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このためなら命を燃やせる。そう思えるものに全力をかけたい。【後編】

このためなら命を燃やせる。そう思えるものに全力をかけたい。【前編】はこちら

2019/06/18/Tue
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Ryosuke Aritake
星 賢人 / Kento Hoshi

1993年、千葉県生まれ。両親と姉との4人家族で育つ。中学受験をして中高大一貫校へと進学するも、中学時代のいじめをきっかけに不登校気味に。高校から登校を再開し、大学に進学。大学4年時、東京大学大学院情報学環教育部にも通い始め、並行して企業のインターンにも参加。2016年1月に起業し、LGBTリクルーティングプラットフォーム「JobRainbow」を運営。

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INDEX
01 幼い頃から模索していた “一番”
02 世界がキラキラしていた時代
03 人間は孤独だと思い知らされる日々
04 同性が好きな「ゲイ」としての自覚
05 真剣に向き合った学業と恋愛と苦笑い
==================(後編)========================
06 当事者が秘かに抱える苦悩と課題
07 ひたすらに愛し受け入れてくれた存在
08 当事者の社会進出の実情
09 命を燃やして全力を尽くせるもの
10 再び動き始めたばかりの人生の針

06当事者が秘かに抱える苦悩と課題

決意の大学デビュー

高校で優秀な成績を収め、文系トップの偏差値だった法学部に進む。

「父は弁護士だし、姉もロースクールに通っていたから、僕も法学部かなって」

「でも、法律の勉強は全然好きになれなくて、4年間無駄にした・・・・・・って思いました(笑)」

「今になって法律の知識は役立っているけど、授業はほぼつまんなかったですね」

進学したら必ず大学デビューしよう、と心に決めていた。

「茶髪にしてストレースパーマをかけて、メガネをコンタクトに変えて、眉毛もシャキーンって整えました(笑)」

「高校時代の同級生に会っても、気づかれないレベル(笑)」

パリピが集まるような派手な飲み会サークルにいくつも入り、周りからは「星君、超チャラ~い」と言われた。

「だけど、根がコミュ障だから、すぐに大学デビューってバレたんですよね」

姉のようなキラキラライフは、待っていなかった。

「大学1年の中盤にはサークルに行かなくなって、学部内にも友だちができなくて、また、ぼっちでした」

「環境が変われば楽しい日々が待ってる、って思ってたけど、違ったんですよね」

「自分の内面を変えていかないと、何も変わらないんだ、って実感しました」

当事者の僕の居場所

大学2年になり、「早稲田大学にLGBTサークルがある」というウワサを耳にする。

「すぐ、早稲田のGLOWっていうLGBTサークルに、『行きたいです』って連絡しました」

「このキャンパスのこの部屋に来てください」という返事をもらい、早稲田大学に赴いた。

部室の扉を開けると、そこにはゲイだけでなく、さまざまなセクシュアリティの学生がいた。

「カオスな部室だったけど居心地が良くて、居場所を見つけられた気がしましたね」

GLOWに参加していた同じ大学の学生が、「うちの大学でも集まってるんだ」と誘ってくれた。

「最初は当事者同士の小さな集まりでしたけど、ちゃんと大学に申請して、公認サークルにしたんです」

「流れで僕が代表になって、一時期は40人ぐらいの規模になりました」

知らなかった課題

LGBTサークルを運営していくと、他のマイノリティに関する知識がないことを、思い知らされた。

「Xジェンダー寄りのFTMの子を『○○ちゃん』って呼んでいたら、『○○君がいい』って言われたんです」

「僕が勝手に女の子扱いして、いつの間にか傷つけてたことに気づきました」

レズビアンの女性だと思っていた先輩が、実はMTFだったと、後から知ったこともある。

「その先輩は一浪している間に性別適合手術を受けて、女性の容姿で大学に入学していたんです」

「家族に勘当されていて、風俗店で働きながら学費や生活費を賄っている、って聞きました」

「親と離れて1人で生きていかなきゃいけないのか・・・・・・って、衝撃を受けましたね」

サークル内には、円形脱毛症を隠すためにウィッグを被っている子や、リストカットの跡を隠すために夏でも長袖を着ている子がいた。

「サークルで知り合った子が、自殺をしてしまったこともありました」

「中高生の頃は、自分と同じくらい辛い人はきっといるだろう、って思ってたんです」

「でも、サークルという社会の縮図の中には、うつ病や自傷行為、貧困の問題もあったんですよね」

自分には、ネットカフェという逃げ場所があった。大学にも、お金の心配をせずに通わせてもらっている。

自分は恵まれていたのかもしれない。

「セクシュアルマイノリティの課題に、すごく敏感になっていきました」

07ひたすらに愛し受け入れてくれた存在

姉の力強いハグ

