INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

このためなら命を燃やせる。そう思えるものに全力をかけたい。【前編】

25歳にして、ベンチャー企業の代表取締役という顔を持つ星賢人さん。待ち合わせ場所に現れた星さんは、年相応の爽やかさと初々しさを持った好青年で、親しみやすさを感じさせる人柄にホッとした。しかし、「人と仲良くなるのが苦手なんです」と、意外な言葉が飛び出す。決して華々しい人生ではなかった。他者に悩まされ、他者に生かされた自分が、今ここにいる。

2019/06/16/Sun
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Ryosuke Aritake
星 賢人 / Kento Hoshi

1993年、千葉県生まれ。両親と姉との4人家族で育つ。中学受験をして中高大一貫校へと進学するも、中学時代のいじめをきっかけに不登校気味に。高校から登校を再開し、大学に進学。大学4年時、東京大学大学院情報学環教育部にも通い始め、並行して企業のインターンにも参加。2016年1月に起業し、LGBTリクルーティングプラットフォーム「JobRainbow」を運営。

USERS LOVED LOVE IT! 33
INDEX
01 幼い頃から模索していた “一番”
02 世界がキラキラしていた時代
03 人間は孤独だと思い知らされる日々
04 同性が好きな「ゲイ」としての自覚
05 真剣に向き合った学業と恋愛と苦笑い
==================(後編)========================
06 当事者が秘かに抱える苦悩と課題
07 ひたすらに愛し受け入れてくれた存在
08 当事者の社会進出の実情
09 命を燃やして全力を尽くせるもの
10 再び動き始めたばかりの人生の針

01幼い頃から模索していた “一番”

