私は普段、ライターとして活動している。アロマンティック・アセクシュアルを自認してからまだ5年ほど。それまでは一般企業で働いて、そこそこマジョリティらしく振る舞ってきた。しかし、今の仕事に就いてからは一気に自分をさらけ出している。今回は、想像力と数少ない経験から絞り出した恋の話について。
好きな人はアニメキャラ。アロマンティックの恋
10歳を超えたころから、男女の間にうっすらと壁が生まれることに違和感がありませんでしたか? 今でこそ「ああ思春期だもんね」と思えますが、当時の私はひたすら「面倒臭いなあ」とうんざりしていました。アロマンティックだってわかっていたら、もうちょっと上手に立ち回れたかも、なんて思います。
恋の鞘当てに興味はない
「初恋はいつだった?」
こんな質問を、最後にされたのはいつだったかな。
周りが初恋真っ盛りだったのは、たぶん小学5年生から中学2年くらい。
第二次性徴が始まって、なんとなく男女のへだたりができ始めて、友達のようで互いを意識しているような、青い時代。
周りがバレンタインデーだのホワイトデーだので浮かれるなか、私はいつだってぼんやりしていた。
クラスの男子がかっこいいとか好きだとか、そんな話ばかりで胸焼けする。
今まで男女の垣根なんてなく、普通にコミュニケーションをとっていたのに急に冷やかされるようになった。
「◯◯くんは△△ちゃんの好きな人だから、あまり話しちゃダメ」なんて、訳のわからないことも言われたっけ。
で、うっかりしゃべろうものなら無視という洗礼を受ける。こっちは純粋にクラスメイトと楽しく話したいだけだったのに、理不尽だ。
アロマンティックな小学生の初恋
クラスの男子にまったく関心を持てないなか、私はとあるアニメに心を奪われていた。
物心ついたときから漫画やアニメに浸かっていて、オタクの才能の片鱗はあったと思う。
息をするようにアニメ雑誌を買う。
週末は、電波の関係で自宅のテレビに映らないチャンネルで放送されるアニメを見るために隣町の祖母宅に行く。
それが昔の私だ。
小学6年生のとき、ちょっとした社会現象を巻き起こす勢いのアニメがあった。そのころ、いわゆる「美少年アニメ」と呼ばれる作品がいくつか流行っていて、この手のアニメはとにかく人気だった。
アニメ雑誌は見開きの特集が組まれていたし、関連書籍やグッズがこれでもかというくらい販売されたのを覚えている。
私はそのなかの1つ『鎧伝サムライトルーパー』が大好きで、キャラクターたちのプロフィールは完璧に覚えていたし、1話たりとも見逃すことはなかった。自分よりもちょっとだけ年上のお兄さんたちが敵を倒したり苦難を乗り越えたりする展開に胸が熱くなったものだ。
『鎧伝サムライトルーパー』にはお気に入りのキャラクターがいて、彼がメインのドラマCDやらノベライズやら、親に頼み込んで買ってもらったのは懐かしい話。
こじつけが許されるなら、恐らくあれが「淡い初恋に近いもの」と言いたい。
アロマンティックかつアセクシュアルを自認している今は、可愛らしい記憶として苦笑いとともに思い出す。
恋とは激しいものなのか。思春期で知る苛烈な感情
少女漫画などで「恋愛」なるものが存在するのはわかっていた。それが当たり前に人間の営みとして認識されていることも。しかし、私はどうしても身近なこととして捉えられなかった。
リアコ勢との遭遇に衝撃

アニメキャラに夢中になっていた小学6年生。クラスメイトのような甘酸っぱい空気を察せず、相変わらず男の子と楽しく話していた。
「また◯◯君としゃべってる。絶対好きじゃん」みたいな陰口を叩かれるのにも慣れた。
はいはい、なんとでも言ってくれ。
クラスの男子なんて微塵も興味はないし、ただただ友達として好きだから話しているのに、説明したってどうせわかってくれないんだろう。
どうでもいいや。
「男子みんなと話してる」=色目を使ってる、みたいな印象だったんだろうな。
女は小さくても女だというけれど、当時から「男だからとか女だからとか、ほんとくだらない」と考えていたから、周りが自分を敵視する理由が本当にわからなかった。
やさぐれていた私は、アニメや漫画のキャラクターに癒しを求める毎日を送っていたが、あるときアニメ雑誌の読者投稿ページで衝撃的な内容を目にする。
私がハマっていたアニメ『鎧伝サムライトルーパー』の女性キャラを名指しして「大嫌い!!!」と書いた投稿が掲載されていたのだ。
そう、リアコ(リアルに恋してるの略)勢を知ることになった。
「恋は盲目?」探究心がうずく小学6年生の秋
待って待って。なにがどうしてこんなことに。
相手はアニメキャラだぞ。絵だぞ。
それももう、でかでかと「ナスティ(女性キャラ)、大嫌い!! 私の征士(男性キャラ)に近付くな」みたいなことを書いてある。
そのアニメは私もハマっていた作品で、毎週欠かさず見ていた。
自宅のテレビでは映らないチャンネルだったから、祖母の家に押しかけて見ていたアニメだ。
投稿に書かれているナスティとは、主人公たちのお姉さん的ポジションの女性。
征士とは、主人公のひとり。端整な顔立ちが特徴で、女性ファンは確かに多い。複数いる男性キャラのなかでも1、2を争う勢いだった。
特に目立った恋愛要素はなかった、と今でも思う。
そんなに怒るようなシーンがあったかな。
ショッキングな投稿内容にしばし呆然としていたが、気を取り直して「投稿主の女性がなんでこんなに怒っているのか知りたい」と考えた。
直近3か月くらいのアニメ雑誌を見たり、ビデオに録画した放送を見返したりして、結局なにもわからなかった。
しかしその後、別のアニメ雑誌の読者投稿で原因が判明することになる。
「そういうこと!?」恋する心をやっと理解できた瞬間
あの投稿が掲載されていたのとは別のアニメ雑誌を読んでいると、男性キャラの征士と女性キャラのナスティの関係性について言及されているページがあった。
なんとこの二人、作中で抱き合っていたらしいのだ。
そんなシーンあった?
よく調べてみると、確かにあった。
谷底へ落下しそうになるナスティが征士の首に腕を絡めてしがみつくシーンが。征士はナスティの腰に片腕を回して支え、もう片方の腕で崖かなにかにしがみついている。
別に甘くもなんともない。私が好きなキャラクターで想像してみたが、特になにも感じない。少なくともナスティをバッシングする気にはならなかった。
このシーンのこと?
これを見て、あんなに激しいバッシング投稿を書いたの?
これがだめなの? なんで???
人命がかかっているのに。しかも敵の手が迫っているのに。これでナスティを見捨てるようでは話が成り立たないじゃないか。
それでも、このシーンは一部のファンをざわつかせたようで、ことあるごとに二人の関係性を疑う考察や二次創作が出ていた。
なるほど、理由はどうあれ、好きな人が誰かと接触するとあんなにも怒りがわき出るものなのか。
だから、私がクラスの男子と話していると遠くで陰口をたたく子がいたのか。
いわゆる「嫉妬」。
思春期の入り口で、私はようやくその意味を知った。
オタク精神の開花で作り手へ。アロマンティックが恋を書く
もともと素質があったのか、私は小学生から社会人までずっとなにかしらのオタクだった。少年漫画だったときもあれば、ゲームだったときもあり、アニメだったときもある。
わからないけど書けそう。キーボードを夢中でたたく日々

