INTERVIEW
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レズビアンであることを受け入れられたのは、母が無条件に受容してくれたから。【前編】

太陽のように朗らかで大らかな雰囲気をまとい、日なたにいるような暖かさで包んでくれる大友香果子さん。笑顔を絶やさずに語ってくれたこれまでの道のりは、身近な人への尊敬の念であふれたものだった。そして、10年以上のつき合いとなるパートナーと出会うまでは、自分自身を理解できず、迷う時もあった。モノ作りが大好きな少女の成長記を、紐解いていこう。

2019/02/01/Fri
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
大友 香果子 / Kagumiko Otomo

1976年、千葉県生まれ。3歳の頃に東京に引っ越し、母の仕事の関係で、小学生時代に2回の転校を経験。高校卒業後、専門学校に進み、保育士資格を取得。保育園や学童保育で働いた後、もともと興味のあったアクセサリー制作を学べる専門学校に入学。現在は、女性のパートナーとともに、虹色のアクセサリー制作・販売を行う。

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INDEX
01 “寂しさ” とは縁遠かった4人家族
02 本来の自分と人から見えている自分
03 苦しみから逃れるための手段
04 校則も通知表もない高校
05 恋愛感情が湧いてこない自分
==================(後編)========================
06 納得のいく結論と新たな悩み
07 自ら選んできた社会人としての道
08 レズビアンなんだという自覚
09 正反対の2人に起きた危機
10 大切にしていきたい今の暮らし

