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Writer/酉野たまご

キーワードは「クローゼット」。短編映画『私たちの、』に込められたレズビアンとゲイの心もとない思い

偶然出会った作品に、心惹きつけられることがある。それはたとえば、表紙だけを見て手に取ってみた本であったり、映像配信サービスでたまたまサムネイルが気になった映画作品だったりする。短編映画『私たちの、』はまさにそんな作品だった。

レズビアンとゲイの姿をリアルに描いた短編映画『私たちの、』

鑑賞のきっかけは、「クローゼットのレズビアン」というキーワード

短編映画『私たちの、』は、第15回関西クィア映画祭2022で最優秀観客賞を受賞した作品だという。

私自身はそのことも知らず、ただ偶然、映像配信サービスのおすすめ欄で見かけて、ふと気になって鑑賞しようと思った。

30分に満たない短い上映時間、もの言いたげに途中で口をつぐむようなタイトル、そしてあらすじに書かれた「クローゼットのレズビアン」というキーワードが心に留まったのだ。

そして何より、監督・脚本と出演を同じ人が務めているという事実に、映画『私たちの、』に込められた思いを感じた。

うまく言えないけれど、そこには「本当のこと」が描かれている、という気がしたのだ。

短編映画『私たちの、』のあらすじ

映画『私たちの、』の主人公は「クローゼットのレズビアン」である写真家・りょう。

りょうはゲイの親友・優大とルームシェアをして暮らしていたが、優大はパートナーの晶行と一緒に暮らすため、アパートを出て行くとりょうに告げる。

そしてほぼ同時期に、りょうが仕事場として通っていた写真スタジオが閉鎖されるということがわかる。

ストーリーとしてはほぼこれだけで、りょうが最終的に何を思っていたか、これからどうしていくかということは、はっきりと描かれていない。

たったこれだけ、と言ってしまえばそうなのだけど「これだけ」の内容だからこそ、私は映画『私たちの、』に込められたリアリティと、クローゼットのレズビアンとして、あるいはゲイとして生きていくことのもどかしさ、不安、心もとなさ、怒り・・・・・・のようなものを感じ取ることができた。

終始静かで、2~3人での会話と写真撮影の場面しかないけれど、その分、込められた思いはリアルであることが伝わってくる映画だった。

映画『私たちの、』が浮き彫りにする、あまりにもリアルなレズビアンの実態

「レズビアンであることを隠している」ことの孤独ともどかしさ

映画『私たちの、』で印象的だったのは、主人公・りょうがクローゼットのレズビアンであるという設定だ。

クローゼットとは、自分のセクシュアリティを隠している状態を指す。

りょうは、一緒に住んでいる優大以外の誰にも、自分がレズビアンであることをカミングアウトしていないようなのだ。

家族にも、親しい知人にも、自分の本質的な部分を明かせずにいることの息苦しさ。
同性の知人から「結婚して!」と冗談交じりに言われて、苦笑することしかできないもどかしさは、私自身にもおぼえがあることだった。

隠しているのは「自分がどんな人を好きになるか」という一点だけのはずなのに、将来どうするつもりなのか、今何を考えているのか、普段はどうして過ごしているのか・・・・・・あらゆることを「大丈夫だよ」「なんでもないよ」と曖昧にごまかし、嘘をつかなければならなくなっていく。

クローゼットのレズビアンであることの孤独を浮き彫りにする作品にはあまり出会ったことがなかったので、そのあまりにも身近な感覚に、胸がつかえるような思いがした。

パートナーがいなくても、レズビアンであることに変わりはない

さらに、りょうには現在、パートナーらしき存在がいない。

レズビアンやゲイの人物が登場する作品の多くは、彼らが明確におもいを寄せている人や、パートナーの存在ありきで描かれるように思う。

映画『私たちの、』の作中で、りょうは自分の恋愛模様についてはっきりと言及しない。
なんとなく、好意を寄せていると思われる女性は登場するけれど、関係性は最後まで曖昧なままだ。

私はその設定に、かえって安心感をおぼえた。

たとえ恋人がいなくても、明確な恋愛をしていなくても、私たちがレズビアンを自認して生きていることに変わりはない。(以前のNOISE記事パートナーがいないと、レズビアンとは名乗れない?

でも、恋愛をしていないと、レズビアンのコミュニティ内でも話題がないと感じてしまったり、自分が感じている不安や孤独に根拠がないような錯覚をおぼえてしまったりする。

りょうの場合は、クローゼットであるからより一層、自分が抱えている思いを率直に打ち明ける機会が少ないだろう。

映画『私たちの、』は、りょうのようなソロで生きるレズビアンにやさしく寄り添ってくれる、稀有な作品なのだ。

結婚できないゲイカップルー映画『私たちの、』が描くもうひとつの物語

結婚が許されない日本の法律に立ち向かう、ゲイカップルの怒りと祈り

映画『私たちの、』には、優大と晶行という(おそらく)ゲイのカップルが登場する。

お互いに労わりあい、軽口をたたきあいながらも仲が良いことが伝わってくる、とても素敵なカップルだ。

彼らの存在も、私はこの作品の要だと思っている。

こんなにも自然にお互いを思い合っているのに、彼らは結婚することができない。

「婚姻届を役所に提出する」という行為にどれほどの意味があるのか?
異性のカップルであっても、結婚なんてしなくても仲良く暮らすことはできるじゃないか?

