INTERVIEW
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男だって女だってFTMだって、自分の気持ちに正直に生きることが大事!【前編】

待ち合わせ場所に現れた坂口友亮さんは、やや緊張した面持ちだったが、ひとたび話し始めると持ち前のサービス精神と人懐っこさが顔を出す。「『悩みがなさそう』って言われるんです(笑)」と話す坂口さんだが、これまで歩んできた道は、決して平坦なものではなかった。今、心から笑えているのは、近くにいてくれた人たちのあたたかさに気づけたから。

2020/10/07/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
坂口 友亮 / Yusuke Sakaguchi

1991年、兵庫県生まれ。幼少期から自身の性別に違和感を抱き、高校生の頃にセクシュアリティに関する悩みが生まれ、短大でFTMであることを自覚。短大卒業後、介護の仕事をしながら性別適合手術を受け、戸籍を変更した。起業や転職を経験した後、現在は大阪に拠点を置き、コミュニティ「Another view」を運営している。

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INDEX
01 おとんにあって自分にないもの
02 ひたすらに剣道に明け暮れた日々
03 胸に抱えたモヤモヤと母の言葉
04 自分以外にも存在していたFTM
05 自分を隠しながら働く意味
==================(後編)========================
06 カミングアウトがもたらしたもの
07 “男” として積み上げたかった実績
08 意識変革の2泊3日旅行
09 強いおかんの深い愛情
10 僕の人生は “気持ちに正直に一歩ずつ”

01おとんにあって自分にないもの

うっとうしいおかん

神戸生まれ、神戸育ち。2歳上の姉がいる。

「姉ちゃんが頭いいんで、勉強の面ではよく比較されてました」

「おかんからはよく『勉強しなさい』って、言われましたね。うっとうしかったです(笑)」

ざっくばらんな母は、いわゆる “関西のおばちゃん” 。

「僕がどんくさいんで、おかんはその尻拭いをしたり、失敗しないように準備しておいてくれたりする人でした」

「今考えると感謝しかないし、多分、僕は溺愛されてると思います(笑)」

かわいい女の子・・・?

