「さみしい」という感情。以前は、それほど感じることはなかったのですが、最近、この感情を抱くことが増えてきました。でも、わたしがこれまで聞いてきた「恋人がいないからさみしい」という意味とは少し違う気がしています。そこで、必ずしも恋愛的な意味とはいえないクワロマンティックとしてのさみしさを整理してみたいと思います。
「さみしい」は恋愛的な文脈でしか説明できないのか
世の中の「さみしい」は恋愛と結びつきがち
あくまで僕の経験上ですが、さみしさというのは「恋人がいなくてさみしい」という意味で聞くことが多くありました。特に、友達が恋バナのなかで「さみしい」という言葉を使っていたイメージです。
ただ、クワロマンティックのわたしからすれば、恋人がいないという意味での「さみしい」は、ピンときませんでした。
さみしいと語る友達のことを、あなたには信頼できる友達も仲間もいるでしょ、って思っていたので、不思議でした。
恋愛的な意味でのさみしいという感覚が自分にはなかったので、なかなか理解することができなかったんです。
クワロマンティック=さみしくない、ってわけじゃない
わたしはクワロマンティックですが、さみしい感情を感じないわけではないんです。
クワロマンティックは、他者へ抱く好意的な感情を、恋愛感情か友情か区別したくないだけなので、他者に対して「好意的な感情」を抱くことはあります。恋愛感情なのか友情なのかは関係なく、他者のことを好きにはなるんです。
だから「この人素敵だな」「もっと一緒に時間を過ごしたいな」「また早く会いたいな」そういう想いは自然と湧いてきますし、好きになった人と会えない期間が長ければ、それはさみしいわけです。
クワロマンティックを自認するわたしが感じてきた「さみしい」の正体
ここでは、クワロマンティックのわたしが感じてきたさみしい感情についてもう少し細かく話してみたいと思います。
「さみしい」と感じることは、実はあまり多くない

クワロマンティックのわたしにも「さみしい」という感情はあります。
ただ、その頻度はあまり多くありません。それってさみしいと感じにくい環境にいるからなのかな、と思うこともあります。
今は一人暮らしではありませんし、フリーランスという柔軟な働き方もしています。さらに、面白そうだと感じた場に積極的に顔を出すタイプなので、新しい人との出会いも多く、信頼できる人たちにも恵まれてきました。
では、一人暮らしの時代はさみしかったのか、というと、そうでもありませんでした。
大学生のころ、友達とは毎日会いますし、家に帰ってもテレビが話し相手だったので全然さみしくありませんでした。だから、友達がよく言っていた「人肌恋しい」みたいな感覚もさっぱりわかりませんでした。
「さみしい」を感じていた時期があるとすれば、自分探しのようなことをしていた大学院休学中のこと。
当時さまざまなイベントや集いに顔を出し、飲み仲間や近い世代で共に悩む仲間もいて楽しかったのですが、バイバイをした後に急激にさみしさや孤独感を感じたことを今でも覚えています。
目指すもの、やりたいことも見つからず、周りと比べて結局自分は一人なんだな、という孤独感からさみしいと感じていたのかもしれません。
クワロマンティックのわたしも「さみしい」ときは、めっちゃさみしい
クワロマンティックのわたしにも、好きな人はできます。念のため何度でも言いますが、それは「恋愛感情なのか友情なのか」という区別をしないものです。(関連記事はこちらNOISE:クワロマンティックの私が、恋愛感情と友情とを分けたくない理由)
相手のことを素敵だと感じ、一緒にいたいと思う「他者に対する好意的な感情」とでも言いましょうか。
特にわたしの場合「好意的な感情」は、対話ができる人に対して抱くことが多いように思います。ですので、そうした感情を、同時期に複数人に抱くこともあります。
会いたい、声を聞きたい、同じ空間にいたい。
会えたときはこのうえなくうれしいし、一緒に過ごせる時間が終わって「またしばらく会えないんだな〜」と思うと、すごくさみしいのです。
こういう感情が、クワロマンティックのわたしにとっての「さみしい」なんだと思います。
「さみしい」って感情を大事にしたい
最近、少し変化を感じているクワロマンティックのわたし

わたしは、前回「パートナーをつくるとしたら」ということをテーマに記事を書きました。(関連記事はこちらNOISE:「パートナーをつくる」ことを考えてみたークワロマンティックのわたしの場合)
そこからさらに自分に向き合ううちに「人生をともに歩むパートナーがほしい」という想いが芽生えてきたんです。こんなこと、人生で初めてです!
わたしにも「誰かと特別な関係になりたい」「人とともに生きていきたい」気持ちがあるんだな、とうれしい気持ちになりました。
一方で「パートナーになってくれる人が現れなかったらどうしよう」「少なくとも、今現実には、パートナーになりたいと思ってくれる人はいないんだよな」という考えが出てきて、少し困っています。
「さみしい」は、大切にしたいものを教えてくれる
あらためて考えてみると、さみしいという感情は、自分がなにを大事にしたいかを教えてくれるものなのかもしれません。
「対話の時間が終わってしまうこと」「好きな人とまたしばらく会えないこと」は、いずれもわたしにとって大事なことです。
ある状態だったものが、ない状態へと変わってしまう。そんなときに「さみしい」と感じるんだなあと思います。そして、その「ある状態」こそが、わたしにとって大切で、ずっとあってほしいと願うものなのだと気づきます。
わたし自身さみしいという感情を通して、人との間に「こんなにも大切にしたいものがあるんだ」「自分にはこんな願いがあるんだ」と感じられたことに、よろこびを覚えました。
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