス』は、小説にしては少し奇妙な形式で書かれています。

「○○としてのドリームハウス」という、いくつかの章に分けられ、回想録だったり、論文のような文章だったり、演劇の台本みたいだったり。それぞれにわかりやすい「起承転結」があるわけではありません。

序章では、記録(アーカイブ)の政治性を論じるアカデミックな引用が中心。

別の章では、主人公が8歳のときの体育の先生がレズビアンだったかもしれないというエピソード。

またある章では、主人公がパートナーと出会ったときの回想録として語っています。

このように、各章が切れ切れになっているように見える一方で、読み進めていくと、小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』全体の底を走っているストーリーラインが見えてきます。

それは、主人公に対するパートナーの暴力です。

レズビアンカップルの主人公とパートナーの間に押し寄せる暴力の予感。小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』にひそむもの

主人公は、作家自身をモデルにしたと思われる、物書きのクィア女性。

のちにパートナーとなる、同じく小説家の「彼女」と、共通の友人とのディナーで出会います。

出会ってすぐ、主人公は「彼女」に惹かれ始めます。彼女には別のガールフレンドがいましたが、別れて主人公と彼女は付き合い始めます。

主人公と彼女の関係が、順調に進んできたように見えた矢先、ガールフレンドになった彼女の暴力性の前兆が現れます。

主人公がバイト中、なりゆきでほかの女性と2時間ほど話し込んでしまったとき。その直後、主人公と顔を合わせたガールフレンドは明らかに不機嫌でした。

ガールフレンドはしかめ面をしている。
ガールフレンドは怒りを撒き散らしはじめる。
あなたが車を出すと、ガールフレンドはダッシュボードに思いっきり両手を叩きつける。「あんたはいったい、どこにいたのよ?」

主人公が事情を説明しても、主人公を罵り続ける彼女。主人公は、恐怖で泣き出します。

暴力は身体に向けられるとは限らない。レズビアンカップル間のガスライティングを描く小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』

この事件を皮切りに『イン・ザ・ドリーム・ハウス』の回想録は、ガールフレンドから主人公への暴力的な言動の数々で埋め尽くされていきます。

小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』の主人公が経験する、精神的虐待としての「ガスライティング」

ガールフレンドの言動は「ただの嫉妬」「ただの喧嘩」として片付けられないもののように思えます。

根拠もないのに、主人公が「ほかの人とセックスしたがっている」と責めたり。
主人公が言ってもいないことについて「なんで○○と言ったのよ?」とキレたり。
主人公の「よくないところ」を主人公自身に言わせるゲームをしたり。

『イン・ザ・ドリーム・ハウス』の形式上、主人公の経験した暴力の記憶は、断片的でつかみどころがありません。それでも、その断片から、ガールフレンドが主人公を精神的に追い詰めているのが、たしかに伝わってきます。

いわゆる「DV」や「親密な関係性における暴力」と言われて、思い浮かべるような「殴る」「蹴る」といった身体的暴力が『イン・ザ・ドリーム・ハウス』では、明示的に描かれるわけではありません。

しかし、主人公がガールフレンドから精神的な虐待である「ガスライティング」を受けていること。その恐怖が、ひたひたと押し寄せてきます。

ガスライティングとは、心理的な虐待の一種。相手にネガティブな言葉を浴びせかけたり、嘘の情報を信じこませたりして、被害者が「自分の記憶や判断がおかしいのではないか」と自分自身の正気や現実を疑わせるように仕向ける情緒的コントロールです。

小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』のガスライティングが呼び起こす、わたしの記憶

わたし自身『イン・ザ・ドリーム・ハウス』を読むまでは、暴力といえば「身体的なもの」というぼんやりとした思い込みがありました。

そのため、今まで自分が受けてきた精神的な暴力を「暴力ではない」「取るに足らないもの」と考えてしまっていたように思います。

例えば高校時代の話。わたしには付き合ってはおらず、レズビアン関係ではなかったものの、とても親密な友人の女性がいました。寮生活だったこともあり、彼女とわたしはどこに行くにも一緒で、周りからも「仲がいいよね」とよく言われていました。

わたしもそう思っていましたが、彼女がわたしに対して、何度も「あなたは共感力がない」「自分はほかの人に共感しすぎて大変だ」「あなたがうらやましい」と言ってくることには、小さな違和感を抱いていたのです。

当時は、それがなぜ嫌なのかわかりませんでしたが、今から考えると、それもガスライティングの手法の1つ「ステレオタイピング」だったとわかります。

ステレオタイピングとは「あなたはいつも○○」と繰り返すことで、相手に「自分は○○なんだ」と思わせること。加害者は、被害者に罪悪感や自身に対する不信感を抱かせ、支配します。

