SNSはLGBT当事者の出会いや交流、発信の場であるいっぽうで、差別や偏見の言葉が飛び交う場所でもあります。距離を置きたいけど、やっぱり連帯もしたい。そんな揺れる思いのなかで、当事者としてどう向き合えばいいのかを考えました。
SNSにみるLGBT差別の現状
私は同性パートナーと暮らすレズビアンです。私はXやInstagramなどのSNSで「LGBT当事者と交流するためのアカウント」を持っており、普段はそこで自分の日常の様子を投稿したり、当事者の友人と交流したりしています。しかし、最近はLGBT当事者に対する攻撃的な言葉を目にすることが多くなり、SNSの空気感の変化に居心地の悪さを感じるようになりました。
SNSで広がるLGBTへの差別発言
近年、同性婚の法制化をめぐる訴訟や、トランスジェンダーの性別変更要件の緩和を求める運動など、LGBTに関する社会的議論が活発になっています。
しかし同時に、SNSでは当事者や支援者に向けた攻撃的な投稿が増えているのも事実です。
2025年11月28日に、東京高等裁判所が同性同士の結婚を認めない現行法の規定を「合憲」と示したことで、最近は今回の判決に対する賛同の声や、同性婚に対する反対意見が多く見受けられます。
こうした意見のなかには「伝統的な家族観が損なわれる」といった偏見や「なぜ同性同士で結婚したいの? 養子縁組じゃだめなの?」「結婚して社会的な恩恵が受けたいだなんておこがましい」など同性カップルの人権を軽視するような声も少なくありません。
心を痛める当事者の声と、SNSへ投稿される差別発言への反論
私自身も、同性婚法制化を望む当事者のひとりです。そのため、SNSで差別的な投稿を目にするたびに、怒りと悲しみで胸がいっぱいになります。
LGBTに対する理解は年々広がっているとはいえ、まだまだ偏見や差別が根強く残っているという事実にやるせなさを感じます。
もちろん、SNSの意見だけが世論ではありません。攻撃的な言葉は匿名性の高いSNSだからこそ広がりやすく、なおかつ目立ちやすいだけで、SNSでも現実でも理解や共感を示す人々はたしかに存在します。
それでも、否定的な投稿が繰り返し流れると心は疲弊してくるものです。
SNSでは、LGBTへの差別発言に反論の声をあげる当事者やアライもいますが、私はどうしてもSNS上で言い返すことにためらいを感じてしまいます。
差別する人、差別に対抗する人、沈黙する人・・・・・・その多様な反応が交錯しているのが昨今のSNSだと思います。
LGBT当事者である私の「SNSとの距離の取り方」
SNSでLGBT当事者に対する心ない投稿を目にしたとき、どう距離を取れば心を守れるのか。自分なりの向き合い方を考えました。
思い切ってSNSから離れる

SNSで心ない言葉を目にしてつらくなったとき、私は思い切ってSNSから離れることにしています。
情報を追いかけ続けると「見なければよかった」と思う投稿まで目に入り、気づかないうちに消耗してしまうからです。
同性婚訴訟のニュースをきっかけに、LGBTへのヘイトスピーチが増えているいま、私がSNSでつながっているLGBT当事者の友人のなかに「一度SNSから離れます」と言葉を残して、ログアウトしている人もいます。
私の場合、ログアウトはせず通知だけをオフにして生活をしています。
調べものをしたり、友人とメッセージをやりとりしたりすることもあるので「SNSをチェックするのは1日2回、計10分まで」と回数や時間を決めるようにしています。
このようにセーブすることで、SNSのマイナスな意見に振り回されず、自分の生活のリズムを保つことができている気がします。
完全に離れるのではなく、自分にとって安心できる距離を保ちながらSNSと付き合う。それが私なりの工夫です。
現実の生活に目を向ける
SNSから離れている間は、意識的に現実の生活に目を向けるようにしています。
SNSでは極端な意見や攻撃的な言葉が目に入りやすく、世界のすべてから否定されていると錯覚してしまうことがあります。
しかし実際には、日常生活で面と向かって差別的な言葉を投げかけられる機会はほとんどありません。
現実の世界でもLGBT当事者に対する無理解や偏見がゼロというわけではありませんが、SNSのような殺伐とした雰囲気とは異なる空気感があるように感じます。
買い物や近所づきあい、仕事で関わる方との雑談など、些細な交流の積み重ねが「否定されてばかりではない」という実感を与えてくれます。
現実はSNSのタイムラインよりもっと緩やかで、情報量も多い。現実に目を向けるように意識するなかで、そう気づきました。
LGBT当事者の友人と交流する
SNSから距離を置いている間は、身近なLGBT当事者の友人とご飯を食べたり、一緒に美術館へ行ったりして過ごしています。
お互いに「最近SNSしんどいよね」と共感し合えることが、私にとっての癒しです。
SNSでは声の大きな意見に押しつぶされそうになったとき、友人といまの気持ちをシェアしていると、私自身の感情や考えを整理できている気がします。
たとえ悩みを言葉にできなくても、ただ会って食事をしたり、他愛ない話をしたりするだけで心がほどけていく感覚があります。
友人のように自分の存在をそのまま受け止めてくれる相手がいるという事実が、SNSでは得られない深い安心を与えてくれているのです。
「LGBT当事者はSNSで声をあげるべき」という意見との向き合い方
SNSでは「LGBT当事者こそ声をあげて発信すべきだ」という意見に出会うことがあります。たしかに発信は社会を変える力になりますが、同時に大きな負担や怖さを伴うこともあります。声をあげたいけど、できない。その葛藤に悩む時期もありました。
「黙っているのは無責任」という意見