「自分で言うのも変ですけど、3歳くらいまでの自分は結構かわいかったんですよ(笑)」

「でも、物心ついた時には、少年になってました」

幼い頃の写真を見返すと、服装や座り方、醸し出す雰囲気がすでに少年。
男の子と一緒に、ミニ四駆やゲームで遊んでいた記憶がある。

「当時、『ヨーカイザー』ってゲームが欲しくて、小学校の校内放送で『ヨーカイザーが欲しいです』って、言ったことを覚えてます」

「クリスマスに買ってもらったんですけど、なんであんなに欲しかったんかな(笑)?」

信じていた親の冗談

休日は父親に連れられて、タケノコ狩りや魚釣り、キャッチボールを楽しんだ。

「おとんは息子が欲しかったのか、竹やぶとか海によく連れてってくれました」

「おとんと過ごすことの多い幼少期で、楽しかったですね」

幼稚園児の頃、父がトイレで立って用を足している姿を見て、大人になったら自分も同じようにできる、と感じた。

なんでおとんにはおちんちんがついてるのに、自分にはついてへんのやろ、と思っていた。

「僕がそんなことを口に出していたのか、親から『そのうち、おちんちん生えてくるんちゃう』とか、言われてたんですよ」

「『おちんちん買うてつけたろか』みたいに言われて、買うてつけるんや、って納得してました(笑)」

親は冗談のつもりだっただろうが、幼い自分にとって、親の言葉は真実だった。

「小学校に上がるくらいで、生えてこないし、売ってもいないことを知りました(苦笑)」

おちんちんの話はしなくなったものの、親から「女の子らしくしなさい」と、言われたことはほとんどない。

「服装も髪型も自由だったし、そういうことを言われた記憶は残ってないです」

「中学生になって制服を着始めてから、『脚閉じて座らへん?』って、言われたことはあるけど」

02ひたすらに剣道に明け暮れた日々

真似て始めた剣道

近所の幼なじみが、剣道をやっていた。

「赤ちゃんの頃から親しくしているお姉ちゃん的な存在で、自然とその人の後を追ってました」

自分も剣道をするものだ、と当然のように思っていた。

「小学生の頃に『お寺で剣道やってるよ』って聞いて、見学に行ったのが最初です」

「剣道は楽しかったですね。試合に勝つのが、面白いんですよ。めちゃめちゃ強いわけじゃないけど、強い部類には入っていたと思います」

市大会、県大会で成績を残すほどの実力を身につける。

「幼なじみのお姉ちゃんが高校まで剣道を続けてたから、僕も同じルートを行くんだ、って考えてました」

負けたくない存在

自分にとって剣道は、武道というよりもスポーツ。

「小さい頃からスポーツが好きで、活発だったから、同級生から『男女(おとこおんな)』って言われてました(笑)」

「そのたびに『うっさいな、じゃあ剣道で勝ってみろ』って、言い返してましたね」

いつからか、同世代の男の子たちに負けたくない、という気持ちが大きくなっていく。

「男の子に向かって、『どうせお前ら勝てんやん』とか言って、マウントを取ってたんです(笑)」

中学生になってからも剣道を続け、男の子の先輩をも負かしたため、恐れられていたと思う。

「当時の自分は負けん気がすごく強くて、周りをめっちゃ威嚇してました(笑)」

「今にして思えば、多分、男の子に対する憧れや嫉妬みたいな感情があったんだと思います」

「それができたのも、中学生まででしたけどね・・・・・・」

やっぱり違う男と女

中学生になって、制服のスカートははきたくねぇ、と思った。

しかし、スカートをはかなければ、学校には行けない。部活はできないし、友だちにも会えない。

「学校は楽しい場所だったから、スカートをはいて通うことを選びました」

中学2年生の時、ショートカットだった髪を伸ばしてみよう、と思いつく。

「中学生になって、やっぱり男と女って違うんや、みたいに感じたんですよ」

「僕は “女” ってカテゴリーやから、そっちに合わせなあかん、と思って髪を伸ばしてみました」

半年後、肩につくくらいまで髪が伸びる。

「でも、ふと、別にみんなと同じようにせんでもいっか、って思ったんです」

ばっさりと髪を切り、ショートカットに戻す。

「初めて生理が来た時は、絶望しましたね。おちんちんが生えると思ってたくらいですから(苦笑)」

「でも、剣道で発散できてたから、そこまで落ち込むことはなかった気がします」

03胸に抱えたモヤモヤと母の言葉

女性剣道・坂口

高校は、特待生として剣道の強豪校に進む。

「入学した当時は、剣道部内で一番弱くて、補欠にも入れなかったんです」

練習に励み、さらなる強さを手に入れ、レギュラー入りを果たし、キャプテンになった。

「それでも、高校生になると、男子には勝てないんですよ」

男子と女子では筋肉量が違い、体格差も顕著になってくる。

どれだけ練習して強くなっても、自分が “女” というポジションにいることは変わらない。

「むしろ、頑張れば頑張るほど “女子剣道・坂口” が際立って、女であることを痛感させられました・・・・・・」

ショートカットで男の子のような服を着ても、ボーイッシュな女の子としてしか見られない。

「おかんのお腹の中に、おちんちん忘れてきたかな・・・・・・って、思いましたね」

「『自分は男だ』とは言い切れないけど、『女です』っていうのも違うな、って1人で悶々と考えてました」

唐突に迎えた反抗期

行き場のない感情のぶつけどころがわからず、学校を休むようになってしまう。

「おかんに『どうしたん?』って言われても、『なんもやる気が出ん』って言うしかなくて」

「強豪校のキャプテンが学校に行かないなんてありえないから、顧問に学校に連れていかれることもありました」

悶々とした悩みは膨れるばかりで、学校を休み、家出をして、タバコを吸った。

「地元の友だちとつるんで、中途半端な荒れ方をしましたね。完全に、自暴自棄です」

2年生の11月、高校を中退。

母から「何があったん?」と聞かれることがしんどく、家に帰らない日々が続く。

「荷物を取りに家に帰った時に、おかんと鉢合わせしちゃったんですよ」

「その時に『生きてんの、しんどいわ・・・・・・』って、言われたんです」

真面目だった子どもが、突然荒れ始めたことで、母はパニックを起こしてしまったのかもしれない。

「死ぬことまで考えていたおかんの言葉で、このままじゃいかんな、って気づかされましたね」

“オナベ” と呼ばれる人

徐々に家に戻るようになり、荒れていた生活も落ち着いていく。

「おかんから『お願いだから、高校だけは卒業して』って言われて、通信制の高校に通い始めました」

週3日、高校に通い、そこで友だちもできた。

