ずっとほんのり苦手意識を抱いていた、少年漫画というジャンル。自分の好みには会わないもの、自分には関係のないものと思っていたけれど、ひょんなことから胸に刺さる作品に出会うことができた。しかもLGBTQ+当事者として、もっと早く出会いたかったと思えるような、そんな作品に。
少年漫画『BEASTARS』との意外な出会い
私が漫画『BEASTARS』を読み始めたきっかけは、なんとWeb広告だった。
少年漫画が苦手だった私が、漫画『BEASTARS』を読み始めた理由
SNSの広告として表示された漫画の、たった数コマの絵と台詞に引き込まれ、タイトルを確認したところ、それが『BEASTARS』だったのだ。
漫画『BEASTARS』は、2016年から2020年まで週刊少年チャンピオンにて連載され、2019年にはアニメ化もされた作品。当時の人気作のひとつだったため、少年漫画に疎い私でも、その絵柄には見覚えがあった。
擬人化されたオオカミやウサギの姿が大きく描かれた表紙は何度か見たことがあったものの、これまで実際に手に取ったり、本編を読んでみようと思ったりしたことはなかった。
理由は単純で、「少年漫画に親しみがなかったから」。
少女漫画や青年向けの漫画を読むことはあっても、少年漫画に特有の激しいバトルシーンやあふれんばかりの熱量が少し苦手で、「もしかしたら自分の好みに合う漫画かもしれない」とは思ってもみなかったのだ。
しかし、いざ読み始めると止まらなくなってしまい、その日のうちに最終巻まで、すべて一気読みしてしまった。
読み終えた私は、漫画『BEASTARS』に対して、最初の印象とは異なる感想を抱いていた。
「この漫画は、LGBTQ+を描いた作品だ」と感じたのだ。
漫画『BEASTARS』の根底に流れるテーマと、LGBTQ+
漫画『BEASTARS』は、擬人化された動物たちの社会の在り方と、主人公たちをめぐる戦いや恋愛模様を描いた作品だ。
擬人化された動物のビジュアルや、体のサイズも生態系も異なる動物たちが同じコミュニティで生活する様子から、私はまず、ディズニー映画『ズートピア』を連想した。
ディズニー映画『ズートピア』では主人公であるウサギとキツネが、お互いの種族に対する偏見(ウサギはか弱く、キツネはずる賢い)に抗いながら理解を深めていく点がメインテーマとなっている。
だから、最初は漫画『BEASTARS』も、そういった問題を描いた作品なのだろうと思って読み始めた。
しかし、ディズニー映画『ズートピア』では描かれなかったポイントこそが、漫画『BEASTARS』の醍醐味であり、私にとって重要な部分だった。
それは、「異なる種族同士の恋愛の難しさ」「社会的にマイノリティと分類される恋愛感情にどう向き合うか」という、LGBTQ+にも通じるテーマである。
漫画『BEASTARS』におけるLGBTQ+の表象
「異なる種族との恋愛をする動物」=「LGBTQ+」?
漫画『BEASTARS』の世界では、動物たちは同じ種族同士の結婚を推奨されている。
たとえば、シカはシカと、オオカミはオオカミと、ウサギはウサギと結婚することが善であるという風潮がある。
「同族の男女は結婚すると“純婚金”といわれる国からの“ご祝儀”が支給される」「その流れで純血の子どもを産めば更に多くの“養育補助金”が支給される」という文言も、作中で登場する。
つまり、異なる種族同士で恋愛をする動物は、社会的に歓迎されない、マイノリティ扱いなのだ。
この風潮に苦しむ様子が描かれるのが、主人公であるハイイロオオカミのレゴシやドワーフウサギのハルなど、異種族同士で恋愛している動物たちだ。
同じ種族同士で結婚すれば、国からの補助も手厚く、家族を安心させることもできるとわかっていながら、異なる種族の相手に魅力を感じてしまう自分の感情に葛藤し、悩み、苦しむ。
その描写を見ていると、異性婚があたりまえのような風潮の社会で肩身狭く生きている、LGBTQ+当事者の自分の感情と重ねずにはいられなかった。
「草食動物を恋愛対象とする肉食動物」という、LGBTQ+の表象
漫画『BEASTARS』の世界では、肉食動物と草食動物は「基本的に、恋愛関係になることはない」という認識が根強い。
現に、ライオンとウサギという組み合わせのカップルが登場した際は、周囲の動物たちはショックと驚きが入り混じったような反応をする。
また、主人公のハイイロオオカミ・レゴシは「草食動物にしか恋愛・性愛感情を抱かない」ということが物語の中盤で判明し、自分でそのことを認めるまでの葛藤や、腑に落ちてすっきりするような感覚が描写される。
つまり、レゴシは、漫画『BEASTARS』の世界におけるLGBTQ+の代表のような存在なのだ。
ただ、この世界における異種族恋愛とLGBTQ+との違いは、「肉食が草食を傷つけてしまう可能性がある」ということ。
