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Writer/遥

レズビアンの恋愛リアリティショーをみたいけど、みたくない

私はレズビアンで、同性のパートナーと暮らしています。つい最近、パートナーと一緒にNetflixで配信されている男性同士の恋愛リアリティショー『ボーイフレンド2』をみて「女性同士の恋愛リアリティショーもみたい」と思う一方で、不安やためらいがあることに気がつきました。その理由を、当事者の視点から綴ります。

レズビアンの恋愛リアリティショーをみたいと思う理由

レズビアンの恋愛リアリティショーをみたいと思う気持ちは、突然わいてきたものではありません。まずは、その背景をひとつずつ振り返っていきます。

多くの恋愛ドラマ・リアリティショーは「異性愛」が前提

恋愛ドラマや恋愛リアリティショーの多くは「異性愛」が前提となっています。

同性同士の恋愛を描いた漫画やアニメは多いものの、実写コンテンツでは異性愛を描いた作品が多いように感じます。最近は同性同士の恋愛をテーマにしたものも増えていますがまだまだ少ない印象です。

異性愛を描いたコンテンツが苦手なわけではありません。

しかし、登場人物の関係性や葛藤、未来の選択までもが「男女」であることを前提に組み立てられていることがほとんど。レズビアンである私はそうした作品をみながら物語を追うことはできても、感情の深い部分まで入り込むことができません。

共感できる場面があっても、作中の恋愛そのものを自分事として受け取れないのです。画面の向こうの恋が、どこか遠い世界の出来事のように感じていました。

『ボーイフレンド』シリーズが与えた希望

いまだ異性愛の恋愛コンテンツが多いなか、注目を集めているのがNetflixの『ボーイフレンド』シリーズです。

同シリーズは、男性同士の恋愛を描いたリアリティショー。「Green Room」というシェアハウスを舞台に、複数の男性が共同生活を送る様子が映し出されます。

『ボーイフレンド1・2』では恋愛だけでなく、男性同士の繊細な感情のやりとりや友情も丁寧に描かれていました。

恋愛の過程で生まれる喜びやときめきだけでなく、相手に気持ちを伝えることへの不安や、関係がうまくいかなかったときの戸惑いも、ありのままに映し出されていました。

2026年1月に配信スタートした『ボーイフレンド2』で、とくに印象的だったのは、カミングアウトをめぐる葛藤や、過去の人間関係で傷ついた心を抱えたまま人と向き合う姿です。当事者だからこそ強く共感してしまう場面がいくつもありました。

また、シリーズを通して、同性同士の関係性が特別なものとして扱われるのではなく、ごく自然な人間関係として受け止められていると感じました。この番組の存在は、恋愛リアリティショーの前提を少しずつ変えていく可能性があると思っています。

レズビアンの恋愛リアリティショーは当事者が「自分事」として楽しめる

『ボーイフレンド』シリーズをみたあと、レズビアンの恋愛リアリティショーがあれば、より「自分事」としてレズビアンも恋愛の過程を楽しめるのではないかと、ふと思いました。

恋愛の成功や失敗だけでなく、その背景にある感情の揺れまで含めて、自分の経験と重ねながら楽しめること。それこそが、私がレズビアンの恋愛リアリティショーをみたいと思う理由です。

女性同士の恋愛や友愛が描かれる番組があれば、きっと自分のこれまでの経験や感情と重なる瞬間がたくさんあるはずです。出演者のちょっとした表情や、距離が縮まるまでの微妙な空気感、言葉にしづらい不安やときめき・・・・・・そうした細部を「わかる」と思いなが視聴できること自体が、レズビアン当事者としては大きな喜びです。

さらに、画面の向こうでレズビアンの恋愛が自然に、当たり前のものとして扱われることは、それだけで胸が温かくなる体験でもあります。

自分たちの恋愛が特別扱いではなく、ひとつの恋愛として描かれる。それを視聴者として受け取れることは、これまでになかった肯定感につながる気がします。

レズビアンの恋愛リアリティショーを「みたくない」と思ってしまう現実的な壁

レズビアンの恋愛リアリティショーをみたいと思う一方で、不安もあります。ここからは、女性同士の恋愛を「リアリティショー」として描く現実的な壁について考えていきます。

レズビアンの恋愛リアリティショーの出演者が「生身の人間」であるという事実

レズビアンの恋愛リアリティショーを想像するとき、最初に懸念する点が「出演者が生身の当事者である」という現実です。これはレズビアンに限らず、男女・男性同士のリアリティショーにも共通する点といえます。

フィクションであれば、キャラクターとして距離を置いて物語を楽しむことができます。しかしリアリティショーでは、出演者の言葉や選択、揺れ動く感情がそのまま本人の人生に結びついています。

だからこそ、視聴者としてワクワクしながら応援したい気持ちと同時に「この人たちは大丈夫だろうか」「傷つかないだろうか」という心配が自然と湧いてきます。

とくに、女性同士の恋愛がまだ十分に可視化されていない現在の社会では、出演者が背負うプレッシャーは想像以上に大きいはずです。

番組に出ることで、家族や職場、友人関係など、私生活に影響が及ぶ可能性もあります。

そうしたリスクを抱えながら恋愛に向き合う姿を「娯楽」として受け取ってしまっていいのか・・・・・・と、レズビアン当事者としては複雑な感情になります。

某恋愛リアリティショーで起きたこと

すでに、女性同士の恋愛リアリティショーは国外で制作されています。

しかし、そういった作品が配信された後、出演者の過去の写真や映像がSNS上で拡散され、プライバシーが脅かされる事態が起こりました。こうした事案は、女性同士の恋愛リアリティショーに限らず、どのリアリティショーでも起きがちです。