SNSでは、LGBT当事者に対する差別的な投稿に対して真っ向から反論したり、昨今のLGBTにまつわる議論で「何が問題なのか」を丁寧に説明したりする当事者やアライの方々がいます。
その姿勢には本当に敬意を感じますし、実際に彼らの言葉に励まされ、救われた経験もあります。あの勇気ある発信が、たしかに社会の空気を少しずつ動かしているのだと思います。
しかし、SNSで「ハッシュタグ」を使って当事者やアライが連帯する動きが増えると同時に「黙っている当事者は無責任なのでは?」「指で押すだけで連帯できるのに、なぜできない?」といった言葉をみかけることも。
たしかに、その意見も理解できますし、私自身も勇気を出して連帯の投稿をしたことがあります。
しかし、どれだけ簡単に見える行為であっても、声をあげるにはエネルギーが必要です。差別的な反応を受けるかもしれない不安や、日々の生活の負担、心の調子によっては、その「指で押すだけ」の一歩すら踏み出せないことがあります。
SNS上の差別との立ち向かい方はLGBT当事者によって違う
SNSで差別的な発言を目にしたとき、どう反応するかはLGBT当事者であっても
本当にさまざまです。
すぐに声をあげて反論する人もいれば、静かにスルーする人、そもそもSNSから距離を置く人もいます。そのどれもが間違いではありません。
また、背景となる経験や心のコンディション、生活環境は人によってまったく違います。強く言い返せる日もあれば、傷つきやすくて何も言えない日もある。そんな揺れは当たり前で、誰かと比べる必要はありません。
発信しないことを「逃げ」と捉えずに、自分がいま安全に過ごせる選択をすること。声をあげることも沈黙することも、どちらも自分を守るための大切な行動だと思います。当事者の多様な選択が尊重される社会であってほしいと強く願っています。
SNS上だけでは判断できない、LGBT当事者の「連帯のかたち」
SNSで声をあげていなかったり、ハッシュタグをつけていなかったりすると「何もしていない」と見えてしまうことがあります。
しかし実際には、水面下でできる「連帯」は想像以上に多様です。たとえば、署名サイトで法改正を求める署名をしたり、寄付をしたり、デモに足を運んだりと、オンライン・オフラインともにいろんな選択肢があります。
また、身近なLGBT当事者の友人の話を聞いて励ますことや、職場で偏見発言を見かけたときにそっとフォローすることも立派な連帯です。
さらに、同性パートナーと穏やかな時間を過ごすことや、SNSにLGBT当事者の何気ない日常を投稿することも、小さくても確かな連帯です。
LGBT文学・映画に触れて学びを深めたり、LGBTフレンドリーな企業の商品を購入したりすることも、決して無意味ではありません。
こうした一つひとつの積み重ねは、SNSのタイムラインには見えなくても、確実に誰かを支えています。
もちろん、大きな声をあげることは大切ですが、日常のなかに散りばめられた小さなアクションにも、周囲に寄り添い世界を少しずつ変えていく力があると私は思います。
SNSがすべてではないけど、連帯はしたい

SNSから少し距離を置くようになってから「声をあげられていない自分は、何もできていないのでは」と不安になる瞬間がありました。
しかし、よく考えてみると、私なりに「連帯」をしていたことに気が付きました。
最近の私は、LGBT当事者やアライがつくったZINEを買ったり、当事者が発信するラジオを聴いたり、友人とLGBT映画を鑑賞したりと、自分の世界を広げる時間をつくるように心がけています。
また、日常のなかで無意識に「彼氏/彼女は?」と尋ねそうになったら「パートナーは?」と言い換える、LGBT当事者のなかでもマイノリティのセクシュアリティについて調べる、といったことも意識的にしています。
どれも小さな行動ですが、誰かの存在を尊重し、理解の土台を育てる助けになるはず。SNSで大きな声をあげなくても、自分のペースで関わり続けることも確かな連帯なのだと、いまは思えるようになりました。
こんなふうに、自分にできる方法で歩みを続けることこそが、静かでも確かな連帯を育てていくのだと思います。そしてその積み重ねは、いつか周りの景色をそっと変えていく力になるはずだと信じています。
■参考文献
・OUT JAPAN「レポート:トランスジェンダー国会~GID特例法議論の現在~」
・BBC「同性婚認めない現行法の規定、東京高裁は「合憲」と ほか5件と判断分かれる」



