02 毎日楽しかった中学校生活
03 隠してしまった本質と初めての感情
04 突然、親が亡くなるということ
05 “充実” を取り戻した大学生活
==================(後編)========================
06 1人でも生きていける人間になる準備
07 男性との交際で見え始めた自分
08 ゆらぎの性指向「クエスチョニング」
09 母の死が私に残してくれたもの
10 定まっていない自分が目指す世界
01愛情に包まれて育ったひとりっ子
駆け回っていた幼少期
一番古い記憶は、幼稚園に入る前。
同じアパートに住む同世代の子どもと、一緒に遊んでいた。
「ひとりっ子だったので、友だちと遊ぶ機会を逃さないようにしていましたね」
「隙を見ては外に出て、近所の子が遊んでいたら入れてもらうみたいな」
「公園で初めて会った子にも、どんどん話しかけて、ついていっちゃう子でした(笑)」
遊びといえば、サッカーに野球、鬼ごっこ。
男の子たちと一緒に、アクティブに駆け回ることが多かった。
「年の近い従兄弟が、野球好きの男の子で、キャッチボールをしていた記憶があります」
「小学校の体育の時間に、『男の子のサッカーに混ぜてくれ』って先生に言った覚えもありますね」
「女の子のサッカーの、ぶつかったら謝るみたいな文化がダメで(苦笑)」
中学生までは、進学やクラス替えのタイミングでも、うまく場に馴染める子だった。
甘えさせてくれた母
幼い頃は、母親にべったりとくっついていた。
「小学校に上がるくらいまでは、母が隣にいないと寝られない子どもでしたね」
「今振り返ると、それだけ独占して甘えられたってことでもあるなって思います」
母親から厳しくしつけられたことはなく、自由に育ててくれた。
「『絶対にこうしなきゃいけない』みたいなことは、そんなになかったかな」
「ただ、私と母は、悪く言うと “共依存” のような関係でした」
「私が大人になるまで、親離れも子離れもできていなかったなって」
高校1年で父が急逝した時、母娘の関係が少し変化した。
「家の中に2人しかいないことに、しんどさを感じるようになりました」
大学卒業・就職のタイミングで、家を出る決意をする。
ドライブに連れていってくれた父
「父は、どちらかというと寡黙な方でした」
口数は多くなかったが、休日には車に乗せていろいろな場所に連れていってくれた。
「お金をかけることが嫌いな人だったので、山とかが多かったですね(笑)」
「父は運転が好きで、山道の感覚を楽しんでいたみたいだし、私もドライブがうれしかったです」
両親はケンカすることも多かった。
「子どもながらに、2人とも大丈夫かな? って思うくらいやり合うんです」
「でも、終わった後は、ちゃんとコミュニケーションを取っているんですよね」
「この2人はちゃんと切り替えられるから、夫婦でいられるんだなって思ってました」
02毎日楽しかった中学校生活
タイプの違う部活と趣味
中学校では、陸上部に入った。
「小学6年生の時、地域の陸上大会に出たんですけど、転んじゃったんです」
「そこで自分の100%を出せなかったことが悔しくて、入部しました」
短距離走と砲丸投げを選んだ。
「大会に出たかったので、人と被らない種目なら出やすいと思って、砲丸投げを選んだんです」
「でも、なかなか記録が出せなくて、後輩の方が伸びていって、挫折しました(苦笑)」
この頃から、漫画やアニメへの興味も強くなっていく。
「従兄弟の影響で『週刊少年ジャンプ』が好きで、読んでいました」
「中学時代は部活で汗を流しつつ、漫画も楽しんで、友だちともよく遊んでましたね」
「かっこいい」と「かわいい」
中学時代、恋愛感情を抱くような経験はなかった。
「当時は『かっこいい男の子』っていう概念が、よくわからなかったんです(苦笑)」
女友だちとアイドル雑誌を見ていて、「この人かっこいいよね」と同意を求められることがあった。
共感できず、「なるほど、これが『かっこいい』なのか・・・・・・」と知識を得る感覚だった。
女子同士のコイバナに、積極的に入っていくこともなかった。
一方で、女性アイドルを見ると「かわいい」と感じた。
「SPEEDやモーニング娘。の切り抜きを、集めたりしていましたね」
「当時は意識していなかったけど、興味が向く対象が、女性だったのかもしれません」
緊張の高校受験