成績優秀な姉

現在、姉と共に会社を経営している。

「4歳離れているので、適度に距離感がありつつ、昔からすごく仲がいいですね」

幼い頃は両親の仲が悪く、2人とも家に帰ってこないことがあった。

「そういう日は姉が料理を作ってくれて、僕の面倒を見てくれました。小さい時から面倒見が良くて、親代わりみたいになってたかな」

「頭もめちゃくちゃ良くて、常に一番に立ってるような人です」

姉は、勉強を楽しめる感覚の持ち主。

「小学生の頃は、学習塾の学力テストで、全国で毎回1ケタの順位でしたね」

「つい最近も仕事をしながら、司法試験に合格したんですよ」

「そんな姉を見てると、頭の良さでは敵わないな、って思います(苦笑)」

僕なりの1位

「でも、姉に対して嫉妬したことはないです」

「自分で言うのも変ですけど、姉からも両親からも溺愛されてたので(笑)」

自分は勉強が苦手だったため、少し結果を出すだけで、両親から褒めてもらえた。

「勉強はできないから、僕は好きなことで一番になろう、って思った時期がありました」

中学生の頃、「サドンアタック」というオンラインシューティングゲームに熱中した。

社会人や大学生とチームを組み、全国大会4位まで上り詰める。

「頑張って1位になりたかったんですけど、なれなくて」

「たくさん人がいる中で一番になるって、大変なんだって知りました」

「そのぐらいからかな・・・・・・。自分しかできないことで一番になりたい、って思い始めたかもしれないです」

経営者という道

父方も母方も、祖父一代で会社を築いた。

「2人のおじいちゃんの姿を見たり聞いたりして、尊敬していましたね」

「父は弁護士だし、親戚も経営者や医者、フリーのエンジニアばかりなんです」

「サラリーマンというロールモデルが、近くにいなかったんですよね。だから、昔から、会社を経営して何かを残してみたい、って気持ちはありました」

大学進学時には弁護士になるべく法学部を選んだが、自分の気持ちを見つめ直し、現在は経営者として邁進している。

幼い頃の気持ちが今につながるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。

02世界がキラキラしていた時代

女の子になりきる遊び

小学生までは、女の子とばかり遊んでいた。

「幼なじみの女の子が3人いて、今でも仲良しなんです」

「家族ぐるみで仲が良くて、一緒に海外旅行に行ったことも何回かあるぐらい」

「幼い頃は、その子たちとおままごととか井戸端会議ごっことかをしてました」

「それぞれの母親のまねをして、『ちょっと奥さん』って言い合ったり(笑)」

お父さん役やお兄さん役を振られることはなく、女の子やお母さんになりきっていた。

「当時はセーラームーンになりたくて、スカートをはいたりもしてました」

「今は、女の子になりたい、って気持ちはまったくないんですけどね(苦笑)」

笑って過ごした日々

小学生になると、女の子グループの一員のように過ごす。

「バレンタインには、40個ぐらいチョコをもらいました」

「でも、そのほとんどが女の子同士で渡し合う友チョコで、モテたわけではないです(笑)」

高学年になっても、クラスが男女で分断されることはなかった。

「いい雰囲気のクラスで、男女関係なく仲良かったんですよ」

「僕も、女子グループの一員として、男子グループと一緒に遊ぶ感じ」

「仲良しの男友だちもいっぱいいたし、小学校生活はこれまでで一番キラキラしてて、幸せでした」

「悩みとか嫉妬とか、煩悩が一切なくて、解き放たれていた時代でしたね」

毎日笑って過ごしていた記憶しかない。

強引な中学受験

姉は中学受験をして、もっとも偏差値の高い女子高に進学した。

「『弟だから賢人もできるんじゃないか』って、僕も受験することになったんですけど、全然勉強ができなくて(苦笑)」

焦った両親は、教科別に4人の家庭教師を雇う。

「本当に勉強が嫌いで、泣いて抵抗したこともあったけど、6年生の後半は無理やり勉強させられました」

「両親は基本的に放任主義だけど、この時だけは強制された感じがしましたね」

「賢人は勉強させるのが大変だから、最後の受験になるように」という両親の考えもあり、中高大一貫校を目指すことになった。

「男女共学と男子校を、1校ずつ受けたんです。男子校は絶対嫌でしたね」

しかし、共学は落ちてしまい、男子校という選択肢しか残らなかった。

03人間は孤独だと思い知らされる日々

“オネエ” いじり

行きたくなかった男子校だったが、いざ入学すると、楽しい日々が待っていた。

「中学1年の時はクラスの人気者みたいな感じで、すごく楽しかったんです」

小学生まで女の子と過ごす時間が多かったため、しぐさや雰囲気はキャピキャピしていたかもしれない。

「語尾は『だからさ~』みたいに伸ばしてたし、常に『キャー』って言ってましたね(笑)」

そのせいか、中学2年になると、同級生が自分の言動を真似するようになっていく。

「男子校の中では、物腰が柔らかいってだけで、異質な存在なんだと思います」

当時、IKKOや楽しんごといった “オネエ” と総称されるタレントたちが、メディアに出始めていた。

学校では、同級生から「ドドスコやれよ」「どんだけ~やれよ」と、いじられるように。

「『オカマ』って言われて嫌だったけど、『オカマじゃない』って反発すると、自分自身を否定するような感覚がありました」

「いじりはだんだんエスカレートしていって、学校に行くのが辛いなぁって・・・・・・」

担任教師に相談すると、「お前が女々しいのがいけないんじゃないか?」と、言われてしまった。

ネットカフェ通学

当時ハマっていたオンラインゲームで気分転換するため、放課後にネットカフェに行くようになった。

「1時間ぐらい遅刻した日に、学校に行く気が起きなくて、そのままネットカフェに行ったんです」

「中学2年の後半ぐらいかな。その日から、ネットカフェ通学が始まりました」

いつも通りに家を出て、ネットカフェに向かい、ときどき5、6限だけ出席して帰る。

両親は、息子がネットカフェに通っていることを知っていた。

しかし、怒るでも心配するでもなく、そっと財布にお金を入れてくれた。

「いじめられていることは言ってなかったから、勉強よりゲームがしたいんだろうな、くらいの感覚で思われてたのかな」

中学3年の時、欠席と遅刻ばかりの状況を見かねた教師が、3者面談の場を設けた。

「父が一緒に来てくれたんですけど、怒らないどころか、感心されましたね(笑)」