01 “寂しさ” とは縁遠かった4人家族

女手一つで育ててくれた母

幼稚園に通っていた頃、両親が離婚した。

父の記憶は、うっすらとしか覚えていない。

「物心がつく頃には、母と祖母、私、弟の4人での生活が当たり前のものでした」

「だから、父がいないことを、嫌だと感じたことはないですね」

「母も祖母もいたから、寂しいって感情は全然なかったです」

母は女手一つで2人の子どもを育てるため、懸命に働いていた。

休日には、近所の公園や動物園、博物館に連れていってくれた。

「自分が大人になってから、当時の母のすごさを感じましたね。平日はフルタイムで働いて、休日は一緒に出かけてくれたんですから」

「そのおかげで、母と一緒に遊んだ思い出はたくさんあります」

厳しく支配的な祖母

母はやさしい人だった。

その分、祖母に厳しくしつけられる。

「祖母はとにかく厳しくて、支配的なタイプでした」

よく「どんな場所でも、積極的でありなさい」と言われていた。

娘や孫を、自分の思い通りにコントロールしたい人なのだろうと感じていた。

「テレビや本の中のおじいちゃんおばあちゃんって、やさしく描かれるじゃないですか。孫を温かく迎えてくれて、お小遣いをくれるみたいな」

「それを見て、なんでうちのおばあちゃんは違うんだろう・・・・・・って、子ども心に思ってました(笑)」

祖母はヒステリックな面があり、物に当たることもあった。
怒りが収まらなかった祖母が、ぬいぐるみを切り刻んだことも。

「祖母の激情的な振る舞いは、すごく嫌でしたね(苦笑)」

2歳違いの2人姉弟

幼い頃の弟は口が達者で、よくケンカをしていた。

「ちっちゃい時は私の方が体が大きかったから、弟は力では勝てなかったんですよね」

「だから、言葉でワーッと攻めてきて、言い返せない私が手を出す流れでした(笑)」

「騒ぎを聞いた母が『いい加減にしなさい!』って飛んでくるんです(笑)」

互いに思春期に入った頃には、ほとんど話さなくなってしまう。

「特に理由はないんですけど、口を利かずに何年も暮らしていましたね」

「家が狭くて、プライベートな空間がなかったことが影響していた気がします」

「弟が留学したことがあって、帰ってきた辺りからまた話せるようになりました」

今では、仲のいい姉弟だ。

02本来の自分と人から見えている自分

転校続きの小学生時代

千葉県に生まれ、3歳で東京都に引っ越した。

母の仕事の影響で、江東区、目黒区、渋谷区と、住まいを転々とした。

「小学生の間に、2回転校しました」

「転校したくない、って思ったことはあまりなかったですね」

転校先で静かにしていると、クラスの中心的な女の子が「友だちになろう」と声をかけてくれた。

その子と仲良くしていると、自然と新しい学校にも馴染んでいける。

「大抵最初に声をかけてくれた子じゃなくて、別の子とすごく仲良くなるんですけどね(苦笑)」

輪に入っていく術は、自然と身につけていたのかもしれない。

趣味は創作すること

幼い頃の自分は、おとなしかったと思う。

絵を描いたり、紙で工作をしたり、クリエイティブなことに熱中していた。

「何かに影響を受けたわけではないけど、創作することが好きでしたね」

料理が得意だった母と一緒に、お菓子を作ることも多かった。

「お菓子作りの本を見ながら、お手伝いする感じです。母は洋裁も和裁も好きな人で、その影響は受けていたかもしれません」

外で遊んだ記憶よりも、家の中で過ごした思い出ばかりがよみがえる。

積極的な自分

本来は、引っ込み思案な性質。

しかし、学校では、祖母の「積極的になれ」という言葉に則っていた。

授業中には自ら手を挙げて発言し、給食の時間も率先してお替りした。

「祖母からのプレッシャーを常に感じていて、素直に従ってましたね」

「だから、周りからは、すごく積極的な人に見られていたと思います」

小学5年で転校した渋谷の小学校で、クラスの女の子たちから感謝されたことがある。

「大友さんが来てくれたおかげで、給食をお替りしやすくなったわ」と言われたのだ。

「女子はお替りしちゃいけないの? って逆にびっくりさせられました(笑)」

「どうやらお替りしにくい雰囲気があったみたいで、いいことしたのかな、ってうれしかったですね」

積極的であることを最優先していたせいか、友だちつき合いは得意ではなかった。

「周りを見ずに、言わなくていいことを言っちゃう子で、人間関係は下手だったと思います」

「祖母から『勉強しなさい』とも言われていたから、放課後はまっすぐ帰って、友だちと遊ぶこともなかったです」

小学生の間は、友だちと出かけたような記憶がほとんどない。

小学6年で、楽しい思い出が少ないことに気がつき、嫌だと感じるようになる。

「中学受験のために進学塾に通っていたんですけど、『行きたくない』って初めて自己主張しました」

「その時に、祖母の望んだレールから降りたんです」

03苦しみから逃れるための手段

初めて自己主張し、自由な身となり、公立の中学に進んだ。

居心地の悪い世界

初めて自己主張し、自由な身となり、公立の中学に進んだ。

しかし、楽しい中学生活が待っているわけではなかった。

「もともと小学校高学年から、一部の男の子にいじめられていたんです」

「多分、積極的に発言するところが良く思われなくて、いじめが始まった気がします」

ほとんどのクラスメートが同じ中学に進んだため、いじめが終わることはなかった。

傷つくような言葉をかけられたり、あからさまに避けられたりする日々。

「仲のいい女の子もいたから、楽しい瞬間もあるんですよ。でも、それ以上に嫌な気持ちが大きくて、不登校気味になりました」

学校という閉鎖された世界は、居心地が悪かった。

どこにいても息苦しい日々

欠席が続くと、母や祖母に「なんで行かないの?」と聞かれるようになる。

「いじめられていることは、恥ずかしくて言えませんでした・・・・・・」

「だから、『行きたくないから』って言い張るしかなくて、言い争いになることも多かったです」

学校を休み、家にいる時間も、気楽なものではなかった。

「学校に行かなきゃいけない、って気持ちもあるから、罪悪感がありましたね」

「家にいてもすることはないし、だからといって出かけられないし・・・・・・。ただただ、ボーっとテレビを見てるだけです」

「中学生になってからも、お絵かきやお菓子作りは好きで、唯一の心の拠り所でしたね」