大学1年の時、姉にカミングアウトした。

「姉の後輩にゲイの人がいて、一緒に新宿二丁目に行っていたみたいなんです」

「同じ頃に、僕はマッチングアプリで、社会人の人と仲良くなっていたんですね」

姉の後輩と自分の友だちが、つながっていることがわかった。

友だちと二丁目で遊んでいた時、たまたま居合わせた姉の後輩に「弟じゃん」と声をかけられた。

「後輩の人から『お姉ちゃんには言ってないの?』って、聞かれたんです」

「『お姉ちゃんは何とも思ってないだろうし、僕が仲介しようか』って言ってくれたから、勢いで姉に伝えてもらいました」

「自分から姉に直接話すのは、恥ずかしかったから」

間接的にカミングアウトした後、最初に姉と顔を合わせた瞬間、ぎゅっとハグされた。

姉は「賢人のことは絶対守るし、関係も全然変わらない」と、言ってくれた。

「気恥ずかしかったけど、姉が真剣に受け止めてくれて、すごくうれしかったです」

「あと、『本当は前から知ってたよ』って(笑)」

たまたま自分の携帯を目にしたとき、ゲイの後輩に見せてもらっていたゲイ専用のマッチングアプリがあるのを見つけたらしい。

「だから、後輩の人も『お姉ちゃんは何とも思ってない』って、言ったんでしょうね」

「カミングアウトしてから、姉とはさらに仲良くなれました」

「全然驚かない」

両親へのカミングアウトは、起業してから。

「朝日新聞に僕のインタビューが載ることになったので、その前に言わなきゃなって」

「やっぱり面と向かって話すのは恥ずかしくて、LINEでカミングアウトしました」

「『驚いた?』って聞いたら、2人とも『全然驚かない』って(苦笑)」

「次の日の朝、会った時も何も言ってこないで、いままで通りでしたね」

両親は、子どものすることを否定しないが、肯定もしない。

「親が何を考えているのか、いまだによくわからないんです(笑)」

ただ一つだけ、母に言われたことがある。

「いい人がいたら、連れてきなさい」と。

08当事者の社会進出の実情

見出せないやる気

大学3年になると、周りの空気が就職活動ムードに変わっていく。

就職氷河期は終わりかけていたが、「就活を苦に自殺」というニュースが流れる時代。

「サークルでも、『先輩たち苦しんでるよ』って話を、よく聞きましたね」

MTFの先輩は、「就活情報サイトに登録する時点で悩んだ」と言っていた。

「当時は男性名のままだったんです。でも、外見は女性。性別欄は男女しかない。『虚偽の申告はできないから、どうしよう』って」

面接でトランスジェンダーであることを伝えると、「うちに会社にはそういう人いないので」と、帰らされたこともあると聞いた。

「別のゲイの先輩は就活を全然してなくて、『フリーターだけど』って強がってました」

「セクシュアリティだけが理由ではないと思うけど、前向きになれない気持ちはわかりましたね」

先輩の話を聞くごとに、就活が怖くなっていった。

同性愛者にハネムーン休暇が出る会社

「就活は絶望しかなかったけど、だからこそ、ちゃんと見てみたくなったんです」

さっそく、日本マイクロソフトが開催していた1カ月間のインターンに参加した。

「たまたまマイクロソフトで働いているゲイの友だちがいて、『社内にLGBTサークルがあるから来なよ』って誘われたんです」

サークルの飲み会で、レズビアンのエンジニアが「最近、アメリカで式を挙げたんです」と話し始める。

「同性のパートナーとの婚姻届けを会社に提出したら、お祝い金とハネムーン休暇がもらえた」と、うれしそうに報告していた。

「エンジニアの方の話を聞いて超先進的じゃん! って、びっくりしました。」

「就活を諦めちゃった先輩が、こういう会社もあるって知ってたら、励みになっただろうなって」

「そこからは就活狂いみたいになって、インターンも採用試験も、何社も受けました」

就職よりもやりたいこと

しかし、大学3年の終わり、就活ではなく進学を選択した。

「就活していく中で、自分が本当にしたい勉強をするっていう選択肢が浮かんできたんです」

自分がしたいことは、セクシュアルマイノリティに関する課題を解決すること。

「リストカットとか円形脱毛症とか自殺とか、なんでこういうことが起きるんだろう、って考えましたね」

その時に頭をよぎったのが、中学時代に言われた「ドドスコやれよ」という言葉。

「メディアでのオネエタレントの扱いって、蔑ろじゃないですか。差別されて当然みたいな」

「視聴者側も、テレビで放送してるからやってもいいこと、って思っちゃってる」

「そういう風潮を生み出してるメディアって罪深いし、もったいないなって思ったんです」

メディアにおけるジェンダーの表象を研究するため、トップクラスの大学院を目指した。

「前身がメディアを研究する機関だった東京大学大学院情報学環教育部で学ぶことを決めました」

09命を燃やして全力を尽くせるもの

想いを事業化するきっかけ

大学3年の終わりに、リクルートホールディングスのインターンに参加した。

「社会の “不” を解決する1000億円規模の事業を作りなさい」という課題が出される。

「そこで、LGBTの社会課題について話したら、同年代の優秀なエンジニアの人たちが『解決しよう』って賛同してくれたんです」