父も、祖母(父にとっての母)に「高校行きたくない」と言ったことがあり、「じゃあ仕事してね」と返されたことを教えてくれた。

「だからか、『高校に上がらないなら、仕事して自立しなさい』って言われました」

両親は何も言わずに、受け入れてくれたが、友だち関係は修復できないまま。

「自分は人と違うんだって思ったし、いじめられることがすごいストレスでしたね」

「人間は孤独だし、分かり合えることはないんだ、ってめちゃくちゃ暗くなりました」

「今でも人に心を開いて、仲良くなることが苦手なんですよね」

いじめられた経験によって、人との間に一線を引くようになってしまった。

04同性が好きな「ゲイ」としての自覚

僕の恋愛対象

「小学生の頃は、当たり前に異性と結婚して、子どもができて、マイホームを買うみたいな未来を想像してました」

小学校中学年の頃、女友だちから告白され、恋人のような関係になったこともある。

中学1年の終わり頃、自分は思い描いた将来を迎えないかもしれない、という予感がした。

「周りの男子がアイドルとかAVの話をし始めた時に、ついていけなくなっちゃって・・・・・・」

「女性に対して、性的な興味がまったく湧かなかったんです」

一方で、たまに男子の同級生や先輩にやさしくされると、ドキッとする自分がいた。

「明確に好きな人がいたわけじゃないけど、漠然と男子が恋愛対象になる、って感覚がありました」

「女子とずっと一緒にいたから、男子を好きになることがおかしい、とは思わなかったです」

「ただ、周りから見たら変なことだし、家族にも友だちにも言っちゃいけないんだ、って意識はありましたね」

「ゲイ」と「オネエ」の差

保健の授業で、教師が「思春期になると、男の子は女の子を自然と好きになります」と、説明していた。

「それを聞いた時に、自分って女の子になりたいのかな、ってすごく悩みましたね」

当時は、ゲイやトランスジェンダーという言葉は知らなかった。

トランスジェンダーのオネエタレントのように、同性が好きで女性らしく振る舞う人しかいないと思っていた。

「自分は微妙に女の子っぽいところがあるけど、女の子になりたいわけじゃない。でも、同性が好きだったんです」

「どういう人をロールモデルにすればいいかわからなくて、感情がぐちゃぐちゃでしたね」

ネットカフェに通うようになり、インターネットで情報を収集した。

「そこで初めて、同性が好きな男性をゲイって呼んで、トランスジェンダーとは違うことを知りました」

「自分はゲイなのかも、ってだんだん意識し始めましたね」

受け入れてくれる世界

ネットカフェ通学をしている頃は、プロゲーマーを目指し、オンライン上で5人のチームを組んでいた。

「中学生は全然いなかったので、チームメイトは社会人や大学生の男の人でした」

ボイスチャットを通じて戦略会議を行ううちに、プライベートの話もする仲になっていく。

「初めて人に『僕は男の子が好きかもしれない』って、話すことができたんです」

チームメイトは「いいんじゃない」と受け入れてくれた。否定されることはなかった。

「自分を認めてくれる大人がこんなにいるんだ、って世界が広がりましたね」

たった40人のクラスの中で塞ぎ込んでいた自分にとっては、衝撃的な出来事。

チームメイトの言葉のおかげで、少しだけ前を向く勇気が持てた。

「欠席しすぎてて単位がヤバかったんですけど、校長先生が善処してくれて、なんとか高校に上がれました(苦笑)」

05真剣に向き合った学業と恋愛と苦笑い

学年最下位の成績

高校に進むという決断の裏には、姉の影響もあった。

すでに大学生だった姉のキャンバスライフは、キラキラ輝いて見えた。

「僕も同じようなキラキラライフを送りたかったから、高校はちゃんと行っておこう、って思ったんです」

高校1年の成績は、全学年130人中120位以下。

「もはや最下位みたいなものだから、やべぇ・・・・・・って焦りましたね(笑)」

大学に内部進学する生徒は、成績順に希望の学部が選べた。つまり、成績を上げなければ、理想の大学生活は送れない。

「大学デビューして、人生をやり直すために、高校時代はとにかく我慢して勉強しました」

「だから、3年間の記憶がほとんどなくて(苦笑)」

努力の甲斐あって、最終的には成績30位以内に入ることができた。

「その頃にはゲームもやめて、プロゲーマーという目標も諦めちゃいました」

やさしさの根底にあるもの

中学も高校も顔ぶれはほとんど変わらないため、関係が固定化されていく。

仲のいいグループごとに分かれていくため、中学の時のようないじめはなくなった。

「昼はぼっち飯でしたけど、干渉されなくなったから良かったかなって」

「たまに『あいつに聞いたけど、お前ってオカマなの?』って、わざわざ聞いてくる人はいました(苦笑)」

「そういう時は、リーダー的な大人びた子が『星はオカマじゃねぇよ』って、言ってくれたんです」

「かばってくれてすごくうれしかったけど、何かがちょっと違う気がしましたね」

「そういうこと言うんじゃねぇ」という言葉の根底には、「オカマ=よくないこと」という考えがあるように思えた。

「もちろんやさしさで言ってくれてるんだけど、その頃にはゲイの自覚があったし、苦笑いするしかないみたいな(苦笑)」

片道2時間の恋

高校時代、唯一楽しかったことがある。

スマートフォンを手に入れ、ゲイ専用のマッチングアプリで男性と知り合うようになった。

「高2の時だったかな、2つ3つくらい年が離れたゲイの人と、初めて会ったんです」

「相手が茨城に住んでいたから、わざわざ2時間ぐらいかけて会いに行きました」

恋愛にも性的なことにも興味があり、頼れる人と出会ってみたかった。

「その人が駅まで車で迎えに来てくれたんですけど、最初は超緊張しましたね」

車内に2人きりという状態に緊張したが、徐々に会話が弾んでいった。

「その人はポジティブであっけらかんとしてて、家族にも友だちにもカミングアウトしてたんです」

「そういう人と初めて出会ったから、ショックを受けましたね」

「でも、すごく好きになって、高校生の間、何回も茨城まで会いに行きました」

徐々に連絡を取らなくなってしまったが、今振り返れば、大切な初恋の思い出だ。

<<<後編 2019/06/18/Tue>>>
INDEX

06 当事者が秘かに抱える苦悩と課題
07 ひたすらに愛し受け入れてくれた存在
08 当事者の社会進出の実情
09 命を燃やして全力を尽くせるもの
10 再び動き始めたばかりの人生の針

関連記事

array(1) { [0]=> int(26) }