学校に行くのも億劫で、家にいるのも心苦しい。

どうすることもできず、辛いだけの日々が続く。

第3の居場所

学校に行かない娘を心配した母が、外へと連れ出してくれた。

着いた場所は、地区センターのような施設。

「そこには祖母くらいの年齢の女性がいて、学校のことを話した気がします」

「多分、不登校の子向けのカウンセリングだったんだと思うんです」

毎週、相談員の女性のもとに通うようになり、いろいろなことを話した。

ある日、その女性から「会わせたい子がいるんだ」と、女の子を紹介される。

「詳しくは知らないですが、その女の子も同じように不登校だったんだと思います」

互いに相談し合うようなことはなかったが、自然と仲が深まっていった。

「学校外の友だちができたことで、気持ちが軽くなった気がしましたね」

学校でも家庭でもない第3の居場所ができたことで、心が解放されていく。

「その女の子とは中学卒業後も関係が続いて、今でも連絡を取り合っているんです」

04校則も通知表もない高校

行きたいと思えた学校

中学生活に馴染めなかった自分を心配した母が、ある高校を薦めてくれた。

「自由の森学園っていう、校則も校歌も通知表もない学校でした」

「テストもないし、先生のことも『○○さん』って呼ぶんですよ」

「母がいろいろ調べて、私に合いそうなところを見つけてくれていたんです」

自主性を重んじる校風に魅かれ、自由の森学園への進学を決意する。

学校は埼玉県飯能市にあり、自宅から通うには遠かった。

「高校1年の間は、寮に入ることにしました」

「環境を変えることよりも、初めて親元を離れることへのドキドキの方が強かったです」

寮に入ったら、身の回りのことはすべて自分でやらなければならない。

その不安を、少し感じていた。

個性豊かな仲間との日常

「いざ入学したら、新生活はすっごく楽しかったです(笑)」

寮は4人部屋で、その中には先輩もいた。

「クラスも学年も違う人と仲良くなれて、うれしかったです」

「同じ部屋だった2つ上の先輩とは、今でも仲良くしています」

同室の4人で “お茶会” と称してお菓子を持ち寄り、他愛のない話で盛り上がった。

時には騒ぎすぎて、隣の部屋の子から「うるさい!」と怒られた。
何気ない日常には、笑顔があふれていた。

「学校は個性豊かな生徒ばかりで、いろんな考え方に触れられましたね」

「主張が激しい人もいたけど、それもその人として認められる空間でした」

「白い学ランを着たリーゼントのヤンキーもいたけど、すごくフレンドリーでいい人だったんです」

「見かけで判断しちゃいけない、ってことを学びました(笑)」

ほしいものは作ればいい

授業内容も、中学校までとは異なるものが多かった。

音楽の授業はほとんどの時間を歌って過ごし、体育では郷土芸能の踊りや和太鼓を習う。

科目名も、「国語」ではなく「日本語」。

「通知表がないので、先生から評価されることはなくて、すべて生徒自身に委ねられていました」

「音楽を突き詰める人もいたし、演劇ばかりやっている人もいましたね」

それぞれが好きなことや得意なことに没頭できる環境にいて、見えたことがある。

目の前にほしいものがなければ、作ってしまえばいいということ。

「新しいことを始めるのは、そこまでハードルが高くないって知ったんです」

「高校は何にでもトライできる環境だったし、工夫すれば何でもできることを体感できたから」

「ほしいものがない」と不満を言うのは簡単だが、その前にできることがある。

自ら動くことで、世界は変わっていくのだと知ることができた。

05恋愛感情が湧いてこない自分

大人になるためのプロセス

高校で仲良くなった同級生は、すごくキレイな女の子だった。

一緒にクラブに遊びに行くこともあった。

「その子は恋愛面で奔放で、おつき合いしている男性が途切れないタイプだったんです」

友だちのコイバナを聞き、知識として恋愛感情の存在を知った。

「中学も高校も共学でしたけど、恋をしたことは全然ないんです。初恋がいつかも思い出せないというか、そもそも経験がないんですよ」

友だちを見ていると、20歳までにはつき合っておかなきゃいけないのかな、と感じた。

「交際に興味はなかったけど、大人になるためにこのプロセスを踏まねばならない、みたいな感覚でした」

男性との恋愛を、義務感のように捉えてしまった。

“好き” という感情

高校生の間、ボランティアスタッフとして児童館の音楽クラブに参加していた。

そこで知り合った年上の男性から、交際を申し込まれる。

「高校3年の時でしたね」

「嫌な人じゃなかったし、ようやく男性とつき合える、と思ってOKしました」

「一緒に過ごしていたら、いつか好きになるのかな、って思ったんです」

しかし、どれだけ2人で時間をともにしても “好き” という感情は芽生えない。

しばらくして、別れを切り出した。

その後、10代後半から20代前半にかけて、何人かの男性と交際した。

何度くり返しても、やはり男性を “好き” とは思えない。

人を好きになれない自分への疑問

恋愛感情は、自然に育つものだと思っていた。

「『もっと一緒にいたい』とか『会いたい』とか、 “うふふ” な気持ちが湧くと思っていたんです」

「でも、いつまで経っても “うふふ” のうの字も湧いてこなくて、この人は違うんだなって」

「男性からデートに誘われても、予定がないから行こうかな、くらいの気持ちにしかならなかったんです(苦笑)」

友だち以上の感覚になれず、相手に悪いことをしている気がした。

「“好き” って気持ちがないのに、ずるずる関係を続けるのは、失礼だと思いましたね」

それでも「気持ちがない」とは言えず、ただ「ごめんね」とだけ告げ、別れを重ねた。

「なんで好きになれないんだろう、自分はおかしいのかな、って考えるようになりました」

運命の人に出会っていない、という発想は不思議と生まれてこなかった。

自分は誰のことも好きにならないのではないか、という疑問ばかりが頭を埋め尽くしていく。


<<<後編 2019/02/03/Sun>>>
INDEX

06 納得のいく結論と新たな悩み
07 自ら選んできた社会人としての道
08 レズビアンなんだという自覚
09 正反対の2人に起きた危機
10 大切にしていきたい今の暮らし

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