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Writer/酉野たまご

異色のLGBT像を描く―朝井リョウの小説『生殖記』

2025年本屋大賞にノミネートされた、朝井リョウによる小説『生殖記』。内容も知らないままに読み始めたこの作品が、LGBTを描いたものだとは思ってもみなかった。それも、これまでに出会ったどの作品とも似ていない、異色のLGBT像を描いた小説だとは。

朝井リョウの小説『生殖記』とは

朝井リョウの小説『生殖記』が一体どのような作品なのか、まずはざっくりと説明したい。

人間ではない存在が語り手となる小説『生殖記』の異色さ

小説『生殖記』の主人公は、尚成(しょうせい)という名前の30代男性だ。
いや、正確にいえば、主人公は尚成ではないのかもしれない。

尚成の「生殖機能を司っている存在」。わかりやすくいえば「魂」のような存在の一人称視点で、尚成というひとりの男性の生き様が描かれている。

「尚成はいっつもこうなんです」という語りから始まるこの作品は、人間を「ヒトのオス個体」などと表現しており、くだけた語り口とあらゆる次元を超越した視点が混ざりあっている。

それだけでもかなり特徴的で読み応えがあるのだが、私が『生殖記』に強く惹かれたのは別の理由からだ。

この『生殖記』は、私がこれまで出会ったことがないような、異色のLGBT小説でもあったのだ。

朝井リョウ作品との出会いから、小説『生殖記』との出会いまで

朝井リョウ氏の小説とは学生の頃に出会い、文章の「今っぽさ」、学生たちのリアルな会話を描く巧さに夢中になった。

デビュー作である小説『桐島、部活やめるってよ』のほか『少女は卒業しない』『もういちど生まれる』などの青春小説が好きで、何度も繰り返し読んでいた。

そして、朝井リョウ氏の作品は少しずつ「青春小説」というジャンルから外れていき、より鋭く社会を切り取り、読む人を共感させまいとするかのような独特の空気感をまとうようになっていったように感じた。

私が以前好きだった作品たちと、近年の朝井リョウ氏の作品は雰囲気からして異なる。
だから、当初はかなり戸惑いをおぼえたし、朝井リョウ作品と意識的に距離を置こうとした時期もあった。

しかし、評判になったいくつかの作品を少しずつ紐解いていくと、その視点の独特さや容赦のない文章にかえって救われるような、目が覚めるような気持ちになることに気がついた。

極めて特殊な「欲」をもつ人々について描いた小説『正欲』を読んだときも、LGBT(セクシュアルマイノリティ)ですら「マジョリティ」に分類してしまうようなその語り口に驚き、これまでの自分にはなかった考え方をしみじみと噛みしめるような読書体験になった。

小説『生殖記』は、まさにそういった衝撃を与えてくれる作品だった。

LGBTを描いた作品だとは思わずに読み始めた私の、油断しきった心にピシリと斬り込むような、そんな鋭さをもった小説だったのだ。

小説『生殖記』がLGBTを描く作品として異色な理由

私が、小説『生殖記』を異色なLGBT小説だと思う理由は大きく分けてふたつある。

LGBTであることすらもささいに思える「人間ではない存在」の視点

ひとつめの理由は、前述のとおり「人間ではない存在」が語り手となっている点だ。

LGBTの人物を中心に描いた作品の多くは、主人公となるLGBT当事者の個人的な感情や視点がベースとなっている。

だからこそ、どことなく狭い範囲での出来事に見えてしまったり、特殊なケースの話というふうに受け止められそうなストーリーになってしまったりすることもある。

私のようなLGBT当事者からすれば「こういうことってよくあるよね」「丁寧に心情を描写しているな」と感じられる作品でも、性的マジョリティの人たちにとってはどこか遠い存在の話として捉えられてしまうこともあり、それがもどかしくもあった。

しかし、小説『生殖記』は「生殖機能」と呼べそうな存在が一人称視点で話を展開するため、その時点でかなりぶっ飛んでいる。

私たち「人間」の視点を超えて、生き物全体を同じように見ている存在が語り手であるからこそ、中心人物である「尚成」がLGBT当事者(作中のことばでいえば「同性愛個体」)である点は、ほんのささいなことに思えてくる。

人間である尚成自身にとっては、自分がLGBT当事者であることは重要な問題だけど、人間以外にもさまざまな生き物の生殖機能を司ったことのある「語り手」にとっては、ごくあっさりとした事実でしかない。

その超越した視点は衝撃的でもあるが、尚成と同じLGBT当事者である私にとっては、不思議と肩の荷が下りるような感覚にもなるのだ。

LGBT像としては珍しい、小説『生殖記』の中心人物・尚成の性格

ふたつめの理由は、LGBT当事者である「尚成」の人物像だ。

フィクションのなかで、尚成のようなLGBT像が描かれている作品はあまりないのではないだろうか。

小説『生殖記』の尚成は、表面的に見ればごく一般的な性格の人物といえそうだ。

正社員として働いてはいるけれど、上昇志向はない。
とりたてて熱中していることもなさそうに見える。

周囲の同期や後輩、上司が「会社のために」「部署のために」「自分のキャリアのために」と熱くなっている様子を、あまり興味がなさそうに受け流している。

穏やかで、ちょっとぼんやりしていて、指示されたことはそつなくこなすけれど、自分の強い意志というものは無さそうに見える。

ある意味、現代的ともいえそうな、こだわりや執着心のうすい人物像で、周囲の人間からすれば「尚成ってぼんやりしてるよね」「何考えているかわからない」という印象になる。

