レズビアン・バーに行ったとき、女子校出身だと言ったら「いいなー!」と、うらやましがられたことがあります。百合漫画などでも舞台となることが多い女子校。実際のところ、レズビアンから見たら女子校はどんな場所なのか。あくまでわたしの体験をもとに、ふかぼりしてみます。
恋愛しなくていい(?)女子校
女子校「内」恋愛がないものとされている
わたしの通っていた中高一貫校の女子校では、恋愛は学校の「外」か、高校卒業後するもの、といった話が多かったように思います。
当時、実際によく出ていた恋愛の話といえば、
同じ塾で会った彼氏が~
今は恋愛しなくてよくてラク
二次元のほうがかっこいい
先生(男性)がすき
など。
女子校の内部で、女性同士で恋愛する可能性について、おおっぴらに話せる感じではありませんでした。あくまで「みんな男性とつきあうよね」みたいな前提があったんです。
わたし自身も、自分のセクシュアリティを自覚するまでは「大学に入ったら男性とつきあうのかな〜」とぼやっと考えていました。同じ学校に当時通っていて、今はカミングアウトしてくれたクィアな友人たちにも、女子校ですでにセクシュアリティをオープンにしている人はいませんでした。
オタクや推し活にオープン
一方で「生身の男性」と恋愛する可能性が少ないと考えられている女子校だからこそ、二次元やアイドルのオタクがたくさんいて、オープンに話せる場でした。
そういうオタク話のなかでは、女性アイドルや、女性のアニメキャラクターが対象となっている場合もよくありました。わたしも当時女性J-Popアイドルがすきだったので、同じオタク友達と「○○ちゃんかわいい~!」「握手会さいこうだった!!」などと欲望まるだしの会話をしていたんです。
一方で、そういう話のときに「男だったら○○ちゃんと絶対つきあってるわ」などと、女性アイドルを対象にした言葉が飛び出すこともよくあって、やはり「恋愛は男と女でするもの」みたいな考え方がしみついていたように思います。
女子校でのLGBTQ+の授業
もちろん女子校には、女性同士のカップルもいたと思いますし、いたという話を後から聞くこともありました。でも、わたしの知っている範囲では、オープンにしているレズビアンカップルはいなかったように思います。学校や学年によって差もあると思いますが。
オープンにしづらい理由のひとつは、教育の不十分さがあったかなと思います。わたしの通っていた学校では、LGBTQ+に関する授業がありましたが、先生も理解しないで教えているのが丸見えでした。
「スカートを履きたくない人」とトランスジェンダー男性を同一視したり。ノンバイナリーについての話も、同性間のセーファーセックスの話も、同性カップルでも子どもを持てるなどという話も、完全にゼロ。
LGBTQ+の人は人口全体の10%いる、といったような統計を持ち出されて「このクラスにも5人くらいLGBTQ+の人はいますね」という言い方をされることもありました。
LGBTQ+当事者の声などが紹介されることもなく「よくわからないけどいるらしい」みたいな距離を感じて、とても辛かったのを覚えています。
「先輩だいすき」カルチャー
女子校「内」恋愛はないことにされている一方で、女子校あるあるなのが「先輩だいすき」カルチャーです。
すきだった先輩

わたし自身、中学で部活に入ってから、同じ部活の先輩のことがすごくすきになりました。今から考えると、あれが初恋だったなと思います。
当時は、わたしの周りの同級生女子たちの多くも、誰か特定の女性の先輩のことがすきでした。
思いかえしてみると、人気な先輩のタイプにもいろいろいて、ボーイッシュでかっこいい先輩がすきな人もいれば、とても可愛らしい先輩がすきな人もいましたし、カリスマ的な先輩がすきな人もいる一方で、おとなしい先輩の方がすきという人もいました。
「先輩がすき」とひとくちに言っても、いろんなタイプが混在しているというのは、レズビアンコミュニティみたいだなと思います。
「恋愛」とはされない?
先輩への「すき」は、セクシュアリティを自覚するまで、わたしは恋愛的な「すき」だとは思っていませんでした。
周りのみんなも先輩がすきだし、ある意味、女性の先輩をすきになることが「ふつう」だと思っていたんです。周りの子からも恋愛として相談されたことはありませんでした。
あくまで、先輩への「すき」は、憧れの「すき」であって、恋愛は結局のところ「いずれ男性とするもの」という価値観がねぶかかった気がします。
一方で、すきな先輩に対してやっていたことは「恋愛」的なアプローチ方法と変わりませんでした。
ふたりで食事に行こうと誘ったり
体育会で先輩を応援したり
手紙を書いたり
イベントのときに一緒に写真を撮ってもらったり
そんなことをやっておいて「恋愛ではない」というのは無理があるよなぁと、今なら思います。
後輩からすかれたことで・・・
自分が上の学年になるにつれて、後輩にすかれることも増えてきました。そのなかには、結構ダイレクトに気持ちを伝えてくれる人もいました。
ある日、ゲイの人の話を偶然聞いたとき。その人が自分のセクシュアリティに気づくきっかけが「同性にすかれる経験」だったと耳にしました。
そのことがあって、わたし自身も「女性の後輩にすかれたということは、自分のセクシュアリティを考え直した方がいいかも」と思いました。
今考えれば、女性の後輩にすかれるからといって、自分自身が必ずしもレズビアンやクィアなわけでもありません。
ただ、それがきっかけとなって、わたしは自分のセクシュアリティを検討し始め「セクシュアリティ診断」などをオンラインで試したり、高校生の当事者コミュニティをのぞいたりするようになり、自分がノンバイナリーであることやレズビアンであることを自覚していきます。
女子同士のスキンシップ
女子校あるあるのもうひとつは、スキンシップがすごく多いことです。
ポッキーゲーム?

