「ゲイは趣味嗜好にもセクシュアリティが表れる」という旨の文章を目にして、ふと「レズビアンはどうなのだろう?」と気になった。推し活という言葉が流行してしばらく経ったけれど、レズビアンの推し活に特徴はあるのだろうか。
レズビアンの「推し活」には特徴がある?
ゲイは推し活についても嘘をつかなくてはいけない?
たしか、漫画『きのう何食べた?』を読んでいたときだったと思う。
「ゲイは自分のセクシュアリティを隠そうと思うと、ファッションや趣味(推し活)についても嘘をつかなければならない」
という内容の話題を目にした。
たとえば、ゲイであり、男性アイドルが好きであるという人は「男性アイドルが好きだと言うと、ゲイであることがわかってしまうかもしれない」と考え、好きな芸能人ですら正直に明かすことができなくなる・・・・・・といった具合だ。
漫画の中の話なので真偽についてはわからないけれど、読んだときは納得がいった。
それと同時に、自分のセクシュアリティを思い返して「レズビアンの場合はどうだろう?」という点が気になった。
レズビアンの推し活には、レズビアンらしい特徴があるのだろうか?
そして、レズビアンの「推し」は女性であることが多いのだろうか?
レズビアンの推し活に特徴はあるのか
まず、直感的な答えとしては、レズビアンの推し活については「特徴という特徴はないのでは?」と思ってしまう。
たとえば、レズビアンである私のパートナーは、音楽アーティストやYoutuberなどのジャンルに「推し」がいるのだけれど、そのほとんどが男性だ。
それに対して、私は宝塚歌劇やミュージカル、アイドルなどが好きで、体感で8割くらいの「推し」が女性なのだ。
身近な例ですらここまで違っているので、多くのレズビアンが集まっても、推し活の対象は多種多様で、特徴なんてないのではないか? とつい考えてしまう。
だけど、考えているうちにいくつかのことに気がついたので、もう少し「レズビアンと推し活」の関係について紐解いていってみたい。
個人的に考える、レズビアンの推し活事情
「レズビアンの推し活に特徴はないのでは?」と先述したけれど、私とパートナーの「推し」を比べると、それぞれに一定の傾向があることがわかった。
レズビアンのタイプによって「推し」の傾向がある?

パートナーは、ボーイッシュな服装や立ち居振る舞いを好むタイプのレズビアン女性だ。
だから、自然と憧れの対象である「推し」は男性になりやすいのかもしれない。
一方で、私は男性の俳優などにも「推し」はいるけれど、その理由はたいてい「演技が上手だから」で、容姿などのタイプにはあまり共通点がない。
むしろ、明確に好みのタイプが存在するのは女性の「推し」で、タカラジェンヌ、女優、女性アイドルなど、何人もいる「推し」たちの中でも、容姿やパフォーマンスのタイプが似ている人が多い。
私は恋活をする際、「男性のことは苦手ではないけど、交際するとなるとあまり気が進まない」「むしろお付き合いをするなら女性とのほうがいい」と感じて迷走していた時期があるのだけど、そのことと「推し」のタイプについては、因果関係がありそうに思える。
タカラヅカファンの「推し活」から見える、レズビアンの特徴とは
宝塚歌劇の推し活に最も力を入れていた頃は、「推し活仲間」と呼べる存在が何人もいた。
SNSや劇場などで知り合い、お互いの推しについて語り合ったり、チケットを融通し合ったりしていた当時の推し活仲間には、レズビアンの人も何人かいた。
宝塚歌劇には「男役」と「娘役」という役割分担があるのだけど、おもしろいことに、私を含むレズビアンの人たちには、「男役」と「娘役」のどちらかだけを推している人は少なかった。
私が知り合ったタカラヅカファンたちは、たいてい「男役」にも「娘役」にも推し(タカラヅカ風にいうと「ご贔屓」)がいて、それぞれの男役らしさ、娘役らしさを愛していた。
推し活における「推し」が恋愛対象と一致するかどうかは人それぞれだけど、レズビアンにはボーイッシュな人や中性的な人、格好いい人や可愛らしい人など、さまざまなタイプの女性が存在するからこそ、レズビアンの「推し」はタイプが幅広くなりやすいのかもしれない、と思った。
レズビアンであることを隠していた時代と推し活
それにしても、どうして私はレズビアンと推し活についての話題が気になったのだろう? あらためて考えてみたところ、思い出したことがあった。
女性アイドルへの推し活を嫌がった母の心理