私は『生殖記』を読みながら「尚成は絶対に存在するのに、今までフィクションのなかで語られてこなかったLGBT像だ」と強く実感した。

読めば読むほど、尚成のような人物は「いそうでいない、特殊なキャラクター」ではなく「絶対にどこかに居るはずの存在」だと思えてきた。

なぜなら、尚成がこんなふうに曖昧な印象の性格に見られてしまうのは、彼がLGBT当事者―同性愛個体―であることと、その事実を周囲に隠していることに主な原因があるからだ。

小説『生殖記』で描かれる、孤立しやすい存在としてのLGBT像

小説『生殖記』のなかで描かれる「尚成」の思考回路は、LGBT当事者として悩んでいた頃の個人的な記憶を彷彿とさせるものだった。

LGBTであることが孤立を生む―小説『生殖記』の尚成と自分の記憶

小説『生殖記』において、尚成はある理由から「自分がLGBTであることを周囲に知られてはならない」と思い込んだまま幼少期を過ごし、30代になった今もその考えに影響を受けている。

尚成が周囲に「何を考えているかわからない」と思われてしまうのは、彼自身が行動指針の根底にある意識―自分がLGBT当事者であること―を誰にも明かそうとしないからだ。

LGBTに限った話ではないのだろうけれど、誰にも話せない問題を自分のなかに抱えている人は、周囲から「心を開いていない」「考えていることが分からない」と受け止められ、人間関係が希薄になってしまいやすい。

ただ、私自身がLGBTであることに悩んでいた頃は「尚成」の思考回路とは少し違う。

尚成が仕事や人間関係といった「社会」に対してごく淡白に、あらゆる事象をやり過ごしていくようにして付き合っているのに対し、当時の私は自分の殻にこもり、同時に強い飢餓感をおぼえていた。

愛されたいし、認められたい。
「誰に」というわけではない。
とにかく誰かに愛されたいし、誰にでも愛されたい。
家族からも、職場からも認められたい。社会全体から認められたい。

それが叶わないのは自分がLGBT当事者だからだ・・・・・・そんなふうに思い込み、強い承認欲求を胸にしっかり抱きしめたままもがくように生きていた。

私自身も相当苦しかったし、周囲から見ても、扱いづらく付き合いづらい状態だったと思う。

『生殖記』のなかで描写される「LGBT像」は、当時の私とは方向性が違う。

それでも、私が尚成に自分と共通するものを見出してしまうのは、自分の生き方や社会との関わり方を「私はLGBTだから」と理由づける思考回路で、意識的にも無意識的にも決め込んでしまっているからだ。

社会的に見えにくい、理解されにくい存在としてのLGBT像

ゲイやレズビアンをフィクションのなかで登場させるとき、わかりやすい特徴(個性的な服装や口調、職業など)や恋愛描写なしでその人物が描かれるケースは、かなり少ないのではないだろうか。

多くの場合、LGBTの人物はステレオタイプなキャラクター性か、もしくは恋人や想いを寄せる人の存在ありきで描かれる。

これといってわかりやすい特徴がない、そしてパートナーもおらず恋愛もしていない、周囲に自分のセクシュアリティを隠しているLGBT当事者がフィクションに登場することはまれなのだ。(関連記事はこちら:NOISE「キーワードは「クローゼット」。短編映画『私たちの、』に込められたレズビアンとゲイの心もとない思い」)

尚成はゲイだけれど、恋愛経験は一切描写されず、周囲に自分のセクシュアリティを明かさない。
一般的に「ゲイらしい」とされている振る舞いのキャラクターでもない。

小説『生殖記』は、マジョリティの人たちの目に最も映りにくい存在―「LGBTらしくない」LGBT像―を描き出しているのだ。

それでも、尚成の生き様にはしっかりと「私はLGBTだから」という前提が刻み込まれている。

社会における性的マジョリティの人たちは、その前提を知らずに尚成のことを「理解できない」と感じてしまう。

性的マジョリティだけではない。同じLGBT当事者であっても、頑なな思い込みによって自分の生き方を狭めてしまうと、自然と距離は遠のいてしまう。

悩んでいた頃の私が、恋人を作ることも、親しい友人を作ることもできなかった理由もそれと似ている。

「どうせ誰からも理解されない」「自分と違う人間に興味はない」。あるいは「誰でもいいから自分を認めてほしい」「無条件に愛してほしい」という声を心の奥底から発していると、人は孤立してしまいやすい。

一見正反対のおもいに見えても、その根底には「自分以外の人間を一括りにして見てしまう」という共通点がある。

私はきっと、小説『生殖記』の尚成の思考回路に、孤立してしまうLGBT当事者としておぼえのあるにおいを嗅ぎとったのだと思う。

新しい感覚と出会えるかもしれない、小説『生殖記』の不思議な読後感

小説『生殖記』は、朝井リョウ作品らしく、万事解決で全員ハッピーになれる明るいストーリーとは正直言い難い。

だけど、読み終わった私の印象としては、不思議と爽やかな心地だった。

生殖機能を司る(私にもきっとある)魂のような存在が「同性愛個体であることを気に病む種なんて、ヒトくらいのものですよ~」と、ゆるく語りかけてきてくれるような気分になるからだろうか。

尚成が何を考えて日々を過ごしているか、その姿や周囲の人間のリアクションを語り手がどのように描写するか、ぜひ読んで体感してみてほしい。

これまでの人生で出会ったことのないLGBT像に―あるいは自分にもおぼえのある人間のにおいに―出会うことができるかもしれない。

 

■作品情報
小説『生殖記』
作:朝井リョウ
出版社:小学館

 

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