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Writer/あさか

ボイだって傷つく。ボイのわたしから観た映画『12月の君へ』

韓国映画『12月の君へ』は、高校生のときに出会い、惹かれ合ったふたりの女性スアンとソルが、大人になって再会するクィアロマンス。映画の序盤で、スアンはボイ(男性らしい雰囲気のレズビアン)、ソルはフェム(女性らしい雰囲気のレズビアン)として登場します。ボイ・フェムカップルのレズビアン作品が少ないなか『12月の君へ』では、ボイの経験がどのように描かれているのか。ボイとして生きているわたしにとって、どのくらいリアルに感じられたか。レビューしていきます。

ボイだって傷つく?「ボイ=男らしく強い」に抗するボイの表象

ボイは「男性らしい雰囲気のレズビアン」のこと。そう言われると、ボイを自認していれば、性格も「男らしくて強いのかな」と思う人もいるでしょう。映画『12月の君へ』で、ボーイッシュなスアンはどのように描かれているのでしょうか。

映画『12月の君へ』で映し出されるボイのスアンとフェムのソル

映画『12月の君へ』の主人公スアンは、役者を志す高校生。髪が短くスラックスの制服を着て、ボーイッシュな雰囲気です。自分の演技を笑った男子同級生をフェイクの銃で脅かしたり、挑発したりなど「女性らしさ」には当てはまらないような振舞いが目立ちます。

一方で、転校生として高校にやってきたソルは、すでにドラマや映画に出ている有名女優。フェミニンないでたちで常ににこやかであり、街で声をかけてきたファンと快く写真を撮るなど、フレンドリーな人気者です。

映画では、スアンが自分を「ボイだ」と言ったり、ソルが「フェムである」と自認したりしている場面は描かれません。あくまで、スアンはボイとして、ソルはフェムとして生きているのではないか、といったわたしの印象にもとづいて書いています。(また、ソルは男性との交際のうわさもあり、レズビアンではなく、バイセクシュアル女性の可能性もありそうです)

『12月の君へ』の序盤、仲が深まらないかに見えたふたりでしたが、学校の帰り、免許を持っていないスアンの運転で一緒に海に行ってから、距離が近づいていきます。

ルッキズムに悩むボイ・スアン

一見、ボイのスアンは「周りの目を気にしない自分らしさをもった人」。
フェムのソルは「いろんな人の目を気にして振舞いを変えている人」です。

しかし、冬の海で焚火を前にし、スアンが自分の胸のうちをソルへ吐露する場面では、スアンが「わたしはあなた(ソル)みたいに美人じゃないから、役者になれるかわからない」ともらします。

よくボイについての言説で多いのは「ボイはボーイッシュな見た目をしているため、ミソジニー(女性蔑視)を向けられないのではないか」という誤解です。

男性として完全にパスして(埋没して)生活していれば、話は別かもしれませんが「ボーイッシュな女性」として見られている限り、ボイであっても、ルッキズムなどを含めたミソジニーに悩まされます。

そのような「美人ではないから役者になれない」という周りのミソジニー的な評価を、内面化しているスアンの傷つきが、スアン演じるハン・へインの瞳からひしひしと伝わってきました。

「男らしくて傷つかないボイ」というステレオタイプとは違う、繊細で感じやすいスアンの姿は、わたしとしても共感できるものでした。

トランスフォビアの対象にもなるボイ?

映画『12月の君へ』では、スアンが男子同級生と衝突する場面がいくつか描かれます。はじめの衝突は、前出のスアンが演じているシーンです。

その場面で、役者を目指しているスアンは男性役を演じていました。それを観た、観客として取り囲んでいた男子同級生数人が、馬鹿にしたように笑いました。

わたしにはそれが、スアンが「女性なのに男役をやっている」のを笑う、トランスフォビックな(トランスジェンダー嫌悪的な)笑いに聞こえました。

フェムとボイの経験の違いとして、ボイはミソジニーだけでなく、トランスフォビアの対象にもなりうるという点があります。

わたしも、ボーイッシュないでたちをしているせいで、男性たちに「扱いづらいと感じられている」「見下される」と思ったことが多々あります。

映画『12月の君へ』は、そのようなボイに対する周りの不当な扱いをしっかりリアルに描いています。

映画『12月の君へ』のボイ・フェム関係。引っ張るのはフェムの方?

ボイ・フェムカップルに対するステレオタイプのひとつに「ボイがフェムをリードしている」というものがあります。「男性は女性をリードすべき」という性役割をクィアカップルにも適用してしまっているのでしょう。映画『12月の君へ』では、ボイ・フェムのふたりはどのような関係性として表現されているのでしょうか。

映画『12月の君へ』では、フェムの方が積極的?

映画『12月の君へ』の序盤。一緒に海でサーフィンをし、親密になったスアンとソル。夜に電話でスアンを呼び出したソルは、スアンの運転で「ソウルへ連れて行ってほしい」と頼みます。

何時間ものハラハラする無免許運転を終えて、ようやくソウルに辿り着いたふたり。はしゃいで入った店で、ふたりの関係性を「友情だ」とほのめかすスアンに、ソルがキスします。

ボイ・フェムカップルであれば「告白する」「性的なイニシアチブをとる」など、関係を「発展」させるのは「ボイであるべき」といった言説をよく聞きます。

しかし実際には、恋愛に積極的なボイもいれば、そうでないボイもいる。人付き合いに積極的なフェムもいれば、そうでないフェムもいます。

『12月の君へ』では、フェムであるソルの方がボイであるスアンよりも、ずっと積極的に距離を縮めます。そんなふたりの姿は、ボイ・フェムカップルのステレオタイプを壊してくれるように感じます。

映画『12月の君へ』で、フェムにふりまわされるボイ?