アニメからゲーム、漫画と順調にオタク道を歩むうち「自分でもなにか作品を作りたい」と思うようになった。
高校を出て自分で稼ぐようになってから、創作意欲に拍車がかかり、いわゆる二次創作に手を出した。同人誌を出し、即売会で売り、その売り上げでまた同人誌を出す。その内容は恋愛要素が混じったものもあった。本当にわずかだったが。
私はアロマンティック。当時はその言葉すら知らなかったが、恋愛感情を自分ごととして理解できたことはなく、まるで別の世界線に存在する概念のように思っていた。
社会人になるころには、他者に性的な魅力や欲求を感じない自覚もしっかりあった。周りと違う自分に、若干の焦りや引け目を感じていたのを覚えている。
それでも、私が書く恋の話はなぜか読者に受け入れてもらえた。
二次創作をやめて、自作のサイトで小説を連載し始めてからもそれは変わらず、新作をアップするたびに読者からの感想メールが届いた。
今思うと、きっと「ネット上のファンタジー」として楽しんでもらえていたんだろうな。
だって私が考える恋の話なんて、たぶんリアルからほど遠いものだろうから。
オタク娘でアロマンティック、中年になり血が騒ぎだす
これまでに、何度か恋愛に発展しそうなことはあった。私に恋愛感情がなくとも、それなりに温かな関係を築けそうな出会いが。
しかし、やはり相手と私との間には深くて暗い溝のようなものがあった。それを埋めたい、埋めなければとは思えないままでいる。
アロマンティックでも、わずかな経験と伝え聞いた話、想像力と人の心を察する力を駆使して恋の話をいくつも書いた。そしてそれは「泣けました」「切ないです」という感想をいただける程度には、完成されていたみたい。
今は仕事として文章を書いているけれど、そこには恋だの愛だのは一切ない。求められる内容で、求められるクオリティを担保して、求められる情報を提供する文章を提供するのが仕事だ。
仕事は楽しい。楽しいけれど、時々ふっと思う。
ああ、もう一度、人の心を揺り動かすものを書いてみたいって。
自分が好きなものを好きなように書いて、そこには私にとってのファンタジーである恋愛も織り込んで、どこかの誰かが送る営みを描き出したい。葛藤と、怒りを、慈しみを、恋を。
私はアロマンティックで、アセクシュアル。
恋愛とは対極にいる人間だけど、血が騒ぐことがある。かつて私が、オタク娘だったときみたいに。
なにかの作品に夢中になって、焦がれて、自分でもなにかを創り出したいと感じる衝動を。
アロマンティックなオタクは今日も恋を書きたがる

オタクライフを満喫していたころ、大好きなキャラがたくさんいた。
彼らは容姿が整っていて、声が良くて、なにかに一生懸命で。ときめきに似た感情を抱いたこともあった。
今で言うリアコではないけれど、毎日に潤いがプラスされたのは確かだ。
クラスの女子に「男子に媚びてる」なんて言われたこともあったけど、そもそも恋愛感情がわからない人間には媚びるもなにもない。
そうした煩わしさから逃げたくて、アニメや漫画にのめり込んだ部分もある。
「リアルではまったく誰も好きになれないけど、二次元だったらこんなに好きな人がいるんだから私は別に変じゃない」
こんな思いも、今振り返ると少しはあったかも。
とはいえ、私にはやっぱり恋愛に一喜一憂する人の気持ちはわからない。想像を巡らせるけど、きっと見当はずれな気がしている。
今、この記事を書いていて思ったのだけど、わからないならわからないなりに、恋愛とやらを描いてみたいかも。これは創作意欲の暴走でしかない。でも、恋愛がその人の人生をひっくり返す力があるなら、私はそれを自分の筆で表現したいなと思ってしまう。
かつて「あのキャラが女の子を好きになったらどんな感じかな」と妄想をたくましくしてキーボードを叩いていた日々が、今、とっても懐かしいから。