振り返ると、彼女との関係性はとても有害だったと、今更ながら気づきました。

『イン・ザ・ドリーム・ハウス』は、読んでいて苦しくなりますが、わたしに過去をとらえ直すよう、強く促してくれた物語でもあります。

そんな『イン・ザ・ドリーム・ハウス』をどうにか読み進めるうち、わたしの頭には、1つの問いが浮かんできました。

それは「どうしてレズビアン間の暴力が見えづらいのか」という問いです。

レズビアンカップル間の暴力はなぜ見過ごされやすいのか

小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』で描かれるように、実際、パートナーからの暴力を経験しているレズビアンやクィア女性も一定数いると思いますが、わたしの周りで話題に上がることはあまりありません。

「暴力の加害者=男」の強固なステレオタイプ

レズビアンカップル間の暴力は、どうして見えづらいのでしょうか。

大きな理由として、個人的に実感しているのは「暴力の加害者は男性、被害者は女性」という思い込みです。

クィア・コミュニティでも「男性の方が暴力的」「男性の方がモラハラ気味」といった言説はよく耳にします。

そのようなステレオタイプを信じ込んでしまうと、そもそも女性の同性カップルであるレズビアン関係において、暴力的な加害者を想定できなくなってしまいます。

女性間で暴力が起きていても、そもそも「これは暴力だ」と認識することが難しくなるのではないでしょうか。

身体的な外傷が残らない、ガスライティングのような精神的虐待の場合だと、より自覚しづらいうえ、誰かに打ち明けても「あなたのパートナーって、嫉妬しやすいんだね」などと、簡単に片づけられてしまうこともあるかもしれません。

小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』が描いているように、暴力的な人は男性には限りません。そして、暴力は身体的なものに限りません。

また「男性性=暴力的」という図式をそのままコピーした、ブッチ(男性的な雰囲気のレズビアン)の方がフェム(女性的な雰囲気のレズビアン)よりも暴力的であるという考え方も、ただのステレオタイプです。

レズビアン・コミュニティでの言説「対等な関係性」

レズビアン間の暴力が見えづらいもう一つの理由。それは、レズビアン・コミュニティでよく聞く言説にもあるように思います。

その言説とは「レズビアンカップルは、男女より対等な関係性を築ける」というもの。

ジェンダーにおいて権力差がある男女のヘテロカップルよりも、権力差がないとされているレズビアンカップルの方が、よりフェアな関係性になる、と言いたいのだと思います。

たしかに、ジェンダーの面では、レズビアンカップルは権力関係が小さいように見えるかもしれません。

しかし、経済的な格差がある場合、女性ふたりの関係性はどうしょう? そのほか障害の有無や出自、年齢、体型などの見た目によっても、レズビアンカップルのダイナミクス(力関係)は変わってくるかもしれません。

これはなにも、LGBTQ+当事者に限った話ではなく、どのような間柄でも置き換えられる現実とも言えそうです。

そう考えると「レズビアンカップルは基本的に対等だから、暴力なんて起こらない」という言説の空虚さがあらわになります。

レズビアンカップルがユートピアとは限らない。小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』が描き出す現実

レズビアンカップルを、権力関係や暴力、支配のないユートピアだと思いたい。

小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』を読む前、正直わたしには、そんな気持ちがありました。

『イン・ザ・ドリーム・ハウス』に、レズビアン関係だってユートピアではないことを突きつけられて、今までしがみついていた理想が崩れていくのを感じ、とても苦しかったのを覚えています。

同時に「これはレズビアンのわたしが読まなければいけない本だった」と実感したのもたしかです。

自分やパートナーが持ちうる暴力性に自覚的になること。暴力性を感知したら、助けを求めること。

実際、同性パートナーからの暴力にまつわる相談を受け付けている窓口もあります。BROKEN RAINBOW JAPANなど、LGBTQ+に対する暴力の問題に長らく取り組んできているNPOもあります。

もしこの本やこの記事を読んで、心当たりがあった人がいれば、相談してみてもいいかもしれません。

小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』を読み、わたし自身も、レズビアン関係を簡単に理想化せず、パートナーと対話を重ねたり、自分自身のメンタルをケアしたりして、非暴力的な関係性をつむいでいきたいと感じました。

 

■作品情報
小説『イン・ザ・ドリーム・ハウス』
作:カルメン・マリア・マチャド
翻訳:小澤身和子
出版社:エトセトラブックス

■参考情報
BROKEN RAINBOW JAPAN公式ウェブサイト
『ガスライティングという支配』アメリア・ケリー著 野坂祐子訳 日本評論社出版

 

RELATED

関連記事

ロゴ:LGBTER 関連記事

TOP