急に「海に行きたい」と言ったり「ソウルに行きたい」と言ったり、姿を消したり。映画『12月の君へ』のなかで、そんなソルにスアンはふりまわされまくります。

この「ふりまわすフェム、ふりまわされるボイ」というのは、ステレオタイプなボイ・フェムカップルの構図とは異なりますが、わたし個人としては身に覚えのある感じがしました。

わたし自身、ボイとしてフェムの女性とつきあっているときは「ふりまわされている」と感じることが多々ありました。フェムに「男っぽいからメンタルも強いだろうし、わがままを言ってもいいかな」と思われている感じがしたこともあります。

わたしは実際は、メンタルが強いわけではなく、ふりまわされて嫌になってしまったり、落ち込んだりすることが多いので、やめてほしいのですが・・・・・・。

一見、ボイ・フェムカップルは「ボイの方がフェムよりも決断力や引っ張っていく力がありそう」と思われがちです。でも実際は、わたしの過去の関係性のように、フェムがボイを「傷つかない存在」と考えて、遠慮なくふりまわすフェムの方がパワーをもっている関係性が多いように感じます。

映画『12月の君へ』は、リアルなボイ・フェムの関係性のひとつを描いています。

大人になってフェムに変わるボイ? 映画『12月の君へ』で気になること

映画の中盤、スアンが高校卒業後、俳優としてのキャリアを積んでいく様子が描かれます。大人になってからのスアンは、高校のときのようなボーイッシュな姿ではなく、フェミニンな雰囲気になっています。

映画『12月の君へ』のスアンのその後。フェミニンになって社会に適応?

「ボイが年を重ねるにつれてフェミニンになる」というのは、ステレオタイプであり、実際によく見かけることでもある気がします。

ボイがいずれフェミニンになる、あるいは、ボイが結局はフェムを自認するようになる、という話には「女性らしさにあてはまらない女性」を「未熟」「未発達」「今だけ」と考える背景があります。トランスジェンダー男性やボーイッシュなノンバイナリーに「いずれそんな自認もしなくなるよ」と言うような、差別にもつながります。

一方で、ボイが女性らしさから逸脱していることで「見下される」「いたたまれない思いをさせられる」と感じ、女性は女性らしくあるべきという社会に適応しようと、フェムになっていく現象は、実際よくあることだと感じます。

実際にわたしは、女子校時代にボーイッシュだった友人たちが、大学に入ってどんどんフェミニンになっていくのを目撃してきました。

わたし自身も、女子校から出て、一旦フェミニンな雰囲気になったことがありました。

映画『12月の君へ』でも、高校生のときはボイだったスアンが、成人して芸能界に入り、フェミニンな雰囲気になっているところが描かれます。

『12月の君へ』では、スアンがフェミニンになった理由は明確には示されません。スアンが自分は「フェムになった」と明確に言うわけでもありません。でも、高校時代とは打って変わって、反抗的な態度を全く見せず、監督のお酌をするスアンを見ながら、フェミニンになり、社会に「適応」しなくては、スアンは芸能界を生き延びられなかったのかなと感じました。

女装的な感覚でボイが「フェミニンになる」?

一方、以前ボイだった人がフェミニンになったからといって、本人的に「しっくりきている」とは限りません。むしろ、女性らしさを装う、いわゆる女装(異性装)的な感覚に近い「元ボイの現フェム」「フェミニンな言動や装いを、仕方なくしているボイ」もいるのではないでしょうか。

わたしは、共学に入り、なんとなく「女性らしくならないとダメかな」と思ってフェミニンになったものの「自分の女性らしさを受け入れられた」と感じたことはありませんでした。あくまで「女装している」あるいは「女性的な人間を演じている」気持ちで生活していた気がします。

映画『12月の君へ』の中盤、フェミニンになったスアンの言動は、高校時代のソルの振舞いとそっくり。もしかしたらスアンは、自分の元を去ってしまったソルの面影を求めて、彼女を演じているのかもしれないと思わせるようなシーンがいくつもあります。

本当はボイのままのスアンが、フェムのソルを演じ、かつてソルが去った芸能界を代わりに生き延びている。そんなふうに解釈すると、真反対だからこそ惹かれ合うふたりのような印象のあるスアンとソルの関係性が、また違ったように見えてきます。

映画『12月の君へ』はボイのわたしにとって、ずっとほしかった表象

アジアのレズビアン作品で、ボイが主人公の映画や本、漫画はほんとうに少ないです。

そのなかで、映画『12月の君へ』は、ステレオタイプ的な「強いボイ」を登場させるわけではなく、ミソジニーやトランスフォビアの対象になったり、フェムとの関係性のなかで傷ついたりする、ひとりの人間として、ボイのスアンを描いていました。

レズビアンコミュニティにいると、ボイに対する風当りが強いと感じることがあります。映画『12月の君へ』は、その根底にあるのかもしれない、ボイへの「男らしさ」「男と同じ」といったステレオタイプを覆してくれるような映画です。

ボイのスアンは、どのような大人になっていったのか。ふたりのクィアロマンスのゆくえはどうなるのか。ぜひ見届けてください。

 

■作品情報
『12月の君へ』
公式サイト:https://ellesfilms.jp/heavysnow
監督・脚本:ユン・スイク
出演:ハン・ソヒ、ハン・へイン
配給:Elles Films

 

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