アイスランド発の映画『突然、君がいなくなって』は、クィアなわたしに、最近1番刺さった映画です。この作品がどうしてクィアにインパクトがあるのか。主人公がパンセクシュアルであるだけでなく、カミングアウトにまつわる苦しみと重なるような痛みが描かれています。
映画『突然、君がいなくなって』あらすじ
恋人を亡くした主人公
映画『突然、君がいなくなって』は、アイスランドを舞台とした80分の映画です。主人公ウナが、大学卒業を間近にひかえているところから始まります。
ウナには、ディッディという恋人がいますが、ディッディには長年つきあっている彼女クララがいます。そのため、ウナとディッディの関係性は周囲には秘密にしています。
ウナが「ふたりの関係性をもう秘密にしたくない」と言ったことで、ディッディは、ようやくクララとの関係を終わらせることを決意し、クララに会いに行きます。しかし、クララのところへ向かう途中、ディッディはトンネル内での事故に巻き込まれ、亡くなります。
喪失を悼む「資格」がない主人公
映画には、みんなでディッディの死をかなしみ、悼む時間が描かれています。
しかし、みんなはウナはディッディの友人のひとりでしかなく、クララはディッディの恋人だと思っています。そのため、みんなは、クララの苦しみの方がウナの苦しみよりも大きいと考えています。クララとディッディを「理想のカップルだったのに」と言う友人もいます。
「恋人」のクララより、自分の方が苦しくないと思われること自体が、ウナにとってはつらい経験です。周りは知らなくても、恋人であるディッディを失ったということだからです。
ディッディを失っただけでなく、自分とディッディの関係性が軽視されることに、苦しむウナ。そんなウナとクララは、偶然が積み重なり、だんだんと距離が近づいていきます。
映画は、ウナとクララ、ふたりの関係性を淡々と追いながら進んでいきます。
クィアな登場人物が多い映画『突然、君がいなくなって』
クィアにとって、映画『突然、君がいなくなって』が刺さる理由のひとつが、クィアな関係性をわかりやすくあつかっている映画ではないけれど、クィアな登場人物が多いことです。
主人公はパンセクシュアルのクィア

偶然トイレでばったり会ったウナとクララの会話で、ウナのセクシュアリティの話が出てきます。
「最初はディッディのバンドメンバーに美人な女性(ウナのこと)がいることに嫉妬したけれど、ウナがレズビアンだと知って安心した」と言うクララに、ウナは「自分はパン(パンセクシュアル)だ」と返します。
この会話で明確に、主人公がクィアであることが明かされます。
ついでに、パンセクシュアルに対するマイクロアグレッションも描いており、監督のクィアの日常に対する解像度が高い印象を受けました。
友人もクィア
ディッディの親友でルームメイトでもあるグンニがクィアであることは、映画の序盤から示されます。グンニが「男性とバーで消えていった」と、ディッディとウナが噂話をするシーンがあるからです。その後、グンニが朝帰りをするシーンなどもあります。
グンニがクィアであることは、直接的なセクシュアリティ名では語られません。でも、ディッディがクィアであることがなんとなく示唆され、クィアが当たり前に存在しているとわかる映画になっています。
曖昧なセクシュアリティ表現は映画『突然、君がいなくなって』の魅力
ウナとクララの関係性は、一見、ディッディを「取り合うライバル」のようですが、ディッディの死を経験したあとで、ふたりの距離は近づいていきます。それにつれて、ふたりの関係性は名づけるのが難しくなっていくような印象を受けます。
ふたりでスクーターに身を寄せ合って相乗りしたり。ふたりで海を眺めたり。ふたりで抱き合いながら同じベッドで眠りについたり。
クララのセクシュアリティは、映画のなかでまったく触れられませんが、ウナとの先々の関係をほのめかしつつ、『突然、君がいなくなって』は終わります。
このようにして、クィアな登場人物やクィアな関係性が、さりげなく当たり前に「そこにあるもの」として描かれているのが、映画『突然、君がいなくなって』の魅力だとわたしは思います。
セクシュアリティについて説明的にならず、すんなりとクィアな存在を感じられるような映画です。
カミングアウトしていないクィアな関係性にまつわる痛み
映画『突然、君がいなくなって』がわたしに刺さる理由は、ほかにもあります。それは「周りに秘密にしなければいけない関係」というのが、カミングアウトしていないクィアカップルと重なるからです。
カミングアウトしていないクィアカップル