ただ、性的少数派である彼女たちが、番組とは無関係の情報まで勝手に掘り起こされ、本人の意思とは関係なく晒されてしまう状況は、当事者としてひどく胸が痛みました。

こうした前例があるからこそ、もしレズビアンの恋愛リアリティショーが制作された場合、同じようなことが起きてしまうのではないか、という不安が拭えません。

有名人に限らず、セクシュアリティを公にすること自体がまだ大きなリスクをともなう社会で、プライバシー侵害が重なれば、その負担は計り知れません。

番組を楽しみたい気持ちがある一方で、出演するレズビアン当事者が不必要に傷つく可能性を思うと、素直に「みたい」と言い切れない気持ちがあります。

レズビアンの恋愛リアリティショーで考えられるリスク

レズビアンの恋愛リアリティショーは、当事者にとって大きなエンパワメントになりますし「レズビアンの可視化」という面でも、重要な役割を果たすのではないかと考えています。ただ、その明るい側面とは別に、制作や視聴の過程で注視したいポイントあります。

「どっちがタチ・ネコ?」という視線の暴力

レズビアンの恋愛リアリティショーが放送されるとして、まず懸念されるのが「どっちがタチ・ネコ?」といった性的役割を一方的に当てはめようとする視線です。

これは単なる興味本位ではなく、女性同士の関係性を「わかりやすい枠」に押し込めようとする乱暴なまなざしと言えます。

こうした視線は、当事者を「性的に消費する」態度と結びつく可能性があります。出演者の魅力や関係性ではなく、性的な想像の材料として扱われてしまう危険があると思うのです。

SNSで「この人はタチっぽい」「ネコっぽい」といった憶測が広がれば、出演者の尊厳が損なわれるだけでなく、レズビアン全体への誤解やステレオタイプを強めてしまいます。

女性同士の恋愛作品、いわゆるGL・百合と呼ばれるジャンルの作品では、ベッドの上でのポジションがキャラクター設定として固定されていることも少なくありません。

しかし、リアリティショーに出ているのはキャラクターではなく、生身の人間です。ポジションがはっきりしている人もいれば、そうでない人もいます。

ましてや、外見や言動から勝手に予測して、それを人目のつくところで言及したり、性的に消費したりしていいはずがありません。

また、出演者が友達や知り合いである可能性がゼロではないことを考えると、より一層、不安な気持ちになります。

レズビアンの恋愛リアリティショーの出演者が「当事者の代表」として扱われる

レズビアンの恋愛リアリティショーで気になるのは、出演者が「レズビアンの代表」として扱われてしまう可能性です。

本来、出演しているのは一人の個人であり、その人の価値観や恋愛観はコミュニティ全体を代弁するものではありません。

それでも、可視化が進む過程では「レズビアンってこういう感じなんだ」と、個人の言動がそのままレズビアン全体のイメージに結びつけられてしまうリスクがあると考えています。

これは出演者にとって大きなプレッシャーになりますし、視聴者側にとっては誤解を生むきっかけになりかねません。

ひとくちに男性/女性と言っても多様な生き方があるように、レズビアンもまたそれぞれ異なる価値観や個性をもっているけれど、たった数人の番組内での振る舞いが「レズビアンの代表例」として扱われてしまう構造は、当事者にとって息苦しいものがあります。

多様なセクシュアリティをどこまで丁寧に描けるのか

レズビアンのなかにも、デミロマンティックやクワロマンティック、アセクシュアルなど、実際にはさまざまなセクシュアリティが重なり合っています。けれど、既存の恋愛リアリティショーでは、こうした側面はあまり描かれていません。

個人的には、もしレズビアンの恋愛リアリティショーが作られるなら、こうした複雑さもきちんと可視化してほしいと思っています。

しかし一方で、本当にそこまで丁寧に描けるのかという不安もあります。番組の構造上、どうしても「わかりやすさ」を優先されてしまう可能性があるからです。

多様性を示すことは大きな意義がありますが、その扱い方を誤ると、逆に誤解を広げてしまう危険もあるでしょう。

リアルな人間をのぞき見することは、どこまで許されるのか

リアリティショーは、どうしても「のぞき見」するような構造を含んでいるように思います。

また、実際には出演者が完全に自由に振る舞えるわけではなく、制作側の演出や本人の意図とは異なる文脈で編集されることがあるでしょう。

それにより、出演者が大きなストレスや危険にさらされ、自死に追い込まれるなどの痛ましい事例が、世界的に問題になっています。倫理的な課題があるということです。

こうした背景から言えることは、メディアに顔を出したからといって、その人の尊厳を踏みにじるような言葉、悪意をもって傷つけるような言葉を投げつけていいわけではないということです。

セクシュアルマイノリテ当事者の存在を知ってもらえる機会が増えることと、誰かが傷つかないことは本来どちらも大切で、その両立は簡単ではありません。だからこそ、レズビアンの恋愛リアリティショーをめぐる問いには、私自身すぐに答えを出せない部分が残ります。

それでも、出演者に対するメンタルヘルスの配慮などが十分に行われ、丁寧に作られた作品があれば、当事者にとって希望になるのではないかと思っています。

 

■作品情報
Netflixリアリティシリーズ『ボーイフレンド』シーズン2
作品ページ:http://www.netflix.com/ボーイフレンド
スタッフ:エグゼクティブ・プロデューサー:太田大 (Netflix)ほか
スタジオ出演:MEGUMI、ホラン千秋、青山テルマ、ドリアン・ロロブリジーダ、徳井義実
企画・制作:Netflix

 

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