共学がいい、という観点で高校を選んだ。
「進んだ高校は、女子の制服がネクタイで、かっこよかったんです」
「母は、母自身が卒業した女子高が良かったみたいで『こっちにしないの?』って言ってましたね」
「でも『ちょっと成績が足りないから』って、やんわり断りました」
受験が近づくと、一つの問題が浮上した。
「私は、早く問題を解くことが苦手で、焦ってしまうという課題が見つかったんです」
時間内に解かなければ点数にならない、と思うとパニックになってしまう。
「時間をかけてもミスしたくない気持ちがあって、時間配分がヘタだったんです」
入学試験当日は、緊張感で嘔吐してしまった。
しかし、後はないと自分に言い聞かせ、なんとか乗り切ることができた。
03隠してしまった本質と初めての感情
自分の盾だった運動部
高校では、空手部に入った。
新1年生向けの部活動紹介の集会で、小柄な女子が空手の型を披露していた。
「かわいらしい女性がいかつい男子を引き連れていて、かっこよかったんです」
「その女性は3年生の部長さんだったんですけど、憧れもあって、すぐ入部しました」
「自分に特別な才能があったわけではないから、引退まで頑張ろう、って気持ちでしたね」
ゴールが設定されていれば、限界まで集中できるタイプ。
引退を迎える前に、黒帯を取得した。
「純粋に体を動かすことが好きだったのもあるけど、スクールカースト的なものを意識していた部分もあります」
アクティブな子は運動部、自己主張しないおとなしい子は文化部というイメージがあった。
その分類を意識して、文化部という選択肢を排除し、運動部を選んだ部分もある。
さらけ出せなかった自分
高校生になっても漫画やアニメが好きだったが、表に出すことははばかられた。
「漫画好きであることは、堂々と出すものじゃないんだろうな、って思ってました」
「だから、自分のキャラづけも、迷走しているところがあったかもしれないです」
地元の子が集まっていた中学までとは違い、人間関係が一新されたことにも順応できなかった。
「高校に入ってから、知らない子に話しかけることが、できてなかった気がします」
「変に委縮しちゃって、うまくコミュニケーションが取れなかったです」
1年生の間は、クラスでも部活でも、うまく人間関係を築けなかった。
そんな時、唯一寄り添ってくれた女友だちがいた。
初めて守りたいと思った人
気づくと、その女友だちには、他の同級生に対する感情とは違うものが芽生えていた。
「これが好きってことなのかもしれないな、って思いました」
「でも、その子には彼氏がいたことも知っていたし、思いを伝えることはなかったです」
彼女とは一緒に帰ることが多かったが、たまたま別々に帰った日があった。
帰り道、1人だった彼女は痴漢被害に遭ってしまう。
「夜にその子から連絡をもらって、話を聞いたんです」
彼女から「現場に傘を置いてきちゃったから、できたら見にいってもらえないかな」とお願いされた。
「私も必ず通る道だったので、翌朝現場に行って、傘を見つけたんです」
「ただ、その場に見つけた足跡からいろんなことを想像してしまって、私がショックを受けてしまいました」
授業どころではなく、保健室で泣きはらした。
彼女は、極めて気丈に振る舞っていた。
この日を境に、必ず彼女と一緒に帰るようになった。
「一緒に帰っておけば良かった、って気持ちがあったのかもしれないです」
彼女への好意は募り、共通の友だちに嫉妬してしまうこともあった。
「女の子に恋心を抱くことは、自分の中では割とすんなり受け入れていましたね」
「中学の頃にBL作品を読んでいたこともあって、同性間の恋愛は抵抗なかったです」
ただ、つき合いたい、という思いまでは抱かなかった。
04突然、親が亡くなるということ
人が亡くなる事実
高校1年の冬、父が体調不良を訴え、入院した。
すぐに大きな病院に転院し、手術を受けたが、命を取り留めることはできなかった。
「大動脈解離で、あっという間に亡くなってしまいました」
「少しも想像していなかったことが現実に起きて、なかなか受け入れられなかったです」
「まず、人が亡くなるという事実が、衝撃でした」
「息子に先立たれた祖母も、ショックは大きかったと思います」
次男の墓
人が亡くなることで、さまざまな物事が動き出すことを知る。
16歳だった自分は、親戚の会話には入れなかったが、内容は理解できた。