しかしながらその点は、主人公のレゴシが強靭な忍耐力を身につけ、草食動物を食べようとしたり攻撃したりといった本能を克服することで、作中では比較的あっさりと解決されてしまう。
問題となるのはむしろ、主人公たちの恋愛を阻む社会の仕組みのほうだ。
周囲から奇異の目で見られる、いじめや好奇心の対象になってしまう、制度のために結婚ができなくなる、書店では「同族婚」の棚と比べると「異種族婚」の棚の扱いが圧倒的に小さいことに気がつく・・・・・・。
少年漫画らしいバトルシーンもたくさんあるけれど、主人公のレゴシやハルが常に戦っている相手は、わかりやすい敵キャラクターではなく、「社会」や「周囲に根付いた差別の心」なのだ。
それが、私が漫画『BEASTARS』に心惹かれた最大の理由だ。
漫画『BEASTARS』から学んだ、LGBTQ+の恋愛への姿勢
私が漫画『BEASTARS』の中で特に好きなのは、ドワーフウサギの「ハル」のキャラクター像だ。
力強く生きるLGBTQ+、「ハル」のキャラクター像
小さくて可愛らしく、か弱くはかなげな印象を与えがちなウサギ。
実際、肉食動物や体格の大きな動物の前ではひとたまりもないような存在なのだけれど、そのイメージに留まらないしたたかさを持っているのが「ハル」の魅力なのだ。
物語の冒頭では、ハルは性行為に対してオープンな態度を取っているため、他の動物たちから冷ややかな視線を向けられている。
しかしながら、ハルは性行為において、相手のことを区別しない。
相手の種族が何であろうと、たとえ肉食動物であるオオカミであろうと臆せず、態度を変えないままに接しようとする。
そして、レゴシと交際を始めてからは、自分の気持ちを素直に相手に伝え、お互いの気持ちをすり合わせながら、ゆっくりと関係性を構築していく。
そんなハルの姿勢は、力強く生きるLGBTQ+当事者そのものに見え、私の目にはとてもまぶしく映った。
知り合いのライオンとウサギのカップルが不幸な結末を迎えたことを知り、「このまま私たちも終わりにするべきだよね」「おばあちゃんになってから孫に一度だけ聞かせるくらいの思い出にするのが丁度いい」と考えても、すぐにレゴシ本人に会いに走って行く。
「私は私らしくレゴシくんと向き合うって決めたの」と覚悟を伝える彼女の姿に、私はつい学生時代の自分を振り返ってしまった。
悩めるLGBTQ+だった自分が、漫画『BEASTARS』に出会っていたら・・・
学生時代、私はとにかく自分に自信のない人間だった。
LGBTQ+を自認していながらも、「私と恋愛関係になったら、きっと相手を不幸せにしてしまう」となぜか思い込み、恋愛はいつも片想い前提、告白は玉砕前提だった。
「学生の間に同性とカップルになっても、きっと卒業するころには離れ離れになってしまうだろう」と決めてかかっていた節もある。
それでも、「あの人、バイセクシュアルらしいよ」「あの子はレズビアンだって前に聞いたよ」と、アウティングすれすれの情報を知り合いから聞くたびに、心が揺らいだ。
セクシュアリティが同じなら自分に興味を持ってくれるかもしれない、と勝手に思って近づくことはあっても、相手のことを理解しようという姿勢は頭から抜け落ちていたように思う。
LGBTQ+として恋愛することは、きっとマジョリティ同士の恋愛よりも、立ち止まって考えてしまうような機会が多い。
それでも、大切なのは「他人と比較せず、自分自身の感情と相手の感情に正面から向き合うこと」であって、社会の風潮や自分の思い込みに負けてしまっていた学生時代の私は、そもそも恋愛の土俵に上がろうとすらしていなかった。
あの頃の自分がもし漫画『BEASTARS』に出会っていれば、また違った視点で自分の恋愛感情と向き合えたかもしれない。
たとえセクシュアリティの異なるLGBTQ+同士であっても
とはいえ漫画『BEASTARS』には、少しばかり引っ掛かる表現も含まれている。
肉食動物と草食動物が恋愛関係になることを「特殊な性癖」のように扱ったり、動物のメス同士が性行為を行うことに対して主人公が「完全に無法地帯」と言い表したりする場面もある。
2016年から連載されていた漫画だから、現在の感覚と少しずれているのは致し方ないのかもしれない。
それでもやっぱり、漫画『BEASTARS』は私にとって、LGBTQ+当事者として恋愛に向き合う上での勇気を与えてくれる作品だ。
お互いの複雑な感情や本能の違いを受け入れ、「触れ合いにくいままでいい」という覚悟を持って愛情を認め合うレゴシとハルの姿は、もしかしたら同性愛者と異性愛者、Aセクシュアルとそうでない人など、異なるセクシュアリティ同士で恋愛関係を築こうとする人たちにも重なるかもしれない。
この作品が、「少年漫画」という枠組みで多くの人々に届いているであろうことを、今さらながら喜ばしく、嬉しく思えた。