私は以前、母との間に確執があった。
私が「レズビアンかバイセクシュアルかもしれない」と母にカミングアウトした際、母はとっさに拒絶したい気持ちになってしまったらしく、私のセクシュアリティを否定するような発言を繰り返していた時期があったのだ。
ことあるごとに「ちゃんと男性と結婚して子どもを産んでほしい」と私にプレッシャーをかけてきたり、私がユニセックスなファッションをしていると「もっと女性らしい服を着ればいいのに」と嫌がったりする母を見て、私も自分のセクシュアリティの話を持ち出すことはなくなった。
その頃、私がTVを見ていて、とある女性アイドルについて「あ、この子可愛い。推しなんだよね」とつぶやいたところ、母は「女性が推しだなんて変だ」と強い口調で突っかかってきた。
レズビアンであろうとなかろうと、女性が女性アイドルを「推し」と呼ぶのは、特におかしいことではないはずだ。
ただ、当時は今ほど「推し活」が広まりきっていなくて、「推し=異性」「推し活をするようなファン(オタク)はそもそもちょっと変わっている」という認識が一般的だったのかもしれない。
母にとって、娘である私が「女性アイドルを推している」と語ることは、娘がレズビアンかもしれないという疑念を裏付けることにつながる、と感じたのかもしれない。
冒頭で例に挙げた「男性アイドルが推しだとゲイであることがばれてしまう」という話は、数年前の私の記憶とそのまま重なった。
レズビアンであることを隠し、推し活も隠さなければいけなかった過去
母はまた、私が宝塚歌劇にハマったことについても嫌がっていた。
「男役の○○さんに恋愛気分でオネツ」というような、昭和のタカラヅカファン像としてよく描かれるイメージが強かったのかもしれない。
私は、恋愛対象と「推し」は感覚的に違うものだと思っているけれど、いわゆる「ガチ恋(推しに本気で恋愛感情を抱く)」という人も一定数いるし、そちらのほうがメディアで取り沙汰されやすいから、母も「推し=恋愛対象」だと思っていたのだろう。
私は、自分のセクシュアリティや恋愛模様について隠すだけでなく、実家での推し活も大々的には行わず、家族には内緒にしていた。
TVに推しが映り込んでも「あっ」と声を上げたいのをグッとこらえ、郵便受けに届くような月刊誌や会報誌の類は母の目にふれないように注意をはらい、推し活のためのCSチャンネル契約も「一人暮らしするようになってからだ」と決めて我慢する日々。
そうすると、家族との会話もどんどん減っていき、私は自室にこもりがちになった。
「早く実家を出たい」と強く願うようになり、一人暮らし用の資金をコツコツためて、休日は推し活のために家を空け、家族とコミュニケーションをとれるタイミングはほぼ皆無だった。
やはり、セクシュアリティを隠すために推し活のことまで隠さなければいけないのは、苦しいのだ。
推し活について家族が共感してくれなくても、ふとした拍子に「これ好きなんだよね」とか「明日推しのライブに行ってくるね」と言うことすらできないと、身近な人とのコミュニケーションはどんどん疎かになっていく。
レズビアンの推し活に明確な特徴があるとは言い難いけれど、女性アイドルや宝塚歌劇など「レズビアンの推し活らしい」と言えなくもないジャンルは、たしかに存在するようだ。
自分の過去の記憶を掘り起こしてはじめて、そのことに思い至った。
推し活とセクシュアリティの微妙な関係
現在、私は母と一応和解している。というのも、私が自分のセクシュアリティとパートナーについて、あらためて母にきちんと説明したということもあるのだけれど、きっかけはほかにもあった。
母との和解のきっかけも「推し活」だった

実は母が還暦間近にして「推し活」にハマったのだ。
これまでの人生で、特定の芸能人の出演番組や楽曲をチェックすることくらいは何度かあったけれど、ここまで明確に誰かを「推している」母の姿を見るのははじめてだ。
しかも、これまでは「歌が上手なアーティスト」や「演技が上手な俳優」にしか興味がなさそうだった母がハマったのは、なんと若手の男性アイドル。
今までアイドルには見向きもしなかったのに、コンサートのライブ配信をわざわざリアルタイムで視聴し、ドラマや映画、バラエティ番組などあらゆるメディアをチェックし、その流れでさらに新たな男性アイドルグループにも興味が出てきたのだという。
「推し活」にハマったからなのか、母は明らかに私のセクシュアリティと「推し」に対して寛容になった。
わざわざ「今タカラヅカでは誰が推しなの?」「好きって言ってた女性アーティストのライブには行ったりするの?」と質問してくる母に対して、複雑な思いがないわけではない。
ただ、母も「推し」のいる人生を体験することで、私が当時どのような思いで推し活に励んでいたのかが実感としてわかるようになったのかもしれない。
推し活もセクシュアリティも、あたりまえに受け止められるように
令和の時代である今、推しとして女性の名前を挙げたところで、肩身が狭い思いをするレズビアンの人はあまりいないと思う(と、信じたい)。
ただ、それでも「芸能人でいえばどんな人が好みのタイプ?」など、レズビアンであることを隠していると、答えにくくなる質問をされることは未だにありそうだ。
私自身は、そういうときは「ジブリのキャラクターでいえばトトロっぽい人が好きです」などとごまかしていた。
人間でない存在を挙げれば性別は関係なくなるし、ギリギリ嘘もつかずに済む。
また、相手も「何それ!」などと盛り上がってくれるので、とりあえずその場をやり過ごすことができたからだ。
ただもちろん、親しい人にまでそんなふうにごまかすような会話をし続けたくはないと思っていた。
推し活とセクシュアリティは、遠いようで近い、微妙な関係性を結んでいる。
推しについても、自分のセクシュアリティについても、隠すことで肩身の狭い思いやうしろめたさを感じてしまう人たちが、少しでも減ってくれたらと願うばかりだ。