「その頃にはインターネットも普及してたから、自分みたいな人がいることは知ってました」

「まだFTMって言葉は知らなくて、俗にいう “オナベ” なんや、って感じてましたね」

しかし、身近に “オナベ” の人はいない。自分と同じような人に、会いに行く勇気もない。

「自分のセクシュアリティはわかってきたけど、誰にも話せなかったですね」

04自分以外にも存在していたFTM

人と話せない女子寮生活

高校卒業後は、至学館大学短期大学部に進む。

「自分ができること、やりたいことがわからなくて、唯一できる運動をするために、体育系の学科を選びました」

「でも、4年いたら絶対飽きると思って、短大にしたんです(笑)」

「できればいったん実家から離れたい、と思って、愛知の至学館大学に行きました」

大学の女子寮での1人暮らしがスタート。

「適応しようと思ったら環境に適応できちゃうんで、女子寮も楽しめましたよ」

「ただ、入学して3カ月くらいは、寮生の誰ともしゃべれなかったです」

「性自認もよくわかってないやつが、女の子たちと共存できるんか、って葛藤があったから」

「お風呂は共同だったから、ほかの子が入る時間を極力避けて、ササッと入ってました(苦笑)」

同じ場所にいたFTM

短大に通い始めると、思いがけない出会いがたくさんあった。

「体育系だからか、僕と同じようなやつがゴロゴロおるんですよ」

キャンパス内で、 “オナベ” であろう人に出会うことができたのだ。

「みんなオープンにしてるわけじゃないけど、当事者同士ってなんとなくわかるんです」

「同じニオイがする人に『お前そうなん?』って聞くと、『そんな感じ』って、自然にわかり合えるみたいな」

ひと学年につき、2~3人はFTMだと自覚している人がいたように思う。

「それまで身近にいなかったし、今後も自分以外には出会わないだろう、って思ってたんです」

「だから、俺だけじゃなかった!! って、めちゃめちゃ安心しましたね」

中には、「俺、実は男なんだよね」と、FTMであることを公言している人もいた。

「その人がいるおかげで、当事者じゃない子も、こういう人がおるんや、って理解してくれるんですよ」

「そういう環境だから、周りから『坂口も同じなん?』って、聞いてくれました」

「そんな感じ」と答えると、友だちは「OK」とあっさり受け入れてくれた。

「むっちゃラクになりました」

母に頼まれた「成人式」

兵庫での剣道の試合のため、実家に帰ると、母に「ちょっとついてきて」と言われる。

つれていかれた先は、呉服店。

「成人式が近かったから、勝手に振袖を予約されてたんです」

すでにFTMである自覚があった自分は、「着たくないって言っとるやんけ!」と、拒んだ。

「お店の人がいる前で、おかんとガチゲンカしました(苦笑)」

「途中で、おかんに『成人式は人生で1回しかないから、これだけは着て』って、泣かれたんです」

「泣いて頼まれたら、渋々受け入れるしかなくて、成人式当日は振袖を着ました」

成人式には出席せず、地元の友だちと写真を撮ると、すぐに帰って振袖を脱いだ。

「自分では受け入れられなくて、その時の写真はずっと見られなかったんですよ」

「でも、最近見返したら、当時の僕は振袖が似合ってたし、割とかわいかったです(笑)」

05自分を隠しながら働く意味

治療費のための就職

短大の卒業が見えてきた頃、抱いた思いがある。

このまま女として生きていくことは無理だし、男として生きていきたい。

「就活の時には、25歳までにお金を貯めて、戸籍変更までしよう、って考えてたんです」

その頃には、性別適合手術(SRS)を経て、戸籍の性別が変えられることを知っていた。

「杉山文野さんとか、活動されているFTMの方の本を読んだりして、その過程は具体的に知っていたんです」

「SRSをしたかったから、働く第一目的はお金で、給料のいい仕事を探しました」

就職課で「求人が出てる中で、一番給料がいいところを教えてください」と伝え、紹介してもらった仕事は介護。

できる限り早く治療費を貯めることだけを考え、介護職を始める。

受け入れてもらえた事実

「5年間で治療費が貯まったら、カミングアウトせずに仕事を辞めよう、って軽く考えてたんです」

「でも、職場の人はめっちゃいい人ばかりで、介護の仕事も面白かったんですよ」

介護する人の人生最後の時間に携わる仕事。その尊さを、身をもって体感した。

やりがいが、日に日に増していく。

「一緒に働く人への思いも深まって、この人たちにウソをついて接する必要はあるんだろうか、って葛藤が出てきました」

男であることを隠し、女として接してきた。治療費が貯まったら、何も言わずに去るつもりだった。

「この人たちと縁が切れるのは嫌やな、って思ったんです」

病院でカウンセリングを受け、性同一性障害の診断書を書いてもらい、会社に報告する。

「『女性として入社したんですけど、僕は性同一性障害で、戸籍を変えたいと考えてます』って、伝えました」

社長は、「どうしても治療したいなら、引き止める権利はない。我々にできることはあるか?」と、言ってくれた。

「ありがたいことに、通称名を使うことや男性用の制服を着ることを、許可してもらえたんです」

「仕事を続けながら、有給をもらって、手術も受けさせてもらいました」

あたたかい職場を去る決意

職場の同僚にも、自分の口から伝えた。

かわいがってくれていた先輩のおばちゃんたちから、「手術なんて、親不孝もええとこやで」と、言われる。

「その時は、『自分の子どもが苦しむのとのびのび生きるの、どっちがいい?』って、聞いたんです」

「その質問にハッとしたのか、おばちゃんたちも『のびのびしてくれてんのが一番』って、応援してくれるようになりました」

手術を終え、性別も変えて、予定していた通り退職することを決める。

「『男として社会に出ることに挑戦したい』って伝えたら、『応援してるから頑張って』って、送り出してくれました」

「今でも、その会社の上司や後輩とは、連絡を取ってます」

転職した先では、女性だったことは告げず、男性として働き始める。

 

<<<後編 2020/10/10/Sat>>>
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06 カミングアウトがもたらしたもの
07 “男” として積み上げたかった実績
08 意識変革の2泊3日旅行
09 強いおかんの深い愛情
10 僕の人生は “気持ちに正直に一歩ずつ”

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