女子校では、ハグや肩組み、腕組みなどのスキンシップが「友達」同士で日常茶飯事でした。大学に入ってから、共学出身の人から「女子校出身者は距離感が近いからすぐわかる」と言われることもよくあったほどです。
実際、わたしの出身校でも、膝の上に座ったり、手をつないだり、果てはポッキーゲームをしたりと、さまざまな程度のスキンシップがいろいろなところでカジュアルに行われていた印象があります。
性的なまなざし
カジュアルに性的なまなざしが発生することも多かったように思います。
「その下着かわいいね」「○○ってエロいよね」など直接的なものもありました。それだけでなく、「細い」「顔ちいさい」など、ルッキズムのようなことを交えながら、お互いの身体をまなざして、評価していることもよくあったように思います。
スキンシップが多く、距離感が近いからこそ「この子のほっぺきもちいい」「腕細くてずっとさわってたい」とか、性的なのかそうでないのかわからないようなコメントが多発しているのも女子校の特徴だった気がします。
「本気」でも「暴力」でもない?
一方で、スキンシップや性的なまなざしの多くは、「本気でないもの」として片付けられていることが多かったように思います。
「○○エロいよね」と言っている子などは「おじさんみたい~」とツッコまれていたり。ふざけてスカートめくりをしてくる同級生に「ばかじゃないの~?」と軽く返したり。
「異性」間であれば、暴力とみなされるような行為が「本気ではないお遊び」として簡単に片づけられ、ゆるされていたような雰囲気がありました。
実際には、特定のスキンシップをほんとうに「嫌だな」と思っていた人もたくさんいたと思いますし、わたし自身も同級生や後輩から「思い出したくない」と思うような暴力的なスキンシップをされたり、まなざしを向けられたりした経験もあります。
そのように、女性であっても、性暴力の加害者になることはもちろんあります。女性やノンバイナリーが、女性からの性暴力の被害者になることもあります。
女子校のみんなも、もっと自分の加害の可能性をしったうえで、慎重にスキンシップをとってくれればよかったのに、と思うこともしばしばです。
同性間のスキンシップが「暴力」と見なされづらいのは、同性間の恋愛や性愛は「本気ではない」と思われて、異性間よりも軽く扱われているからであって、それ自体も問題なんじゃないかと思います。
ボーイッシュなレズビアンとしての女子校生活
ここまでは「女子校あるある」を中心に書いてきましたが、最後に「ボーイッシュな(男性的な雰囲気の)レズビアン」として女子校生活をおくった、わたしの経験に注目してふりかえっていきます。
「男」の代わりにされる

当時だいぶボーイッシュだったわたしが、女子校生活で一番印象に残っていること。それは「男性の代わりにされている」という感覚です。
直接的に「あさかは男みたい」「(劇などで)男役やってよ」と言われることもありました。
言葉だけでなく、急にうしろから飛びつかれたり、重い荷物を持っていても当たり前のように扱われたりなど「男性らしい強い身体」を期待されているように感じることも、多くありました。
そのような期待は、異性愛的な欲望と結びついているときも多かったように思います。
「重い荷物を、男性(の代わり)に持ってもらって、きゅんきゅんしたい」みたいな欲望を、わたしに向けているような人もいた気がします。
そのような場合は、あくまでわたしを男性の代わりとして考えていて「男性がいないはず」の女子校で、しかたがないからボーイッシュなわたしのような人を欲望している、という感じでした。
誰か別の人の代わりにされるというのは、なかなかきつい経験でした。
レズビアンであることとスキンシップの拒みづらさ
先ほどから書いてきたように、わたしの通っていた女子校では、スキンシップが日常のコミュニケーションのひとつとなっていました。スキンシップを拒むということは「仲良くない」ことになってしまい、それを回避するため、スキンシップを拒みづらいという状況がありました。
特に、わたしはレズビアンだと自覚してから「拒みづらさ」が増したように感じています。「レズビアンであるのなら女性から/とのスキンシップを求めないといけない」と、なんとなく思ってしまっていたからかもしれません。
でも、繰り返しになりますが、相手がどの性別であろうと、自分がどんなセクシュアリティであろうと、嫌なスキンシップや嫌だと思っていいし、言っていいし、甘んじてうけるべきスキンシップなどどこにもありません。
わたしは「あの時、同級生や後輩からのスキンシップにNoと言っていればよかったな」「そうすればあんなに傷つかなかったのにな」と思うことが多いのですが、そのように思う人ができるだけ減ればいいです。
「女子」校出身のノンバイナリーなレズビアンとして言えること
「女子校」と言っても、実際は、トランスジェンダー男性やわたしのようなノンバイナリーなど、わたしの出身校にも他の「女子校」にも、いろいろなLGBTQ+当事者がいたに違いありません。
レズビアンでありノンバイナリーであるわたしの視点でふりかえってみると、残念ながらわたしの通っていた女子校は、LGBTQ+当事者にとって、必ずしもよい環境ではなかったと思います。
女子校であっても、異性愛規範は強く、先輩への「すき」は「憧れ」としてみなされ、レズビアン的な欲望が、肯定的に解放されていたようには感じませんでした。
はじめからトランスジェンダー女性の受験資格をはく奪している女子校や、ノンバイナリーの存在などを無視している学校も多いです。
もちろん、共学よりは、差別や排除がマシだったと思うLGBTQ+当事者の女子校出身者もいるかもしれません。
わたし自身、女子校での経験のおかげで自分のセクシュアリティに気づけたとも思います。
それでも、さまざまなセクシュアリティや欲望がありうるという前提のもと、女子校がもっとLGBTQ+にとって、より居心地のよい場になっていくことを心から願っています。