そんな疑問は、実際に「結婚したくてもできない」という立場になってみたら、きっと言えなくなるだろう。

私たち同性愛者だって、「結婚はいつでもできるから、今はわざわざしなくてもいいか」って言い合ってみたい。
「法律婚って意味あるのかな」っていう話題でパートナーと語り合ってみたいし、「まあでも、一応籍を入れておきますか」って笑い合って、結婚記念日はいつにしようか、誰に証人になってもらおうか、婚姻届のデザインはどうする? などと相談し合いたい。

映画のなかで、「渋谷区なら(同性同士でも結婚)できるよ!」という発言が出てくるけど、パートナーシップ制度が話題になった当初から、そう誤解している人が多いことを未だに実感する。

県や市、区をまたぐ引っ越しをするだけで、証明書を返還しなければならないパートナーシップ制度は、到底「結婚」とは比べものにならない。法律婚と同じ権利は保障されない。

どちらかが他府県に住んでいたり、単身赴任をすることになったりしたら、パートナーシップは結べない。

きっと、優大たちは簡単に解消させられてしまうようなパートナーシップではなく、法律で保障され、固く結びついた「婚姻関係」を求めていたのだろう。

ただ愛する人の性別が多くの人と違うだけで、どうしてこんなシンプルな望みも叶えられないのか?

優大と晶行の姿からは、現在の日本の法律に対する、静かな怒りと祈りが感じられる。

「結婚」を祝福する文化は、レズビアンやゲイの孤独を加速させる?

個人的な話だけれど、私はそもそも、「結婚」を人生最大のイベントかのように持ち上げる世間の風潮が、あまり好きではない。

もちろん、友人知人が結婚すると「おめでとう!」という気持ちになるし、祝福もするけれど、私はそれと同じくらい、法律婚をしないカップルや結婚式を挙げないカップル、そして誰とも交際をしない人の人生も祝福したい。

「結婚」をイベントとして持ち上げすぎると、「結婚しない人」は周囲から祝福される機会が少ない(あるいはほとんどない)という状態になってしまう。それが納得いかないのだ。

以前、「役所に行かなきゃいけない用事があった」と知人に話した際、「おめでたい話!?」と前のめりで聞かれたことがあった。つまり、パートナーシップを宣誓しに行ったと勘違いされたのだ。

まったく違う用事だということは説明したけれど、そのとき私が感じたのは「パートナーシップ宣誓だったとしても、そんなに食いつかなくていいのに・・・・・・」という怯みだった。

もし私が異性愛者で、パートナーとの結婚を控えていたら、きっと想像以上に多くの、熱烈な祝福の言葉を浴びることになるのだろう。

両親だけでなく、祖父母や、今ではほとんど会わない親戚、さほど交流のない友人知人からも祝われるはずだ。

それを思うと、うれしいことであるはずだとはわかるのに、やっぱりちょっと怯んでしまう。

私たちは、結婚なんてしなくても、生きているというだけで祝福されていいはずなのに。
カップルが婚姻関係を結ばなくても、仲良く暮らしているとしたら、それだけでおめでたいことのはずなのに。

そう考える私にとって、パートナーがいないレズビアンのりょうと、付き合ってはいるけれど結婚できないことに反発をおぼえるゲイカップル(優大と晶行)の両方が描かれる映画『私たちの、』は、絶妙なバランスで心に響く作品だった。

レズビアンもゲイも、等しく祝福される世の中に

映画『私たちの、』のタイトルの後に続く言葉は何だろうか、と考えた。

「愛」だろうか。「願い」だろうか。「幸せ」? 「孤独」?
口にしようとして一瞬ためらう「間」を表現したかのような読点が、想像力を掻き立てる。

りょうや優大、晶行の姿を見ていて、思ったことがひとつある。
「結婚」というイベントよりも、今まで過ごしてきた時間を祝福する風潮が広まればいいのに、ということだ。

「○年、ふたりで一緒に暮らしてきました」「恋人はいないけど、猫という家族と共に○年間楽しく過ごしてきました」というような報告が世の中にあふれたら、私は違和感をおぼえずに周囲の人を祝福できるし、怯むことなく、自分とパートナーとの関係を報告することができるだろう。

りょうのようなレズビアンも、「結婚できないこと」を引け目に思わなくなれば、家族にカミングアウトすることができるかもしれない。

優大や晶行も、自分たちの関係が世間に「無視されている」という印象を受けることなく、静かな怒りを燃やす必要はなくなるかもしれない。

結婚は、より多くの人が選べる選択肢となってほしいし、必要以上に「結婚は素晴らしい」と持ち上げるのではなく、あらゆる人の人生を祝福できる世の中になってほしい。

これは、映画『私たちの、』を観て思いついた、私の、ひそやかな祈りだ。

 

■作品情報
『私たちの、』
監督・脚本:伊藤梢
出演:伊藤梢、ほか
製作:Orgel Theatre

 

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