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Writer/酉野たまご

LGBTQ+にとってもやさしい小説―『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を読んで

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』という名前は、まず映画、そしてその原作小説のタイトルとして知った。タイトルの言葉選びが印象的で、とりあえず原作からふれてみようと本を手に取ったときは、この作品がLGBTQ+の物語だとは想像もしていなかった。

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』との思いがけない出会い

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』というタイトルへの小さな違和感

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』。このタイトルを目にしたとき、私はぬいぐるみが好きなとある知人のことを連想した。

いつも同じぬいぐるみをバッグのポケットに入れ、たまに手洗いして、相棒のように何年も一緒の時間を過ごしている人。

その人のことを思い出して、確かに、ぬいぐるみが好きな人はやさしそうだ、と思った。

でも、タイトルには「ぬいぐるみとしゃべる人」とある。

そうか、ただぬいぐるみが好きな人じゃなくて「ぬいぐるみとしゃべる人」の話なのか。

そのことに気づいてから、どうしても内容が気になってしまい、本を手に取った。

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が描くLGBTQ+へのやわらかな視線

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』は、100ページほどの中編小説だ。

「ぬいぐるみサークル」に所属している大学生の七森が、周囲の大学生たちと同じように恋愛を楽しめずに悩んでいるところから物語が始まる。

読み進めてすぐに、この話はLGBTQ+を描いている、と気がついた。

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』で描かれる「ぬいぐるみとしゃべる人」は、自分の愚痴やつらい思いを、他人ではなく無機物であるぬいぐるみに向かって話す人たちだ。

しんどい話を他人にすると、その話を聞いた相手もしんどくなったり、傷ついてしまったりするかもしれない。だから、ぬいぐるみに向かって自分の思いを打ち明ける。

「恋愛が楽しめない」と悩む主人公の七森以外にも、女性と交際している女性・西村さんという人も登場する。

レズビアンの登場人物が、あまりにもあっさりと、さりげなく出てきたことに私は驚きをおぼえた。

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の世界において、LGBTQ+であることは決して特別なことではないのだ。

特別ではなく、当たり前に存在する。
だけど、だからこそ、しんどい思いを抱えてしまう。

そんなふうに、ふわりとやわらかな手触りでLGBTQ+を扱っている作品にはあまり出会ったことがなかったので、ちょっとした衝撃を感じたあとに、じわじわとうれしさがこみあげてきた。

「LGBTQ+だからこそ、他人にやさしくなれる」わけではない?

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』から浮かび上がるLGBTQ+の「焦り」

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』は、どちらかといえばLGBTQ+の話というより、ジェンダーやフェミニズムをテーマに掲げた作品だと思う。

主人公の七森や、七森と仲が良い麦戸ちゃんは「女性」「男性」という性差が取り沙汰される事件や、身近な話題に心を痛め、大勢の人と会うのがつらくなってしまう。

ただ、それでも私がこの小説を「LGBTQ+の話」だと受け取ったのは「他のみんなのように恋愛を楽しみたい」と焦る七森の気持ちに、強く共感したからだ。

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の冒頭には

ひとを、友だちとして好きという気持ちはわかる。
恋愛対象として好き、というのがわからない。
そのふたつのちがいが七森には見つけられない。

というフレーズがある。

ここだけを取り出せば、七森はアロマンティック・アセクシュアル(他者に恋愛感情や性愛感情を抱かない人)のようでもあるし、クワロマンティック(他者に抱く好意を恋愛感情か友情が区別できない/したくない人)のようでもある。

そして、七森は、自分が恋愛をわからないことへの焦りから、サークルの同期であるに、勢いで交際を申し込んでしまう。

その焦りの感情と、勢いまかせの行動に、私は学生時代の自分を重ねずにはいられなかった。

学生時代の私の過ちと小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』との共通点

最近では「恋愛や結婚の話を他人に聞くのはタブー」という暗黙の了解があるためか、そういった話題を他人に振られる機会は減ってきた。

でも、自分が学生だった頃は、多くの人が恋愛の話で盛り上がっていた。

こちらが何も言っていなくても「付き合ってる人いないの?」「どんな人がタイプ?」「このサークルの中でいえば、誰と付き合いたい?」と、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

サークル内に同期の異性が1人でもいれば、周囲から当然のように「○○くんとは付き合わないの?」と聞かれるのだ。ただ、同期の異性というだけなのに。

それでも、私が同期の男の子と付き合わなかったのは、ただ彼には他に好きな人がいると知っていたからというだけかもしれない。

なぜなら、私も小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の七森のように、誰かと交際したことがないという事実に焦っていたから。

高校卒業間際に、私は自分がLGBTQ+であることに気がついた。

同性に恋心を抱いたことで「もしかしたら自分はレズビアンかもしれない」と思ったものの、それまで誰とも付き合ったことがなかったから、同性だけを好きになるのか、異性にも同性にも同じように恋愛感情を抱くのか、よくわかっていなかった。

それを確かめたい思いから、女性であれ男性であれ、ちょっと好ましく感じる人に対して「私はこの人に恋ができるだろうか?」「この人と付き合うことはできるだろうか?」と即座に考えてしまう習慣がついた。

今思えば、私はちょっと、いや、かなりギリギリな思考回路の大学生だった。

「誰かと付き合ってみたい」という思いが先行しすぎて、何人もの人にジットリと熱っぽい視線を送ってみたり、ふいに距離を詰めてみたりしていた学生時代の私は、今振り返るとあまりにも幼稚で、迷惑な人間になってしまっていた。

七森が、付き合い始めてからすぐに別れてしまった白城に、別れたけど関係性が終わったわけじゃないから会いに行こうとして「僕、ストーカーっぽくない?」と気がつき、自分で自分にぞっとする場面では、私も学生時代の自分の行動を思い返してしまった。

