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Writer/きのコ

ポリアモリーと浮気を考える 「嘘」と「秘密」について

「ポリアモリーと浮気の違いとは?」ポリアモリーという概念を初めて知った人が、必ずと言っていいほど抱く疑問ではないだろうか。今回は、ポリアモリーと浮気という異なる2つのライフスタイルを「合意」という観点から比較しつつ、人間関係における嘘や秘密について考えてみたい。

「合意」があればポリアモリー、なければ浮気

まずは、ポリアモリーの定義から改めて見ていこう。ポリアモリーとは、「関係者全員の合意のもとで、複数のパートナーと同時に恋愛関係を結ぶこと」とされる。

「合意」というポリアモリーの本質

既存の恋愛のあり方と比較すると、どうしても「複数のパートナーがいること」が取り沙汰されがちだが、必ずしもポリアモリーの本質はそこにはない。それよりも「全員の合意があること」こそ、ポリアモリーにとって最も大切な点といえるだろう。

そしてその文脈でいうなら、浮気の本質もまた「複数のパートナーがいること」ではなく、「全員の合意があるわけではないこと」ではないだろうか。

「合意があるわけではない」関係とは何か

「全員の合意があるわけではないこと」は具体的に何通りかの表現ができると思う。

・誰かが嘘をついていること
・誰かが秘密をもっていること
・誰かが傷ついていること

この中で、「誰かが嘘をついていること」が非難されやすいのは想像に難くない。誰かに対して嘘をつくということは、誰かに対して故意に誤った情報を渡して、誤った選択に導くことだからだ。

人間は誰しも正しい情報を得てこそ、自分の自由な意志によって行動を自己決定することができる。嘘をつかれ、誤った情報を渡されるということは、その自己決定が阻害されるということなのだ。

「秘密」のある関係性

一方で、「誰かが秘密をもっていること」「誰かが傷ついていること」が「全員の合意があるわけではないこと」である、という表現についてあなたはどう思うだろうか。もしかしたら「嘘に比べて、そこまで悪いことだろうか?」と違和感をおぼえるかもしれない。

「秘密」という表現の曖昧さ

秘密をもつことについては、それこそ秘密をもつことについて合意があるなら、絶対にいけないこととは言いきれない。というかそもそも、秘密というのは非常に主観的な表現ではないだろうか。

人間関係において、あらゆる情報を開示することは実質的に不可能だ。いくらすべてを詳らかにしようとしても、必ず「開示し忘れた情報」「開示が必要だと認識しなかった情報」「曖昧にしか開示しなかった情報」などが発生するし、それを「秘密にしていたから」と非難されたところで、だって故意じゃなかったから、開示する必要があると思わなかったから、訊かれなかったから・・・・・・といった反論はあり得るだろう。

秘密は必ずしも悪ではない

つまり秘密は、適切なルールをもって ”運用” されることが可能だ。

「ここまでは情報開示するが、ここからは秘密にしよう」などといったルールのもとで運用されるなら、必ずしもあらゆる秘密が悪とされるわけではないし、あらゆる情報が開示されるわけでもないといえる。

むしろ、逆に「秘密にしていてほしい」「知りたくない、知らされたくない」と考えている人に対して無理に情報を押し付けることは、暴力にすらなりかねない。

こういってしまえば、嘘をつくことすらも「この件に関しては嘘をつく」という合意にもとづくルールがあるなら、必ずしもあらゆる嘘が悪とは言い切れないと思う。やはり避けられるべきは、「合意を得ない」振る舞いだといえるだろう。

ポリアモリーの「合意」に必要なもの

そして、「誰かが傷ついていること」というのも非常に繊細で曖昧な表現だ。”惚れた方が負け” とはよく言ったもので、人間は誰かを好きになってしまうと、良くも悪くも忍耐強くなる。あなたが独占欲の強いモノガミーだったとして、好きでたまらない相手がポリアモリーで他にパートナーがいた場合、「他にパートナーがいるのは許せない、別れてほしい」と要求することができるだろうか? 嫌だと言えないとか、嫌だと言っても相手が取り合ってくれない、ということもあり得るのではないだろうか。

対等でなければ、合意はつくれない

厳密な話をするなら、合意というのは対等な関係のもとにこそ結ばれるべきものだし、対等な関係のもとにしか結ばれ得ないものだ。一方が一方に経済的に依存しているとか、もっと言うなら弱味を握られているとかいう状況は、対等な人間関係とは呼べない。権力に傾斜がついてしまっているからだ。

そういった状況では、権力が強い方が弱い方へ何かを押し付けて、弱い方がそれを拒絶できなかったり、拒絶してもそこに向き合ってもらえない、ということも起こり得る。

そんな時に「俺はポリアモリーだから、他の人とも好き勝手に交際する」と一方的に押し付けられて、たとえ嫌だと言っても耳を傾けてもらえない状況は、いくら情報がオープンにされていたとしても「合意がある」とはいえないのではないだろうか。

ただの「情報開示」と「合意」との違い

これは「誰かが秘密をもっていること」とも通じることだけれど、情報をただオープンにすることと、その情報に基づいて合意を得ることはイコールではない。

相手が知りたくない情報を無理に知らせたり、ただ情報開示するばかりで相手の意見や拒絶をまったく受け付けないのであれば、それは情報開示であっても同時に暴力にもなり得るものだ。

先ほど述べたことと矛盾するように見えるかもしれないが、人間には正しい情報を得て自己決定する自由もあると同時に、知りたくないことを知らずにいる自由もあるのではないかと思う。

全員の合意があればポリアモリー? 合意は情報開示の先にあるもの

合意というのはあくまでも、適切な情報開示のその先にあるものだ。自分の情報(ここには事実だけでなく、自分の意見や欲求も含まれる)を開示すると同時に、相手の情報(もちろんここにも、相手の意見や欲求が含まれる)も確認して、お互いがどうしたいかのすり合わせをしていくことが「合意」だと思う。

そして前述のように、権力に傾斜があったり、依存の関係があっては、人間は対等な関係をつくれないし、対等な関係がなければ本来の意味での合意を得ることは難しくなる。合意を目指すということは、合意したい相手との対等な人間関係を目指したその先にあることなのだ。

「全員の合意があればポリアモリー、なければ浮気」と区別してしまえば、話は簡単なように思える。けれど、実際のところ「合意とは何か」「合意するとは何か」というのは、ポリアモリーと浮気とを区別するうえで、非常に繊細な問題だといえるだろう。

 

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