「私の中では、お墓のことでもめていたことが強く印象に残っているんです」
次男だった父のお墓を、用意するかどうか。
「父は次男だから、実家のお墓には入らないという文化に、私は疑問を抱きました」
親戚は「長男が墓を守る」という、昔ながらの習わしを主張していた。
「母は『夫の墓を建てたところで、誰が守っていくの?』って考えていましたね」
「祖母は祖母で、近所から『息子のお墓どうなってるの?』って聞かれていたみたいです」
その話の流れで、親戚に「里佳は婿をとらないとね」と言われた。
“子孫が家やお墓を守る” という文化から発生した言葉なのだと思う。
「私の将来に、親戚が勝手に関与してくることに驚きました・・・・・・」
母親は親戚の意見に流されまいと反発し、手元供養を選択した。
「あの時、お墓を建てておけば、周囲からは攻撃されなかったと思います」
「でも、母は『お墓を建てるのは今じゃない』ってブレなかったですね」
母と2人きりの生活
父が亡くなった後、生活が激変することはなかった。
「公的な支援もあったし、母が貯金してくれていた分で、生活できていました」
「私もいつまでも学校を休んでいられないし、変わらない生活を取り戻そうとしましたね」
日が経つにつれて、母が大きなダメージを受けていることは伝わってきた。
しかし、自分のことで精いっぱいで、うまく慰めることができなかった。
「せめて、私の帰る場所である家の中の空気は、悪くしちゃいけないって思ってました」
「だから、母と争うようなことはしちゃダメだって」
2人きりの生活でギスギスしてしまうのは、自分のためにもならない。
それならば、母の言う通りにさせておいた方がいいのではないか。
その関係が、いつしか苦しくなってしまった・・・・・・。
05 “充実” を取り戻した大学生活
研究対象は「墓」
推薦入試で、公立大学に合格した。
「母は『お金どうするの?』って気にしていました」
「県立だったので、県内在住だと学費が安くなったし、奨学金を借りれば行けるんじゃないかって」
大学では、お墓について研究した。
「やっぱり父の死後のことが、忘れられなかったです」
ゼミのフィールドワークで、さまざまな墓地を巡った。
「調べていく中で、樹木を墓標にする『樹木葬』に感銘を受けました」
「樹木葬を行っている団体のトップの方に、突撃で会いに行ったりしましたね」
お墓を研究する中で、「長男が墓を守る」という文化についても考えるようになった。
「関心の対象が男性性や女性性といったジェンダーの部分に、徐々にシフトしていきました」
さらけ出して得られる関係
「大学生活は楽しかったな、っていう印象です」
自分の本質を隠していた高校時代と違い、好きなものをオープンにできた。
「入学してすぐ、学部生同士の親睦を深めるための旅行があったんです」
「そこで自己紹介をする時に、『よくアニメを見ます』って話した子がいたんです」
「ここでは言っていいんだって感じて、私も『アニメとか漫画が好き』って言えました」
自分をさらけ出すと、人とのコミュニケーションがスムーズに取れるようになった。
同じように漫画が好きな子とも、常に彼氏がいるような目立つ子とも、交流できる日々。
「いろんな人とやりとりできて、すごく楽しかったな」
一方的な秘めたるおもい
アルバイトで入った飲食店には、年下の先輩がいた。
「高校生の女の子で、アルバイト歴は私より長かったんです」
その子は「高校を卒業したら、自衛隊に入るんだ」と話していた。
「かわいらしいのに、内面はかっこいいしっかり者で、気づいたら好意を抱いていました」
「でも、片思いのままでしたね」
アルバイト先で一緒にいられれば、満足だった。
「気持ちを伝えたいと思わなかったというよりは、伝えるリスクが高いかなって」
「相手に伝えたら迷惑だろうし、どう思われるかわからなかったから、言えないですよね」
「ただ、私からその子に矢印が向いていることは、悪いことじゃないって思ってました」
女性を好きになることに罪悪感はなかった。
ただ、打ち明けて相手を困らせることは避けたかった。
<<<後編 2018/09/29/Sat>>>
INDEX
06 1人でも生きていける人間になる準備
07 男性との交際で見え始めた自分
08 ゆらぎの性指向「クエスチョニング」
09 母の死が私に残してくれたもの
10 定まっていない自分が目指す世界