事業内容を膨らませていくと、新規事業開発室の室長に評価され、社内コンペに出すことに。

「採用はされなかったんですけど、社会のニーズがあることを知れたので、インターンで知り合った友だちと事業化を目指しました」

半年間ビジネスに関して学び、最後に事業計画を発表するビジネスコンテストを見つけ、すぐに申し込んだ。

「そのコンテストでは、『優勝したら賞金100万円で起業してください』って条件があったんです」

「僕らは優勝することができて、2016年1月にJobRainbowを立ち上げました」

いざ事業を動かし始めると、思ったようにはうまくいかなかった。

「1年目は売り上げ数十万くらいで、お金を稼ぐ大変さを知りましたね」

「一度は社会人を経験しないと事業は成功しない、と思ったから、会社を続けながら就職しようと思ってました」

大切な人の死

企業する直前、親友が交通事故に遭い、急逝した。

「中学生の頃から仲良くしてくれていた親友が2人いて、大学に進んでからもよく3人で遊んでたんです」

「彼らは、ネットカフェ通学をしていた時期も、『またネットカフェかよ』って、笑い飛ばしてくれたんです」

「そのうちの1人が酔っ払って帰って、道端に寝てしまって、車にひかれたって・・・・・・」

前日までLINEでやり取りしていた親友が、突然いなくなった。

その事実にショックを隠せなかったが、それでも日常は続いていく。

生きている実感

起業から1年が経ち、大学院1年目が終わるタイミングで、シアトルに留学した。

「現地の留学生向けキャリアフェアに参加して、ある企業から内定をもらったんです」

「その企業から『副業してもいいよ』って言われていたので、会社員をやりつつ経営しようかな、って考えてました」

しかし、日本に戻ってから、会社の業績が上がり始める。

「だんだん数字がついてきて、自分1人は生きられるぐらい稼げるようになりました」

「世の中に必要な事業だから頑張れ」と、支援してくれる企業も現れた。

「ふと、亡くなった親友のことが思い出せなくなっていることに、気づいたんです」

「数少ない親友だったのに、自分はすごく薄情だなって・・・・・・」

「同時に、多くの人は死んでから10年、20年経ったら、誰も思い出さなくなるんだろうな、って感じたんです」

今の自分は、応援してもらえる事業を進めていて、生きている実感がある。

中学から大学までの空白の期間を過ぎ、ようやく自分の人生を取り戻しつつある。

「いつ死ぬかわからないなら、このためなら命を燃やせるって思えることを全力でやろう、って決めたんです」

2018年3月も終わる頃、入社予定だった企業を訪ね、内定辞退の意を伝えた。

10再び動き始めたばかりの人生の針

無視せず対話する必要性

「就職を蹴って経営に絞った1年前の自分は、人生で一番いい決断をしたな、って思いますね」

あれから1年が経った。

「僕が人生をかけてやろうとしているから、応援してくれる人も増えました」

会社の代表として表に立てば、心無い言葉を浴びることもある。

しかし、中学生の頃のように、ネットカフェに逃げ込むことはしない。

「人格を否定されるような中傷は、当たり前にありますね(苦笑)」

「でも、僕には失うものがないし、今までの経験で強靭なメンタルを手に入れたので、中傷も客観視できるんです」

「なぜこの人はこういうことを言ってしまうんだろう、ってロジックが気になるんですよね」

批判の言葉を投げる人の中には、LGBT当事者も少なくない。

その背景を知り、根本を解決するため、無視するのではなく対話することを心掛けている。

「僕も人だから傷つくことはあるけど、そこはぐっとこらえて批判の声を聞いていけば、社会課題解決の糸口が見えると思うんです」

経験も僕の一部

自分自身は、すごく恵まれた環境の中で生きてきたと思っている。

中流以上の家庭で育ち、両親や姉に愛され、経営者という生き方が当たり前のものとして存在した。

人格が変わるほどの中学時代の経験も、今は無駄ではなかったと思える。

塞ぎ込んだ時期があったから、解決するべき社会課題を見つけることができた。

「それに、LGBTが働くことに関する社会課題は、僕が世界一考えてると思うし、僕ができなかったら誰が成し遂げるんだ、って思うんです」

最近になってようやく、小学生で止まっていた人生の針が動き出した。
しかし、中学から大学までの空白の期間があったことも、間違いなく自分の人生の一部だ。

「いろんな経験ができた人生に、感謝してます」

あとがき
新しいことがらを学びながら、等身大の自分を認める。それが賢人さんの印象。虚栄心のかけらもない。誠実さは、SNSで寄せられるメッセージに対しても同じだ。どんな意見も防衛的にならない感じ。一緒に乗りこえる、という協調性さえ漂うのは、賢人さんの大きな強みだろう■「中高で止まっていた針が動き出した」という。未来と過去が出会う場所が[今]なんだ。 仕事を通じて社会とつながる。それが、[絶望]ではなく、[希望]であるようにとおもう。 (編集部)

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