あらすじで説明したように、ウナはディッディとの恋人関係を隠さないといけない状態です。映画の序盤では、ウナがディッディの家に泊まったあと、次の日の朝に家を出る際、ルームメイトのグンニにばれないように裏口から帰るシーンもあります。
親密な仲であることが周りにばれないよう苦心するウナの姿は、カミングアウトしていないクィアカップルの姿と重なります。
わたし自身は、カミングアウトしていることが多いのですが、つきあっている人がクローゼット(カミングアウトしていない状態)の場合もありました。そういうとき、周りにふたりの関係性が「友達以上」に見えないよう、ほかの人のいる場ではわざとお互いにそっけなく接したり、片方がその場を離れたりすることもよくありました。
カミングアウトしていないパートナーのセクシュアリティがばれないようにすることは、相手の安全性や居心地のよさにつながるとても大事なことだと思います。
それでも、ほかの人の前では、つきあっている人とあたかも親密でないようにふるまわなければならないのは、つらかったり、寂しくなったりするなぁ、と、わたしは映画を観ながら思い返していました。
カミングアウトしていないことで、軽視される痛み
ウナに対する周りの反応がそうであったように「つきあっていること」「恋人同士であること」などが知られていないとき、パートナーを亡くしても、周りがその痛みを軽視することがあります。
そのような経験は、カミングアウトしていない状態で片方が亡くなったり、失踪したりしたクィアカップルにのしかかりうる苦しみだと思います。
例えば
・同棲していた恋人を亡くした葬儀で、自分よりも恋人の家族ばかりお悔やみを言われたり。
・周りの人に自分の恋人が「独り身のまま亡くなった」と言われたり。
・自分も苦しいのに、周りになぐさめてもらえなかったり。
そういった軽視される経験は、周りに「正当なカップル」として認められていない場合に、多いように思います。
軽視されやすいのは、クィアカップルだけでなく、ウナとディッディのように浮気ととられてしまうような状態のカップルや、出自によって差別されてしまうカップル、国籍が異なるカップルなど、社会から排除されたり認めてもらえない可能性がある人たちです。
ただでさえ、パートナーを失ってつらいのに、周りからの反応で「自分たちの関係性はたいしたことがない」とみんなに思われていることをつきつけられて、二重に傷つくような気がします。
かといって「実は恋人だった」とカミングアウトするのは危険です。もっと差別をむけられるかもしれなかったり、故人がのぞまないことだったり。どちらに転んでも、いろいろなリスクや苦しみを背負うことになるよなぁと、やりきれない思いがします。
たいせつな人を失ったということ
この映画の魅力はまだあります。ウナの悲しみが軽視される、つらい経験だけを描いているわけではありません。
中盤でウナが言葉なく泣き崩れるシーンがあります。それまで、ウナはひとりで、亡くなったディッディをおもって涙を流していましたが、みんなと踊っているときに、感情がふきだすようなシーンです。
しゃがみこんだウナにクララが駆け寄り、抱きしめると、周りにいたディッディの友人たちも彼女たちを取り囲んで抱きしめます。
ウナがディッディの恋人であったことは、ほかの人たちに言葉として明確に伝わることはありません。でも、ウナの苦しみがその場にふきでたとき、ウナがディッディをたいせつにおもっていたこと、ディッディを失ってどうしようもなく苦しんでいることが、みんなにもうっすらと伝わったように見えました。
そして、恋人であったウナやクララだけでなく、ディッディの友人たちも、たいせつな友人を亡くしたことを、一緒に悼んでいるようでした。
誰かが亡くなったときに「友人より恋人の方がつらいだろう」という雰囲気で終わるのではなく、それぞれにとってたいせつな存在であった人の死を、みんなで悼むことができる可能性も、この映画は見せてくれたと思います。
クィアがクィアとして最期を迎えること

関係性やセクシュアリティをカミングアウトしていないクィアにとって、クィアな誰かの喪失を周りと一緒に「ちゃんと悼むことができる」経験は、限られているようにも思います。
パートナー関係にあったクィアカップルの片割れだけでなく、クィアコミュニティで出会った友人などを悼む場面でも、難しさがあるでしょう。
「どこで出会ったんですか?」という質問に対する答えを、ごまかさなければならなかったり。「どんな人でしたか?」と言われて答えに窮したり。
映画『突然、君がいなくなって』は、クィアな関係性を中心的な題材としてあつかった映画ではありませんが、クィアの存在を感じられるだけでなく、クィアがクィアとして最期を迎えることの難しさが重なる作品でした。同時に、クィアがクィアとして最期を迎えることもできるのかもしれない、と希望を見せてくれるような映画でもありました。
クィアたちの痛みが軽視されず、クィアたちが悼むことのできる場が、もっとできたらいいなと思います。ウナとクララを取り囲んでみんながただ泣いているシーンのように。
同時に、亡くなったり失踪したりしたクィアが、クィアとして悼まれる場ももっと増えたらいい。家族や親族のための葬式だけではなく、クィアフレンズが集まって、失ったクィアをおもう場などがあったらいいかもしれません。
苦しいけれど、なぜか救いや癒しの可能性を感じられる映画『突然、君がいなくなって』を観て、そんなことを考えていました。
■作品情報
『突然、君がいなくなって』
監督:ルーナ・ルーナソン
出演:エリーン・ハットル、カトラ・ニャルスドッティル、バルドゥル・エイナルソン
配給:ビターズ・エンド
公式サイト:https://www.bitters.co.jp/totsuzen/