「恋愛を理解したい」という焦りは、時として、無意識に自分を加害者側の人間にしてしまうことがある。

LGBTQ+にかぎった話ではないけれど、マジョリティに馴染みたいという思いから突っ走りすぎてしまうと、誰かを傷つけてしまう可能性があるのだ。

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の七森の姿を通して、この手痛い事実に気がつき、自分自身の行動を反省して、胸がヒリヒリとする思いだった。

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が描く、恋愛ではないパートナーシップ

LGBTQ+当事者も居心地よく過ごせる「ぬいぐるみサークル」という場所

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』は、恋愛を楽しめない七森が、焦るあまりサークルの同期と付き合い、すぐに別れ、あらためて自分の感情を見つめ直す・・・・・・というストーリーが進んでいく。

そして、そんな七森の周囲を、ぬいぐるみと、「ぬいぐるみとしゃべる人」であるサークルの人たちが取り巻いている。

ぬいぐるみには性別がない。

設定として性別を与えることもできるけど、ぬいぐるみは性も愛も関係がない、いわば天使か妖精のような存在として、この物語に彩りを加えている。

「ぬいぐるみサークル」が七森にとって居心地のいい場所として描かれるのは、性も愛も関係がないぬいぐるみたちに囲まれて、お互いのプライバシーに踏み込まない、近すぎない距離感で関わり合おうとする人たちの集まりだからなのだろう。

だから、ぬいぐるみサークルでは「男性」でも「女性」でもなく、LGBTQ+でもそうでない人でもなく、ただのひとりの人間として存在することができる。

作中に登場するレズビアンの「西村さん」は、学校やバイト先でカミングアウトすると「わたし自身として見られなくなる」と感じている。

同性愛者だと知られることで、西村さん自身ではなく「同性愛者の西村さん」として接されてしまうことに違和感をおぼえるのだ。

でも、ぬいぐるみサークルでは、「ひとのセクシュアリティとか、ひとのこととかどうでもいいみたいで落ち着く」のだという。

LGBTQ+当事者であっても、息のしやすい、お互いを枠にはめることがない居場所として「ぬいぐるみサークル」は描かれている。

私自身、LGBTQ+当事者のひとりとして、こんな場所が身近にあればいいな、と思わずにはいられない。

LGBTQ+当事者であっても得難い「恋愛ではないパートナーシップ」

ぬいぐるみサークルは「居心地のいい場所」として描かれるけれど、それぞれがぬいぐるみと話すことを目的としたサークルだから、お互いに話を聞いたり、助け合ったりすることはできない。

七森と、同じくぬいぐるみサークルに所属している「麦戸ちゃん」は、それぞれにしんどさを抱えてしまい、サークルに顔を出せなくなってしまう。

それでも七森と麦戸ちゃんは、お互いを「大好きな友だち」として尊重し、ぬいぐるみに代わってお互いの話を聞き合う。

そして七森は、恋愛感情がわからなくても、どちらかが誰かと結婚することがあっても、麦戸ちゃんを大事に思う気持ちは変わらないと気がつくのだ。

七森と麦戸ちゃんの「恋愛ではないパートナーシップ」ともいうべき関係は、私にとってとてつもなく羨ましく、きらきらと輝いて見える。

ぬいぐるみサークルのように、お互いに干渉しないことをやさしさととらえるような居場所も、そして人によっては、恋愛や性愛によってつながり合うパートナーシップも、どちらもそれぞれの良さがある。

でも「恋愛ではないパートナーシップ」は、LGBTQ+の当事者同士であっても、なかなか得難い関係性だと思うのだ。

七森と麦戸ちゃんは、恋愛も性愛も介さないけれど、お互いのつらさや喜びを共有し合うことで、お互いの人生になくてはならない関係性を築こうとしている。

七森の生きづらさや悩みを中心に描いた小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の中で、このパートナーシップはひとつの希望の形として、私たちの心に訴えかけてくる強さがある。

LGBTQ+ではない人も、ぬいぐるみとしゃべらない人も、きっとやさしい

冒頭でふれた「ぬいぐるみが好きなとある知人」と、ちょっとした言い争いをしたことがある。

その知人が書いた文章に「女装を趣味としている男性」について「まじめそうな人に見えるのに、どうしてなのか」といった表現が含まれていたのだ。

私は「あなたが差別的な意味合いで書いたわけじゃないことはわかっているけど、私は何も知らずにこの文章を読んだら、LGBTQ+当事者として少しショックを受けると思う」と伝えた。

しかし、知人は「この文章は、他の人が実際に体験したことをそのまま書いているから、直す必要がない」と譲らず、少しの間だけ口論になってしまった。

私は、知人が本来やさしい人であることを知っているし、文章を書くことにこだわりがあることも知っている。

だからこそ、知人の文章に口出しをしたくはなかったし、その指摘を理解してもらえなかったことは、素直に悲しかった。

その言い争いの最中、知人のバッグのポケットから、いつものぬいぐるみがちょこんと顔を出しているのがずっと目に入っていた。

LGBTQ+であろうとなかろうと、人と人がわかり合うのはとても難しいし、お互いの心の中に踏み込むには、とてつもないエネルギーが要る。

それでも、ぬいぐるみが好きなその知人のことを、私はあきらめたくないし、こんな小さなすれ違いだけで溝を感じたくない、と思った。

数日後、私は知人と和解した。口論なんてなかったかのように言葉を交わし合う私たちを、相変わらず、いつものぬいぐるみがそっと見つめていた。

小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の、ちょっと意外にも思えるラストの一文を読み終えて、そんなささやかな記憶がよみがえった。

 

■作品情報
小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』
作:大前粟生
出版社:河出書房新社

 

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